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老猫の眼の静か七五三
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ろうびょうの まなこのしずか しちごさん
以前、猫を飼ってから初めて、猫を家に残して泊りがけの旅行に出かけ、帰ってきたときのことです。
猫にとっては人がいない環境で一晩過ごすのは初めて、なのでさぞ不安だろう、その分帰宅したときは甘えてくるだろう、と思って帰宅したのですが……猫は平然と、畳んだ布団の上に寝そべっていました。
犬だと多分、こういうとき一心不乱に飛びついてくるのでしょうが、猫は案外飼い主の帰宅には冷淡なんでしょうかね。まあ普段から、我が家の猫は帰宅時は大人しいものですが。
私が家にいるときは悲しそうににゃーにゃー鳴くことがあるのに、お留守番のときは寂しくないのでしょうか。不思議なものです。
もしかしたら、悲しそうに聞こえるのは錯覚で、お前(飼い主)がいないならいないで構わないけど俺(猫)の縄張りにいる間は俺のこと構わないのは許さん、という意思表示なのかも……
ともあれ、その日、私はある勘違いをしました。
うちの猫ももう大人になっていて、いつまでも飼い主にあやされて喜ぶ存在ではなくなってきているのかな、と。
……後日、パソコン打っていると邪魔してきたり、ソファで休んでいると上に乗ってきたりしたので、さすがにそこまで老成してはいない、と判断したわけですが。
もっとも、猫というものも成長するものですから、いつまでも飼い主に甘えてばかりの小さい存在ではないはず、ですよね。子どものように甘えて欲しいからといって、いつまでも「可愛い」存在と決めつけるのは飼い主の傲慢、とは思っています。
……私自身が昔経験したことですが、周りの人間から「あやす相手」として扱われるのは、そういう扱いを受けている側にとっては屈辱なのです。だから、猫もそうなったときは、相応の接し方をしないと失礼になるかな、と。
そんなわけで、一つ、老成してもう子供ではなくなった猫を詠んでみよう、と思った次第でした。
ちなみにこの構想、この企画を始めた後、結構初期のころに浮かんでいたものです。
なので、ネタとしてはだいぶ前からあったのですが、他の句を色々考えている中で、いつの間にか存在を忘れてしまっていた構想でした。メモ帳を読み返してみてやっと思い出したという……
そして初期に作っていた形は次のものでした。
懐かなくなった猫成長の跡
懐かなくなった猫成長の春
懐かなくなった猫らと入学式
懐かなくなった猫らと卒業式
懐かなくなった猫らと七五三
一番上のものは、季語を入れずにひとまずの形を作ってみたたたき台。この状態から入れられる季語を探す、というやり方に進みます。今回は、表現したい概念が先にあってそれに合致する季語を春夏秋冬の中から探す、というやり方なので、この方法が使えたのです。
子猫の頃は甘えていた猫も、年を取るにつれてだんだんふてぶてしくなっていく、でもそれでこそ猫、という含意があります。
そして上の2つは猫が懐かなくなった理由を明示したもの、下の3つは人間の子供の成長と対比させることで猫の成長を想起させる効果を狙ったものです。
「春」「入学式」「卒業式」「七五三」。季語の中で人の成長という要素を含みそうなものを探して見つかったのが、これらでした。
以降は、「七五三」で推敲が進むことになります。その過程がこちら。
七五三懐かなくなった猫の丈
七五三おとなの猫のマイペース
七五三甘えなくなった猫の丈
七五三甘えなくなった猫撫でる
七五三甘えなくなった猫触る
七五三戯れなくなった猫の沿う
沿う猫の戯れなくなった七五三
七五三戯れなくなった猫の髭
七五三意外と大きくなった猫
七五三戯れずとも寄り添う老猫
七五三戯れねど老猫寄り添いて
七五三戯れねど寄り添う老いた猫
七五三静かに寄り添う老いた猫
七五三静かに座る老いた猫
七五三成猫の静かな眼差し
七五三成猫の眼差しの静か
七五三五歳の猫の静かな目
と、この辺りまでが、メモ帳に埋もれていた部分です。
