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第1章
22.王族の風格
しおりを挟むシュリの体でルシアンがすっぽり隠れてしまい、メンバーからは彼の背中しか見えず、ルシアンの様子を窺い知る事も出来ない。
当の本人は、目の前に聳え立つ立派な体躯の赤髪の男を、青ざめ怯えた顔で見上げている。
「お前の目には何が映ってる?」
彼の低音の声が、ただ端的にその口から言葉を吐き出す。
「……え?」
ルシアンは意味がわからず、思わず聞き返していた。
側に控えるナギは目の前のシュリに気圧されて何も出来ず怯んだまま、そしてグリードもまたただ立ち尽くしているだけだった。
暴走を止めるべき従者でありながら、本来守るべき王族を前にしながら、ナギはその役目を全う出来ていない。
グリードは世間知らずの伯爵令息というだけで、王族を守るべき貴族の気概まではないのだろう。
マリアに至っては、シュリに気圧されルシアンの腕から離れると、遂には彼の背中に隠れる始末で、彼の背後から顔だけ覗かせ、一貫してずっと涙目でプルプル震えているだけだ。
それを視界に捉えるキサギは、今度は「あぁ…こりゃ駄目だな…」と諦めの溜息を吐く。
天狼やカイル達は、静かに成り行きを見届けている。
「……答えろ。二度はない。お前の目には何が映ってる?」
ルシアンの前に立つシュリの表情は“無“。
気圧された彼がゴクリと唾を飲み込み喉を鳴らし、ゆっくり口を開く。
「……私はっ!先程の戦いを見た!」
勢いよく声を出した事で一瞬掠れ気味の言葉だったものの、そのまま己の胸の内の思いを勢いのままに吐き出していく。
「君達が迅速に判断し、行動し、そして圧倒的な強さで皆を守った!……君のパーティのリーダーは、可憐で歳が私とそう変わらないのに……私はなんとも非力で……私は己の器を知る事もなく!過信していた!……だから!同行して、己を磨く為にも!私は……!」
「ここに来てまで、テメェは“自分の事“なんだな」
「……はへぇ?」
頑張って声を張って吐露したにも関わらず、あっさりとバッサリ切り捨てられ、ルシアンからは声にもならない声が漏れ出る。
「俺はお前の目には何が映ってる?と聞いた……なぁ、テメェの目の前にいるのは、テメェの国の"民"じゃねぇのか?」
ナギはハッとした表情になり息を呑むが、言われた本人であるルシアンは、ただただ己の意見を否定された事に呆然と佇むだけだ。
「ここの街の奴らも、冒険者達も、ここに居るランカーの奴らも、皆ことごとくテメェの国の民だ。その民がテメェらの迷惑事を呑み込み、魔獣の恐怖に怯え、互いに助け合い、身を削って命を懸けて戦ったのに、テメェは王族でありながら、民に対して何も口にすることもなく、テメェの事ばっかり口にして、テメェの都合ばっかり押し付けやがる」
シュリはルシアンをしっかり見据えたまま一息で言い放つ。
ルシアンから見える彼の表情は、自分を想って苦言を呈してくれているなどの甘いものではなかった。
何の感情もない、持つわけもない、まさに無だ。
「そんな自覚のない奴がついて来たところで、得るものなんぞない。ただ俺達の時間と労力の無駄なだけだ。……御前、もういいだろ?」
静かに振り返るシュリが、己の主を真っ直ぐ見据える。
彼の真剣な面持ちを、キサギはしっかりと受け止める。
シュリの後ろでは、ルシアンが項垂れ唇を噛み締めながら悔しさで体を震えさせていた。
フゥッと1つ溜息を吐いて、彼女は苦笑いを浮かべる。
「そうね。時間切れ。ここまでね」
困ったように笑うキサギに、シュリもフッと軽く笑う。
そして唐突に口を開く。
「そういうわけだ。テメェらの生み出したゴミを回収して、とっとと帰れ」
閉まっている扉に向かって、彼は声をあげる。
部屋の皆が何事かと扉を凝視すると、少し間を置いてから静かにゆっくり扉が開く。
そこから白銀色の重鎧に、見事な金糸の刺繍が施された深い紫色のマントを纏う精悍な顔立ちの1人の男性が、ゆっくり入って来た。
その首元には、世界でも珍しい深紫の魔宝石のついたネックレスが首からさげられている。
深紫は別名「至極色」とも呼ばれる。
それは分かりやすく言えば禁色と呼ばれる、王族のみが持つ事を許される、高貴な色。
その男性を知るルシアン、ナギ、そしてグエンが思わず息を呑み、目を見張る。
「気配は消したはずなんだがな。そこの4人には盛大にバレてしまっていたな」
彼はバリトンの低い声でククッと喉を震わせ笑いながら、キサギ達のほうを見やる。
若干バツが悪そうにキサギが苦笑いをこぼし、他の3人は知らん顔だ。
「リカルド殿下!?」
「あ、兄上?!」
グエンは思わず勢い良く椅子を倒しながら立ち上がり、ルシアンは驚愕で顔を歪めながら、2人は声を被せて張り上げていた。
ルシアンと同じ金髪と碧眼でありながら、彼より7つも歳上の24歳の彼は、非常に精悍な顔立ちで目元は鋭いながらも大人の余裕の笑みを浮かべている。
