Hermit【改稿版】

ひろたひかる

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本編

清野の目的

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 地面が大きく揺れた気がして優は目を覚ました。なじみのある振動に圧力、そしてエンジンの音。どうやら車の中だと気がついた。
 大きなワンボックスカー、その後部座席に寝かせられていたようだ。両手首に鈍く銀色に光る金属製の輪がはめられていて、輪同士が短い鎖でつながれている――けれど警察が使う手錠とは違い、手に嵌める輪の部分は幅五センチくらいはあるだろうか。厚みもあり、そして見た目以上に重い。
(私、何で車に乗ってるの? 何があったんだっけ)
 とっさに思い出せない。まだ頭の中はもやがかかっているようで、ぼうっと手首の輪を眺めていたが、だんだん思い出してきた。
(そうだ、清野さん! あの人が組織の人間で、南美を騙して、全然超能力が効かなくて)
「目が覚めた?」
 男の声がした。清野だ。どうやら優が転がされている最後部の座席の一つ前に座っているらしい。優ははっとして、条件反射のように精神を集中して力を使おうとしたが、やはり不発に終わる。
「無駄だよ。その両手のは新型のバリアシステムでね。首にはめてるやつと連動してるんだ。今までのバリアシステムよりは有効半径が狭い代わりに、人ひとり分の範囲くらいなら従来品よりはるかに強力なんだ。ちょっとやそっとじゃ外せないよ」
 言われてみれば首にチョーカーのように金属の輪がつけられている。試しにあれこれやってみるが、やはり超能力はすべて不発に終わっている。周囲を透視することも、PKで車のドアを開けることも、そして蘇芳に連絡することもできない。
 順調に走っていた車が大きく減速し、ガタン、と揺れた。何かを乗り越えたようだ。優を乗せた車はすぐに方向転換してついに停止した。
 エンジンが落とされて、優は目的地に到着したとわかった。スライドドアが開いて清野が降り、二列目シートががたりと畳まれる。清野に手を引いて起こされ、車から降ろされた。少し足がふらふらする。
「ようこそP7。ここが俺たちの新しい研究所だ」
 どうやら屋内駐車場のようだ。コンクリートむき出しの壁、天井を走るパイプ、そして重たい金属製の扉で外と隔絶されている。いかにも「悪の秘密基地」みたいな雰囲気だ。
 コンクリートの床をカツカツ音を立てて歩き、さらに奥への入り口らしき扉の前へ連れて行かれる。暗唱コード式のキーボックスを清野が操作すると、扉が自動的に開いた。
「入って入って」
 扉の向こうはさらに殺風景だ。駐車場と同じくコンクリートむき出しの天井にはやはりパイプが張り巡らされている。入り口からまっすぐ伸びる廊下の両側に厳重そうな扉がいくつも並んでいて、本格的に「悪の秘密基地」じみてきた。
 だがそちらへは行かず、入ってすぐにあるエレベーターに乗せられて地下へ降りて行く。エレベーターのボタンは八つあり、これがすべて地下なのかそれとも一部地上に施設があるのかはわからない。何しろボタンには数字ではなくアルファベットが書かれていたからだ。
 Cと表示されたフロアでエレベーターを降りた。清野を先頭にすぐ後ろを優、そして萩野ともう一人運転していた男がまっすぐな廊下を進む。足音が鋭く耳に刺さる。
 いくつか扉を通り過ごし、一つの扉の前で清野が立ち止まった。ここでもキーボックスに数字を入力し、ロックを解除して清野は「さあどうぞ」と恭しく優を部屋に案内する。躊躇して立ち止まる優を「とっとと入れよ」と萩野が後ろから押す。仕方なく部屋へ入ったが、入ってきたのは清野だけだった。

