神秘写真師

daishige

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第四話 吸血鬼

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 「先生の師匠はどんな人なのですか」
引田は空のカバンを手にして歩いていた。
「ケルナー先生か、厳格な人だな。ドイツ人だが、わずかな期間で日本語が達者になったようだから物覚えが良いのだろう」
上岡は人力車が速度を上げて近づいて来るので、引田を引き寄せていた。
「そのカバンには帰りに本をどのくらい入れられそうか」
「かなり入りますけど、その分重くなって底が抜けるかもしれませんよ」
「いくら引田は力持ちでも、底が抜けてしまったら、どうしようもないな」
着物袴にシャツ姿の上岡は、袂に手を入れ財布の汽車賃を確かめていた。
 上岡と引田は新橋停車場の前まで来た。
「前々から気になっていたんですけど、新橋は停車場なのに上野は駅でしょう。どっちが正しいのですか」
「上野駅を上野停車場という呼ぶ人もいるけど…、あと笑えるのはスッテンションだろうな」
「それでどう違うのですか」
「俺の自論だと昔の宿場町に停車場があると駅となり、それ以外は停車場かな」
「どちらにしても乗り降りする所ですよね」
「うん。鉄道開業当初は停車場だったが、だんだん駅と呼ぶ人も増えてきた。これからは駅が主流となるだろう」
上岡は遠い目をしていた。

 横浜停車場の改札を出た上岡たち。目の前の通りは馬車の往来が新橋よりも多かった。関内居留地の方向に歩き出すと、外国人を見かける数が徐々に多くなっていった。
「先生、師匠の写真館は居留地にあるのですか」
「いや、居留地の手前の弁天通りにある」
「ドイツ人なのに珍しいですね」
「ケルナー先生は日本人との触れ合いを大切にしているからな」
上岡は修業時代を思い返していた。

 『ケルナー写真館』の看板が掲げられた洋館に入ると、日本人使用人の野川が出迎えてくれた。
「上岡さん、久しぶりです。お越しになるとは聞いてましたが、ケルナー先生は埠頭に写真を撮りに行ってます」
「埠頭ですか。横浜港の景観写真の依頼でもありましたか」
「よくはわかりませんが、ルドルフ商会の画商さんからの急用だそうですが、とりあえず、こちらでお待ちください」
野川は写真館の待合室に案内した。

 「やぁ上岡さん、ちょうど良い所に来てくれました。独立開業の話は後回しにして、手伝ってもらいたいことがあります。今すぐ現像するから地下の部屋で待っていてください」
戻って来るなりケルナーは現像室に入って行った。上岡は、ケルナーの孫弟子にあたる引田を紹介しそびれていた。あ然としたままの上岡たちは地下室に向かった。
 「先生、師匠は言葉遣いは丁寧ですが、強い意思のようなものを感じさせる人ですね」
「だから厳格だと言ったろう。しかし地下室は神秘写真術を行う場所だぞ」
「先生も修行を積んだ場所ですね。師匠は直に教えてくださるのですかね」
引田は心弾ませているようだった。
「何か大事の予感がする」
上岡は軽い気持ちではいられなかった。

 ケルナーは現像したばかりの埠頭で撮った写真を手にして階段を降りてきた。
「ここに建ち並ぶ倉庫を全部入れるのに苦労しましたが、これで探せます」
ケルナーは写真を蝋燭が立てられたテーブルに置いていた。
「ケルナー先生、何を探すのですか」
「あぁ、そうでしたな。この絵です」
ケルナーは額装されている吸血鬼の絵が写る写真を、引き出しから取り出し見せた。額は脇に立つ画商の背丈ほどもあり、かなり大きなものであった。非常にリアルに描かれた絵で、今にも絵から飛び出て来そうな迫力もあった。引田は思わず息を飲んでいた。
「ぞっとする絵ではないですか」
上岡が言うと引田は軽く身震いしていた。
「昨晩、この絵が隣のルドルフ商会から盗まれ、画商が犯人の荷馬車を埠頭の倉庫が建ち並ぶ辺りまで追い詰めたのですが見失いました。これらの倉庫のどこかにあるはずです」
「それでは、神秘写真術で一つ一つ倉庫内を探すのですか」
「その通りです。上岡さんたちが来てくれて助かります。あぁ、そちらはミス…誰ですかな」
「私の助手というか弟子の引田靖子です。まだ神秘写真術は教えていませんけど」
上岡の横で引田はお辞儀をしていた。
「そうですか、良い機会ですからから少し教えましょう」
ケルナーはじろりと引田を見ていた。

