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第十七章 春の別れ
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エキボウとの公演のために設えた舞台車は、その後ほどなく買い手が見つかり、売ってしまいました。「お助け団」はできるだけ身軽でいるのを旨としているのです。これでワクたちの束の間の「旅芸人」生活も完全に終わったように感じられました。と同時に、冬がやってきました。
先ほどからカアサが、ワクたちの知らない女性と話し込んでいます。
ここは、ワクたちが泊っている宿の一室。カアサたち女性組は隣の部屋なのですが、カアサに客が来たため、アミは先ほどからこちらの部屋に来て、一緒にこたつにあたっています。
「何を話しているのかしらね?」
「その前に、あれ誰だ?」
「このあたりに知り合いがいたんですね、カアサさん。」
「なあ、オジジ、あれは誰だい?」
「わしの口から言ってしまうのもなんじゃが、あれはカアサの親戚じゃよ。」
「へー、親戚。」
「姪御さんじゃ。カアサの生まれ故郷の村はこの近くだでな。」
「そうなんですね。僕も初めて知りました。」
「普段あまり自分のことを話さんからの。カアサは。」
「オジジもそうだけどね。」
「わしか、わしは話すほどのことが何もないだけじゃ。はっはっは!」
しばらくして、カアサがこちらの部屋に入ってきました。
「アミちゃん、ごめんなさい。話は終わったわ。もう帰るから。」
「いえ、全然。」
「ゆっくり話せたかの?」
「ええ…。」
女性が出ていく際、ワクたちも玄関でお見送りをしました。少々派手めの化粧をした、ごく美しい顔立ちの女性でした。年の頃は、四十くらいでしょうか。
「じゃあね、伯母さん。またね。」
「ええ。私が旅を続けていれば、また六年後に、この村に巡って来た時に会えるからね。」
「ふん、その時まであたしゃ生きていないかもね。」
「何を言っているの。先に死ぬのは私。それが順番よ。」
「どうだかね。」
薄笑い。涼しい目元がきれいだ、とワクは思いました。
「あんた、しつこいようだけど、ようく考えるのよ。自分を大切にしなさい。」
「はいはい。せっかく授かったたったひとつの命ってね。分かってる。伯母さんも元気でね。」
「…。」
女性は、玄関を出て行きました。出て行きしな、ワクと偶然目が合いました。女性は一瞬ワクを見つめ、口元に艶やかな笑いを浮かべました。いえ、ワクの思い過ごしかもしれませんが。
「ごめんなさいね、みんな。迷惑かけてしまって。」
「別に迷惑なんて。」
「ちょっと困った子でね。事情があって両親がいなくなってから、何となく私も気にはかけているんだけど、私もこんな旅の身の上だし、あの子ももう立派な大人だし。」
「めちゃくちゃ美人だったわね。ワクちゃんなんて、鼻の下のばしてたわよ。」
「ば、ばか言えよ。」
「何赤くなってるのよ。気持ち悪ぃ。」
「あの子は、いわゆる娼婦なのよ。」
「!」
娼婦が珍しいわけではありませんが、カアサの姪っ子が娼婦をしているということが、意外なのでした。
「小さい頃からいろいろあってね…なかなか難しいものね、人生って。」
皆は、何と答えて良いか分かりません。オジジだけは落ち着いたものです。以前から事情を知っていたのでしょう。
カアサの言った「自分を大切にしなさい」という言葉がなぜか、ワクの胸に残りました。
ところで、カアサ自身の過去は、オジジ以外ははっきりと知りませんでした。息子と夫を相次いで亡くしてから旅に出た、とぼんやり聞いているものの、それ以上のことは分かりません。カアサは、その持ち前の慈愛の精神で、行く先々で出会った人をいたわっていたのでしょう。オジジがカアサと出会ったのはそんな中で、カアサの姿勢や考え方に感銘を受けたオジジは、カアサと一緒に旅をすることになったそうです。
