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メルファスさんに案内されてきたのは綺麗に整えられた応接室のような場所だった。深紅のじゅうたん、肌触りのいいソファー、金糸で縁取りされた上品なデザインのクッション。
かえって落ち着かないかも。
だって、今の私はセーラー服に紺のカーディガン姿。おまけに周りにいる人たちはみんな西洋風の顔立ちで、目の前にお茶とお菓子を出してくれたメイドさん? 侍女さん? だって、足下までの長い裾のドレスを着ている。メチャクチャ場違い。いたたまれない。


そして私が落ち着けない理由がもうひとつ。

私の目の前に、あの金髪の男性が座っているからだ。

ゆったりと慣れた雰囲気でソファーに座る男性は、やっぱりとても美しい。かといって女性的な美しさじゃなく、いわゆる細マッチョ的な美しさ。ギリシャの彫刻を見ているみたいだ。上品にティーカップを傾ける様子にも見ほれてしまいそうになる――――けど、そういうわけにもいかない。
だって、この人ひどく仏頂面なんだもの。なんだか怖い。そしてティーカップを置くと、私をじいっと睨んでくる。こんな美形の方々の間に私みたいな平凡女が交ざってごめんなさい! 私、髪だって染めたことないし、化粧っ気もないし、本当にあなた方から見たらみすぼらしいに違いないです。わかってます。こんな美しい蝶々のような人たちの間に交ざったアリンコにでもなった気分だ。いや、アリンコに失礼だったかな。



縮こまっている間に、知らない男の人が入ってきた。さっき一度私のそばから離れたメルファスさんも一緒でほっとする。
知らない男の人は、赤茶色の髪を後ろになでつけ、きりっとした雰囲気の背の高い男性だ。30代くらいかな。

「失礼いたします。私はアシュレイ、この国で宰相の位をいただいております」
「あ、は、はい、桜庭早苗です。発音しにくいみたいなので、どうぞサーナと呼んで下さい」

私の挨拶にアシュレイさんが軽く会釈してくれる。決して愛想の悪い人じゃないんだな。アシュレイさんはソファーに座らず、金髪イケメンの後ろに立った。メルファスさんはひとりがけのソファーに腰を下ろす。

「メルファス神官長より話は伺いました。どうやらとんでもないことになっている、と」
「すみません……」
「ああいえ、貴女を責めているわけではないですよ。ただ、こちらとしても驚いているだけで」

ではいろいろ説明させていただきましょう、とアシュレイさんが手元に持っていた紙の綴りをぱらぱらとめくった。

「ここファルージャの国は女神ロリスの祝福を受けた国。これはお聞きになりましたか」
「はい、メルファスさんから」
「我が国では十年に一度、女神に恵みを希う祈りを捧げます。すると、そのとき本当に必要になるものが現れるのです。これを『女神の恵み』と呼んでおります」

あ、それ神殿で聞いた言葉だ。『女神の恵み』、それを待っていたんだよね、メルファスさん達は。

「『女神の恵み』の内容はその年によって違います。共通していえることは、この国がそのときに最も必要としているものが祈りを通じて現れる、ということです。たとえば飢饉の酷い年には、成長が早く年に何度も収穫できるポポ芋をお与えくださいました。――――ただ」

アシュレイさんは少しだけ眉を寄せる。

「例年、現れるのは農作物であったり何かの資材であったり。過去の記録を見ても人が『女神の恵み』として現れたことはありません」
「――――えっ」

つまり、私が初めてってこと? ひょっとしてものすごくイレギュラーケースなんじゃ……

「ですから、私どもとしましても大変驚いているのです。ね、陛下」

アシュレイさんがそう言って視線を向けたのは、金髪イケメン。彼も難しい顔をしたまま深く頷く。

「え? 陛下?」
「あれ? ひょっとして知りませんでしたか? この仏頂面がこのファルージャの王です。陛下、何やってるんですか。女性に対して挨拶も自己紹介もできないんですかこの堅物」

アシュレイさんが国王陛下相手とは思えないぞんざいな言葉遣いで座っている国王陛下を見下ろした。

「――――タイミングを失っただけだ。おまけに誰も紹介しようともしない。空気みたいに扱いやがって」

国王陛下がぶすっと返事をする。そこまできてやっと私にもゆるゆると理解が及んできた。

「陛下、って、王様ってこと……ですか?」
「ああ、そうだ。ファルージャ国王ジェラール=ファルージャという」
「し、失礼しました、ジェラール陛下。私、桜庭早苗といいましゅ」

勢いよく頭を下げながら名乗ったらまた噛んだ。うひー、恥ずかしい。けれどそこで陛下とアシュレイさんの驚いた声がした。

「――――本当に知らなかったんだな」
「どうやらそうみたいですね」
「――――? 何が、でしょうか」
「すまない、少しおまえを試した。ジェラールは偽名だ。本当はレーンハルトという」

偽名?

