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まず目標は仲良くなること。
これを掲げて私は再びクリストファー殿下のお部屋を訪れた。
事前に先触れを出していたのだけれど、私が殿下の部屋に顔を出したときまだ殿下は勉強中だった。殿下付きの侍女アデラさんが申し訳なさそうに頭を下げてきた。綺麗な赤い髪をきっちり結い上げた、上品そうな女性だ。
「いつもはむしろ早めに授業が終わるのですが、今日は長引いているようで」
「そうなんですね。どうしよう、出直した方がいいでしょうか」
「いえ、よろしければこちらでお待ち下さい。ただいまお茶をお持ちいたします」
アデラさんに言われるままクリストファー殿下のお部屋に入りソファーに座った。改めて部屋の中をみると、あまり子供らしくない部屋だ。悪い意味じゃないよ? 全体的にいかにも高級そうな調度で整えられ、寸分の隙もない整えられ方。王子様だもんね、これは侍女さん達のお仕事がきちんとしている証拠なんだろうなあ。
部屋へ入ったところはクリストファー殿下専用の応接室だそうだ。だからこんなにかっちりしているのかな。
応接室に入ると部屋の右にドアがあって、そこを入ると殿下の勉強部屋なのだそうだ。今朝朝食前に殿下が着替えに行ったところだ。寝室じゃなかったのか。
「いえ、その奥にベッドスペースがございます」
アデラさんによると、勉強部屋というよりプライベートルームなんだって。なるほど。
そんな話をしているうちにそのプライベートルームの扉が開いた。出てきたのは若い男性、レーンハルト陛下と同い年くらいのやせぎすの人だ。
「エドガー先生、お疲れ様でございます」
アデラさんが軽く会釈するとエドガー、と呼ばれたその人は硬い表情のまま会釈を返した。
「時間を過ぎて申し訳ありません。今日は殿下が――――」
「まあ、今日も先生を困らせたんですか」
アデラさんだけでなく部屋にいた他の侍女さんも一緒に眉を下げる。重たいため息まで聞こえる。
ところがエドガー先生はほんの少し目を見開いて首を横に振った。
「いえ、それが違うんです」
「違う?」
「今日はなぜか勉強に集中なさって、そのうえ質問まで。それで授業が長引いたのです」
「まあ!」
侍女さん達、一斉に目を丸くした。と同時にプライベートルームの扉が再び開く。
「なんだ、僕が真面目に勉強するのはそんなに珍しいか」
「で、殿下! とんでもございません、素晴らしいですわ」
アデラさんが慌てて笑顔をはりつける。
「さすがは名君とうたわれるレーンハルト陛下のご子息ですわ。ご立派です」
「――――そうか」
クリストファー殿下はあまり気のない様子で小さく返事をした。それからソファーにいた私をみつけたようだった。
「来ていたのか、サーナ」
「はい、そろそろお勉強のお時間も終わりだと聞いたので。お疲れ様でした」
「うん」
そのままソファーまで歩いてきて私のとなりにぽん、と座った。すかさず侍女がお茶を持ってくる。クリストファー殿下のお茶にはバラの形に固めた砂糖がふたつ添えられていた。かわいい。
エドガー先生が退出し、部屋には私と殿下が残された。
お互い無言でお茶を楽しむ。
「殿下、エドガー先生には何を教わっているんですか?」
お茶のカップをソーサーに戻し、まずは今の授業の話題から入ってみる。
「ファルージャのまわりにある国のことや歴史を勉強してる」
「歴史! 難しそう」
「まあ、ほかの勉強よりは悪くない。ただエドガーは話がたいくつだ」
そういってうんざりとした顔を作るクリストファー殿下。わかるわかる、その気持ち。
それにしても周辺諸国のことを勉強かあ。さすが王族、こんな小さい頃からそんなことを勉強しなきゃいけないなんて。でもそうだよね、王族なら子供同士でもつきあいがあったりするのかもしれないし。そのときに「私の国のことを知らないの?」って相手に思われたら印象悪くなっちゃうだろうし、勉強しておかないとまずいんだろうな。
「それじゃ今日はどこの国のことを勉強したんですか?」
話を向けた途端、クリストファー殿下の目がきらりん☆と光った気がした。「よくぞ聞いてくれた!」と雄弁に語っているよ。
「今日はトルフェ王国の話だ。知っているか」
「たしかファルージャの東にある国でしたよね」
「そうだ。国はファルージャの半分くらいの広さしかないが、いっぱい宝石が取れるから豊かな国なんだそうだ」
「宝石! どんな宝石が採れるんですか?」
「たしか、エ……エキド……なんといったかな、ちょっと待っていろ」
殿下はぱっとソファを降りてプライベートルームへと駆けていき、すぐに本とノートを持って戻ってきた。
「――――これだ、エキドシアライト。これはトルフェ王国でしか採れない貴重な石らしい」
殿下が開いて見せてくれた本には大きな絵が載っていた。水晶の結晶のような形をした、鮮やかな紫色の石が描かれている。