オジジとカアサは、夫婦ではありません。結婚していてもなんら不思議ではないようなお似合いの二人ですが、なぜか籍は入れていません。一度、ワクはオジジにその理由を聞いてみたことがあります。
「なんでかな。きっと、お互いもう歳で、今さらそんな必要を感じんのじゃろうな。」
愛し合っても籍を入れていない二人。どうしても自分とコハルを連想し、苦しくもなり、またオジジとカアサへの敬愛の念を深くもするワクでした。
一日ごとに春が近づいています。道端の雪は解け始め、あちこちに濁った水たまりを作っています。陽の光に暖かい活力が感じられるようになりました。春は、すべての命の源。この年齢になってもワクはまだ、春になると気持ちが浮き浮きします。いや、この年齢になっていよいよその感性が鋭くなったように思います。
そして、その春の到来とともに、「お助け団」にも新たなメンバーが加わりました。リウとシウという、双子の少年でした。十七歳。ワクが実家から旅立ったときの年齢と同じです。彼らは、町の不良集団の一員でしたが、夜中の通りに――仲間にやられたらしく――傷だらけで倒れているところをワクが助け出し、ミイルの作戦とワクの胆力で、不良集団から脱退させました。彼らは孤児でしたので、その村に特別な執着もなく、そのまま「お助け団」に同行することとなったのでした。双子なだけに容姿はそっくりで、性格も似ているのですが、リウはより向こうっ気が強く、シウは愛想が良い性質でした。ワクはこの二人を見るにつけ、昔の自分とセンタを思い出さずにはいられないのでした。
それからも「お助け団」は、行く先々で出会ういろんな人を援助しました。
ワクが、エキボウの一件で開花させた歌唱力を発揮し、アミと一緒に歌って活躍したこと、リウとシウが若さゆえに暴走して、ミイルがなんとか尻ぬぐいをしたことなど、この時期は、ワクにとっては長く記憶に残る想い出をたくさん作った時期でした。
それらを通して、ワクは、ミイルが、自分と出会った頃と比べるとずっと逞しくなったように感じていました。リウとシウ――特にシウの方がミイルによくなついていましたが――彼らの浅はかな考えに対して教え諭す姿などを見るにつけ、あの人見知りの臆病ミイルが一人前になったものだ、とワクは感慨を覚えるのでした。
成長とは、人の上に立って威張ることでも、自分を押し殺して世間に迎合することでもありません。成長とは、自分の持って生まれた性質を慈しみ、この世間や他人とほんの少しだけ折り合いをつけて、本来の自分を生かす技術を身に着けていくことなのです。
ひるがえって考えるに、自分は果たして少しでも成長しているのだろうか――そんな疑念がワクの頭をよぎります。
大丈夫、心配いらないよ。君は立派に成長しているからね、ワク。
翌春。
「お助け団」は、その終点にあたる村に近づいていました。それはミイルの生まれ故郷の村でもあります。また、ワクが「お助け団」と別れることになる地点でもありました。
「どうじゃ、決心がついたかの。」
「ええ…いえ、まだちょっと…。」
「そうか、まあ、まだ時間がある。ゆっくり考えることじゃ。」
「なんの決心だ?」
ワクは気になって横から口をはさみました。
「じ、実家の両親に会う決心です。」
「そうじゃ。ミイルは、ワシらと出会った後にも、過去に一度、故郷の村を訪れたことがある。ちょうど一年たった頃じゃったの、ワシらが出会ってから。」
「はい。」
「じゃが、その時は、実家には顔を出さなんだ。」
自分を嫌って追い出した父親、引き止めてくれなかった母親、自分のいない後に、父親のお気に入りとして大きな顔をしている弟。そのすべてに強い拒否感を抱いていたミイルは、とても実家に顔を出すことなど考えられなかったのでした。
それから六年が経ちました。ワクの目から見ても、ミイルはある点で大きく変わりました。自分や他人を肯定的に見る目、それから包容力も育っています。家族に対する心のわだかまりを解いても良い頃だろうと、オジジは考えているようでした。もっとも、当のミイルは、いざとなるとやや腰が引けています。無理もありませんが…。