「おまえは女神の恵みとして現れたが、なにぶんこちらとしても人間が現れたのは初めてなことなのでな。試させてもらったのだ。国王の名前がジェラールだということに抵抗感を持たなかったおまえは本当に俺が誰であるかを知らず、また、この国の一般的な常識も知らないと言うことだ」

馬鹿にされているのでしょうか? いいえ、そんなふうじゃない。むしろ――――

「ああ……疑われていたんですね、私。スパイか何かかと」
「聡いな。その通りだ」

そりゃあそうかもしれない。今まで人が「恵み」として現れたことがないというのに、突然現れた私を訝しむのは当然だ。

「あの、疑いのある私をこんなふうにお城に入れて、おまけに王様の前に連れてくるなんてよかったんですか?」

不用心にもほどがあるだろう。そう思って問いかけるが、帰ってきたのはにっこりと笑うアシュレイさんの笑顔だった。

「問題ありません。見張りの魔法がついていましたでしょう? おまけにそれをかけたのはメルファス、我が国の神官長にして筆頭魔法使いです」

「――――は?」
「だから、筆頭魔法使いですから見張りの魔法もそれなりに頑丈で」

アシュレイさんの説明に私が呆けた顔をしたのを誤解したんだろう、いかにメルファスさんがすごい魔法使いかを力説し始めた。いえ、違うんです。私が驚いたのはそこじゃない。いえ、そこも関わってきますけど。

「魔法……ですか?」

そうこぼした私の表情に、なにやら齟齬があることを悟ったらしいアシュレイさん。少し考えて、再び私に問いかけてきた。

「魔法、見えてますよね?」
「見えません。っていうか、この国には魔法が現実にあるんですか?」

そこから急に様子が変わった。慌てたようにばたばたっとアシュレイさんが廊下に出て行き、すぐに女性を連れて戻ってきた。女性はメルファスさんと同じようなマントを着ている。ただし、色はグレーだけど。
ロゼと名乗った女性はてきぱきと私の前に様々なものを並べていく。特に目立つのは大きな金属製のお皿。お盆を少し深めにしたような丸いお皿で、美しいレリーフがふちに彫り込まれている。ロゼさんはそこに持ってきたピッチャーから水をなみなみと注いでいった。その中へ革袋から取り出した宝石のような石をいくつか沈めていく。赤や青や黄色、透明なものもある。水の中で窓からの光を反射してきらきらと輝いていて、とっても綺麗。

「ではこちらの水に両手を浸して下さい」
「これ、何ですか?」
「ご覧になったことありませんか? これは魔力を調べるための装置です。大丈夫、痛くもかゆくもないですよ」

ロゼさんに優しく言われて素直に水に手をつけた。

――――何も起こらない。

「あら? おかしいわねえ……」
「いや、そういうことなんだろう」

不思議そうにお皿を見つめるロゼさんにレーンハルト陛下があっさりと言う。

「何も反応がないということは、彼女には魔力がない。魔法の素養がないということだ」
「ああ、まあそうでしょうね。私のいたところでは魔法なんておとぎ話の中だけでしたから」

しーん。
私以外の3人が固まっている。え、私なにか変なこと言いました?

「魔法のない世界……そんなものが」

あ、なるほど。つまりこの世界では魔法は常識の範疇だから、魔法が存在しない状態が想像できないのかもしれない。ちょうど私たち日本人が電気がないと暮らしていけないのと一緒なんだろう。
とはいえ、それで同情的な目で見られるのっていまいち納得いかない。
だからわざと話題をそらすことにした。

「あの、それで、こちらで一般的らしい魔法すら使えない私が、いったい何のためにここへ呼ばれたのでしょうか」

あれ? また固まった。

「それだ。アシュレイ、どう思う」
「はい、なにしろ人がもたらされるのは初めてのことですので……女神がどういった意味合いでサーナ嬢をお連れになったのか、さっぱり」

う~ん、と3人が腕を組んで首をひねる。
そうですか、国の重鎮の方々にもわからないなら私にわかるわけがないですね。

「通例としてそのときに最も国にとっての問題となっている事柄に対して解決策がもたらされるのですが、あいにく……というか幸いなことに現在この国は大きな問題を抱えておりません。天候もよく、作物も豊かに実り、戦争もなく、重大な流行病もない。平和そのものなのです」
「ええと、そういった状態のときでもいつも『恵み』はもたらされるものなのですか?」
「いえ、そういうわけでは」
「では、何らかの問題があって私が女神様に呼ばれた、そういうことなんですね」
「――――おそらく」

まとめましょう。
私がここへ呼び出されたのは、ファルージャが内包している何らかの問題を解決するため。でも何が問題なのか誰もわからない。
――――ということは。


「あの、私は元いたところへは帰れないんでしょうか」
「――――最善を尽くす、と約束はさせてもらう」

咄嗟に返事の出来なかったアシュレイさんに代わり、陛下が重々しく言ってくれた。そうだよね、小説みたいに「魔法で召喚」したんじゃなくて「女神様が送り込んだ」わけだし、前例もないなら私が元の世界へ帰る手段はこれから探すしかないんだ。

「巻き込まれたサーナ嬢にはかわいそうだが、君のこの国での生活は私が責任を持って不自由ないように取り図らせてもらおう」

はぁ。やっぱりそういうことになるんだ。
これはさっさと問題をみつけて解決して、帰り方を見つけなくちゃいけないんだ。

「それじゃ、その問題を見つけ出して解決できて、私が元いた場所に戻れるめどがついたら私を帰してくださいますか?」
「ああ、約束する」
「――――わかりました」

私は小さくつぶやいた。
そう、何とかして早く日本に帰りたい。親はいないけど友達はいる。学校だってまだ一年あるんだ、迷惑や心配をかけるわけにいかない。
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