 そこは六畳ほどの部屋だった。
 部屋の中心に置かれた大きな机が部屋の大半を占めている。六、七人くらいは座れるだろうか。そして部屋の突き当たりには巨大なディスプレイが壁にはめ込まれており、その下にはコンソールがある。さらに「悪の秘密基地」感が爆上がりだ。清野は適当な椅子を引いて優を座らせ、自分はコンソール前の椅子を優の方へ向けなおして座り、長机にどっかりと靴を履いたままの足を乗せた。
「さて――」
「一平さんに会わせて」
 話し出そうとした清野をさえぎって優が低い声で言った。清野はにっこり笑って受け流す。
「ああ、後でちゃんと会わせるよ。でもまずは君と話したいことがある」
「私はないわ」
「例えばこの数か月、どうして放っておいてもらえたのかとか知りたくないか?」
「――」
 確かにそれは気になる。
 優は肯定も否定もしなかったが、清野は優の返事など元々どうでもよかったようだ。勝手に話し始める。
「今までの幹部たちはすべて処分した。君が研究所にいた頃とは、組織の内実――目的自体が変わってしまってね。死の商人みたいな真似からはほぼ手を引いたんだよ。あいつらはあの薬を量産して将来的にはあちこちの軍隊に売りつける予定だったからね、それは許せなかったんだ。
 ――あれ、信じられないって顔だね」
「信じられない」
 でも、今の言葉の一言一句が真実なら。
「やっぱり清野さん、あなた組織の重要人物なんじゃないの。処分したのはあなたなんでしょ?」
 ご名答、と清野が笑った。その声が妙に癪に障る。
「薬も飛躍的な進歩を遂げたよ。おかげで、今は君以外にも超能力を使える人間が相当数いる」
「二人、寄越したわよね。あと、さっきの人も」
「ああ、江口と中島か。そういえばあの二人は戻ってきてないなあ。殺した?」
「そんなわけないでしょ!」
 学校で襲ってきた中島と、南美のマンションの屋上で襲ってきた江口。あの二人がその後どうなったのかをそういえば優は知らなかった。というか、番匠と蘇芳が知らせなかったのだが、それはまた別の話。
「でね、どうしてこんなにベラベラ話して聞かせてるかわかる?」
 それは確かに優にはわからない。ただ、どうも嫌な予感しかしない。清野は机から脚を下ろし、机に肘をつくように座りなおした。
「実は俺も少しばかり人とは違う力を持っててね。そのせいで辛い思いをしてきたんだ――でもどうしてそんな思いをしなきゃならないんだろうね。同じ人間なのに」
 優の反応をうかがうようにじっと目を見てくる。
 正直そんなこと言われてもそうは思わない。幼い頃から超能力が発現していて、でも父の総一郎からは外では絶対に超能力を使わないことを約束させられていた。素直でどちらかというと優等生タイプの優は、総一郎の言葉をかたくなに守ってきたので、少々窮屈ではあったものの能力のせいで辛い思いをしたことはなかったからだ。
 けれど清野はそうではなかったらしい。そして同じ能力者である以上、優も自分と同じだと考えているようだ。
 だんだん清野の声が上ずってくる。話している内容もだが、そんな状態の清野自身がどこか薄気味悪く感じてしまう。こういう状態の人には下手に相槌や返事を返すのはやめておいたほうがいい、と優は黙って聞いていた。
「同じ人間なのに、ほんのちょっと違うことができるってだけで疎まれるなんて、どうして――とずっとそう思ってたんだ。だけど、それは違ったんだよ。俺たち意能力者は普通の人間と一緒なんかじゃないんだ」
「――」
「そうは思わないか? 君だって同じだろう。友達にも正直に話せない、能力を見せたら怖がられてひとりになってしまう――せっかく持っている力なのに、なぜ隠さなきゃ生きていけないんだ? ってね。
 理不尽だよ。俺も君も嘘を重ねながら生きていなきゃいけないんだ、辛いよね。
 でも、俺たちの持っている能力は普通の人よりも色々なことができる、偉大な能力なんだ。そう、俺たち超能力者は進化した人間なんだよ」
「――はあ?」
 突然出てきた新興宗教か出来の悪いアニメのような展開に思わず声が出てしまった。これ、本気でそう考えているのだろうか。そんな理想論だけで動くタイプには見えないのに。
「色々研究してわかってきた。薬で超能力が発現する人としない人がいる。これは生まれつき超能力の因子を持っている人と持っていない人がいるんじゃないかという結論に落ち着きつつある。その『因子』が何なのか、さっぱりわかってはいないけどね。
 つまり、現在成功例の人たちはその『因子を持った人』だな。でも、今までの成功例たちもなかなか君のようなパワーを持ち合わせてはいないんだ。君は突出した、特別な存在なんだよ、P7」
「そんなこと言われたってうれしくとも何ともない」
「そこで、だ。『胎児の頃に母体を通して投薬した場合』についても研究され始めたわけだ。とはいえ、その胎児だって因子を持っているかどうかで結果が左右される。でも薬だって無限にあるわけじゃない。だから」
 清野は優をまっすぐに指さした。
「君に白羽の矢が立ったわけだ」
「え?」
「確実に、進化した人類である我々の仲間を増やすためには君の協力が必要ってことだ」
「――どういうこと?」
 つい聞き返してから激しく後悔する。にやりと清野が今までで一番気味の悪い顔で笑ったからだ。この先を聞いてはいけないと頭の中で何かが警鐘を鳴らしている。
「君は、新しい人類の聖母になるんだ。これからはここで何不自由なく暮らさせてあげる。そのかわり、ちょっとした見返りをいただく――君の卵子だ」
「!」
「なに、ちょっと定期的に卵子を採取させてもらうだけだ。あとはこちらで人工的に受精させて育てるから」
「や、やだっ!」
 がたっ、と椅子から立ち上がり、金属扉に向かって逃げ出したが、清野は止めるでもなくにやにやとみているだけだ。扉にたどり着き、開こうとしたが、扉を開けて入ってきた大男にさえぎられて捕まってしまった。
「やだ、いやっ! 離して!」
 必死にもがく優をにやにや眺めながら清野が立ち上がり、近づいてきた。
「今、君を抑えている彼も能力者だよ。彼らのような因子持ちの男性と君とで能力者の遺伝子を持った人類を増やそうと思うんだ。とりあえず今日は健康診断を受けてもらおうかな」
「絶対、いや!」
「そうそう、麻生くんに会わせてあげる約束だったね。俺は約束を守る男だよ。ただ、無粋な言い方をすれば、彼の安全は君の思惑一つだってことを忘れないでほしいな」
 言うことを聞かなければ一平を害する。そう脅されてしまえば優は抵抗できない。
 おとなしくなって優を満足げに見やり、清野は優を抑えている大男に言った。
「大沼、彼女を麻生くんの部屋に連れて行って。そのあとそのまま第二研究室へ連れて行くんだ」
「わかりました、清野さん」