その夜、ワクはミイルを宿の外へ散歩に連れ出しました。オジジはそんな二人を、息子たちを見守る父親のような目で黙って見つめていました。
「なあミイル、お前、親父さんのことがまだ許せないのか?」
「ゆ、許せないというか、会うのが怖い、というか…。」
「そうだろうな。お前らしいや。」
「…。」
「オジジとカアサは、そろそろ旅を引退しようと考えているぞ。」
「はい、この間ちらっと聞きました。」
「すると、これからは自然とお前が「お助け団」を引っ張っていくことになるんだ。まあ、実際にはアミの尻に敷かれるかもしれんがな。」
ミイルの顔が少しほころびます。
「でもな、お前のことだ。責任感と重圧でガチガチになるんじゃねえか。」
「…。」
すでにミイルは泣きそうな顔です。
「だが、そんな必要はねえ。物事はなるようにしかならねえ。お前が「お助け団」を率いる立場になるのも、何もかもみんな成り行きだ。うまく言えねえけど、つまり、あれだ。義務感ではなくて、何でも自分の気持ちに従って動けばいいってことだ。自分がやりたいようにやる。自分が心地よくなるようにする。それが結局は正解だ。でもそうするためにまず必要なのは、自分の価値を自分で認めることだ。」
「…。」
「お前も、もうだいぶ分かっているだろう。最近のお前はずいぶん自信がついてきた。」
「…。」
「俺と初めて会った頃なんて、おどおどして挙動不審のかたまりだったもんな。」
ミイルは苦笑い。
「それが最近は、リウやシウにとってもいい兄貴になって、大したもんだ。」
「…。」
「親子だから仲良くしなきゃならねえなんて決まりはねえ。親父さんが憎ければ、別に無理して仲直りなんてしなくていい。そんなことをしても、誰も幸せにならねえ。けど、別に憎くないのなら、つながりを持っていた方が、お前の今後の人生が楽しくなる。」
「…。」
「俺はもう、親だのなんだのと言う歳ではないが、それでも、いつかも言ったように、親父のことは大好きだ。今でも一番の親友だ。もう何十年も会っていないが、心の中にいてくれるだけで、元気が出る。そんな存在だ。そういう存在は、いないよりいる方がいい。お前にだって、そんな気持ちを味わう権利がある。」
ミイルは、下を向いてじっと考え込んでいました。オジジやカアサはミイルにとって親以上の年齢であり、ある意味、雲の上の存在です。それに比べたらワクは自分の年齢に近く、身近な存在でした。
「たまには、何にも考えずに、ただ感じるままに動いてみるのもいいぜ。そうするとな、人生は楽しいんだよ。ま、俺の場合はバカだから、いつだって何も考えずに行動しているけどな。」
「ワクさん…。」
世代は近いが、まったくタイプの異なるワク。自分に無いものを持ち合わせた、兄貴のような身近な存在のワク。そんなワクの言葉に、何かしら感じるものがある様子のミイルでした。
ミイルは決心しました。翌朝、オジジに、
「決めました。実家に顔を出してみます。」
「ほう、そうか。」
オジジは満開の笑顔で、ワクに目配せをよこしました。
ミイルの実家は、村の外れ近く、比較的立派な門構えの家でした。
「こ、こんにちは!」
実家に帰ってきた息子には似つかわしくない台詞で、ミイルは声をかけます。
しばらくして、
「はーい。」
と出てきた、母親と思しき女性。ミイルの顔を見て、動きが止まりました。
「あ、あ…。」
「母さん。」
「…ミイル!」
そのまま息子の肩にしがみつきました。嗚咽で肩が震えています。
(ほうらみろ。やっぱり母親は母親だ。息子が可愛くないわけがないんだ。分かってんのか、ミイル。この親不孝ものが。)
ワクは、涙が出そうになるのを抑えるために、心の中でわざとそう毒づきました。
しばらくしてちょっと落ち着いた母親は、ミイルとその一行を家の中へ招き入れました。
「あなた、あなた! ミイルが! ミイルが帰って来ましたよ!」
家の中で、父親、母親と「お助け団」一行が向かい合って座ります。
「ミイル。元気だったか。お前は今、何をしているのだ?」