「きれい……」
「サーナはこういうきらきらの石がすきなのか?」
「やっぱりちょっと憧れちゃいますね。すてきです」
「他にもトルフェでとれる宝石があるんだぞ! 教えてやる」
そこからクリストファー殿下のトークが始まった。どうやらまさに今日教わったばかりの所らしく、時折本やノートを見返しながら一生懸命トルフェの産業について教えてくれる。
けれど子供の話すことだから時折主語が抜けたり言葉につっかえたりということもある。そこを私が質問しながら一時間以上話し続けた。
やがてクリストファー殿下は剣の稽古へ行く時間になり、私もお部屋を後にした。「世話役なんだから僕の稽古が終わったらちゃんとお世話しに来い」なんてふんぞりかえっててこれがまたかわいかった。
そうして殿下が庭へ出て行くのを見送った後の帰り道、渡り廊下を歩きながらソフィアさんがこっそり教えてくれた。
「アデラが驚いていました。勉強の後で殿下が本を開くなどいままでなかったことだ、と」
「すごく得意そうに話してたから私も一生懸命聞いちゃいました。わざわざ本やノートをもってきて説明してもらえるなんて思ってなかったです。かわいかったですね」
「え、かわいい――――ですか?」
「あら、かわいくないですか? あっ、王族の方にかわいいなんて言ったら不敬でした?」
「いえ、そういうことではなく……」
ソフィアさんは言いよどんでしまった。
「大体どのお世話係も侍女もかわいいなどという人はいないもので、つい」
「まあ、やんちゃですものね」
「サーナ様は本当に懐が深くていらっしゃるんですね」
妙に感心された。
ええ? かわいいよねクリストファー殿下。
いたずら盛りの男の子らしい男の子、なのに見た目は天使のような美少年。ふわふわの金髪、綺麗なブルーアイ。
小憎たらしいところがまたグッド。
――――施設の小さい子たちを思い出すよ。
みんな、どうしてるかな。
ご飯ちゃんと食べてるかな。お風呂の後背中も拭いてるかな。宿題もがんばってるかな。
――――夜、布団の中でひとりで泣いていないかな。
『何でもないの、大丈夫』
そう答えて布団をかぶったまま無理矢理笑顔を作った女の子、その面影が私の中に蘇る。
その笑顔の裏側をわかってあげることができなかった。そのせいで――――
心の奥深くに封じてあった記憶がそっとこちらを覗いている。
それをまっすぐ見ることができず私はすぐにその記憶に封をした。
これを掲げて私は再びクリストファー殿下のお部屋を訪れた。
事前に先触れを出していたのだけれど、私が殿下の部屋に顔を出したときまだ殿下は勉強中だった。殿下付きの侍女アデラさんが申し訳なさそうに頭を下げてきた。綺麗な赤い髪をきっちり結い上げた、上品そうな女性だ。
「いつもはむしろ早めに授業が終わるのですが、今日は長引いているようで」
「そうなんですね。どうしよう、出直した方がいいでしょうか」
「いえ、よろしければこちらでお待ち下さい。ただいまお茶をお持ちいたします」
アデラさんに言われるままクリストファー殿下のお部屋に入りソファーに座った。改めて部屋の中をみると、あまり子供らしくない部屋だ。悪い意味じゃないよ? 全体的にいかにも高級そうな調度で整えられ、寸分の隙もない整えられ方。王子様だもんね、これは侍女さん達のお仕事がきちんとしている証拠なんだろうなあ。
部屋へ入ったところはクリストファー殿下専用の応接室だそうだ。だからこんなにかっちりしているのかな。
応接室に入ると部屋の右にドアがあって、そこを入ると殿下の勉強部屋なのだそうだ。今朝朝食前に殿下が着替えに行ったところだ。寝室じゃなかったのか。
「いえ、その奥にベッドスペースがございます」
アデラさんによると、勉強部屋というよりプライベートルームなんだって。なるほど。
そんな話をしているうちにそのプライベートルームの扉が開いた。出てきたのは若い男性、レーンハルト陛下と同い年くらいのやせぎすの人だ。
「エドガー先生、お疲れ様でございます」
アデラさんが軽く会釈するとエドガー、と呼ばれたその人は硬い表情のまま会釈を返した。
「時間を過ぎて申し訳ありません。今日は殿下が――――」
「まあ、今日も先生を困らせたんですか」
アデラさんだけでなく部屋にいた他の侍女さんも一緒に眉を下げる。重たいため息まで聞こえる。
ところがエドガー先生はほんの少し目を見開いて首を横に振った。
「いえ、それが違うんです」
「違う?」
「今日はなぜか勉強に集中なさって、そのうえ質問まで。それで授業が長引いたのです」
「まあ!」
侍女さん達、一斉に目を丸くした。と同時にプライベートルームの扉が再び開く。
「なんだ、僕が真面目に勉強するのはそんなに珍しいか」
「で、殿下! とんでもございません、素晴らしいですわ」
アデラさんが慌てて笑顔をはりつける。