推敲が進むにつれて、詠む内容も変わってきています。猫が成長したから甘えなくなった、甘えなくなった猫を撫でている飼い主の心理、甘えた態度は取らないけど寄り添っている猫、じゃれつくことのなくなった猫の大きさ、年老いた猫の静かな様子、年老いるまで行かないけれどある程度成長した段階、と。
この中で「老」の字が出てくるものだと、人間の子供を優しく見守ってくれているおばあちゃんの猫、という感じになり、これはこれで風情としてはありだな、と思いました。
一方で、「成猫」や「五歳」だと、そこまでは行ってないですね。猫で5歳だと、人間の子供からはお兄さんお姉さんくらいの段階、でしょうか。こちらも、そっと見守っててくれるなら頼もしい存在になりそうです。人間のほうが猫に守られている感。
そして、メモを見返してみて、この辺りでも良さそう、とは思ったのですが、せっかくなので少し形を変えて試してみることにしました。それがこちら。
七五三静かに眺む猫は五歳
老猫の静かに眺む七五三
老猫の眼は静か七五三
老猫の眼の静か七五三
5歳の猫か老猫か。やはり風情があるのは老猫でした。
そして猫が静かだという様子の表現で、「静かに眺む」か「眼は静か」「眼の静か」のどれがいいか。詩として印象が深いのは「眼は静か」か「眼の静か」です。
では、「眼は」と「眼の」でどう違うか。「は」だと、猫以外のものは静かではない、ということをより強く言い表すことになります。例えば、七五三をお祝いしている大人たちのはしゃぎよう、とか。
……祝われている子供のほうが行事の意味を分かっていればいいんですが、こうした行事って、分かっているのは大人だけで当の子供は訳の分からないままやらされている、ということも往々にしてありますから。自分より年上の子供が祝われている姿を見て羨ましいと思った、等の経験がない限り、主役の子供が置いてけぼりになることは多々あります。
そういう意味では「は」もありかな、とは思ったのですが。なんだか、逆に皮肉になり過ぎている気がしました。そもそも、こうした行事で大人がはしゃぐのは、わざわざ言わなくても分かることです。
というわけで、より猫に焦点が集まる「の」を使うことにしました。
長く生きた猫は妖怪の猫又になるという言い伝えもありますが、年取って色々知っている猫に見守ってもらえていたら心強いですね。
猫は案外、人や家を守ってくれる存在なのかもしれませんね。
以前、猫を飼ってから初めて、猫を家に残して泊りがけの旅行に出かけ、帰ってきたときのことです。
猫にとっては人がいない環境で一晩過ごすのは初めて、なのでさぞ不安だろう、その分帰宅したときは甘えてくるだろう、と思って帰宅したのですが……猫は平然と、畳んだ布団の上に寝そべっていました。
犬だと多分、こういうとき一心不乱に飛びついてくるのでしょうが、猫は案外飼い主の帰宅には冷淡なんでしょうかね。まあ普段から、我が家の猫は帰宅時は大人しいものですが。
私が家にいるときは悲しそうににゃーにゃー鳴くことがあるのに、お留守番のときは寂しくないのでしょうか。不思議なものです。
もしかしたら、悲しそうに聞こえるのは錯覚で、お前(飼い主)がいないならいないで構わないけど俺(猫)の縄張りにいる間は俺のこと構わないのは許さん、という意思表示なのかも……
ともあれ、その日、私はある勘違いをしました。
うちの猫ももう大人になっていて、いつまでも飼い主にあやされて喜ぶ存在ではなくなってきているのかな、と。
……後日、パソコン打っていると邪魔してきたり、ソファで休んでいると上に乗ってきたりしたので、さすがにそこまで老成してはいない、と判断したわけですが。
もっとも、猫というものも成長するものですから、いつまでも飼い主に甘えてばかりの小さい存在ではないはず、ですよね。子どものように甘えて欲しいからといって、いつまでも「可愛い」存在と決めつけるのは飼い主の傲慢、とは思っています。
……私自身が昔経験したことですが、周りの人間から「あやす相手」として扱われるのは、そういう扱いを受けている側にとっては屈辱なのです。だから、猫もそうなったときは、相応の接し方をしないと失礼になるかな、と。
そんなわけで、一つ、老成してもう子供ではなくなった猫を詠んでみよう、と思った次第でした。
ちなみにこの構想、この企画を始めた後、結構初期のころに浮かんでいたものです。
なので、ネタとしてはだいぶ前からあったのですが、他の句を色々考えている中で、いつの間にか存在を忘れてしまっていた構想でした。メモ帳を読み返してみてやっと思い出したという……
