上 下
2 / 37

1.

しおりを挟む
舞い散る花に驚いて目をきつくつぶり、風がおさまったことを感じてそっと目を開けると――――
あたりの風景は一変していた。
梅の大木はなく、目の前には白い石造りの神殿? のような建物。建物と言っても、石の四角い床とそれを囲むように立つ太い柱、そして屋根はあるけど外壁はない。白い石の柱には緑のツタが絡まっている。決して放置してはびこってしまった感じではなく、それが美しく柱の白を引き立てている。そしてあたりには春とは思えない強い日差しが降り注ぎ、鮮やかな青空が覗いている。

「ここは――――?」

四角い床は私のいるあたりが一番奥の突き当りのようで、教会の祭壇みたいに少し高くなっている。そしてぐるりと見回した祭壇下の床には、数名の人がいた。

「おお……!」
「なんということだ」

その人達はこちらを見てひどく驚いている。正直、私もびっくりだ。
だって、どう見ても日本人じゃない。あからさまに白人だ。色の濃淡はあるけれどどの人もブロンドで背も高く、そしてなにより私を驚かせたのはそのファッションだった。
まるでファンタジー小説に出てきそうなマントや鎧姿なのだ。あ、腰に剣を下げている人もいる。
こっちの赤いマントの人は大きな宝石のはまったロッドを持ってる。魔法使いみたいだ。
階下の人たちも私も驚いてただ見つめ合うばかりだ。ここはどこで、どうして私はここにいるんでしょうか? そう聞きたいけれど、私は驚きのあまり声も出せなかった。

「お嬢さん、あなたがメグミですか?」

やがてロッドを持ったおじいさんが話しかけてきた。白い長いあごひげがどこか優しそうな印象がする。それに加えて穏やかな口調に私もやっと少しだけ緊張がほどけた。

「い……いえ……わた、わたし、わたしは」
「ああ、落ち着いてください。なにも危害はくわえませんから。さ、深呼吸して」

言われたとおり大きく息を吸って吐いて、少しだけ頭がクリアになる。もう一度ゆっくり呼吸してからおじいさんの方を見た。

「わ、わたしはメグミって名前じゃありません。早苗といいます。桜庭早苗です」

まるで異世界転移のラノベみたいな展開だ。だとしたら私はそれを実践してしまったんだろうか。
とはいえ今のおじいさんの台詞を鑑みるに、この人達は異世界人を召喚したんだろうか。そして、『メグミ』という人を呼びたかったんだろうか。ふわふわと考えの固まらない頭がそんなことを考える。

「あ、あの」
「ああ、サーナ……エ? さんとおっしゃるんですね。申し遅れました、私はメルファス、この神殿の神官でございます」

おじいさん――――メルファスさんはそういって右腕を胸に添えて恭しく一礼した。あ、ここやっぱり神殿だったんだ、とどうでもいいことを考える。さなえ、って発音は難しいんだろうか。きちんと言えていないことに気がついた。

メルファスさんは続ける。

「メグミ、とは『女神の恵み』の意味です。人の名前ではございません」

あ、そうだったんだ。メグミさんと間違われたわけじゃなかったんだ。

「我々はここで女神の恵みを得るべく礼拝を行っておりました。そこへ貴女様が現れた。貴女様が女神の恵みに違いありません」
「――――は?」

私が混乱しているうちに、その場にいたほとんどの人間が私に向かって片膝をつき頭を垂れる。
ただ、一人だけ膝を折らず、胸の前に片手を当てて軽く会釈した人物がいる。金の髪、水色の瞳の背の高い男性。どこか他の人たちとは違う雰囲気をまとったその人に私の目は釘付けになった。
こんな「美しい」という表現が似合いそうな男性を初めて見たから。





「ファルージャ……ですか?」
「はい、ここはファルージャ王国。女神の加護を受ける国です」

とりあえずここを出ましょう、とメルファスさんに促されるまま歩き出した。馬車は神殿からずっと下――――神殿は高台にあって、やっぱり白い石の階段を降りなければならなかった――――に止めてあるというので、そこまでの道すがらメルファスさんが話をしてくれているのだ。

