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幸奈の話

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「え! 荒熊先輩が予約したの『ナルセ』だったんですか!」

 幸奈は思わず大きな声を上げてしまった。何しろ『ナルセ』は有名な行列のできるカレー専門店なのだ。予約が取れたなんて、相当運がいい。
 幸奈は自他共に認めるカレー好き、ゆえになかなか予約の取れない『ナルセ』は憧れの店だ。
 サークル内の運営委員4人だけという少人数の打ち上げとはいえ、人気店なので予約をとるのはかなり難しいはず。

「すごい! 私、ずっと行きたかったんです『ナルセ』! よく取れましたね、すごい!」

 興奮気味にはしゃぐ幸奈の頭をにきな手がぽん、と載せられ、くしゃくしゃっと撫でられた。荒熊先輩だ。
 荒熊先輩は体格が大きく、どこかいかつい印象がぬぐえない。おまけに名前の通り熊っぽい外見をしているので初対面には怖がられることもあるのだが、幸奈は怖いと思ったことはなかった。むしろ彼女にとって荒熊先輩は面倒見のいい優しい存在に映っている。
 現に頭をなでる手はひどく優しい。そして元々無口な荒熊先輩は低くて温かみのある声で返事をする。

「ラッキーだった」
「ですね!」

 ニッコリと笑顔を交わしつつ二人は『ナルセ』へとたどり着く。店に入ると、先に行っていたあと二人の運営委員メンバー、荒熊先輩の同期・林先輩と幸奈の同期・菜摘が待っていた。

「クマ、よくここの予約取れたな」

 林先輩が席に着く荒熊先輩に声をかける。「ですよね」と同意しながら荒熊先輩の向かいに座り、幸奈は早速メニューに手を伸ばした。定番のバターチキンカレー、豆のカレー、キーマカレー、ほうれん草にかぼちゃ――目移りして選べない。

 けれどそれに続く林先輩の言葉に幸奈はメニューを追う目をぴたりと止めてしまった。

「けどさ、クマ、カレーあんまり得意じゃないだろ?」
「いや、まあ」

 パッと荒熊先輩を振り返り、目があった。

(荒熊先輩、カレー嫌いなの?)

 顔に出てしまっていたのだろう、荒熊先輩が決まり悪そうに目をそらした。
 何でだよ、言ってみろよと林先輩が突っ込むが、荒熊先輩は苦笑するばかりで答えようとしない。

「ほら、はっきり理由を言えよ。気になるじゃんか」

 やがて荒熊先輩がため息をついて言った。

「ここ、超甘口カレーがあるって聞いたから俺にも食べられるだろうって思ったし、それに――」
「それに?」
「――戸田が行きたがってたから」

 ぽそりとこぼされた言葉。本当に小さな声だったがそれはしっかりと幸奈の耳に届いた。

 戸田。幸奈の苗字だ。

(え? え? 私のために苦手なカレーの店を予約してくれたってこと?)

 ぎゅうっと胸の奥から熱がにじみだす。今の言葉をどう受け取ったらいいんだろうと期待と躊躇が混ざり合う。
 ――いつも可愛がってくれてるから、妹に対するようなもの? それもと――
 軽くパニックを起こしている幸奈の横で、菜摘が荒熊先輩にこっそりささやいた。

「駄目ですよ、荒熊先輩。それだとこの子、妹扱いで可愛がられてるって思うのがオチです」
「えっ」
「もっとはっきり言わないと」
「そうだぞ、根性見せろよクマ」

 けれどその言葉は幸奈の耳には届いていなかった。



 楽しみにしていた「ナルセ」のカレーと荒熊先輩の言葉。ダブルパンチでわふわふしていた幸奈は予想通りの受け取り方をしたままだった。

 荒熊先輩の気持ちが正しく通じるのは、いつになることやら。
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