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「さて、どういうつもりか聞かせてもらおうか」

 王の私室に乗り込んできたのは「宰相アシュレイ」――――ではなく「幼馴染で親友のアシュレイ」だ。いつも冷静に的確な判断を下す我が国の重鎮はどうやらいち個人として俺レーンハルトに会いに来たらしい。
 そして人払いをし、二人きりになった途端にムスッと表情を変えた。
 そして俺を問い詰めるような言葉を言ったのだ。

「どういう……って、何が」
「サーナ嬢のことだ。年頃の娘と夜の庭で二人きり、なんて」
「なぜそれを」

 正直驚いた。
 俺とてサーナと二人でこっそり会っていることがまずいと考えないわけじゃない。だから夜にいつもの場所へ行くときは魔法を駆使してあたりの人の気配をしっかり確認し、また俺とサーナの姿を隠している。そうして邪魔が入らないように注意しているというのに、いつ、どうやってそれがわかったというのだろう。
 痩せても枯れても俺はこの国の王、もっとも魔力の高い人間だ。その俺の放った魔法をかいくぐることのできる人物などいない。
 ならばなぜアシュレイはそれを知っている?

「どうして知っているかって? どうやら噂になっているらしいからだ」
「噂?」
「ああ。夜の庭に彼女が逢い引きしていると。そしてどうやらその相手はレーン、おまえらしいと」

 なぜだ。
 誰が、どうやってそれに気がついた?
 俺は魔法には自信がある。もし俺とサーナの姿を第三者が確認できるとしたらそれは俺よりも高い魔力の持ち主か、俺自身が魔法を消したときくらいだろう。だが俺が国内で最大の魔力を持っている以上、可能性としては後者なわけだがそんなことをした記憶は――――

 そのときふと思いだした。
 クリスと外出したあの日、あの夜。
 彼女に感謝の気持ちを伝え、小さな手を取り指先に唇を落とした。そうしたら彼女は急に立ち上がって――――
 そう、彼女は立ち上がって大きな音を立てた。それで誰かに注意を向けられたのだろうか。注意を向けられれば魔法の効果は薄くなる。多少魔力の高い人間なら感知できるかもしれない。
 あるいはあのときに俺の魔法が途切れていたのかもしれない。サーナが急に立ち上がり去ってしまったことに俺は焦りと混乱を感じていた。魔法は人の心に拠るものだから、そうなればたやすく途切れてしまう。

 サーナの手に口づけたのは俺にとっては当然の行動だった、というより無意識だった。サーナとの夜の語らいは俺にとっては数少ないクリスのことを知る機会であり、また国家や政治とは無縁でありながら対等に話せる(はず)のサーナと会うこと自体が貴重なリラックスタイムになっている。そんなサーナに最大限の感謝を送るのは間違っていないだろう?

「聞いているのかレーン! おまえらしくもない」

 アシュレイの怒ったような呆れたような声がする。

「聞いているさ。それでその噂とやらは要するに俺がサーナと逢引していると、そういう噂なんだな?」
「いや――――それが、俺の執務室で彼女の故郷について聞き取りをしているだろう? あのときに人払いをするものだから俺とも噂になっていて、サーナ嬢は男あさりをしているという方向に噂が」
「なんだそれは」

 耳を疑った。貴族社会など陰湿なものだと理解してはいるが、聞いた途端に腹の奥が怒りで熱くなった。

「要するに邪魔なんだろうな。クリストファー殿下の世話役サーナの身元は明らかにされていない。ぼやかして伝わっているんだ。何しろ世話役のなり手がいなかったから多少なら身分には目をつぶって――――となっていたからな。
 だがここのところ殿下はずいぶんと穏やかになり、いまなら自分でも世話役になれるんじゃないだろうかと考える浅薄な輩が出てきたわけだ。そこへ今の世話役の身元ははっきりしないという。さらに私と頻繁に会い、また国王陛下とも会っているらしい――――貴族なら誰でも手に入れたい立ち位置なのさ、サーナ嬢のいる場所は」
「――――サーナの正体を公にするべきなのか?」
「いや、そうは思わない。はっきりさせると今度は諸外国から彼女をよこせと言われるだろう」

 アシュレイが首を横に振った。
 そもそもサーナのことを「女神の恵み」として公表しないのは彼女を煩わしい政治の駆け引きに巻き込まないためだ。だから少数の信用のおける者たち以外には「女神の恵みとして今回は人が送り込まれてきた」ことのみを発表し、誰が「遣わされた人間か」は隠しているのだ。
 このファルージャは豊かな国ではあるが、それゆえに諸外国とは微妙な均衡を保っている状態だ。そしてその均衡の要が「女神の恵み」なのだ。
 女神ロリスから恵みを乞う儀式はここファルージャでしか行えない。だから儀式のたびに現れる「女神の恵み」である資源や植物は各国からの要請に無条件で提供してきた。例え敵国であったとしても、だ。その方針は一国が独占していい性質のものではないと過去から連綿と受け継がれてきた。

 だが、今回はどうだ。
 もたらされたのはたった一人のか弱い少女、彼女を均等に分けるなどとできるわけがない。そもそもサーナがなぜこの世界へ遣わされたのか、その理由すらわかっていないのだ。しかしサーナについてを公表すれば各国はこぞってサーナを欲しがるかもしれない。

 ――――そんな真似をさせるわけにはいかない。
 サーナはここに、俺のそばに置いておきたい。

 そう遠くない将来各国がサーナのことを知りたがるだろう。そうなったらどうするべきか――――彼女には特別な力はないと伝えればいいのか? いいや、「女神の恵み」が自国にあるだけで何らかの恩恵に預かれる可能性があると邪推する国があるかもしれない。あるいは「女神の恵み」が選んだ国というだけで箔がつくと考えるかもしれない。そんな醜い争いに彼女を晒したくない。

「――――それとも一度サーナ嬢に話を聞いてみましょうか。よその国に行ってみたいかどうか。女神の恵みとして各国を回り、サーナ嬢が気に入ればそこの国に――――」
「ダメだっ!」

 とっさに大きな声を出してしまい、自分で驚いてしまう。

「レーン?」
「あ、いや――――すまん、大声を出して」
「ダメとはサーナ嬢が各国を回ることが? それとも」
「いや、彼女を縛り付ける気はなくて――――ただその、目の届かないところへ行かせるのが心配というか。サーナをここへ召喚してしまったのはファルージャだからやはり責任があるというか」

 そうだ。そうなんだ。

 ファルージャの国王として、故郷から突然切り離されてしまったサーナを保護しなければならない。
 そしてクリストファーの父親として、あの子の心を開くきっかけを作ってくれた恩人である彼女に精一杯の支援をしなければ。
 だから「サーナが他国へ行くこと」――――俺の側を離れることを想像して動揺したのだ。

 そうに違いない。


 たぶん。


 なぜだか一瞬目を丸くしたアシュレイだったがすぐにいつもの表情へ戻り、座っている椅子に背を預けた。

「その噂の対応策は私の方で考えておく。レーンはとにかくサーナ嬢が不利な状況にならないよう、夜に二人きりで会うような真似はやめてくれ」
「ああ、わかった」

 まあそうだな、サーナは十七歳だと言っていた。そんなうら若い少女に対して俺は確かに考えが足りなかった。

「今度からは誰かに付き添わせるようにするよ」
「――――会うのをやめる、とは言わないんだな」

 ぽつりとつぶやいたアシュレイの言葉は小さすぎて俺の耳には届かなかった。
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