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梓と柾士の話②

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途中★★★★から視点替わります。


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 その日の下校時、柾士の主である梓の様子がどこかおかしかった。
 いつも通り愛らしい顔立ち、制服をかっちりと指定通り着こなし姿勢も美しい。けれどいつもまっすぐ柾士を見るその瞳は視線をそらし、いつも浮かぶ笑顔も不機嫌の虫に消されてしまっている。

「お嬢様? どうかなさいましたか?」
「――いいえ、別に」

 何もなかったという反応ではない。柾士はじっと梓の様子を観察した。
 梓はまだ高校生とはいえ柾士が付き人をしている主人、彼女の不調や気分を害しているものがあるならばきちんと把握している必要がある。
 しかし今の梓はどちらかというと怒っているように見えてその中に不安そうな面持ちを隠している。

「お嬢様」

 けれど梓は柾士の呼びかけを無視して迎えの車にさっさと乗りこんでしまった。どうやら話すつもりはないらしい。
 柾士は困惑した。いつもなら「こんな嫌なことがあった」と真っ先に愚痴をこぼすのに。なぜ今日に限って何も話さないのだろう。違和感がぬぐえない。だがとりあえず彼女は迎えの車に乗ったのだ。柾士は運転席に入り、静かに発車させた。

 梓の家は代々政治家を輩出している家だ。
 特に祖父の花村忠興は政界の黒幕とも呼ばれる重鎮、父も大臣を歴任している。だから梓は何かと狙われやすく、付き人という名の秘書兼ボディガードがついているわけである。
 梓が中学に上がる直前、身代金目当ての男たちに誘拐されかけたことがある。たまたま誘拐現場に通りかかった柾士がそれを助けるというマンガのような出来事の後、梓のたっての希望で柾士は彼女のボディガードとして雇われた。元々警備会社勤務でボディガードとしての実績があったこともプラスに働いた結果だった。
 以来、もう梓とのつきあいは5年目に突入している。

 車は片側三車線の幹線道路を滑るように走り、やがて豪邸ばかりが立ち並ぶ住宅街へと入っていく。その間も梓はうつむいたまま一言も口を利かない。彼女は特別おしゃべりな方ではないが、こんなふうに押し黙ることは少ない。柾士はルームミラーで時々梓の様子を見ながらゆっくりと車を走らせる。
 ――ずっと思いつめた顔をしているが、何があったんだろうか。彼女にへんなちょっかいを出したりいじめたりするような人間がいるのならば、早々に対処しなければ。
 あいにく柾士は自分が考えていることが過保護なことを自覚していなかった。

 やがて一際広い敷地の純和風の家へと入り、たくさんの高級車が並ぶ地下の駐車場へ車を停めた。花村の家に着いたのだ。
 柾士は運転席から降り、車のまわりをぐるりと廻って梓の座る後部座席の扉を開いた。

「着きましたよ、お嬢様」

 できるだけ穏やかな声で話しかけた。けれど梓は席を立とうとしない。きゅっと唇を引き結んでいる。
 そんな様子を見ていると自分の方が辛くなる。何しろあの日気がついてしまった胸の奥の熱はじっくりと育ってきてしまっているのだから。大事に思っている少女が思い詰めているのをただ見ているのは辛い。
 柾士は扉を開いた位置からゆっくりと離れ、梓の座るすぐ隣に片膝をついた。

「――何かあったんですか? 坂本に聞かせてください」
「坂本――」

 梓はちらりとこちらへ視線を向けた。

「その、さっき――」

 言葉を選んでいるような様子だったので、じっと彼女の言葉を待った。

「さっき、校門の前で誰かと会っていたでしょ?」
「俺が、ですか? ああ、会いました。さくらさんだ」
「さくらさん――?」

 そう、梓が出て来る前に偶然通りかかったさくらと少し話をした。さくらは柾士の親友であり『ナルセ』の店長である成瀬廉の恋人だ。当然柾士とも知り合いである。

「そう、名前で呼ぶくらい親しい間柄なのね」
「ですね。何しろ――」
「さっ、坂本の、彼女、なのかしらっ?!」

 食い気味に出た質問はかなり上ずった声だ。それに内容も内容で、柾士は「はあ?」と仕事中――というか梓相手にあり得ない声を出してしまった。

「違いますよ! 彼女は廉の――ほら、この間お嬢様が生徒会の皆さんと行かれたカレー店の『ナルセ』、あそこの店長『成瀬廉』っていって俺の昔なじみなんです――あいつの恋人ですから」
「店長さんの――え? あ、そういえばどこかで見かけた人だと……え? 坂本、店長さんとお友達だったの? というか、あのお店のこと知ってたこと自体知らなかったし」

 一気にいろいろな情報を詰め込まれて多少パニックしているようだ。けれどそもそもが聡明な子、立て直しも早かった。

「そ、そうなのね。私てっきり坂本にお付き合いしている女性がいるのかと」
「いませんよ、残念ながら」
「そうなの? よかった」
「よかった?」
「だってそうでしょう。あんな落ち着いた雰囲気の女性相手じゃ私なんかどうあってもかなわないし」
「そんなことはないでしょう。お嬢様は引く手あまた――え?」

