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第三話 辻斬り
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●3.辻斬り
写真館のソファに座り、新聞を広げて読んでいる上岡。『またしても辻斬り。不平士族の再来か』の見出しに目を向けていた。
「先生、新聞広告の掲載費はいくらなんですか」
引田は掃除を終えて現像室から出てきた。
「あ、そうだったな。辻斬りが気になったもので…。しかし紙面には掲載費は書いてないぞ」
「どうします。新聞広告の反響は大きいと聞きましたが」
「そう言えばここに出ている人力車屋は繁盛しているようだな。よく見かけるよ」
「うちも掲載すれば、繁盛間違いなしです」
「わかった。東京開明新聞社に行って話をつけてこよう」
新橋にある東京開明新聞社の応接室に上岡と引田は通されていた。
「この大きさの掲載ですと、一ヶ月掲載で2円(約3万円)になります」
着物の下にシャツを着た記者らしい男は、価格表のようなものを手にしていた。
「えぇ、そんなにするのですか」
上岡も引田は目を丸くしていた。
「もう少し小さかったり、文字数が少ないと違ってきますが」
「挿絵はなくても良いですけど」
上岡は価格表を覗き込もうとするが、男は見えないように角度を変えていた。
「あのぉ、実を言うと、担当の者が出払っているので、細かい値段交渉は、またの機会にお願いできますか」
「それじゃ、出直しますか」
上岡は要領を得ない相手に見切りを付けようとしていた。
「おい本宮、こんな所で何をやっている。白昼堂々と辻斬りがあったぞ。まだ近くに潜伏しているかもしれない、鹿鳴館の辺りを探せ」
応接室のドアを荒々しく開けた上司らしい男が、記者らしい男に呼びかけていた。
「鹿鳴館と言えば、ここから近いではないですか。私も関心があります。同行しても良いですか」
上岡が言うと引田は嫌そうな顔をしていた。
「…同行ですか」
本宮も渋い顔をしていた。
「一人じゃ危ないでしょう。それに一人の目より、三人の目の方が見つけられるものもあります」
「その女の人も一緒にですか」
「彼女は私の助手ですし、薙刀の免許皆伝ですから」
「えっ、そうだったかしら」
引田は極めて小声で囁いていた。
「ん、まぁ付いて来てください」
本宮は椅子から立ち上がった。
辻斬り現場近くの日比谷の通り脇に生えている樹木には、固まった血しぶきが付着していた。引田はなるべく血しぶきを見ないようにしていた。
「犯人は現場にそういつまでもいないでしょう」
上岡は通りに落ちていた血痕を辿ってみるが、十数歩行った辺りで終り、ひと際大きな血だまりの跡になっていた。そこで被害者は倒れ絶命したようだった。しかし既に死体は警察が運び、そこにはなかった。
「いや、辻斬りの見物人がどれぐらい集っているか気にして、現場近くに顔を出すこともありますから」
本宮は刀を隠し持った人物が隠れていそうな所を覗き込んでいた。
「これで何人目の犠牲者になりますか」
「5人目です。もう不平士族はいなくなったと思ってましたが、甘かったようです」
通りに面した鹿鳴館の門は開いていた。建物の車寄せでは、洋装ドレス姿の日本人女性が2頭立ての馬車に乗り込もうとしていた。上岡は遠目で見ていたが、何か気になる妖気の余韻のようなものを感じていた。
「あの女子はどこのお方ですか」
上岡は周囲を見回している本宮に尋ねる。
「あぁ、あれは華族さんで前沢伯爵夫人の洋子様でしょう」
「さすがに洋装は着慣れていらっしゃる」
「洋子様は、昼夜を問わず毎週というか月に4~5回、舞踏会のピアノを弾きに来ていますよ」
「昼夜を問わずですか」
「もっとも夜が多いですが、今日は昼間までしたか」
本宮は面倒くさそうに言っていた。上岡たちが眺めていると、鹿鳴館の使用人が馬車のドアを閉め、馬車は軽やかな蹄鉄音を響かせながら動き出した。
