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五章 アスカとルミ③

三 最低な私達 三

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 心配してくれているルミを突き放し、
 寝室に閉じ籠って布団にくるまり、
 そうしている間に眠っていたらしい。

「あ、起きた?」

 私の隣で、パジャマ姿のルミが
 寝転んで携帯を弄っていた。

 窓の外は街灯と月明かり。

 部屋の中はオレンジ色の蛍光灯。

 時刻は午後十時を回っていた。

「……凛子さんと尊さんは?」

「トースト食べて、すぐ帰ったよ。
 アスカの調子が悪いみたいだからって」

「そっか……ごめんね」

 あの二人にも、後でちゃんと謝らないとな。

「ううん、気にしないで。
 誰だって、落ちることはあるよ」

 そう言うと、ルミは体を起こし、
 私の頭を優しく撫でてくれた。

 髪をとかすむず痒い感覚から逃げるように、
 私はまた布団に寝転んだ。

 そんな私の背中を追う、
 布団とパジャマが擦れる音。

 二人で一つの布団は、
 私の中で日常になりつつある。

 けれど、これはいつか終わる、
 終わらなきゃいけない光景。

 寝返りを打つと、
 不安げな表情のルミと目が合った。

「大丈夫?」

「……うん」

 寝返りを打っても誰もいないのが
 私の日常の本来あるべき姿。

 そして、ルミの日常の本来あるべき姿は……

「ルミは……帰るの?
 彼氏さんが戻ってきたら」

 私は聞いた。

 答えなんて聞くまでもない透明な問い。

 ルミはからかうように口角を上げた。

「寂しいんだ?」

 ルミの口から、
 否定の言葉は出てこなかった。

 その事実に私は確かにショックを受けた。

 涙が頬を流れていく。

 それを拭い取ってくれたのは、
 私の指じゃなかった。

「久し振りな気がする。アスカが泣くの」

「ごめんなさい……」

「何でアスカが謝るの」

 止めどなく溢れる涙は、
 ルミの胸元に吸い込まれていく。

 酸に溶かされる鉄のように、
 私の心の蓋が形を無くしていく。

 押し込んでいた思いが、
 濁流のように喉元を流れていく。

「私……最低なこと考えた。
 彼氏さんが帰ってこなければ、
 ルミはずっと……
 ずっとここにいてくれるって……」

 背中と後頭部を掴むような感触。

 髪同士が擦れる音が頭蓋骨に響く。

 私を包み込むルミの体が、
 巨大な心臓のように脈打っていた。

「もちろん帰るよ、アッくんが戻ってきたら。
 そのつもりでいる」

 その一言一言はまるでカッターナイフ、
 あるいは金槌のようだった。

 刺され、切られ、殴られて、
 私の心がズタズタのぼこぼこにされていく。

 痛くて、苦しくて、辛くて、
 私の嗚咽はますます強くなる。

「でも、いざその時になったら、
 私は多分……迷うと思う」

 止まらない涙のせいで感覚が狂っていく。

 見えないし、嗅げないし、味わえないし、
 触れられても何も感じない。

 ルミの吐息が鼓膜を燃やす。

 残った一つの感覚が
 ただひたすらに研ぎ澄まされていた。


「私……アスカのことが好き」


 ルミの震えた声が、耳をくすぐる。

 夢のようにふわふわしていて、
 それでも確かな重みを持っていて、
 私の中に永遠と思えるような波紋。

 幻聴とも思えるその言葉を、
 私は強く抱き止めて離さなかった。

「最初は……アッくんがいなくなったことを
 忘れたかっただけだった。
 でも、アッくんのことまで
 忘れるつもりなんてなかった。

 それなのに、アスカと一緒に暮らし始めて、
 毎朝抱き締められて、一緒に働いて、
 一緒にご飯を食べて、一緒に笑って……
 アッくんのことを考えない時間が
 日に日に増えて、気付いたら……
 アスカのことが大好きになってた」

 私はこのまま死ぬんじゃないか。

 そう思うほどに鼓動が荒れ狂う。

「前に言ったよね。
 アスカが自分を最低だって言うなら、
 私も最低なの。アッくんの帰りを
 待たなくちゃいけないのに、
 みんなが必死になって探してくれてるのに、
 私だけ──」

 ルミの「好き」がもたらした波紋は
 止まる気配を見せず、それどころか
 どんどんと勢いを強めていく。

 そして、それは巨大な高波となって
 私を突き動かしていく。

 視界は塞がれていて、それなのに
 ルミの表情が手に取るようにわかった。

 ……いや、違う。

 私はただ、私が求めている表情を
 彼女の顔に投影しているだけだ。

 見えないのをいいことに。

 私が求めている──
 私が想いをぶちまけやすい表情を。

 どうやったら止められるの?

 自分が嫌になる。

 自己嫌悪が止まらない。

 でも、そんな私のことをこの人は──


「私も……ルミが好き」


 言葉にすれば、たったの二文字。

 声にすれば、たったの二音。

 それだけで、心がスッと軽くなった。

 罪悪感も責任感も背徳感も、
 自己嫌悪すら押し退けて、
 彼女に対する想いが私の中に満ちていく。

 次の瞬間には、
 私の体はルミに押し倒されていた。

 何かに操られているかのように、
 私の口は何の言葉も発せられなかった。

 ルミの吐息が近付いてくる。

 胸骨を突き破らんばかりの勢いで
 心臓が高鳴る。

 私達の間に引かれた越えてはいけない一線。

 越えた先に待ち受けていたのは、
 熱く燃える柔らかさと
 ふわりと爽やかなミントの香り。

 頭がザワザワして、目がチカチカして、
 胸はドクドクとひたすらに脈打って、
 興奮しているのか、
 それとも窒息しかけているのか、
 そんなことはもうどうでもよかった。

 私はただひたすらに、
 ルミの想いを全身で受け止め続けた。
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