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私がファルージャに呼ばれてから1週間がたった。
私が呼ばれた理由は未だに見つからない。
なにしろファルージャは平和なのだ。問題が全くないわけじゃないけれど、それはたとえば城内の権力争いだったりとか町で泥棒が入ったとか、どう考えても私では何の役にも立てない問題ばかり。というか、私で役に立つことってあるんだろうか。
――――たとえば私が生け贄になるために呼ばれたのだったらどうしよう。
そんなふうに考えたこともある。けれどそれは考えすぎだと結論づけた。
だって、わざわざ教師をつけてもらったから。
生け贄にするのに教養を身につけさせたってどうしようもないだろう。ちなみに教師はロゼさん。彼女が忙しいときはメルファスさんが来てくれる。知っている顔だったことはとてもありがたい。
「生け贄! サーナ様は発想が豊かでいらっしゃる」
ふぉっ、ふぉっとメルファスさんが笑った。今日は久しぶりにメルファスさんが先生だ。
「すみません……ただ、あんまりにも私が役立たずでいたたまれなくて」
そう、私はすっかりこの1週間でいたたまれなくなってしまった。アシュレイさんもメルファスさんも、それから侍女さんもとっても親切でやさしい。ありがたく思っている。
けれどそれは『女神の恵み』という立場あってのこと。そこを勘違いしてはいけない。
「役立たずなどと。サーナ様は私のとても優秀な弟子ですよ。すぎた謙遜は一周回って不遜になります」
「そんなこと」
「いいえ、魔力がないのが惜しいほどですからね」
メルファスさんはいい人だから、そういって私が落ち込んでいるのを励ましてくれる。
でも、正直それを額面通りには受け取れない。だって現実にただぶらぶらしてるだけなんだもん、私。
このお城にいる人たちは侍女さんだって騎士さんだって、みんな地位の高い人が多い。たとえば私専属の侍女ソフィアさんだって男爵家の出身の貴族だと聞いた。あるいは護衛担当の女騎士ペネロープさんだって、騎士試験を合格して騎士になった強者。そんな人たちが私のために働いているのって、なんだか据わりが悪いって言うか。
ひょっとしたら、侍女の皆さんも騎士の皆さんも、にこやかな笑顔の裏側では私のことを疎ましく思っているかもしれない。なにしろ私は平民だ。世界が違うとはいえ、平民、それもとりたてて美人でもない私に仕えるなんていやなんじゃないだろうか。そんなふうにぐるぐる考えてしまう。
何しろ、待遇が良すぎるのだ。申し訳なさ過ぎる。
そう思っているのがわかるのか、メルファスさんはそれ以上は言葉を続けず授業に戻ってくれた。
せめてがんばって勉強しよう。いつか、何かの役に立てるように。
「お疲れになりましたでしょう?」
メルファスさんが帰り、一息ついた私にお茶とお菓子を出しながらソフィアさんがにっこり笑った。つられて私もにっこり笑う。
ソフィアさんはストロベリーブロンド? っていうのかな? のふわっふわの巻き毛のかわいい人。年は私と同じくらいかな。若いけど仕事の出来る侍女さんだ。彼女の淹れてくれる紅茶は本当に美味しい。
「ありがとう、ソフィアさん。ソフィアさんのお茶、疲れがとれます」
「ありがとうございます」
ああ、癒やし系。ソフィアさんが専属になってくれてよかった。お茶請けに持ってきてくれたナッツのタルトは私の大好物だ。
「サーナ様、夕食まで特に予定は入っておりませんが、いかがなさいますか?」
ソフィアさんがゆったりした声で聞いてくれる。まだ夕食まで私の体感で3,4時間ある。どうしようかな、図書館で本を借りて中庭でゆっくりしようかな。
そう思いつくと、なかなかいいアイディアに思えてきた。ロゼさん達に教わった歴史とか地理とか、復習する意味でもそういう本を探すのもいいかもしれない。
「え、また勉強なさるんですか」
「だめかしら?」
「だめではありませんけど……そんな根をつめなくても。ほら、お天気もいいですし、中庭のバラ園が綺麗に咲いておりますよ。行ってみませんか」
じっと私を見るソフィアさん。顔はにこやかだけど、どこか有無を言わさぬところがある。
なんかこの目、見たことあるなあ。
そうだ、テスト勉強やバイトがたてこんで睡眠時間が足りなくてふらふらしていたときに、施設の職員小松さんがこんな目をして叱ってくれたんだ。そんなことを思い出した。
ソフィアさんに心配かけちゃったかな。
「――――そうですね、素敵ですね。行ってみましょうか」
「はい! では、お着替えを」
「え」
ああどうして散歩にいくだけでドレスを着替えなきゃいけないんだろう。これだけは慣れない。
締め付けの少ないゆったりした部屋着から、散策用のドレスとやらに着替える。アイボリーの生地に白のレースをふんだんに使ったドレスだ。肘から先が広がったレースになっていて、ちょっと私には少女趣味過ぎるんじゃないだろうか。ソフィアさんは「よくお似合いです」って嬉しそうに言ってくれるんだけど。
これまたソフィアさんから手渡されたパラソルを差して中庭の南側にあるアーチをくぐった。
「――――うわあ」
本当に満開だ!