「今度、洋子様がピアノを弾きに来る日は決まっていないのですか」
「上岡さん、惚れたんですか。所詮華族さんの奥方ですよ」
「そうではないですが」
上岡は咳払いすると引田はニヤニヤしていた。
「えぇ…と、3日後の夕刻から舞踏会ですから、午後4時頃には馬車が到着するでしょう」
本宮は手帳を開いていた。
「本宮さん、洋子様のことは詳しいですね」
「編集長のごり押しで、今度うちの新聞で華族夫人の美人番付記事を書くことになってまして」
本宮はそれほど乗り気ではないようだった。
3日後、上岡と引田は、鹿鳴館の門の近くで写真機を構えていた。鹿鳴館の警吏には、東京名所色付け写真の撮影だと言っておいた。
上岡が懐中時計を見ていると、通りの方から軽やかな蹄鉄音が聞こえてきた。
「先生、来ましたよ」
「時間に正確だな。よし、車寄せで止まった所で撮影しよう。今回は望遠レンズをつけて撮るからな」
「はい。陽が陰らないと良いのですが」
引田は空を仰いでいた。眺めていた。
馬車が止まり、中から洋子が降りてきた。門の所にいた上岡たちをちらりと見る。その瞬間、上岡はシャッターを切った。
「上手く撮れたはずだ。これなら本宮に売れるかもしれないぞ」
「先生の写真をもとに詳細なさし絵が描けますね」
「外国では写真を新聞に載せられるようだが、日本ではまだ無理なのかな」
「写真を新聞にですか。そうなったら私たちの仕事も増えますね」
写真館に戻った上岡は現像した写真を手に小部屋に入った。神秘写真術を用いて、入った写真の中には鹿鳴館が建っていた。車寄せで静止している洋子。今回は一切妖気のようなものは感じられなかった。身近で見る顔つきは、西洋風の美人顔であった。上岡は洋子に妖気を感じないものの、建物の舞踏大広間の方から怪しい雰囲気を感じていた。歩みを進める上岡は、舞踏大広間にあるグランドピアノに目が留まった。普通のピアノに見えても怪しい雰囲気はここから発せられていた。
ピアノの銘板を見るとラテン語で何か書かれていたが理解できなかった。一通りピアノを見回した後、ペンダントをかざして鍵盤を叩いてみた。上岡は今までに聞いて事がない魔界音に頭がふらついてしまった。もう一回鍵盤を叩き、確信した。この魔界から響く音が、人の心を惑わし、負の感情を促すことを。洋子が自ら発する妖気ではなく、妖気の余韻があるのはそのせいであった。
神秘写真術を終えて小部屋から出て来た上岡。手近の机に置いてあった、本宮の手帳から書き写した紙切れを見る。舞踏会のあった日と辻斬りがあった夜が、何日か重なっていた。
「引田、わかったぞ」
上岡はソファでうたた寝をしていた引田を起こした。
「先生、どうしました」
引田は目をこすっていた。
「あの辻斬りだが、たまたま鹿鳴館の近くを歩いていた刀を隠し持った士族などが、潜在意識に秘めていた感情を爆発させた可能性がある」
「先生、何を言っているのかわからないのですが」
「洋子様が弾くピアノから発せられる魔界音が原因なのだよ」
「それでは鹿鳴館の舞踏会のある日は、刀を持った士族が日比谷の通りを歩かないようにとお触れでも出します
か」
「それは無理だろう。とにかく魔界音が出ないようにするしかないな」
上岡は腕組をしていた。
意気揚々と上岡は東京開明新聞社を訪ねていた。
「え、やはり昨晩も辻斬りがあったのですか。これは急ぐ必要があります」
上岡は裏付けられたと思っていた。
「となると、上岡さんのピアノ魔界音説も一理あるような気がしますが、ピアノを壊すとでもいうのですか」
本宮はまだ半信半疑の様子であった。
「できれば、そうしたいところです。本宮さん、新聞の力でなんとか出来ませんかね」
「それは無理です、鹿鳴館ですよ」
「ピアノを入れ替えることはできませんか」
「またどこかから輸入するとなると、…あぁ国産のピアノ会社にツテはなくないですが…」
「ツテがあるのですか」
「広告主のピアノ会社で、付き合い上、株の投資をしているだけですけど」
「それで、なんとかしましょう」
「上岡さん、第一、鹿鳴館側には何というのですか」