「は、はい。旅をしながら人助けのようなことをしています。」
「人助け。」
「はい。」
オジジが会話に割って入ります。
「道行く先で困っている人、助けを必要としている人たちを援助したり、問題解決の手助けをしたり、寄り添ったりするのがわしらの活動でしてな。このミイルは、わしらの中の頭脳ですわい。」
オジジは自分の頭を指さして、
「息子さんは、生まれつき、他の人間よりも少々ここが上等に出来ているようですな。いつも素晴らしい計画を考え出して、これまでどれだけの人を救ってきたことか。」
「なるほど、立派に独り立ちして良い仲間と居場所を見つけ、他人様のお役に立つ人間になっているんだな。」
「そ、そんなすごいことは…。」
「こうやって謙遜するところも、彼の優れた点ですね。」
とカアサ。
「有難うございます。」
と父親。皆はちょっと驚きました。予想外の言葉でした。
「こいつの顔つきを見れば分かります。家を出た頃とは雲泥の差だ。正直、家を追い出したら、こいつは野垂れ死にするのではないかと不安だった。いや、恐怖だった。だが、こいつのためには外へ出すことが必要ではないかと思ったのだ。良かった。皆さんのおかげです。」
ミイルはもう泣き顔でした。おそらく、父親の言葉は彼にとってあまりにも意外だったのでしょう。
そこへ、ちょうど帰ってきた弟とも会うことができました。
「兄貴、俺、今、親父に習って、大工修行をしているんだぜ。家のことは俺に任せて、兄貴は広い世間で活躍してくれ。」
ミイルの父親は大工なのです。ワクの祖父も大工でしたし、ワク自身も、見習い程度ならしたことがありますので、親近感が湧きます。
「ところで、嫁の紹介がまだのようだが?」
「?」
「こちらのお嬢さんは、お前の嫁だろう? なかなか別嬪さんを見つけたじゃないか。」
「い、いや、ちょっ…。」
と、飲みかけたお茶を吹き出すミイル。
「いやですねえ、お父さん。まだ、そんなんじゃありませんよ。ほほほほ、まだ。」
とアミ。
「ま、まだ?」
とミイルは真っ赤。
一同、笑いにどっと沸きました。
ホーホケキョ。縁側の向こうの庭で、鶯が鳴きました。
(何もかもうまくいって、大団円だな。)
ワクは大満足でした。
その三日後。
とうとう「お助け団」と別れる時が来ました。
実家に滞在していたミイルと、宿屋に泊まっていた他の者たちが落ち合いました。
村の外れの四つ角で、彼らは三方に分かれます。
オジジとカアサは、年齢のせいで歩き回る生活がきついと感じるようになって久しかったため、この村に定住することになりました。言ってみれば「卒業」です。二人は夫婦ではないのですが、一緒に暮らすことにしました。この村に見つけた新居へ向かいます。ミイルの家族とも、今後付き合いが続くでしょう。
そのミイルは、アミ、リウ、シウと一緒に、「お助け団」の活動範囲のもうひとつの端である町へ向かいます。それはコハルとコマリの住む町であり、アミの故郷の町でもあります。一気に若返った「お助け団」は、これまでとは一味違う活動で、今後も陰になり日向になり、人々の助けになっていくでしょう。
そしてワクは――。一人で、山を目指して旅を続けます。
「コハルさんとコマリちゃんに伝えておきます。ワクさんは元気です、と。」
とミイル。
「ありがとう。」
ワクは万感の思いで、それだけ答えます。
「ワクさん! ありがとうございました。」
「ワク兄、元気でな。」
「ワクちゃん、元気でね。」
「オジジ、カアサ、お元気で。本当にありがとうございました。」
「ありがとうございます、オジジさん。ありがとうございます、カアサさん。また六年後に戻ってきますので、それまでお元気で。」
皆がそれぞれ、別れを惜しんで言葉を交わします。
さようなら、臆病ミイル。さようなら、生意気でかわいいアミ。リウ、シウも元気で。
ありがとう、カアサ。ありがとう、オジジ。
ワクは、村の外へ向けて歩き出しました。遥か前方に、小さな山を仰ぎ見ながら。再び一人きりに戻って。
ワク、三十七歳。家を出てから二十年が経ちました。まだまだ旅は続きます。