 「引田さん、違うよ。古代ゲルマン語の発音はこうです」
ケルナーは現代ドイツ語とも違う発音をしてみせた。引田はもう一度呪文を恐る恐る唱えていた。
「発音が悪いと術が発揮できないです。まぁ良いでしょう。彼女まだペンダントの扱いは無理でも、写真の中に入ってもらいます」
「ケルナー先生、それはまだ早いのでは」
「何事も体験することが大切です」

 眺望写真に聖水が噴霧され、呪文を唱えながら3人は静かに目を閉じていた。引田の発音が多少悪くても、上岡とケルナーの発音に引きづられ共鳴することで、難なく3人は写真内の世界に入っていった。
 埠頭には倉庫が24棟あった。
「私は左の12棟、上岡さんたちは右の12棟を探してください」
ケルナーはわき目もふらずに左の方に歩いて行った。言われるままに上岡たちは右の方に向かって歩いて行った。
 上岡は一番手前の倉庫の扉の前でペンダントをかざして扉を開ける。中は穀物の袋ばかりがつまれていた。引田は上岡が神秘写真術を間近で実践しているのを初めて目にしていた。
「このペンダントはこうして使うのですか」
引田はペンダントばかりを見ていた。
「引田、倉庫の中を見てくれよ。俺の見落としがないようにな」
「はい。実物大の大きな絵ですよね」
 上岡たちは次々に倉庫を開けて行き、中を確認して行った。しかし大きな絵やそれらしきものは見当たらなかった。15番目の倉庫を開けようとした時、引田の姿が薄れてきた。
「おい引田、まだ修業が必要だな」
「先生、なんか靄が掛かって周りがよく見えなくなりましたけど、大丈夫ですか」
「恐れることはない。これも経験だ」
上岡が言い終える間もなく、引田は姿を消した。その後、上岡は一人で倉庫内を見回したが、絵は見つからなかった。

 上岡はケルナーが探している倉庫群の方に向かうと、手前から14番目の倉庫の扉が開いていた。中に入る上岡。
「上岡さん、引田さんはどうしました」
ケルナーは背後に隙を感じさせない素早さで後ろを振り向いていた。
「呪文の効力が弱かったようで、一足先に写真の世界から戻ってしまったようです」
「それは仕方ないことです。しかし上岡さん、あそこを見てください」
ケルナーは人の背丈ほどもある大きな麻袋を指さしていた。
 ケルナーと上岡は麻袋の前まで来る。
「ケルナー先生、ありましたよ」
袋の中を覗いた上岡は嬉しそうにしていた。
「さっそく戻って、画商のシュルツに伝えましょう。穏便に取り戻すことができます」
ケルナーはいろいろと考えを巡らせているようだった。

 地下室に戻ると、引田は上岡とケルナーの前にぼーっと立っていた。
「おい引田、しっかりしろ。もう写真の外だぞ」
上岡は引田を揺り動かしていた。
「あ、先生、周りの世界に色がありますね。あぁ、戻れたんだ」
引田は頭を振っていた。
「呪文の発音が悪いと効力が弱く、写真の内外の境界も曖昧になりがちなのだ。よく覚えておけ」
上岡が言っているのをケルナーはうなづきながら見ていた。
 写真館の待合室には画商のシュルツが不安そうな顔をして待っていた。ケルナーはシュルツに口早にドイツ語で何か言っていた。するとシュルツは、急いで外に停めてあった荷馬車に飛び乗り走り去っていった。

 30分程経つと血まみれでケガをしたシュルツが、荷馬車にかろうじて乗って戻ってきた。ケルナーはシュルツから事情を聞くと、野川に医師を呼ばせていた。
 「ケルナー先生、これはどういうことですか」
「まずいことになりました。シュルツが倉庫から奪還したのも束の間、鉢合わせした犯人に絵を奪われました」
「犯人は、しつこいですね」
引田は御者席でうつむいているシュルツを見ていた。
「そんな重要な絵なのでしょうか」
上岡は、いろいろと気になる点があった。
「あの絵はある家系の人物がこの絵を所有したり目にすると、代々受け継がれた血統に秘められた邪悪な本能が目覚めるとされています」
「吸血鬼になるというのですか」
「たぶんそうでしょう。まだ日本では目にしたことがありませんが」
「ルドルフ商会がそんなものを取り扱っているとは…」
「なんでこの絵が紛れ込んだかシュルツもわからないと言っています」
「しかし、このまま放置すれば、日本にも吸血鬼が現れるのですか」
「異界の勢力も新たな市場を求めているのでしょう」
「それを許すわけには行きませんよ。ケルナー先生」
「これは、二重世界接触法で割り出すしかないか」
ケルナーは決意めいた目をしていた。
「そ、それは難しいのでは。写真の中の絵ですよ」
「引き込まれる力は強いが、秘伝の強固なゲルマン鎖があるのです」