「国産ピアノを置いてくださいとかですよ」
「いきなり、そんなことを言って耳を貸しくれると思いますか」
本宮はハッキリと面倒くさそうな顔をしていた。
「新聞記事にして話題にするとかで、どうです」
上岡はなんとか引き留めようとしていた。
「まずは調律とかで実績を積んで納入業者にならないと」
「調律、ピアノ音の調整ですね…。それなら、そうだ。調律すれば魔界音が出なくなる」
「調律をさせるにしても、専属の調律師がいるでしょう。あのぉ上岡さん、別の取材が入っているので…」
「投資先のピアノ会社が売り込みに成功すれば、株が上がりますし、本宮さんの配当金なんかが増えるのではないですか」
上岡の株が上がるという言葉に本宮は心が動いたようだった。
「それはそうですが」
「本宮さんが動くことで、配当金が増えるのですよ」
「新聞社の給料はしれていますけど…」
「なんでも、外国の物やお雇い外国人で文明開化するよりも、国産を育成することが真の文明開化になるのではないでしょうか」
上岡は明治になってから感じていることを思わず口にしていた。
「それには鹿鳴館を管理している政府も賛同するでしょう。ピアノ会社と共に働きかけて見ますか」
「最初はお試しとして、タダで調律して評価判断してもらうのも手ですよ」
「上岡さん、それなら行けそうな気がします」
本宮は上岡にその気にさせられていた。
それからの10日間は辻斬りがなかったが、近くを不平士族が歩いていなかっただけかもしれなかった。その後が気になった上岡は連絡を待っておられず、再び東京開明新聞社を訪ねた。
「本宮さん、調律の件はどうなりましたか」
上岡は新聞社の入口で取材に出掛けようとしている本宮を呼び止めた。
「あっ、あれですか。取りあえず調律は任されましたが、配当金の方はあまり期待できなくなりました」
「何かあったのですか」
「鹿鳴館の舞踏会は滑稽な猿真似だとかで、内外の評判があまり良くないので近々閉鎖になるそうです。調律の仕事もなくなるわけですよ」
本宮はつまらなそうな顔をしていた。
写真館のソファに座り、新聞を広げて読んでいる上岡。『またしても辻斬り。不平士族の再来か』の見出しに目を向けていた。
「先生、新聞広告の掲載費はいくらなんですか」
引田は掃除を終えて現像室から出てきた。
「あ、そうだったな。辻斬りが気になったもので…。しかし紙面には掲載費は書いてないぞ」
「どうします。新聞広告の反響は大きいと聞きましたが」
「そう言えばここに出ている人力車屋は繁盛しているようだな。よく見かけるよ」
「うちも掲載すれば、繁盛間違いなしです」
「わかった。東京開明新聞社に行って話をつけてこよう」
新橋にある東京開明新聞社の応接室に上岡と引田は通されていた。
「この大きさの掲載ですと、一ヶ月掲載で2円(約3万円)になります」
着物の下にシャツを着た記者らしい男は、価格表のようなものを手にしていた。
「えぇ、そんなにするのですか」
上岡も引田は目を丸くしていた。
「もう少し小さかったり、文字数が少ないと違ってきますが」
「挿絵はなくても良いですけど」
上岡は価格表を覗き込もうとするが、男は見えないように角度を変えていた。
「あのぉ、実を言うと、担当の者が出払っているので、細かい値段交渉は、またの機会にお願いできますか」
「それじゃ、出直しますか」
上岡は要領を得ない相手に見切りを付けようとしていた。
「おい本宮、こんな所で何をやっている。白昼堂々と辻斬りがあったぞ。まだ近くに潜伏しているかもしれない、鹿鳴館の辺りを探せ」
応接室のドアを荒々しく開けた上司らしい男が、記者らしい男に呼びかけていた。
「鹿鳴館と言えば、ここから近いではないですか。私も関心があります。同行しても良いですか」
上岡が言うと引田は嫌そうな顔をしていた。
「…同行ですか」
本宮も渋い顔をしていた。
「一人じゃ危ないでしょう。それに一人の目より、三人の目の方が見つけられるものもあります」
「その女の人も一緒にですか」
