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梓と柾士の話①

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「会長、終わりました」

 作成したドキュメントをファイルにまとめ、ドライブで同期。
 年度末に向けて引継ぎ資料をまとめていた梓は生徒会長の碧に報告した。集中して頑張ったおかげで思ったよりも早く仕上がった。

「あら、お疲れ様。ドライブに入れてくれた?」
「はい、引継ぎ資料フォルダに入れました」
「ありがとう。そしたら今日はもう上がっていいわよ」
「いいえ、坂本が迎えに来るまでまだ時間がありますから何かお手伝いさせてください」
「あら、そうなの?」

 書類を眺めていた碧が顔を上げた。
 そうなのだ、もう少し時間がかかると思っていたので、付き人の坂本に迎えを頼んだ時間までまだ30分以上あるのだ。ひとりで下校すると坂本にも両親にも怒られるので先に帰るという選択肢は梓にはない。いわゆる良家の子女である梓は、以前ひとりで下校しているところを誘拐されかけた経験があり、家族はみんな過保護になっているのだ。

「それじゃあ悪いけど紅茶を淹れてくれる? お砂糖入れてね」
「はい」

 コポコポとお湯を沸かし、ティーバッグを仕込んだティーポットに一気に注ぐ。ティーポットの中にふわっとルビー色が広がるのをガラス越しに見ながら砂時計をひっくり返した。時間ぴったりにティーバッグを引き上げると紅茶の香りがふわっと舞い上がる。

「はい会長、どうぞ」
「ありがと。いい香り」

 お礼を言われうれしくなって梓は顔をほころばせた。それから一緒に仕事をしていた琴子と茶子にも紅茶を配る。琴子はミルクと砂糖入り、茶子は何も入れないストレートが好みなのはよく知っている。

「ねえねえ、終業式の日に打ち上げしようって言ってたでしょ」

 紅茶のマグカップに手を添えて琴子が言い出した。琴子のマグカップは白地に大きな青い花が描かれている。

「あれさ、『ナルセ』に行かない? 前にあそこにカレー食べに行こうって話してたじゃん」
「あら、いいわね」

 琴子の提案に碧も賛成する。茶子も紅茶に口をつけながら「賛成」と言わんばかりに手を上げている。
 もちろん梓に否やはない。この1年間ですっかり仲良くなった生徒会メンバーと行けるなんてテンションが上がってしまう。

「予約とれるかしら」
「あのお店、席数が多くないし店主の意向であまり予約はとらないって聞きましたよ」
「あらそうなのね。じゃあ一度試しに聞いてみて、だめだったら早めの時間に行けばいいかしら」

 手を動かしながらも楽しそうに話を進める。和気あいあいと盛り上がる生徒会室ではあっという間に時間がたっていった。
 マグカップも既に空になり、碧たちも仕事を終わらせた頃合いに時計を見ると、そろそろ坂本に伝えてある時間だ。

「あ、私そろそろ帰ります」

 梓は言いながら席を立ち、すぐ横にある窓からちらっと外を見た。
 だいぶ日が長くなってきた夕方の空はまだまだ明るく、けれど暮れる直前の不思議な色合いの中に白い月が浮かんで見えるのが美しい。風はないのでそれほど寒くないのではないだろうか。枝のシルエットだけになった広葉樹の向こうには校門が見えて、部活を終えた生徒たちが帰っていくのがちらほらと見える。校門の脇にはそんなに広くはないが駐車スペースが設けられていて、梓は迎えの車をそこに停める許可を学校からもらっている。そこには既に見慣れた黒い車が停められているのが見える。いや、ちょうど停めたところなのだろう。見ていると運転席が開いて坂本が降りてきた。いつも校門のところで待っていてくれるのでこれから移動するのだろう。

「花村さん? どうかした?」

 帰ると言ったきり窓の外を見ていた梓に茶子が尋ねた。

「ああいえ、坂本がもう来てるか確かめようと思いまして。ちょうど着いたみたいです」
「どれどれ」

 茶子と琴子が梓をはさむように並んで窓の外を見た。

「あ、本当だ。坂本さん来てる――あれ?」

 琴子が言いよどんだ。茶子もハッと息を吞む。そして梓は――固まってしまった。
 坂本が立ち話をしていたのだ。
 見知らぬ女性と。

 遠いから顔はわからない。服装はカジュアルだけど洒落た雰囲気に見える。大きなバッグを抱えて坂本と談笑しているのだ。

(あれは、誰?)

 梓は胸の奥がぎゅうっと締め付けられるように感じた。ただの通りすがり? それにしては親しげに見える。まさか恋人、とか――

 坂本は自分の付き人、いつも一番近くにいる人。
 なのに自分の知らない坂本の時間があるのだ、と突き付けられたような気がした。それが苦しい。
 いや、いろいろ言い募ったところで結局はただの嫉妬だ。わかっている。

 少しの間窓の外をにらみつけていたが、ふらりと窓から離れて荷物を手に生徒会室の扉を開けた。

「は、花村さん――?」
「お先に失礼します」

 自分の中で暴れまわる感情を抑えられない。「あら、坂本も隅に置けないわ」くらいの軽口でも叩けばよかっただろうけど、とてもそんな言葉を口にすることはできそうになかった。
 ずんずんと廊下を進み、昇降口で靴を履き替える。梓は自分の醜い心の内を取り繕うのに必死で、上履きも相当ぞんざいに靴箱に突っ込んでしまった。ゴン、と靴箱に上履きが当たる鈍い音が響く。
 その音でほんのちょっとだけ冷静になれた。目を閉じ、ひとつ深呼吸をしていつもの自分を取り繕うことにした。

 ――だって、嫉妬しているなんてばれたら私の気持ちが坂本にわかってしまうから。

 校舎を出ると、真正面にある校門に坂本が立っているのが見えた。先ほどの女性はもういない。
 いつも通りに、いつも通りにと自分に言い聞かせつつ、梓は坂本のもとへと歩き始めた。

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