大輪の赤いバラを中心に、黄色やピンクや、水彩画のようににじんだ色合いのものもある。トレリスに仕立ててあるのは白のつるバラ、それに濃いピンクのつるバラ。強烈な、けれど嫌みのない甘いバラの香りとその一枚の絵のような色合いに圧倒される。
「サーナ様、どうぞこちらへ」
ソフィアさんが案内して歩き出した。
バラの庭は植えられたバラの間を縫うように小道が延びている。ちょっとした迷路のようだ。とはいっても一本道だから迷うことはなさそうだけど。
そこをゆっくり歩いていくと、ちょっとだけ開けた場所に出た。そこは芝生が植えてあって、中心には東屋がある。東屋は芝生から階段3段ほどを上がる作りになっていて、中心にテーブルと椅子が置いてあった。
ソフィアさんにすすめられるままに椅子に座る。すると視界いっぱいに庭を見下ろすことができた。
「すごい! きれいですね」
「喜んでいただけてよかったです」
そう言ったソフィアさんはなんだかすごく嬉しそうだ。
私もなんだか嬉しい。
そのときだった。
べちょん!
何か湿ったものが落ちるような音がして、テーブルの上に黒い塊が跳ねた。
黒くて少し湿った、両手にやっと乗るくらいの大きさの――――カエル、だった。
「ひぃやあああああ!」
高い悲鳴がバラの庭に響き渡る。絹を裂くような声ってこういうのを言うんだな、と冷静に考えてしまった。
そう、悲鳴を上げているのは私ではない。ソフィアさんだ。
「やだっ、ろ、ロギィイイイィィイ!!」
ちなみに「ロギィ」はカエルのことらしい。
ソフィアさん、ロギィ苦手だったんだ。私はそっと黒いロギィを手ですくい上げた。それを見てソフィアさんがさらに悲鳴を大きくする。
「サーナさまあああああああ!」
「大丈夫よ、私慣れてるから」
なにしろ私は施設育ち、小さな悪ガキ達の相手はお手の物だ。両生類やら節足動物やらが武器に使われることは日常茶飯事だった。こんなことくらいで驚いていられない。
彼らは親の愛に飢えている。だからこそ他人にかまってほしいのだけれど、甘える手段を知らないことが多い。そうなると「いたずら」という方法で自己アピールするのが手っ取り早いので、特に小さい子はいたずらが多くて手を焼かされた。私も入所者だったけど、年上組だったので小さい子の相手をよくしていたのだ。
このロギィが投げ込まれた角度からすれば――――
私は階段をゆっくり降りてバラの茂みを覗き込んだ。
「このあたりから飛んできたように思ったんだけど」
けれど誰もいないことは想定済みだ。実際に投げ込まれた方向とはずれたところをわざと探しているんだから。同時にちょっと大きめの声でわざとらしく言う。
「あれ? じゃあ、こっちかなあ?」
今度はもっと逆側に外れたところを覗き込む。すると、最初覗いた方に向けて茂みがかさかさ、と動いた。
「そこだっ!」
私はそこ目がけて茂みを思いっきりかき分けた。
がさがさっ!
「うわっ!!」
声がして、茂みの向こうに人影が見えた。何枚か赤い薔薇の花びらが散る。
その先に見えるのは淡い金の色と、綺麗な水色の瞳。そんな綺麗な色をたたえた――――男の子、だった。
やっぱりね! 施設でもだいたいこういうことされていたから慣れてます! 蛙にも、子供の扱いにも。
「つーかまえた!」
男の子の襟を捕まえる。
「はっ、はなせ!」
「こ~らぁ、びっくりするでしょ。なんであんなことしたの」
男の子はキッと私をにらみつけた。水色の瞳に刺すようなきつい光が宿っている。
「触るな無礼者! 僕をだれだと」
「あいにく誰だかは知らないわ、初めて会ったんだから。でも、その初めて会った人を驚かせたのはだあれ? それに、ほら、この子だって」
私は手に乗せたままだったロギィを差し出した。
「あんなふうに投げられたら痛いじゃない」
「――――痛い?」
私の言葉に全く思い至らなかったようだった。彼はきょとんとロギィを見た。
「そうよ、君だって転んだら痛いでしょ? もし自分が高いところから落ちたらもっと痛そうだと思わない?」
「……」
「ロギィさん、君よりずっと小さいんだからそんなふうにしたらかわいそうだと思わない? ねえ、君が驚かせたかったのは私たちで、ロギィさんじゃないよね?」
「――――うっ、うるさい! 僕は王子だぞ! 偉いんだぞ!」
「――――は?」
王子?