「彼女は私の助手ですし、薙刀の免許皆伝ですから」
「えっ、そうだったかしら」
引田は極めて小声で囁いていた。
「ん、まぁ付いて来てください」
本宮は椅子から立ち上がった。
辻斬り現場近くの日比谷の通り脇に生えている樹木には、固まった血しぶきが付着していた。引田はなるべく血しぶきを見ないようにしていた。
「犯人は現場にそういつまでもいないでしょう」
上岡は通りに落ちていた血痕を辿ってみるが、十数歩行った辺りで終り、ひと際大きな血だまりの跡になっていた。そこで被害者は倒れ絶命したようだった。しかし既に死体は警察が運び、そこにはなかった。
「いや、辻斬りの見物人がどれぐらい集っているか気にして、現場近くに顔を出すこともありますから」
本宮は刀を隠し持った人物が隠れていそうな所を覗き込んでいた。
「これで何人目の犠牲者になりますか」
「5人目です。もう不平士族はいなくなったと思ってましたが、甘かったようです」
通りに面した鹿鳴館の門は開いていた。建物の車寄せでは、洋装ドレス姿の日本人女性が2頭立ての馬車に乗り込もうとしていた。上岡は遠目で見ていたが、何か気になる妖気の余韻のようなものを感じていた。
「あの女子はどこのお方ですか」
上岡は周囲を見回している本宮に尋ねる。
「あぁ、あれは華族さんで前沢伯爵夫人の洋子様でしょう」
「さすがに洋装は着慣れていらっしゃる」
「洋子様は、昼夜を問わず毎週というか月に4~5回、舞踏会のピアノを弾きに来ていますよ」
「昼夜を問わずですか」
「もっとも夜が多いですが、今日は昼間までしたか」
本宮は面倒くさそうに言っていた。上岡たちが眺めていると、鹿鳴館の使用人が馬車のドアを閉め、馬車は軽やかな蹄鉄音を響かせながら動き出した。
「今度、洋子様がピアノを弾きに来る日は決まっていないのですか」
「上岡さん、惚れたんですか。所詮華族さんの奥方ですよ」
「そうではないですが」
上岡は咳払いすると引田はニヤニヤしていた。
「えぇ…と、3日後の夕刻から舞踏会ですから、午後4時頃には馬車が到着するでしょう」
本宮は手帳を開いていた。
「本宮さん、洋子様のことは詳しいですね」
「編集長のごり押しで、今度うちの新聞で華族夫人の美人番付記事を書くことになってまして」
本宮はそれほど乗り気ではないようだった。
3日後、上岡と引田は、鹿鳴館の門の近くで写真機を構えていた。鹿鳴館の警吏には、東京名所色付け写真の撮影だと言っておいた。
上岡が懐中時計を見ていると、通りの方から軽やかな蹄鉄音が聞こえてきた。
「先生、来ましたよ」
「時間に正確だな。よし、車寄せで止まった所で撮影しよう。今回は望遠レンズをつけて撮るからな」
「はい。陽が陰らないと良いのですが」
引田は空を仰いでいた。眺めていた。
馬車が止まり、中から洋子が降りてきた。門の所にいた上岡たちをちらりと見る。その瞬間、上岡はシャッターを切った。
「上手く撮れたはずだ。これなら本宮に売れるかもしれないぞ」
「先生の写真をもとに詳細なさし絵が描けますね」
「外国では写真を新聞に載せられるようだが、日本ではまだ無理なのかな」
「写真を新聞にですか。そうなったら私たちの仕事も増えますね」
写真館に戻った上岡は現像した写真を手に小部屋に入った。神秘写真術を用いて、入った写真の中には鹿鳴館が建っていた。車寄せで静止している洋子。今回は一切妖気のようなものは感じられなかった。身近で見る顔つきは、西洋風の美人顔であった。上岡は洋子に妖気を感じないものの、建物の舞踏大広間の方から怪しい雰囲気を感じていた。歩みを進める上岡は、舞踏大広間にあるグランドピアノに目が留まった。普通のピアノに見えても怪しい雰囲気はここから発せられていた。
ピアノの銘板を見るとラテン語で何か書かれていたが理解できなかった。一通りピアノを見回した後、ペンダントをかざして鍵盤を叩いてみた。上岡は今までに聞いて事がない魔界音に頭がふらついてしまった。もう一回鍵盤を叩き、確信した。この魔界から響く音が、人の心を惑わし、負の感情を促すことを。洋子が自ら発する妖気ではなく、妖気の余韻があるのはそのせいであった。