先ほどからカアサが、ワクたちの知らない女性と話し込んでいます。
ここは、ワクたちが泊っている宿の一室。カアサたち女性組は隣の部屋なのですが、カアサに客が来たため、アミは先ほどからこちらの部屋に来て、一緒にこたつにあたっています。
「何を話しているのかしらね?」
「その前に、あれ誰だ?」
「このあたりに知り合いがいたんですね、カアサさん。」
「なあ、オジジ、あれは誰だい?」
「わしの口から言ってしまうのもなんじゃが、あれはカアサの親戚じゃよ。」
「へー、親戚。」
「姪御さんじゃ。カアサの生まれ故郷の村はこの近くだでな。」
「そうなんですね。僕も初めて知りました。」
「普段あまり自分のことを話さんからの。カアサは。」
「オジジもそうだけどね。」
「わしか、わしは話すほどのことが何もないだけじゃ。はっはっは!」
しばらくして、カアサがこちらの部屋に入ってきました。
「アミちゃん、ごめんなさい。話は終わったわ。もう帰るから。」
「いえ、全然。」
「ゆっくり話せたかの?」
「ええ…。」
女性が出ていく際、ワクたちも玄関でお見送りをしました。少々派手めの化粧をした、ごく美しい顔立ちの女性でした。年の頃は、四十くらいでしょうか。
「じゃあね、伯母さん。またね。」
「ええ。私が旅を続けていれば、また六年後に、この村に巡って来た時に会えるからね。」
「ふん、その時まであたしゃ生きていないかもね。」
「何を言っているの。先に死ぬのは私。それが順番よ。」
「どうだかね。」
薄笑い。涼しい目元がきれいだ、とワクは思いました。
「あんた、しつこいようだけど、ようく考えるのよ。自分を大切にしなさい。」
「はいはい。せっかく授かったたったひとつの命ってね。分かってる。伯母さんも元気でね。」
「…。」
女性は、玄関を出て行きました。出て行きしな、ワクと偶然目が合いました。女性は一瞬ワクを見つめ、口元に艶やかな笑いを浮かべました。いえ、ワクの思い過ごしかもしれませんが。
「ごめんなさいね、みんな。迷惑かけてしまって。」
「別に迷惑なんて。」
「ちょっと困った子でね。事情があって両親がいなくなってから、何となく私も気にはかけているんだけど、私もこんな旅の身の上だし、あの子ももう立派な大人だし。」
「めちゃくちゃ美人だったわね。ワクちゃんなんて、鼻の下のばしてたわよ。」
「ば、ばか言えよ。」
「何赤くなってるのよ。気持ち悪ぃ。」
「あの子は、いわゆる娼婦なのよ。」
「!」
娼婦が珍しいわけではありませんが、カアサの姪っ子が娼婦をしているということが、意外なのでした。
「小さい頃からいろいろあってね…なかなか難しいものね、人生って。」
皆は、何と答えて良いか分かりません。オジジだけは落ち着いたものです。以前から事情を知っていたのでしょう。
カアサの言った「自分を大切にしなさい」という言葉がなぜか、ワクの胸に残りました。
ところで、カアサ自身の過去は、オジジ以外ははっきりと知りませんでした。息子と夫を相次いで亡くしてから旅に出た、とぼんやり聞いているものの、それ以上のことは分かりません。カアサは、その持ち前の慈愛の精神で、行く先々で出会った人をいたわっていたのでしょう。オジジがカアサと出会ったのはそんな中で、カアサの姿勢や考え方に感銘を受けたオジジは、カアサと一緒に旅をすることになったそうです。
オジジとカアサは、夫婦ではありません。結婚していてもなんら不思議ではないようなお似合いの二人ですが、なぜか籍は入れていません。一度、ワクはオジジにその理由を聞いてみたことがあります。
「なんでかな。きっと、お互いもう歳で、今さらそんな必要を感じんのじゃろうな。」
愛し合っても籍を入れていない二人。どうしても自分とコハルを連想し、苦しくもなり、またオジジとカアサへの敬愛の念を深くもするワクでした。