虚を突かれたすきに手をふりほどかれ、自称王子な男の子は脱兎のごとく走って行ってしまった。ぽかんと呆けていた私にソフィアさんが慌てて「おけがはないですか!」と駆け寄ってきた。
「ソフィアさん、今の子、王子だって言ってたけど」
「――――はい、陛下のご子息です。クリストファー殿下とおっしゃいます」
ぱたぱたと私のドレスについた埃を払いながらソフィアさんが説明してくれた。
「クリストファー殿下はまだ五歳でいらっしゃいますが大変にやんty……遊びたい盛りのお年頃でして」
いまやんちゃって言いそうになったでしょ? っていうか。
「陛下、お子さまいらっしゃったんだ」
「ご存じありませんでした?」
「ご存じありませんでした。それじゃ、王妃様もいらっしゃるの?」
だよねえ? でも一週間経つけど私、王妃様も王子様も存在すら知らなかった。
私の「女神の恵み」という立場のせいか、レーンハルト陛下とはこの一週間の間に二度ほど食事をした。もちろん二人きりとかではなく、メルファスさんやアシュレイさんも一緒にだけど。けれど王妃様だとか王子様とは会ったこともなければ話にも登らなかった。
何でだろう。どう考えても普通じゃない――――私はそんな大切な存在を教えられないほどに部外者なんだろうか。
そうだよね、女神様に遣わされたって言っても現状何の役にも立っていないし、文字通りぽっと出の平民だもんなあ。陛下も大事な家族に接触させたくなかったのかも……
ちょっと暗い考えになってしまった。
私が呼ばれた理由は未だに見つからない。
なにしろファルージャは平和なのだ。問題が全くないわけじゃないけれど、それはたとえば城内の権力争いだったりとか町で泥棒が入ったとか、どう考えても私では何の役にも立てない問題ばかり。というか、私で役に立つことってあるんだろうか。
――――たとえば私が生け贄になるために呼ばれたのだったらどうしよう。
そんなふうに考えたこともある。けれどそれは考えすぎだと結論づけた。
だって、わざわざ教師をつけてもらったから。
生け贄にするのに教養を身につけさせたってどうしようもないだろう。ちなみに教師はロゼさん。彼女が忙しいときはメルファスさんが来てくれる。知っている顔だったことはとてもありがたい。
「生け贄! サーナ様は発想が豊かでいらっしゃる」
ふぉっ、ふぉっとメルファスさんが笑った。今日は久しぶりにメルファスさんが先生だ。
「すみません……ただ、あんまりにも私が役立たずでいたたまれなくて」
そう、私はすっかりこの1週間でいたたまれなくなってしまった。アシュレイさんもメルファスさんも、それから侍女さんもとっても親切でやさしい。ありがたく思っている。
けれどそれは『女神の恵み』という立場あってのこと。そこを勘違いしてはいけない。
「役立たずなどと。サーナ様は私のとても優秀な弟子ですよ。すぎた謙遜は一周回って不遜になります」
「そんなこと」
「いいえ、魔力がないのが惜しいほどですからね」
メルファスさんはいい人だから、そういって私が落ち込んでいるのを励ましてくれる。
でも、正直それを額面通りには受け取れない。だって現実にただぶらぶらしてるだけなんだもん、私。
このお城にいる人たちは侍女さんだって騎士さんだって、みんな地位の高い人が多い。たとえば私専属の侍女ソフィアさんだって男爵家の出身の貴族だと聞いた。あるいは護衛担当の女騎士ペネロープさんだって、騎士試験を合格して騎士になった強者。そんな人たちが私のために働いているのって、なんだか据わりが悪いって言うか。
ひょっとしたら、侍女の皆さんも騎士の皆さんも、にこやかな笑顔の裏側では私のことを疎ましく思っているかもしれない。なにしろ私は平民だ。世界が違うとはいえ、平民、それもとりたてて美人でもない私に仕えるなんていやなんじゃないだろうか。そんなふうにぐるぐる考えてしまう。