神秘写真術を終えて小部屋から出て来た上岡。手近の机に置いてあった、本宮の手帳から書き写した紙切れを見る。舞踏会のあった日と辻斬りがあった夜が、何日か重なっていた。
「引田、わかったぞ」
上岡はソファでうたた寝をしていた引田を起こした。
「先生、どうしました」
引田は目をこすっていた。
「あの辻斬りだが、たまたま鹿鳴館の近くを歩いていた刀を隠し持った士族などが、潜在意識に秘めていた感情を爆発させた可能性がある」
「先生、何を言っているのかわからないのですが」
「洋子様が弾くピアノから発せられる魔界音が原因なのだよ」
「それでは鹿鳴館の舞踏会のある日は、刀を持った士族が日比谷の通りを歩かないようにとお触れでも出します
か」
「それは無理だろう。とにかく魔界音が出ないようにするしかないな」
上岡は腕組をしていた。
意気揚々と上岡は東京開明新聞社を訪ねていた。
「え、やはり昨晩も辻斬りがあったのですか。これは急ぐ必要があります」
上岡は裏付けられたと思っていた。
「となると、上岡さんのピアノ魔界音説も一理あるような気がしますが、ピアノを壊すとでもいうのですか」
本宮はまだ半信半疑の様子であった。
「できれば、そうしたいところです。本宮さん、新聞の力でなんとか出来ませんかね」
「それは無理です、鹿鳴館ですよ」
「ピアノを入れ替えることはできませんか」
「またどこかから輸入するとなると、…あぁ国産のピアノ会社にツテはなくないですが…」
「ツテがあるのですか」
「広告主のピアノ会社で、付き合い上、株の投資をしているだけですけど」
「それで、なんとかしましょう」
「上岡さん、第一、鹿鳴館側には何というのですか」
「国産ピアノを置いてくださいとかですよ」
「いきなり、そんなことを言って耳を貸しくれると思いますか」
本宮はハッキリと面倒くさそうな顔をしていた。
「新聞記事にして話題にするとかで、どうです」
上岡はなんとか引き留めようとしていた。
「まずは調律とかで実績を積んで納入業者にならないと」
「調律、ピアノ音の調整ですね…。それなら、そうだ。調律すれば魔界音が出なくなる」
「調律をさせるにしても、専属の調律師がいるでしょう。あのぉ上岡さん、別の取材が入っているので…」
「投資先のピアノ会社が売り込みに成功すれば、株が上がりますし、本宮さんの配当金なんかが増えるのではないですか」
上岡の株が上がるという言葉に本宮は心が動いたようだった。
「それはそうですが」
「本宮さんが動くことで、配当金が増えるのですよ」
「新聞社の給料はしれていますけど…」
「なんでも、外国の物やお雇い外国人で文明開化するよりも、国産を育成することが真の文明開化になるのではないでしょうか」
上岡は明治になってから感じていることを思わず口にしていた。
「それには鹿鳴館を管理している政府も賛同するでしょう。ピアノ会社と共に働きかけて見ますか」
「最初はお試しとして、タダで調律して評価判断してもらうのも手ですよ」
「上岡さん、それなら行けそうな気がします」
本宮は上岡にその気にさせられていた。
それからの10日間は辻斬りがなかったが、近くを不平士族が歩いていなかっただけかもしれなかった。その後が気になった上岡は連絡を待っておられず、再び東京開明新聞社を訪ねた。
「本宮さん、調律の件はどうなりましたか」
上岡は新聞社の入口で取材に出掛けようとしている本宮を呼び止めた。
「あっ、あれですか。取りあえず調律は任されましたが、配当金の方はあまり期待できなくなりました」
「何かあったのですか」
「鹿鳴館の舞踏会は滑稽な猿真似だとかで、内外の評判があまり良くないので近々閉鎖になるそうです。調律の仕事もなくなるわけですよ」
本宮はつまらなそうな顔をしていた。
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