一日ごとに春が近づいています。道端の雪は解け始め、あちこちに濁った水たまりを作っています。陽の光に暖かい活力が感じられるようになりました。春は、すべての命の源。この年齢になってもワクはまだ、春になると気持ちが浮き浮きします。いや、この年齢になっていよいよその感性が鋭くなったように思います。
そして、その春の到来とともに、「お助け団」にも新たなメンバーが加わりました。リウとシウという、双子の少年でした。十七歳。ワクが実家から旅立ったときの年齢と同じです。彼らは、町の不良集団の一員でしたが、夜中の通りに――仲間にやられたらしく――傷だらけで倒れているところをワクが助け出し、ミイルの作戦とワクの胆力で、不良集団から脱退させました。彼らは孤児でしたので、その村に特別な執着もなく、そのまま「お助け団」に同行することとなったのでした。双子なだけに容姿はそっくりで、性格も似ているのですが、リウはより向こうっ気が強く、シウは愛想が良い性質でした。ワクはこの二人を見るにつけ、昔の自分とセンタを思い出さずにはいられないのでした。
それからも「お助け団」は、行く先々で出会ういろんな人を援助しました。
ワクが、エキボウの一件で開花させた歌唱力を発揮し、アミと一緒に歌って活躍したこと、リウとシウが若さゆえに暴走して、ミイルがなんとか尻ぬぐいをしたことなど、この時期は、ワクにとっては長く記憶に残る想い出をたくさん作った時期でした。
それらを通して、ワクは、ミイルが、自分と出会った頃と比べるとずっと逞しくなったように感じていました。リウとシウ――特にシウの方がミイルによくなついていましたが――彼らの浅はかな考えに対して教え諭す姿などを見るにつけ、あの人見知りの臆病ミイルが一人前になったものだ、とワクは感慨を覚えるのでした。
成長とは、人の上に立って威張ることでも、自分を押し殺して世間に迎合することでもありません。成長とは、自分の持って生まれた性質を慈しみ、この世間や他人とほんの少しだけ折り合いをつけて、本来の自分を生かす技術を身に着けていくことなのです。
ひるがえって考えるに、自分は果たして少しでも成長しているのだろうか――そんな疑念がワクの頭をよぎります。
大丈夫、心配いらないよ。君は立派に成長しているからね、ワク。
翌春。
「お助け団」は、その終点にあたる村に近づいていました。それはミイルの生まれ故郷の村でもあります。また、ワクが「お助け団」と別れることになる地点でもありました。
「どうじゃ、決心がついたかの。」
「ええ…いえ、まだちょっと…。」
「そうか、まあ、まだ時間がある。ゆっくり考えることじゃ。」
「なんの決心だ?」
ワクは気になって横から口をはさみました。
「じ、実家の両親に会う決心です。」
「そうじゃ。ミイルは、ワシらと出会った後にも、過去に一度、故郷の村を訪れたことがある。ちょうど一年たった頃じゃったの、ワシらが出会ってから。」
「はい。」
「じゃが、その時は、実家には顔を出さなんだ。」
自分を嫌って追い出した父親、引き止めてくれなかった母親、自分のいない後に、父親のお気に入りとして大きな顔をしている弟。そのすべてに強い拒否感を抱いていたミイルは、とても実家に顔を出すことなど考えられなかったのでした。
それから六年が経ちました。ワクの目から見ても、ミイルはある点で大きく変わりました。自分や他人を肯定的に見る目、それから包容力も育っています。家族に対する心のわだかまりを解いても良い頃だろうと、オジジは考えているようでした。もっとも、当のミイルは、いざとなるとやや腰が引けています。無理もありませんが…。
その夜、ワクはミイルを宿の外へ散歩に連れ出しました。オジジはそんな二人を、息子たちを見守る父親のような目で黙って見つめていました。
「なあミイル、お前、親父さんのことがまだ許せないのか?」
「ゆ、許せないというか、会うのが怖い、というか…。」
「そうだろうな。お前らしいや。」
「…。」
「オジジとカアサは、そろそろ旅を引退しようと考えているぞ。」
「はい、この間ちらっと聞きました。」
「すると、これからは自然とお前が「お助け団」を引っ張っていくことになるんだ。まあ、実際にはアミの尻に敷かれるかもしれんがな。」
