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 アシュレイさんから「クリストファー殿下の世話役」というお仕事をもらった翌日、私は早速殿下のお部屋を訪ねていった。

 仕事をもらったはいいけれど、私とクリストファー殿下はほんの二、三回しか顔を合わせていない。まずは仲良くなるべきだろう。そのためにアイデアを思いついた。
 アシュレイさんを通じて陛下にお許しをもらった上でこんな朝はやく(といっても日本ならとっくに学校が始まっている時間)にクリストファー殿下の部屋へ行くのだ。

 王族の寝室は城の二階にある。東側の棟で一番大きな部屋が陛下の、そして西側の棟の日当たりのいい一室がクリストファー殿下のお部屋だ。

 私が訪ねたとき、殿下は起きて身支度を整えたところだった。 
 殿下は白いフリルたっぷりのブラウスに紺の膝までのズボン、ウエストにピンクの布を巻いている。かわいい。

「おはようございます、クリストファー殿下」

 ロゼさんに教わったように礼をする。軽く膝を曲げてドレスのスカートを持ち上げて会釈。うまくできたかな。

「サーナ? どうしたこんな朝早くから」

 あれ、クリストファー殿下は私が来ることを聞いていなかったのかな?

「はい、殿下のお世話役になりました。よろしくお願いします」
「世話役? サーナが僕の侍女になるということか?」
「というより話し相手ですね。もう少し小さいお子さんなら乳母といったところかもしれませんが」
「僕は赤子ではないぞ! 乳母など要らぬ」
「はい、もう殿下は五歳におなりなのですから乳母ではなく世話役、です」
「……」
「世話役にしていただいたおかげで殿下とたくさんお話ししたりできますね。嬉しいです」

 途端にクリストファー殿下は顔を赤く歪めた。そしてなかなか言葉が出てこないようでモゴモゴしていたが、

「しっ、仕方無いな! 特別に許可してやる!」

 と真っ赤になって叫んだ。

「ありがとうございます。殿下、朝ごはんを一緒にいただいてもいいですか?」

 にっこりお行儀よくお礼を言い、まずは作戦その一だ。一緒にごはん食べると気持ちが近くなった気がするんだ。ほら、同じ釜の飯を食った仲間、とかいうじゃない? 
 ――――王城のごはんは厨房で一手に作っているからもともと同じ釜の飯だけど。

「朝ごはん? まあいいけど」
「ありがとうございます」
「よし、では支度をしてくるから待っていろ」

 クリストファー殿下はそういって寝室へ入っていった。多分上着を着て身だしなみを整えてくるんだろう。本当に王族って大変。
 そのとき部屋の奥にある小部屋――――おそらく給湯室のようなところで、私の部屋にもある――――からぼそぼそと話し声が聞こえてきた。


「……んかが、あんなにすなおに」
「でもわからないわよ、お食事の時だって油断できない……」

 殿下はわがまま王子っていう評判と聞いていたからなあ。教師も侍女も何回か変わっているみたいだし、今の侍女たちもびくびくしているのかなあ。
 ちょっと偉そうでイタズラが過ぎるけど、私から見ればやんちゃな男の子なんだけど。



 朝食を取りにクリストファー殿下と連れだって食堂に入った。真っ白いテーブルクロスがかけられた長いテーブルには季節の花が飾られ、かごに盛られた色とりどりのフルーツや銀のお皿とカトラリーが完璧な配置でセッティングされている。
 二人分。
 殿下が席に着き、その向かい側にセッティングされた席へ私が案内された。
 あれ? この二人分の席は私と殿下のため? 陛下は?

「陛下は執務のため朝が早くていらっしゃいます。ですので朝食は殿下とは別々に取られます」

 執事の青年フレッドが慇懃にそう伝えてきた。彼の手には絞りたてらしい果物のジュースが入ったピッチャーが握られていて、柑橘系の爽やかな香りがしている。

「別々? 毎日殿下はおひとりで召し上がるんですか?」
「そうだ、それがどうした」

 首にナプキンをつけながらクリストファー殿下が当たり前のようにそういった。
 そうだよね、一国の王様なんだもの、陛下は。時間が合わなくて朝食が別々になることなんてどこの世界でもあることだろう。
 でも何だか淋しい。まだ五歳の子供がこんな広い部屋でたった一人で食事。施設でわいわい食事をするのが普通だった私には衝撃的だった。
 実のところ私も今はひとりで食事している。私が住まわせてもらっている離れは私と侍女しかいないので、必然的に私ひとりの食事になる。正直、ちょっと――――結構淋しいのだ。それが相手は五歳の子供。

「殿下! もしよければ朝ごはんはこれから毎日私と一緒に食べませんか?」
「え?」

 しまった! 思いついたことをつい口にしてしまった。相手は王子様なんだって!
 慌てて取り繕ってしまう。

「あ、いえ、難しいなら殿下の都合のいいときだけでも。他の人と一緒に食べた方がごはんって美味しく感じません?」
「――――」
「おいやでしたか? それなら……」
「べつに!」

 それならやめよう、そう言おうとした私の言葉を殿下が大きな声で遮った。びっくり。

「べつに――――いや、じゃない、けど」

 なに! それはいやじゃない、つまり一緒に食べてもいいっていうことだな?
 たまらずにんまりと顔が笑ってしまう。言質とったよ。言質!