何しろ、待遇が良すぎるのだ。申し訳なさ過ぎる。
そう思っているのがわかるのか、メルファスさんはそれ以上は言葉を続けず授業に戻ってくれた。
せめてがんばって勉強しよう。いつか、何かの役に立てるように。
「お疲れになりましたでしょう?」
メルファスさんが帰り、一息ついた私にお茶とお菓子を出しながらソフィアさんがにっこり笑った。つられて私もにっこり笑う。
ソフィアさんはストロベリーブロンド? っていうのかな? のふわっふわの巻き毛のかわいい人。年は私と同じくらいかな。若いけど仕事の出来る侍女さんだ。彼女の淹れてくれる紅茶は本当に美味しい。
「ありがとう、ソフィアさん。ソフィアさんのお茶、疲れがとれます」
「ありがとうございます」
ああ、癒やし系。ソフィアさんが専属になってくれてよかった。お茶請けに持ってきてくれたナッツのタルトは私の大好物だ。
「サーナ様、夕食まで特に予定は入っておりませんが、いかがなさいますか?」
ソフィアさんがゆったりした声で聞いてくれる。まだ夕食まで私の体感で3,4時間ある。どうしようかな、図書館で本を借りて中庭でゆっくりしようかな。
そう思いつくと、なかなかいいアイディアに思えてきた。ロゼさん達に教わった歴史とか地理とか、復習する意味でもそういう本を探すのもいいかもしれない。
「え、また勉強なさるんですか」
「だめかしら?」
「だめではありませんけど……そんな根をつめなくても。ほら、お天気もいいですし、中庭のバラ園が綺麗に咲いておりますよ。行ってみませんか」
じっと私を見るソフィアさん。顔はにこやかだけど、どこか有無を言わさぬところがある。
なんかこの目、見たことあるなあ。
そうだ、テスト勉強やバイトがたてこんで睡眠時間が足りなくてふらふらしていたときに、施設の職員小松さんがこんな目をして叱ってくれたんだ。そんなことを思い出した。
ソフィアさんに心配かけちゃったかな。
「――――そうですね、素敵ですね。行ってみましょうか」
「はい! では、お着替えを」
「え」
ああどうして散歩にいくだけでドレスを着替えなきゃいけないんだろう。これだけは慣れない。
締め付けの少ないゆったりした部屋着から、散策用のドレスとやらに着替える。アイボリーの生地に白のレースをふんだんに使ったドレスだ。肘から先が広がったレースになっていて、ちょっと私には少女趣味過ぎるんじゃないだろうか。ソフィアさんは「よくお似合いです」って嬉しそうに言ってくれるんだけど。
これまたソフィアさんから手渡されたパラソルを差して中庭の南側にあるアーチをくぐった。
「――――うわあ」
本当に満開だ!
大輪の赤いバラを中心に、黄色やピンクや、水彩画のようににじんだ色合いのものもある。トレリスに仕立ててあるのは白のつるバラ、それに濃いピンクのつるバラ。強烈な、けれど嫌みのない甘いバラの香りとその一枚の絵のような色合いに圧倒される。
「サーナ様、どうぞこちらへ」
ソフィアさんが案内して歩き出した。
バラの庭は植えられたバラの間を縫うように小道が延びている。ちょっとした迷路のようだ。とはいっても一本道だから迷うことはなさそうだけど。
そこをゆっくり歩いていくと、ちょっとだけ開けた場所に出た。そこは芝生が植えてあって、中心には東屋がある。東屋は芝生から階段3段ほどを上がる作りになっていて、中心にテーブルと椅子が置いてあった。
ソフィアさんにすすめられるままに椅子に座る。すると視界いっぱいに庭を見下ろすことができた。
「すごい! きれいですね」
「喜んでいただけてよかったです」
そう言ったソフィアさんはなんだかすごく嬉しそうだ。
私もなんだか嬉しい。
そのときだった。
べちょん!