 大沼、と呼ばれた大男は優の腕をつかんでエレベーターまで連れて行った。
 角ばった顔の、鷲鼻の男。着ている黒のTシャツも履いているジーンズも、流々とした筋肉でパツンパツンになっている。身長は二メートル近くあるんじゃないだろうか。平均的な身長しかない優から見れば、その高い位置からにらまれるだけでもかなり威圧的に感じる。
 エレベーターのボタンを押して待っている間、大沼はおもしろそうに軽口をたたく。
「あんた、そんなすごい能力者にゃあ見えねえなあ。ほら、一発がつんと突き飛ばしてみろよ」
 そう言いながら自分の胸筋を指さす。本気でそうしてやりたいところだが、超能力が使えない今、同あがいてもこの筋肉の塊にはかなわないだろう。そう、リスがゾウを蹴り倒そうとするくらいの無理さ加減だ。
 エレベーターに乗ってさらに二フロアは降りただろうか。またしても大沼に追い立てられるように降りた。
 今度のフロアはまっすぐ伸びる廊下をふさぐようにエレベーターホールの左手が鉄格子でふさがれている。鉄格子の真ん中には扉がついており、脇に床から優の胸くらいの高さの円柱が設置されている。円柱のてっぺんは斜めにカットされたような形になっており、門松の竹の一本を想像させる。
 エレベーターホールは照明がついているが、鉄格子から先は薄暗く、どうやら照明を落としているようだ。非常灯だけが光っている。
「監獄みたい」
「ま、そんなところだ」
 言いながら大沼は鉄格子の前に立っている円柱に手のひらをあてた。どうやらてっぺんの平面部分にセンサーが仕込まれているらしく、カチリと錠の外れる音がする。同時に鉄格子の中心部分がスッと横にスライドし、扉が開く。
 鉄格子の扉と照明が連動しているのか、その先の廊下がパッと明るくなった。
「こっちだ」
 大沼に言われるまま鉄格子をくぐる。歩き始めると後ろでガシャン、と鉄格子が重苦しい音を立てて閉まった。そこからまっすぐ廊下を歩く。いくつかの扉――というより鉄格子――の前を通り過ぎ、一番奥の鉄格子の前で大沼が立ち止まった。
「見てみろよ」
 優は言われるままに鉄格子ごしに部屋の中を覗き込んだ。
 部屋の広さはせいぜい四畳半ほど。小さな箱型の部屋の中には洗面台がひとつ、ベッドがひとつ。そしてベッドには誰かが寝ている。
「――! 一平さん、一平さん!」
 一平だった。深く眠っているのか、名前を呼んでも鉄格子を掴んでガシャガシャ揺らしても反応はない。
 不安と焦りがのどの奥をひりつかせる。どれだけ呼んでも微動だにしない一平を見ているのが辛い。優は大沼を振り返った。
「中に入れて、お願い。本当に一平さんが無事なのか確認したいの」
「んなわけにいくか。でも安心しな、あいつは生きてるよ。薬で眠らされてるだけだ。暴れられると厄介だからな」
 そう言いながら大沼はどこか怒りを抑えているように優には見えた。
「――次は負けねえ」
「え?」
「いや、なんでもねえ。もう行くぞ、麻生には会わせただろ。あんたは次は第二研究室だ」
「待って、そばに行かせて。逃げたりしないから」
「だめだ。来い」
「一平さん! 一平さん!」
「うるっせえ!」
 大声で怒鳴られてびくっと委縮してしまう。大沼はそのまま優を引っ張って再びエレベーターへ向かい、一平のいるフロアを後にした。

 
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