彼はこのイギリー王国の第2王子で、尚且つその若さで王国騎士団の各師団を纏め上げる手腕を誇る、若き総団長のリカルドだった。
彼が部屋に入って来た途端にナギは跪き、グリードはようやく彼が王家の人間だと理解し、今更ながらに慌てて跪いている。
男爵令嬢であるマリアは、いつもの感じでルシアンの背後からプルプル震えているだけで、それが通じると信じて疑わないところに、貴族でありながらマナーもない事が丸見えだ。
「久しいな、グエン。随分と愚弟らが世話をかけた」
「い、いえ……まさか御身自ら足をお運びになるとは……」
「お前が王家に連絡しろと言ったんだろうが。喜べ、俺が来てやったぞ?」
「い、いや……ハハハ……」
そんなやり取りから見るに、グエンよりも歳下であるはずなのに、何故かリカルドの方が大人に見える。
これぞ王族、これぞ風格、といった感じが彼の全身から溢れている。
「ちょうど魔獣騒ぎの終盤にこちらに到着してな。お前達の勇姿に惚れ惚れしたぞ。ご苦労だったな」
その労いの言葉に、グエンをはじめとした天狼、カイル・テリー兄弟は自然と頭を下げた。
リカルドの視線がまたキサギへと向けられる。
「君には1番世話になったようだ。愚弟の件も、先の魔獣襲撃の件も。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」
「……いえ。どういたしまして」
「……ククッ。それにしても、さっきはやられた。君達は凄いな。俺が部屋の前に立った途端に、愚弟ではあるが王族に盛大な罵倒が始まったからな。しかもぐうの音も出ん、直球の正論だった。いや、見事だった」
「…はぁ、まぁ、いえ。どういたしまして」
これはやり取りと言っていいものかわからない言葉の交わし合いに、キサギは王族たる彼へ頭を下げる事もなく、ただ素っ気なく同じ返答しか返していない。
何やらリカルドの目線はしっかりとキサギを捉えて離さない為、彼女はその居心地の悪さに段々と辟易してくる。
「……それにしても、その若さでS級とは。しかも昇格したばかりだそうだな?マティアスからも武勇伝は聞いているぞ。是非とも今回の詫びも含めて一度王城へ招いて、直々に手合わせを願いたいものだ」
「ご厚意のおつもりでしょうが、迷惑でしかないのでお断りします」
先程まで素っ気ない返事をしていた彼女が、今回だけは真面目な顔をしてスパンッとぶった斬った。
あまりの勢いと不敬に、天狼、カイル、テリーは息を呑み目を見開く。
当のリカルドは一瞬キョトンとしてから、間を置いて部屋に響き渡る程の大笑いをし始めた。
「キサギちゃん……」
なんとも言えない顔で、グエンが苦笑いしている。
「いやぁ、すまんすまん!そうか、迷惑か!……だろうなぁ……君は先程から一貫してこちらに距離を置いている。関わる事にすら嫌悪しているのがよくわかる」
笑いをなんとか抑え、彼が鋭いはずの目と眉を下げ、なんとも申し訳なさそうな顔をする。
「少しでも君らの信用を得られるよう努めよう。いずれ騎士団と協力する時があった時には、よろしく頼む」
「……冒険者が騎士団と連携を取る時は、スタンピードしかありません。そんな時が今後も来ることがない事を願うばかりです」
「……あぁ。その通りだな」
少し残念そうなリカルドに対してキサギは至って顔色ひとつ変える事もなく、言葉を交わす。
彼はフッと軽く笑い、一息おいて表情をいつもの鋭利な目元へと戻し、その顔をルシアンへと向けた。
「帰るぞ」
そう一言端的に述べると、すぐさま彼は実弟に背を向け、外へと歩き出した。
「あ、兄上!……わ、私は……っ!」
「いい加減にしろ」
「…っ!?」
背は向けたまま、射抜くような目線だけをギロリとやり、抑揚のないバリトンの声が部屋に響く。
自分達に向けられたわけではないと知りながらも、天狼やカイル・テリー兄弟は、リカルドから向けられる目線だけの迫力に思わず肩をビクリと震わせる。
魔力を放ったわけではないのに、ピリピリとした肌を刺すような感覚に襲われる。
(……これが王族の風格、か……魔圧と言われてもおかしくないほどね)
キサギは蛇に睨まれた蛙のように縮こまるルシアンへと、思わず憐憫の眼差しを送る。
「先程言われた事を微塵も理解出来ん奴が、何をほざく。彼女が与えてくれた時間を無駄にしたのは他でもない、お前自身だ。これ以上手間をかけさせるな」
格が違いすぎた。
同じ血の通った兄弟でありながら、あまりにも、歴然たる違いがそこにはあった。
もう何も言うこともないといった様相で、リカルドはそのまま前を見据えて部屋を出て行った。
変わって重鎧姿の男性騎士2人・女性騎士1人が中へと入り、半ば強制的に3人を部屋から連れていった。
ナギは彼らにペコリを頭を下げてから、彼らを追うように部屋を後にした。
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