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22.

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 クリス様は相変わらずちょっと高飛車な物言いでえらそうだけど、ツンデレっていうんだろうか、ハグの一件以来私に甘えてくる行動が増えてきた。私はますますクリス様がかわいくてしょうがない。

 レーンハルト陛下とはあれ以来決まった時間に私が執務室をソフィアさんやペニーさんと訪れて報告するという形で落ち着いた。お互い執務室のソファーに向かい合って座るものの、話の中身はなんとなく事務的なやりとりになってしまったことは否めない。でもいっそこのほうが気が楽かも知れない。

 それから、陛下とクリス様はといえば、主に陛下の多忙さのせいでやっぱりなかなか会う時間がとれないでいる。でも、そんな中でほんのわずかでもあいた時間で顔を見に来るようになった陛下に、クリス様はうれしさ半分とまどい半分のようだ。少しは距離が縮まってきただろうか?

 そして相変わらず私の使命とやらはわからないままだ。

「サーナ! ほらあそこ! おっきなロギィ!」
「クリス様、そんなに乗り出すと池に落ちちゃいますよ!」

 規定の勉強時間の後、庭を散歩しながら生き物を探すクリス様は生き生きとしていて年相応の子どもらしい表情を見せてくれる。そして年相応のやんちゃっぷりも。それをたしなめるのも私の仕事だ。
 ああもう、私の使命はクリス様の世話係ってことでもういいんじゃないかなあ。

 今日もいい天気、木立ちに囲まれた中庭には小さな人工の池があり、睡蓮のような水草が水面の大半を覆っている。ここにはロギィが住んでいるのでクリス様は数ある庭の中でもここがお気に入りだ。
 クリス様はロギィに夢中、クリス様おつきの騎士タウロスさんと私の護衛ペニーさんはつかず離れずの距離で警護中。なんだかのんびりしてていいなあ。

 クリス様が一生懸命手を伸ばす先には、池の中から顔を出している石とその上に乗っかっているロギィ。

「あと少し――」

 けれど届きそうなところでロギィは身を翻し、池の中へボチャン! と戻っていった。

「あ~あ」
「残念でしたね。クリス様は本当に生き物がお好きなんですね」
「うん。でもロギィだけじゃないぞ。パーシェルも、ゲルランゲも、オローナもみんな好きだ」

 私の感覚で言うと鹿と馬の中間みたいな騎乗できる動物がパーシェル、子猫くらいの大きさの青いリスがゲルランゲ、オローナは犬みたいな動物だ。要するに動物は何でも好きだと言いたいらしい。
 こんなに動物が好きなら何か友達になれる動物を飼ったら喜ぶだろうなあ。陛下にそれとなく話してみようかな。私は心の中のメモ帳にそのことを書き留めた。とはいえ可能かそうでないかわからないことを提案して、期待が裏切られたらかわいそうだからクリス様には内緒にしておこう。

 ああでももし許可されたら、そしてペットを飼うことができたらクリス様喜ぶだろうなあ。きっとあの青い瞳をキラッキラにしてモフり倒した挙げ句「ま……まあ、かわいがってやらないこともない」なんてポーズとったりするんだよ。ふふふ。
 そんなことを思いつつ私の注意はクリス様に完全に向いていた。

「つっ!」

 突然ちくりと鋭い痛みを肩に覚えて顔をしかめてしまった。なんだろう、虫かなにかかな? とはいえ蜂に刺されたときみたいに強い痛みじゃない。痛みを覚えた右肩の背中側を見ようと服を少しひっぱりながら左手でぱたぱたとはたいてみた。虫がいるわけでもなく、とげか何かが刺さったような感じでもない。痛みはあの一瞬だけで、そのあとがちくちくこともない。
 屋内に戻ったら虫さされの薬でももらいに行こう、そう思いながら衣服の乱れを軽く整えた。

「どうした、サーナ」
「申し訳ありません。虫か何かに刺されたみたいです。でもちょっとちくっとしただけですから」
「そうか。でもあっちこっち痛くなってサーナは大変だな!」

 この間頭が痛いと伝えたことを言っているんだろう。えらそうな物言いだけど、そんなささいなことを覚えていてくれたことに心の中がほっこりした。




 けれど私の意識はそこで途切れてしまっている。
 急に電池が切れたように、突然私の意識は闇に飲まれていった。



 ★☆★☆★


「虫か何かに刺されたみたいです。でもちょっとちくっとしただけですから」

 そう言いながらチクッとしたという肩を気にしていたサーナがふうっと崩れ落ちるのをクリストファーは目の前で見ていた。
 たった今まで普通に話していたのに、急に糸が切れたように膝をつきそのまま倒れ伏していく様子がまるでスローモーションのようにクリストファーには見えた。
 ふわりと広がる長い髪、それがうつ伏せに倒れたサーナに覆いかぶさるように広がり、それきりぴくりとも動かない。