「ありがとうございます――――それでは皆様、そのようにお願いいたします」
「「かしこまりました」」

 すかさずフレッドやメイド達に話を振るとこれまたすかさずいいお返事が帰ってきた。お手数おかけします。一方クリストファー殿下は苦々しい顔をしているけどほっぺたはちょっと赤い。うれしいのとくやしいののせめぎあいというところかな?


 さて、やっと朝食が始まった、のだが。

「クリストファー殿下、今朝のスープは三種類ございます。かぼちゃのポタージュ、燻製肉と野菜のコンソメ仕立て、それに海老のトマトスープでございます」
「今日はじゃがいものスープはないのか」
「申し訳ございません、それではまた明日の朝食にご用意いたします」
「僕は今食べたいんだけど」

 食べたいスープがなかったようでクリストファー殿下の眉間にしわがよっていく。
 それと同時にフレッドたちに緊張が走る。え、どうしたの?
 私がきょとんとしている間にフレッドが慌てて頭を深く下げた。

「申し訳ありません。すぐにご用意を」
「――――いや、いい。かぼちゃにする」

 するとフレッドたちの間に衝撃が走った。ように見えた。

「かしこまりました」

 フレッドが大きく一礼し、白いスープ皿に鮮やかな黄色のスープを満たしていく。うわあ、美味しそう。私も同じのをいただこう。

 スープが終わった頃、厨房からカートを押してフレッドがメイドと一緒に入ってきた。
 ーーー―あれ? 二人分だよね?
 なんでカートが五台も?

 手早くかつ美しくテーブルに並べられた皿、皿、皿。卵に腸詰め、焼いた野菜や芋類、サラダにパテ、パンも白パンだったりパンケーキだったり数種類。どう見ても二人で食べられる量じゃない。

「それとそれと、あとこれ」
「かしこまりました」

 私がめをグルグルさせているうちにクリストファー殿下は食べたいものを選んでいく。とはいえ五歳児、食べる量はほんのちょっとだ。促されて私も腸詰めとマッシュルームのソテーを少し、あとサラダとパンを取り分けてもらった。
 当然、料理はどっさり残る。
 え……?
 これ、どうするの?
 私が別棟で一人で食事するときは普通に一人分が出てくるんだけど、このひとりバイキング形式は王族だから? なのかな?

 その疑問は解消することなく朝食が終わった。このあとは少し休憩して勉強の時間だそうなので、私は一旦自室へ戻ることにした。
 その道すがら、食堂の前を通ったとき中からまたもや話し声が聞こえてきた。

「今朝は殿下、やけにおとなしかったね」
「ホッとしたわよ、かんしゃくを起こさないで」
「料理ひっくり返したりもなかったし」
「私は前にフォークを投げつけられたわ。あれじゃ陛下も一緒に食事なんかなさりたくないんじゃないの。だから早起きを口実にーーー―」
「しいっ! それは言ったらまずいわよ」

 それきり話し声は聞こえなくなり、私はその場を離れた。王城を出て離れへ向かう道すがら、人目がなくなったあたりでソフィアさんが言った。

「サーナ様、申し訳ありません。お耳汚しを」
「さっきのメイドさんか誰かの会話? ソフィアさんが謝ることじゃないですよ」

 そう、ソフィアさんのせいじゃない。
 でも。

「でも、殿下はあんなふうに思われているんですか?」
「いえ、その――――はい、正直申し上げてかなり皆手を焼いています。日常的にかんしゃくを起こし、暴れて手がつけられない、と」

 ソフィアさんは口ごもりながら教えてくれた。
 少しでも気に入らないことがあると大暴れ。命に関わるほどのことにはならないものの、ものを投げつけられたりは日常茶飯事、けれど相手は王子という立場なので下手に叱ることもできない。侍女たちというものは貴族の令嬢が行儀見習いと人脈作りのために出仕するものなので、子供のかんしゃくに対応できるわけもない。そうして次々辞めていき、新しい侍女が入り、その侍女もまた辞めて――――それを繰り返すうちにますます悪い噂が広がっていくという悪い流れになっているそうだ。
 さっきのバイキング朝食もそう。その時食べたいメニューがないと大暴れ、テーブルをひっくり返したりもしていたらしい。その対策としてたくさん種類を作ってその場で選んでもらう方式にしたそうだ。
 そしてますます殿下の評判は下がっていく。

 それは少し――――いや、ものすごくさみしいことだと思った。子供って意外と敏感なもので、悪意を持って近寄ってくる人を「怖い」って見分けたりするくらい人の感情には聡かったりする。
 なのに自分の身の回りの世話をする人がみんなああいう目で彼を見ていたなら。

 ああ、私なら泣いちゃうかも。
 それも人払いしてベッドの布団にくるまって体育座りでシクシクと。
 なのに相手は五歳のセンシティブな子ども、慰めてくれる母親もなく父親は超多忙な王様。ねじくれるなという方がどうかしているかも。

「陛下は? 陛下は何もおっしゃらないの?」
「いえ陛下から殿下に言っていただいたこともあるのですが、ますます悪化して。かといってその度に陛下においでいただくわけにも行かず……」

 ソフィアさんが言いにくそうに答えながら目を伏せた。

 ――――これはなかなか手ごわそうだな。
 さあ、これからどうしよう。

 午後からどう行動するか、私はじっくりと考え始めた。
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