 地下室では、額装された絵の写真に聖水が噴霧され、ケルナー、上岡、引田は、まず写真の中に入った。そこでケルナーは古代ゲルマン文字が枠に刻まれた額枠を吸血鬼の絵に当てて呪文を唱えた。ケルナーの腰には鎖が巻き付けてあり、上岡と引田はしっかりと持っていた。
 ケルナーは絵の中に入って行った。鎖はたるんだままであった。ケルナーはペンダントをかざして吸血鬼の外套の少しめくり上げると、王冠を載せた黒い鷲が翼を広げる紋章を首から提げていた。そーっと外套を元の位置に戻した。すると吸血鬼の手が動き、ケルナーの腕をつかんだ。鎖が不自然に動いていた。ケルナーは腕を強く振って、吸血鬼の手を振りほどいた。しかし、急に風が吹き出し、ケルナーの体は、絵の奥にどんどん引き込まれていく。
 絵の外では鎖がピーンと張り始めた。上岡と引田は、鎖を引っ張り手繰り寄せていた。二人の力なので、ケルナーは物凄い力で引っ張られているものの、少しずつ引き出すことが出来ていた。
「おい引田、嘘だろう」
上岡は引田の姿が薄れだしたので、絶望的な顔になっていた。次の瞬間、引田の姿が消えてしまった。それと同時に上岡も絵の中にじりじり引き込まれていく。上岡は、歯を食いしばり鎖を引っ張る。だが、腕から先が絵の中に入っていた。今まで引田が握っていた鎖の部分には誰もいない。
 引田はもう一度、聖水を噴霧しながら発音に気を付けて呪文を唱えた。写真の中に入る引田。上岡の姿はなく、鎖がずるずると絵の中に入りかけていたが、一番端をつかむことができた。引田は必死に手繰り寄せ、最悪に備えて立っている画商の足に鎖を絡ませていた。その後、少しずつ引っ張っていく。
 「ケルナー先生、引田にもっと前から発音が教えておけば、こんなことには」
「上岡さん、何事も最後の最後まで諦めてはなりません」 
「はい。でも…、あぁ、ケルナー先生が引っ張れます。もしかすると引田が戻って来たのかもしません」
上岡は鎖を引っ張り直していた。
 絵の外に出られたケルナーと上岡は息を荒くしていた。
「引田、今度は発音が上手く行ったか」
上岡は引田の肩を軽く叩いていた。
「はい。先生と師匠のことが心配で必死にやってみました」
「引田さん、合格です。上岡さん、引田さん用のペンダント授けてください」
ケルナーは珍しく頬を緩めていた。ケルナーは自分のペンダントで十字を切り、上岡は引田と手をつないでから自らのペンダントで十字を切り、写真から抜けし出した。

 写真館の待合室のテーブルに身を寄せている上岡たち。
「こういう紋章が描かれていましたが、吸血鬼の家系の紋章でしょう」
ケルナーは自分が目にした紋章を描いていた。
「それでケルナー先生、どうしますか」
「この紋章を掲げている所に絵があると思いますが、日本で掲げることはあまりないようです」
「横浜をしらみつぶしに探しますか」
上岡は窓の外の通りにガス灯が点けられていくのを見ていた。
「先生、これって、どこかで見た気がするのですが」
「引田、落ち着いて思い出してみてくれ。最近か東京でか」
「そう急かさないでくださいよ…」
「引田さん、舶来のチョコレイトどうですか」
ケルナーは待合室の戸棚からチョコレートの包み紙を取り出し、引田に渡していた。引田は嬉しそうに頬張っていた。
「ああ…、そう言えば、横浜停車場から見える所に停泊している小型の蒸気船に掲げられていた気がします」
「でかしたぞ引田。ケルナー先生、港に急ぎましょう」
 
 小型船を突きとめられることはないと高をくくっていた犯人側は、警備などしていなかった。上岡とケルナー、使用人の野川は、その日の内にその蒸気船に忍び込み、絵を海に投げ入れた。蒸気船の予定表には、明朝、沖に停泊する長崎行きの船に運び入れることになっていた。
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