「さ……サーナ?」

 クリストファーは最初サーナがふざけているのかと思った。だがすぐに違うと思い直す。サーナという人は、穏やかで優しくて、けれどどうしようもなくまっすぐすぎる人だ。からかって騙すようなことはできない人だ。
 そんな彼女が人に心配をかけるようないたずらをするはずがない。

「サーナ、転んだのか? ほら、起きろ。汚れるぞ」

 それでもクリストファーはまだ状況を認められないというふうにサーナの背中に小さな手を置いて揺さぶってみた。
 しかし彼女は動かない。

 何が起こったのか。
 サーナはどうしたのか。
 幼いクリストファーは理解が及ばず、何をどうしていいかわからない。

「サーナ、起きろサーナ――サーナ!」

 不安が、恐怖がクリストファーの中を締め付けていく。サーナを呼ぶ声が次第に大きくなり、少し離れたところで待機していた護衛の騎士たちがそれに気づいて大慌てで駆け寄ってきた。

「殿下!」
「サーナが、サーナがっ!」
「サーナ様! 殿下、すぐに医者を呼びます。殿下はお部屋へ」

 騎士たちの部下の兵士が城へ医者を呼びに駆けだした。すぐにペニーがサーナの様子を確認し、タウロスがクリストファーを落ち着かせようと声をかけるが、クリストファーはサーナにすがりついたまま離れようとしない。
 すぐに担架を持った医者と数名の看護士が駆けつけてくる。

「クリストファー殿下、サーナ様を運びます。一度手をお離しください」
「いやだっ! サーナと一緒にいるっ!」
「それではサーナ様の治療ができません。失礼いたします」

 タウロスがクリストファーを抱き上げようと手を伸ばし、彼の服に触れるその直前だった。

 バチッ!

 タウロスの手が何かに弾かれた。ビリッとした衝撃にたまらず彼は手を引っ込めた。

「今のは――」

 タウロスが呆然と自分の手を見る。確かに何かに弾かれた。人を傷つけられるほどの威力はない。だが、今のは確かに――
 と、後ろから声がかけられた。

「どうした! 何がありました!」

 その場にいた全員――クリストファーとサーナを除く――が振り返った。城へと続く道を白いひげと神官長であることを示す赤いマントの人物が駆け寄ってくる。
 どうやらたまたま通りかかったらしいメルファスだ。ペニーの説明を聞いたメルファスはサーナに取りつき泣きわめくクリストファーを視界に入れるなりその細い目を大きく見開いた。

「これは――!」

 クリストファーは担架に横たえられたサーナの名をひたすら呼び続ける。だがサーナはぴくりとも動かず、顔色がどんどんわるくなっていく。メルファスは魔法でサーナの状態を確認し、パニックしているクリストファーにそっと沈静化の魔法をかけてから声をかけた。

「殿下、まずは落ち着いて。サーナ様は大丈夫でございますよ」
「メル……ファス?」

 クリストファーが大きな目に涙を一杯ためて顔を上げる。

「本当? サーナ、目を覚ます?」
「はい、このメルファスがおりますからね、必ず元気にしてみせますよ。さ、サーナ様を診療室にお運びしますから一旦離してさしあげてくださいね」

 沈静化の魔法が効いたのか、クリストファーはおとなしく握っていたサーナの服を離した。
 タウロスがハンカチで涙を拭い、部屋へ戻ろうと促すが、それには首を横に振った。

「サーナのそばにいたい」

 クリストファーの気持ちはわかるが、それは治療の邪魔になるだろう。周りの者がみんなそう思ってどう止めようかと頭を悩ましていると、メルファスがやさしくクリストファーに話しかけた。

「殿下、サーナ様の治療をしている間、お話を聞かせていただけますか」
「でも」
「サーナ様は突然倒れられた。そのときサーナ様のおそばにいたのはクリストファー殿下だけなのです。控えていたペニーもタウロスもなにも気がつかなかった。ですので、倒れられる前に何があったのか見ていたのは殿下だけなのです。殿下のお話を聞くことができればサーナ様にどんな治療をしたらいいか、一番早くわかります。これは殿下にしかできないことでございますよ。いかがでしょう」
「――っ、もちろんだ! 何でも話すぞ!」
「ありがとうございます。でも大きな声で話すとサーナ様がお辛いかも知れませんから、治療するお部屋のすぐ近くのお部屋でお聞かせ下さいね」
「わかった!」

 真っ赤になった目と鼻をぎゅっと袖でぬぐい顔を上げたクリストファーは、確かな気力をその視線に込めて大きく頷いた。

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