「さすがは名君とうたわれるレーンハルト陛下のご子息ですわ。ご立派です」
「――――そうか」
クリストファー殿下はあまり気のない様子で小さく返事をした。それからソファーにいた私をみつけたようだった。
「来ていたのか、サーナ」
「はい、そろそろお勉強のお時間も終わりだと聞いたので。お疲れ様でした」
「うん」
そのままソファーまで歩いてきて私のとなりにぽん、と座った。すかさず侍女がお茶を持ってくる。クリストファー殿下のお茶にはバラの形に固めた砂糖がふたつ添えられていた。かわいい。
エドガー先生が退出し、部屋には私と殿下が残された。
お互い無言でお茶を楽しむ。
「殿下、エドガー先生には何を教わっているんですか?」
お茶のカップをソーサーに戻し、まずは今の授業の話題から入ってみる。
「ファルージャのまわりにある国のことや歴史を勉強してる」
「歴史! 難しそう」
「まあ、ほかの勉強よりは悪くない。ただエドガーは話がたいくつだ」
そういってうんざりとした顔を作るクリストファー殿下。わかるわかる、その気持ち。
それにしても周辺諸国のことを勉強かあ。さすが王族、こんな小さい頃からそんなことを勉強しなきゃいけないなんて。でもそうだよね、王族なら子供同士でもつきあいがあったりするのかもしれないし。そのときに「私の国のことを知らないの?」って相手に思われたら印象悪くなっちゃうだろうし、勉強しておかないとまずいんだろうな。
「それじゃ今日はどこの国のことを勉強したんですか?」
話を向けた途端、クリストファー殿下の目がきらりん☆と光った気がした。「よくぞ聞いてくれた!」と雄弁に語っているよ。
「今日はトルフェ王国の話だ。知っているか」
「たしかファルージャの東にある国でしたよね」
「そうだ。国はファルージャの半分くらいの広さしかないが、いっぱい宝石が取れるから豊かな国なんだそうだ」
「宝石! どんな宝石が採れるんですか?」
「たしか、エ……エキド……なんといったかな、ちょっと待っていろ」
殿下はぱっとソファを降りてプライベートルームへと駆けていき、すぐに本とノートを持って戻ってきた。
「――――これだ、エキドシアライト。これはトルフェ王国でしか採れない貴重な石らしい」
殿下が開いて見せてくれた本には大きな絵が載っていた。水晶の結晶のような形をした、鮮やかな紫色の石が描かれている。
「きれい……」
「サーナはこういうきらきらの石がすきなのか?」
「やっぱりちょっと憧れちゃいますね。すてきです」
「他にもトルフェでとれる宝石があるんだぞ! 教えてやる」
そこからクリストファー殿下のトークが始まった。どうやらまさに今日教わったばかりの所らしく、時折本やノートを見返しながら一生懸命トルフェの産業について教えてくれる。
けれど子供の話すことだから時折主語が抜けたり言葉につっかえたりということもある。そこを私が質問しながら一時間以上話し続けた。
やがてクリストファー殿下は剣の稽古へ行く時間になり、私もお部屋を後にした。「世話役なんだから僕の稽古が終わったらちゃんとお世話しに来い」なんてふんぞりかえっててこれがまたかわいかった。
そうして殿下が庭へ出て行くのを見送った後の帰り道、渡り廊下を歩きながらソフィアさんがこっそり教えてくれた。
「アデラが驚いていました。勉強の後で殿下が本を開くなどいままでなかったことだ、と」
「すごく得意そうに話してたから私も一生懸命聞いちゃいました。わざわざ本やノートをもってきて説明してもらえるなんて思ってなかったです。かわいかったですね」
「え、かわいい――――ですか?」
「あら、かわいくないですか? あっ、王族の方にかわいいなんて言ったら不敬でした?」
「いえ、そういうことではなく……」
ソフィアさんは言いよどんでしまった。
「大体どのお世話係も侍女もかわいいなどという人はいないもので、つい」
「まあ、やんちゃですものね」
「サーナ様は本当に懐が深くていらっしゃるんですね」
妙に感心された。
ええ? かわいいよねクリストファー殿下。
いたずら盛りの男の子らしい男の子、なのに見た目は天使のような美少年。ふわふわの金髪、綺麗なブルーアイ。
小憎たらしいところがまたグッド。
――――施設の小さい子たちを思い出すよ。
みんな、どうしてるかな。
ご飯ちゃんと食べてるかな。お風呂の後背中も拭いてるかな。宿題もがんばってるかな。
――――夜、布団の中でひとりで泣いていないかな。
『何でもないの、大丈夫』
そう答えて布団をかぶったまま無理矢理笑顔を作った女の子、その面影が私の中に蘇る。
その笑顔の裏側をわかってあげることができなかった。そのせいで――――
心の奥深くに封じてあった記憶がそっとこちらを覗いている。
それをまっすぐ見ることができず私はすぐにその記憶に封をした。
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