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第2章

46.信頼のカタチ

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リカルドとバリーへの制約魔法はいとも簡単に、呆気なく終わる。


勝手に仰々しい魔法を妄想していたバリーがギュッと固く瞼を閉じ構えていたが、キサギに「終わりましたよ」とあまりにあっさりと言われてしまい目を開いた後、何度も瞼をパチパチと開けては閉めてを繰り返す。


「……あれ?……もう掛けたの?」


「だから終わりましたよ、と言いましたよね?……一体何を想像されたのですか?」


「いや……ははは……」


思わず苦笑うバリーへとキサギはジト目を送る。


「何も変わった所はないな……とりあえず私は王城へ連絡をとる。ギルド内で通信が出来んのなら、外へ出るしかないな」


己の体に何の変化も無いとわかると、リカルドはバリーを連れて一旦執務室を出て行こうと立ち上がる。


すると、おもむろにキサギがパァンと柏手を一つ打ち鳴らした。


「今結界を解除しました。王族である貴方に、さすがにその様な無謀な事をさせられません。どこか部屋を借りて報告をなさって下さい」


「ならば隣の応接室へ。ご案内致します」


「構わん。どうせすぐそこだ。バリー、行くぞ」


マティアスが案内に立ちあがろうとすると、それを片手で制し、改めてバリーを連れてリカルドは部屋を出て行った。


その姿を見送ると、マティアスはフゥ~と長い息を吐きながら背もたれに勢いよく体を預けて深く座り直す。


緊張感から解き放たれた彼の顔には疲労がありありと浮かんで見え、横目に見ていたキサギが苦笑いを浮かべる。


「……笑い事ではないんだぞ」


苦々しい面持ちでマティアスがキサギへと言い放つ。


「はいはい。ごめんなさい。ですが本来侵してはならない領域を越えて来たのは、あちらが先です。やり過ぎたとは全く思ってませんので、悪しからず」


謝罪の言葉は口にするものの、キサギの様子はまるで反省の色など一切なく、リカルド達の行いを容赦なく切り捨てた。


「……まぁそうだが……王族に対して何かしら思う所があるのはわかるが……もう少し自重してくれ。心臓が持たん」


「ふふふ。マティアスさんの寿命が縮まってしまうのは困りますね。その前に胃が壊れちゃいそう。とりあえず善処します」


「……それ、改善する気ないだろう」


「いえいえ、滅相もない。ふふふ」


コロコロと笑うキサギに、最早諦めた様な面持ちでマティアスが一つ重い溜息を吐き出す。


「ところで本当に大丈夫なのか?ザガンの討伐の件は」


「仕事なのですから問題などありませんよ。ただ先程も申し上げましたが、ベリアルの時と同様、影の可能性は捨てきれません。確約は難しいです」


「それもあるが、エルバン平原に誰か冒険者をフォロー役で用意しなくて良いのか?リカルド殿下のお力添えを借りて騎士団に頼んでもよかろうに」


「……あぁ、それですか……先程も言いましたが、必要ありません。それに関してはこちらにも考えがありますから」


少し言い澱むキサギに、マティアスは怪訝な表情を浮かべ片眉をピクリと上げる。


「考え?」


「ふふふ、内緒です。ただご安心を。見届け人2人に被害が及ぶ事は決してありません。貴方が選んだS級冒険者を信じてお任せ下さい」


「……わかった。くれぐれも頼むぞ」


「ご期待を裏切らない相応しい仕事をしてみせます」


そんなやり取りの中、暫くしてリカルドがバリーを伴って執務室へと戻って来た。


「で、いつ実行するのだ?」


「今からですけど?」


「今?」


「はい。善は急げ、です」


キサギがおもむろに右手をスッと掲げる。


そこへ突然リカルド、バリーを包む様に幾つもの小さな魔法陣が展開される。


「神隠-カミカクシ-」


キサギの美しい声音が響くと、魔法陣から淡く光が放たれ2人の中へと溶けて消えて行く。


途端にマティアスが驚愕で口をハクハクとさせながら、更に何度も手で目を擦り忙しなくキョロキョロと辺りを見回す。


リカルドとバリーが彼の様子を訝しむ。


それもそのはずで、先程まで目の前にいたリカルドとバリーの姿が忽然と消えたのだ。


姿形が見えないだけでなく、気配すら感じない。


まるでそこには元々マティアスと神楽旅団しか居なかったかのように。


「認識阻害を上乗せした幻術と結界を重ね掛けした魔法ですよ。ちゃんと存在してますし、この件が片付けばきちんと魔法は解除しますからご安心下さい」


優しい声音でキサギが宥めるものの、マティアスはまだ信じられないといった様相だ。


「因みに申し上げておきますが、マティアスさんには制約魔法は掛けませんので、これから起こる事はくれぐれも内密にお願いしますね」


唇に人差し指を当てながら、キサギがあどけない少女のように笑みを浮かべる。


その言葉にマティアスは目を丸くし小さく息を呑んだ。


姿をその場から消しているものの、キサギ達旅団にはしっかり認識されているリカルドは、まるで苦虫を噛み潰したかのような表情だ。


バリーはというと、主人であるリカルドの子供っぽい態度に苦笑いを浮かべている。


それを視界に捉えるも、キサギは敢えて知らんぷりをしマティアスへ柔らかく微笑む。


「確かに私は旅団の者達以外、信用はしていないと言いました。ですが、マティアスさんは簡単に口外するような御仁ではない。例え王族に脅されても決して仲間を売る様な真似はしない。短い期間とは言え、貴方は信頼出来る方だと思っています」