ミイルの顔が少しほころびます。
「でもな、お前のことだ。責任感と重圧でガチガチになるんじゃねえか。」
「…。」
すでにミイルは泣きそうな顔です。
「だが、そんな必要はねえ。物事はなるようにしかならねえ。お前が「お助け団」を率いる立場になるのも、何もかもみんな成り行きだ。うまく言えねえけど、つまり、あれだ。義務感ではなくて、何でも自分の気持ちに従って動けばいいってことだ。自分がやりたいようにやる。自分が心地よくなるようにする。それが結局は正解だ。でもそうするためにまず必要なのは、自分の価値を自分で認めることだ。」
「…。」
「お前も、もうだいぶ分かっているだろう。最近のお前はずいぶん自信がついてきた。」
「…。」
「俺と初めて会った頃なんて、おどおどして挙動不審のかたまりだったもんな。」
ミイルは苦笑い。
「それが最近は、リウやシウにとってもいい兄貴になって、大したもんだ。」
「…。」
「親子だから仲良くしなきゃならねえなんて決まりはねえ。親父さんが憎ければ、別に無理して仲直りなんてしなくていい。そんなことをしても、誰も幸せにならねえ。けど、別に憎くないのなら、つながりを持っていた方が、お前の今後の人生が楽しくなる。」
「…。」
「俺はもう、親だのなんだのと言う歳ではないが、それでも、いつかも言ったように、親父のことは大好きだ。今でも一番の親友だ。もう何十年も会っていないが、心の中にいてくれるだけで、元気が出る。そんな存在だ。そういう存在は、いないよりいる方がいい。お前にだって、そんな気持ちを味わう権利がある。」
ミイルは、下を向いてじっと考え込んでいました。オジジやカアサはミイルにとって親以上の年齢であり、ある意味、雲の上の存在です。それに比べたらワクは自分の年齢に近く、身近な存在でした。
「たまには、何にも考えずに、ただ感じるままに動いてみるのもいいぜ。そうするとな、人生は楽しいんだよ。ま、俺の場合はバカだから、いつだって何も考えずに行動しているけどな。」
「ワクさん…。」
世代は近いが、まったくタイプの異なるワク。自分に無いものを持ち合わせた、兄貴のような身近な存在のワク。そんなワクの言葉に、何かしら感じるものがある様子のミイルでした。
ミイルは決心しました。翌朝、オジジに、
「決めました。実家に顔を出してみます。」
「ほう、そうか。」
オジジは満開の笑顔で、ワクに目配せをよこしました。
ミイルの実家は、村の外れ近く、比較的立派な門構えの家でした。
「こ、こんにちは!」
実家に帰ってきた息子には似つかわしくない台詞で、ミイルは声をかけます。
しばらくして、
「はーい。」
と出てきた、母親と思しき女性。ミイルの顔を見て、動きが止まりました。
「あ、あ…。」
「母さん。」
「…ミイル!」
そのまま息子の肩にしがみつきました。嗚咽で肩が震えています。
(ほうらみろ。やっぱり母親は母親だ。息子が可愛くないわけがないんだ。分かってんのか、ミイル。この親不孝ものが。)
ワクは、涙が出そうになるのを抑えるために、心の中でわざとそう毒づきました。
しばらくしてちょっと落ち着いた母親は、ミイルとその一行を家の中へ招き入れました。
「あなた、あなた! ミイルが! ミイルが帰って来ましたよ!」
家の中で、父親、母親と「お助け団」一行が向かい合って座ります。
「ミイル。元気だったか。お前は今、何をしているのだ?」
「は、はい。旅をしながら人助けのようなことをしています。」
「人助け。」
「はい。」
オジジが会話に割って入ります。
「道行く先で困っている人、助けを必要としている人たちを援助したり、問題解決の手助けをしたり、寄り添ったりするのがわしらの活動でしてな。このミイルは、わしらの中の頭脳ですわい。」
オジジは自分の頭を指さして、
「息子さんは、生まれつき、他の人間よりも少々ここが上等に出来ているようですな。いつも素晴らしい計画を考え出して、これまでどれだけの人を救ってきたことか。」