何か湿ったものが落ちるような音がして、テーブルの上に黒い塊が跳ねた。
黒くて少し湿った、両手にやっと乗るくらいの大きさの――――カエル、だった。
「ひぃやあああああ!」
高い悲鳴がバラの庭に響き渡る。絹を裂くような声ってこういうのを言うんだな、と冷静に考えてしまった。
そう、悲鳴を上げているのは私ではない。ソフィアさんだ。
「やだっ、ろ、ロギィイイイィィイ!!」
ちなみに「ロギィ」はカエルのことらしい。
ソフィアさん、ロギィ苦手だったんだ。私はそっと黒いロギィを手ですくい上げた。それを見てソフィアさんがさらに悲鳴を大きくする。
「サーナさまあああああああ!」
「大丈夫よ、私慣れてるから」
なにしろ私は施設育ち、小さな悪ガキ達の相手はお手の物だ。両生類やら節足動物やらが武器に使われることは日常茶飯事だった。こんなことくらいで驚いていられない。
彼らは親の愛に飢えている。だからこそ他人にかまってほしいのだけれど、甘える手段を知らないことが多い。そうなると「いたずら」という方法で自己アピールするのが手っ取り早いので、特に小さい子はいたずらが多くて手を焼かされた。私も入所者だったけど、年上組だったので小さい子の相手をよくしていたのだ。
このロギィが投げ込まれた角度からすれば――――
私は階段をゆっくり降りてバラの茂みを覗き込んだ。
「このあたりから飛んできたように思ったんだけど」
けれど誰もいないことは想定済みだ。実際に投げ込まれた方向とはずれたところをわざと探しているんだから。同時にちょっと大きめの声でわざとらしく言う。
「あれ? じゃあ、こっちかなあ?」
今度はもっと逆側に外れたところを覗き込む。すると、最初覗いた方に向けて茂みがかさかさ、と動いた。
「そこだっ!」
私はそこ目がけて茂みを思いっきりかき分けた。
がさがさっ!
「うわっ!!」
声がして、茂みの向こうに人影が見えた。何枚か赤い薔薇の花びらが散る。
その先に見えるのは淡い金の色と、綺麗な水色の瞳。そんな綺麗な色をたたえた――――男の子、だった。
やっぱりね! 施設でもだいたいこういうことされていたから慣れてます! 蛙にも、子供の扱いにも。
「つーかまえた!」
男の子の襟を捕まえる。
「はっ、はなせ!」
「こ~らぁ、びっくりするでしょ。なんであんなことしたの」
男の子はキッと私をにらみつけた。水色の瞳に刺すようなきつい光が宿っている。
「触るな無礼者! 僕をだれだと」
「あいにく誰だかは知らないわ、初めて会ったんだから。でも、その初めて会った人を驚かせたのはだあれ? それに、ほら、この子だって」
私は手に乗せたままだったロギィを差し出した。
「あんなふうに投げられたら痛いじゃない」
「――――痛い?」
私の言葉に全く思い至らなかったようだった。彼はきょとんとロギィを見た。
「そうよ、君だって転んだら痛いでしょ? もし自分が高いところから落ちたらもっと痛そうだと思わない?」
「……」
「ロギィさん、君よりずっと小さいんだからそんなふうにしたらかわいそうだと思わない? ねえ、君が驚かせたかったのは私たちで、ロギィさんじゃないよね?」
「――――うっ、うるさい! 僕は王子だぞ! 偉いんだぞ!」
「――――は?」
王子?
虚を突かれたすきに手をふりほどかれ、自称王子な男の子は脱兎のごとく走って行ってしまった。ぽかんと呆けていた私にソフィアさんが慌てて「おけがはないですか!」と駆け寄ってきた。
「ソフィアさん、今の子、王子だって言ってたけど」
「――――はい、陛下のご子息です。クリストファー殿下とおっしゃいます」
ぱたぱたと私のドレスについた埃を払いながらソフィアさんが説明してくれた。
「クリストファー殿下はまだ五歳でいらっしゃいますが大変にやんty……遊びたい盛りのお年頃でして」
いまやんちゃって言いそうになったでしょ? っていうか。
「陛下、お子さまいらっしゃったんだ」
「ご存じありませんでした?」
「ご存じありませんでした。それじゃ、王妃様もいらっしゃるの?」
だよねえ? でも一週間経つけど私、王妃様も王子様も存在すら知らなかった。
私の「女神の恵み」という立場のせいか、レーンハルト陛下とはこの一週間の間に二度ほど食事をした。もちろん二人きりとかではなく、メルファスさんやアシュレイさんも一緒にだけど。けれど王妃様だとか王子様とは会ったこともなければ話にも登らなかった。
何でだろう。どう考えても普通じゃない――――私はそんな大切な存在を教えられないほどに部外者なんだろうか。
そうだよね、女神様に遣わされたって言っても現状何の役にも立っていないし、文字通りぽっと出の平民だもんなあ。陛下も大事な家族に接触させたくなかったのかも……
ちょっと暗い考えになってしまった。
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