 柾士は梓を見た。梓の視線がまっすぐ自分の目に刺さってくる。

「お嬢――様?」
「坂本にとってはお仕事で、おまけにてんで子供で――相手になんてしてもらえないってわかってるけど」
「――」
「でもわかっちゃったの。私が伝える努力もしないで坂本が他の女の人と恋人になっちゃったら絶対後悔するって。今日みたいな想いはもう、いやなの」
「お嬢――」
「だからこれだけは伝えたいの。私、坂本の――柾士さんのこと」
「お嬢様!」

 少し強めに彼女の言葉を制止した。梓はビクッと肩を震わせる。こんなふうに柾士が梓に対して声を荒げる事など今まで1度だってなかったのだから当然だ。
 怯えの混じった表情で柾士を見上げる彼女を見ているのはキツい。

「あー……その、もし自分が考えていることが間違っているなら、怒っても笑っても構いません。でももし間違っていないなら――その先を聞くわけにはいきません」
「――どうして?」
「今の自分にはそんな資格はないと思うからです」

 10以上も年が離れているだけじゃない。梓は名家の大事なお嬢様で、片や自分はしがない勤め人。仕事には信念をもって真面目に勤めているし、人からの信頼も評価も自信もあるが、あまりに格が違いすぎる。
 政略結婚とかの時代ではないけれど、二人の間には深い溝があると柾士は思っている。だから――

「だから、お嬢様に自分はふさわしくないんですよ」

 真っ直ぐに梓の瞳を見た。 


 ★★★★


 梓は最初から振られることを覚悟していた。
 ただ何もしないでこの想いが朽ちていくのが耐えられなかった。

 だというのに、こうやって面と向かって言われるのは本当に堪える。梓はぎゅっと手を握りしめた。手のひらに爪が食い込む。
 梓の心は深い海に沈んでいくようだ。表面は嵐に激しく波立ち荒れているのに、深く沈んでいくごとに音は消え、光も薄れ、冷たく重い水の底へと沈んでいく。

 けれどこれは自分が望んだことなのだ。甘んじて受け入れなければならない。
 柾士はきっと嫌な思いをしただろう。こんな世間知らずの小娘相手だって、断るのは気が重いだろう。なのに柾士は誠実に気持ちを伝えてくれている。

 ――ああ、もうこれで十分だ。これ以上を望んじゃいけない。

 梓はこぼれおちそうなものを抑えるように目を閉じた。

 せめて明日からも今日までと同じように接してくれるように話さなきゃ。気まずいのはお互い嫌だし――
 気づかれないように深呼吸して気持ちを落ち着かせ、梓は口を開いた。

「あの、」
「2年。2年待ってください」

 柾士が梓の言葉をさえぎった。膝をつき、まだ車の座席に座ったままの梓を見つめる柾士の瞳と彼女の瞳がまっすぐに合う。
 予想に反して柾士の目はおだやかだった。梓の言いたいことを迷惑に思ったり困っているようには見えない。むしろ穏やかで、でも熱がこもっていて――

「――2年?」

 何を待てというのだろう。

「はい。2年してお嬢様が高校を卒業されて、その時にまだ同じ話をしたいと思われたなら続きを聞かせてください。自分は――俺は2年で君にふさわしい男になる」
「――」
「もしそれまでに続きを話す必要がなくなれば、それでも構わない。どちらに転んでも、俺は今まで通り君のそばにいて、ずっと君を守るから」
「まさ――……っ」

 明確な言葉はないのに、彼の表情が雄弁に「聞きたいこと」の答えを語ってしまっていた。
 すっと柾士の手が伸びてきて震える梓の乱れた髪をひと房彼女の耳にかけた。その手つきもひどく優しくて、梓の心をつかんで離さない。それだけで必死に押しとどめていた涙が一筋零れ落ちた。

「ひ、ひどいのね。私には続きを言わせてくれないくせに、そんな顔で見られたら、私――」
「恰好つけたいんですよ、男なんてもんはね。続きを聞いたら抑えが聞かなくなるのが目に見えてるから。恰好悪いじゃないですか――それに女の子がこんなに勇気を出してるんだ、男が覚悟決めないでどうするんだって」

 そういってフッと笑った柾士の顔は梓には破壊力抜群だった。かあっと頬が熱くなっていくのが自分でもわかる。気を失わなかったことを褒めてほしい。

「――待つわ。2年、待つわ。だから、卒業したら覚悟していてね」
「喜んで」

 地下駐車場は人気もなく二人きり。監視カメラはあるけれど、開いた後部座席のドアに隠れておそらく二人は映らない。
 柾士の手がそっと梓の頬に触れる。その手を両手で包み込み、梓の方から頬を寄せた。
 互いに言葉はない。ただ視線とぬくもりだけがそれを伝える。

 ほんの少しの間そうしていたが、やがて柾士が手を離し立ち上がった。

「さあ、参りましょう――梓様・・
「はい」

 車を離れ、屋内へ通じるドアへ向かう。
 柾士がドアを開き、梓が中へ入り、その後から入った柾士がドアを閉める。

 その時にはもう二人の姿はいつも通りの表情、いつも通りの距離感だった。
 2年後の約束を信じて。




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