「なるほど、立派に独り立ちして良い仲間と居場所を見つけ、他人様のお役に立つ人間になっているんだな。」
「そ、そんなすごいことは…。」
「こうやって謙遜するところも、彼の優れた点ですね。」
とカアサ。
「有難うございます。」
と父親。皆はちょっと驚きました。予想外の言葉でした。
「こいつの顔つきを見れば分かります。家を出た頃とは雲泥の差だ。正直、家を追い出したら、こいつは野垂れ死にするのではないかと不安だった。いや、恐怖だった。だが、こいつのためには外へ出すことが必要ではないかと思ったのだ。良かった。皆さんのおかげです。」
ミイルはもう泣き顔でした。おそらく、父親の言葉は彼にとってあまりにも意外だったのでしょう。
そこへ、ちょうど帰ってきた弟とも会うことができました。
「兄貴、俺、今、親父に習って、大工修行をしているんだぜ。家のことは俺に任せて、兄貴は広い世間で活躍してくれ。」
ミイルの父親は大工なのです。ワクの祖父も大工でしたし、ワク自身も、見習い程度ならしたことがありますので、親近感が湧きます。
「ところで、嫁の紹介がまだのようだが?」
「?」
「こちらのお嬢さんは、お前の嫁だろう? なかなか別嬪さんを見つけたじゃないか。」
「い、いや、ちょっ…。」
と、飲みかけたお茶を吹き出すミイル。
「いやですねえ、お父さん。まだ、そんなんじゃありませんよ。ほほほほ、まだ。」
とアミ。
「ま、まだ?」
とミイルは真っ赤。
一同、笑いにどっと沸きました。
ホーホケキョ。縁側の向こうの庭で、鶯が鳴きました。
(何もかもうまくいって、大団円だな。)
ワクは大満足でした。
その三日後。
とうとう「お助け団」と別れる時が来ました。
実家に滞在していたミイルと、宿屋に泊まっていた他の者たちが落ち合いました。
村の外れの四つ角で、彼らは三方に分かれます。
オジジとカアサは、年齢のせいで歩き回る生活がきついと感じるようになって久しかったため、この村に定住することになりました。言ってみれば「卒業」です。二人は夫婦ではないのですが、一緒に暮らすことにしました。この村に見つけた新居へ向かいます。ミイルの家族とも、今後付き合いが続くでしょう。
そのミイルは、アミ、リウ、シウと一緒に、「お助け団」の活動範囲のもうひとつの端である町へ向かいます。それはコハルとコマリの住む町であり、アミの故郷の町でもあります。一気に若返った「お助け団」は、これまでとは一味違う活動で、今後も陰になり日向になり、人々の助けになっていくでしょう。
そしてワクは――。一人で、山を目指して旅を続けます。
「コハルさんとコマリちゃんに伝えておきます。ワクさんは元気です、と。」
とミイル。
「ありがとう。」
ワクは万感の思いで、それだけ答えます。
「ワクさん! ありがとうございました。」
「ワク兄、元気でな。」
「ワクちゃん、元気でね。」
「オジジ、カアサ、お元気で。本当にありがとうございました。」
「ありがとうございます、オジジさん。ありがとうございます、カアサさん。また六年後に戻ってきますので、それまでお元気で。」
皆がそれぞれ、別れを惜しんで言葉を交わします。
さようなら、臆病ミイル。さようなら、生意気でかわいいアミ。リウ、シウも元気で。
ありがとう、カアサ。ありがとう、オジジ。
ワクは、村の外へ向けて歩き出しました。遥か前方に、小さな山を仰ぎ見ながら。再び一人きりに戻って。
ワク、三十七歳。家を出てから二十年が経ちました。まだまだ旅は続きます。
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これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
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◇◇◇
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