そして初期に作っていた形は次のものでした。
懐かなくなった猫成長の跡
懐かなくなった猫成長の春
懐かなくなった猫らと入学式
懐かなくなった猫らと卒業式
懐かなくなった猫らと七五三
一番上のものは、季語を入れずにひとまずの形を作ってみたたたき台。この状態から入れられる季語を探す、というやり方に進みます。今回は、表現したい概念が先にあってそれに合致する季語を春夏秋冬の中から探す、というやり方なので、この方法が使えたのです。
子猫の頃は甘えていた猫も、年を取るにつれてだんだんふてぶてしくなっていく、でもそれでこそ猫、という含意があります。
そして上の2つは猫が懐かなくなった理由を明示したもの、下の3つは人間の子供の成長と対比させることで猫の成長を想起させる効果を狙ったものです。
「春」「入学式」「卒業式」「七五三」。季語の中で人の成長という要素を含みそうなものを探して見つかったのが、これらでした。
以降は、「七五三」で推敲が進むことになります。その過程がこちら。
七五三懐かなくなった猫の丈
七五三おとなの猫のマイペース
七五三甘えなくなった猫の丈
七五三甘えなくなった猫撫でる
七五三甘えなくなった猫触る
七五三戯れなくなった猫の沿う
沿う猫の戯れなくなった七五三
七五三戯れなくなった猫の髭
七五三意外と大きくなった猫
七五三戯れずとも寄り添う老猫
七五三戯れねど老猫寄り添いて
七五三戯れねど寄り添う老いた猫
七五三静かに寄り添う老いた猫
七五三静かに座る老いた猫
七五三成猫の静かな眼差し
七五三成猫の眼差しの静か
七五三五歳の猫の静かな目
と、この辺りまでが、メモ帳に埋もれていた部分です。
推敲が進むにつれて、詠む内容も変わってきています。猫が成長したから甘えなくなった、甘えなくなった猫を撫でている飼い主の心理、甘えた態度は取らないけど寄り添っている猫、じゃれつくことのなくなった猫の大きさ、年老いた猫の静かな様子、年老いるまで行かないけれどある程度成長した段階、と。
この中で「老」の字が出てくるものだと、人間の子供を優しく見守ってくれているおばあちゃんの猫、という感じになり、これはこれで風情としてはありだな、と思いました。
一方で、「成猫」や「五歳」だと、そこまでは行ってないですね。猫で5歳だと、人間の子供からはお兄さんお姉さんくらいの段階、でしょうか。こちらも、そっと見守っててくれるなら頼もしい存在になりそうです。人間のほうが猫に守られている感。
そして、メモを見返してみて、この辺りでも良さそう、とは思ったのですが、せっかくなので少し形を変えて試してみることにしました。それがこちら。
七五三静かに眺む猫は五歳
老猫の静かに眺む七五三
老猫の眼は静か七五三
老猫の眼の静か七五三
5歳の猫か老猫か。やはり風情があるのは老猫でした。
そして猫が静かだという様子の表現で、「静かに眺む」か「眼は静か」「眼の静か」のどれがいいか。詩として印象が深いのは「眼は静か」か「眼の静か」です。
では、「眼は」と「眼の」でどう違うか。「は」だと、猫以外のものは静かではない、ということをより強く言い表すことになります。例えば、七五三をお祝いしている大人たちのはしゃぎよう、とか。
……祝われている子供のほうが行事の意味を分かっていればいいんですが、こうした行事って、分かっているのは大人だけで当の子供は訳の分からないままやらされている、ということも往々にしてありますから。自分より年上の子供が祝われている姿を見て羨ましいと思った、等の経験がない限り、主役の子供が置いてけぼりになることは多々あります。
そういう意味では「は」もありかな、とは思ったのですが。なんだか、逆に皮肉になり過ぎている気がしました。そもそも、こうした行事で大人がはしゃぐのは、わざわざ言わなくても分かることです。
というわけで、より猫に焦点が集まる「の」を使うことにしました。
長く生きた猫は妖怪の猫又になるという言い伝えもありますが、年取って色々知っている猫に見守ってもらえていたら心強いですね。
猫は案外、人や家を守ってくれる存在なのかもしれませんね。
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