「サーナ……ウィエさんは」
「あ、呼びにくければ呼びやすいように呼んでもらっていいですよ」
「では……サーナさんとお呼びしましょうか。サーナさんはどちらの国の方ですか?」

階段をゆっくりと降りながら穏やかに問いかけられる。私、ファルージャなんて国、聞いたことないんだけど。

「ええと、日本っていう国なんですけど」
「ニホン? はて? 申し訳ないですが聞いたことがありませんな」
「あの――――申し訳ないんですが、私もファルージャという国は初耳で」

お互いに大きな疑問符を頭の上にくっつけたまま階段を降りきる。その先に、大きな箱馬車が止められている。

「ひっ」

それを見て思わず悲鳴を上げてしまった。むろん、足も止まる。
目の前にある箱馬車。大きくて、ぴかぴかに磨き上げられた馬車には美しいレリーフが施され、いかにもやんごとなき方々が乗りそうなもので腰が引ける。けれどそれ以上に私を驚かせたのは――――

「馬、じゃない」
「はい、パーシェルですよ」

馬と同じくらいの大きさの、見事な白い毛並みの、見たこともない獣だった。それが2頭、箱馬車につながれている。2頭はどちらかというと馬と言うより鹿っぽい感じ。くりっとした黒の瞳と大きな耳がかわいらしい。なのに頭のてっぺんから首の付け根まで長い金色のたてがみが優雅に揃えられている。昔、シンデレラの絵本で見たみたいに、たてがみを一房ずつまとめて赤い飾り玉で結び留め、それが綺麗に並んでいるんだ。
白い鹿って、神様のお使いじゃなかったっけ? あ、ちがう、パーシェル? っていうの? 個体名? 種族名?
ここまで来て「異世界転移」って言う言葉が現実味を帯びてきた。こんな見たことのない動物までいるんだもの、ここが地球の訳がない。


「パーシェル、って、この子たちどちらかの名前ですか? それともパーシェルっていう名前の動物なんですか?」
「は?」

私の質問も語尾が震えていたに違いない。ただならぬ私の様子に気がついたのだろう、メルファスさんの表情が変わる。私は思わずメルファスさんの袖をぎゅっと掴んだ。

「ここは――――どこ? 地球じゃないの?」




結局そのあと軽くパニックを起こしてしまった。
道すがら、一緒に馬車に乗ったメルファスさんにずいぶん宥められ、なんとかパニック状態から脱出はできたもののぐったりしてしまった。

「女神様も酷なことをなさる」

難しい顔でメルファスさんが自分のあごひげを撫でた。

「だが、サーナさんのことはこのメルファスがお預かりしましょう。ご心配せずに」

この穏やかなメルファスさんがいなかったら、私はおかしくなってしまったかもしれない。メルファスさんがいてくれて、本当に助かったと後から思った。

箱馬車に乗せられ連れてこられたのは、まるでお城のような大きな館だ。周囲を囲む石造りの外壁には跳ね橋がかけてあり、そこをくぐって壁の内側へ入ると、整然と整えられた美しい庭園の中を建物までの石畳が続いているのが目に入った。
建物の玄関前には大きな花壇があって、黄色いデイジーのような花が咲き誇っている。

「きれい……!」
「おや、気に入られましたかな? 後で散策なさるとよろしいかと」

メルファスさん――――今、馬車の中には私と金髪の男性とメルファスさんの三人が乗っている――――が言った。ちなみに金髪の男性はずっと無言だ。

「いいんですか?」
「もちろんです」

やがて馬車は建物の玄関先に止まり、外から扉が開けられて馬車の外へ出た。

「う……わあ!」

目の前にそびえる優美で威厳のある建物に圧倒される。決してごてごてと飾り立てられているわけじゃないのに感じるその美しさは、建物が重ねてきた年月から醸し出されるのだろうか。
いや待て。ここってひょっとして――――

「お城……?」
「はい、ここは王城ですよ。スヴェン城と呼ばれています。王城のあるこの土地がスヴェンと呼ばれていますので」

白亜の城が青い空にすっきりと映える。思わず圧倒されてしまう。

「さあ、中へ入りましょう。ゆっくり話をさせていただきましょう」

メルファスさんに促されて私はお城へと踏み込んだのだった。
しおりを挟む

処理中です...