「……その様な事、わからんではないか」


リカルドが憮然とした面持ちで、まるでいじけたようにボソリと呟く。


それをしっかりと耳で捉えたキサギが、呆れた様に肩をすくめながらリカルドへと向き直った。


「別に、裏切られたならそれまで。私の見る目が無かっただけの事です。少なくとも、王侯貴族である貴方がたよりは信頼出来ると、私が勝手にマティアスさんの人柄を買っているだけです」


「まるで俺には信頼が無いみたいな言い方だな……」


「皆無です。いい大人が子供ですか?どうしてこうなっているか分かっているくせに、いじけないで下さい。ホント、面倒臭い」


大人の癖にいじけるリカルドと、少女でありながら悠然と対応をするキサギのやり取りの横で、バリーはやれやれと肩をすくめ、マティアスは何とも申し訳なさそうに口をハクハクとしながらたじろぐ。


「……いや、信頼は嬉しいが……その、王族に対してだな、物言いをだな……」


「はいはい。申し訳ごさいませーん。気をつけまーす。ふふふ」


反省の色など全く見えないものの、本来の歳相応に悪戯気に可愛いらしく笑うキサギに、マティアスは仕方ないなといったように小さく息を一つ吐き、肩をすくめながら苦笑う。


「……フッ。頼んだぞ」


「はーい!」


すると突然キサギが魔法を展開する。


てっきり別部屋にある転移ポータルに移動するのかと思っていたマティアスは、いきなりの魔法陣の出現にギョッと慌てる。


「ふふふ!驚いてる、驚いてる!でも内緒にして下さいね!それじゃ、行って来まーす!」


マティアスの驚く様に、キサギがニシシと意地悪い笑みをこぼす。


そして底抜けに明るい笑顔を彼へと向けて大きく手を振ると、フォンッと空間を歪ませる音を立てて、旅団達と共にその場から姿を掻き消した。


彼には見えないが、リカルドやバリーも共に行ったのだろう。


執務室にはマティアス1人が取り残され、静けさが包む。


先程まで居たキサギ達の姿が突然目の前から掻き消えた事に、未だ何が起こったのか現実に戻って来れない彼はただただ呆然と立ち尽くしていた。


膝の力が抜け、ボフンと音を立てながら椅子に体を預ける形で勢いよく腰掛ける。


「……ば、馬鹿な……転移魔法、だと?」


はくはくと口を動かした後、漸く漏れ出た声は酷く狼狽して掠れていた。


当然である。


本来、転移魔法は上位魔術師数人で魔力を流し込みポータルを起動させるものだ。


決して個人で使える様な、お手軽で簡単な魔法などではない。


この世界で転移魔法を個人で使えるのは、間違いなくキサギだけだろう。


或いは見せていないだけで、旅団全員が使えるのかもしれない。


それに加えて認識阻害や幻術、結界魔法。


目の前で繰り広げられた高難易度の魔法の数々を、果たしてこの世界でどれ程の魔術師がポンポンと簡単に使えるのだろうか。


キサギが規格外であるのは理解していたが、所詮はつもりだった。


マティアスはその事実に思わずゴクリと息を呑む。


『これから起こる事はくれぐれも内密にお願いしますね』


「……当たり前だ……こんな事が知れ渡れば例えS級冒険者とは言え、まだうら若い彼女の背に、世界全ての厄介事がひっきりなしに降り掛かるではないか」


先程のリカルドとの会話とその事実を想像し、胸を痛めたマティアスが片手で顔を覆い、思わず天井を仰ぐ。


その表情は苦悶に歪んでいた。


『マティアスさんは簡単に口外するような御仁ではない。例え王族に脅されても、仲間を売る様な真似は決してしない。短い期間とは言え、貴方は信頼出来る方だと思っています。私が勝手にマティアスさんの人柄を買っているだけです』


「……なんとも凄まじい殺し文句じゃあないか……」


キサギの微笑みが脳裏に過ぎる。


苦悶に歪む顔から、困った様に笑みを浮かべた表情に変え、天井を仰いだままに掠れた声をこぼす。


『ふふふ!驚いてる、驚いてる!でも内緒にして下さいね!それじゃ、行って来まーす!』


「……全く……大人を揶揄いおって……」


マティアスの知るキサギは15歳にしては大人びた美しい少女で、神秘的な微笑みは誰もが魅了される程のものだ。


常に優美で悠然と佇み、時には豪胆さを見せる差異に、マティアスを始めとした周囲はいつも驚かされている。


だが、S級冒険者としての絶対的信頼感と安心感は本物だ。


そんな彼女が珍しく歳相応に悪戯な笑みを浮かべ、満面の笑顔でこちらに手を振り「行ってきます」と言って出発した。


マティアスは突然クククッと笑い声をあげる。


いつも厳めしい表情を崩さない彼が、珍しく小さいながらも声を上げて笑っている。


「あぁ……今、グエンの気持ちが少しだけ分かったような気がするな……誰よりも強者であるにも関わらず、危うくて放っておけない……成る程。傾城傾国とは言い得て妙だ」


誰もいない執務室にマティアスのテノールの声が静かに響き渡った。

















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