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第十五話 急な展開

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「ーーーくん」

「ーーーいくん!」


ん?誰か俺の名前呼んでる…?
でも、まだ眠いな…あともう少しだけ……あともう少しーーー


「葵くんってば!!!」

「はっ…あっ!ごめん小牧さんっ!えっと、なんの話だっけ?」

葵が目を覚ますと、目の前には心配そうな顔をこちらに向け、問題集をこちらに差し出している小牧がいた。

「大丈夫?ここの所寝不足なの?」

「あ、ちょ、ちょっとね…」

6月も半ば、テストの勉強をするために葵は小牧と放課後の図書室でまた勉強会をやっていたところだった。
葵は大きな欠伸をして、体を縦に伸ばした。

「ごめん」

「いいよ。それで、ここの問題合ってる?」

「えーっと……うん、合ってるよ。」

「良かったぁ!終わりー!」

小牧は嬉しそうにバンザイすると、早速筆記用具をしまう。

「今日も付き合ってくれてありがとうね」

「いえいえ。」

(なんか頭が重いなぁ)

「それでさ!葵くん!」

「うん?」

「今日…私、ちょっと話したいことがあるから、回り道して帰らない?」

「あ、いいよ…?」

(ちょっと調子悪いけど…まあそんな遅くならなければいっか。)

葵はあれからまた、同じ夢を何回も見るようになった。
きっと時期的なものでもあるのだろうと葵は思った。
だってここ最近は、楽しいことばかりがあった。
確かに学校では一人になったりすることが多いけれど、小牧とは2日に1回勉強会を開いたり、その時に帰ったりしているし、明ともまたすれ違いざまに挨拶だけはするようになった。
その他のクラスメイトとは特に何も無いけれど、実行委員になったということもあって、存在が知られたのか挨拶をしてくれる人は多くなった気がした。
そんな中、また見始めてしまったあの夢。
でも、夜中に呻き声で起きたりしても優一には今のところバレたりしてないようだった。

葵は小牧とともに広い校庭を歩いて校門に向かう。
すっかり梅雨明けたけれど、まだ気圧の低いどんよりとした雨上がりのような空気が漂っている。

「だんだん夏に近付いてきてるねー」

「そうだね。まだどんよりしてる感じあるけど。」

「うんうん、ていうか雨ってだるいよね。」

「傘が荷物になるしね」

「だよねー。ていうか、葵くん部活、最近どう?」

「え、あー…至って変わらないよ。というか、天文部基本やることないからさ。」

(相変わらずあの慧也先輩とは話せないし、あの3人組も僕をいいように話し相手にしているし…。)

「やっぱそーなんだー。演劇部の先輩も言ってた。暇そうって。イベントも無いの?」

「あ、イベントはあるよ。七月終わりに寝泊まりで天体観測するんだ。」

「え!そうなの?!それは面白そー!」

「まだ場所とか全然わからないけどね。幽霊部員も多いし、どうなるのかわからない。」

「そーなんだ!そのイベント詳しく決まったら私にも教えて!」

「あ、うん。」

(なんでだろ?)

「ていうか、本当に天気悪いー」

「えっ、あそうだね。」

(話がコロコロ変わるなぁ…まあ沢山話してくれるから有難いけど…)

「そうだね。また雲が出てきた。」

「今日の夜雨降るみたいだしね?」

「え…そうなの?」

「そう、21時ぐらいから、夜中まで。だっけなぁ」

「あ…」

その時間は丁度優一が仕事から帰ってくる時間だ。
今は降ってないけど…

(優一さん、午後から仕事だけどちゃんと傘もってたかな。あの人この前も雨でずぶ濡れで夜中に帰ってきたとか言ってきたし…)

朝、天気予報も見れないほど時間のないだらしない優一のことを葵は心配して、スマホを覗く。
でも連絡は今のところなし。問題は無いようだ。
葵がスマホを待ち受けに戻すーーーそんな少しの沈黙の後、ふと葵がスマホから目線を外すと、改まった様子で小牧が話し出した。

「ーーーそれでね、葵くん。私前にさ、6月らへんに芸能事務所のオーディション受けるっていってたでしょ?」

葵は急いでスマホをしまう。

「あ、うん。」

「実はね、一週間後に連絡が来て、合格したんだっ」

「えっ!そうなの!凄いじゃん…」

「うん!!えへへー。まだモデルとか色々やるつもりだけど、元々読モもやってたし、意外に簡単だった!」

「まあ確かに可愛いし」

「え?」

「え?」

(あ、おれ何言ってんだろ。普通に考えて女の子に可愛いとか言ったら…)

「あ?ごめん。変な意味じゃないよ。…ただ普通に、思っただけで…」

小牧は少し驚いた表情をした後、思いきり笑いだした。

「あはは!!!」

「えっ…」

葵が戸惑いの表情を見せると、小牧は「嬉しい」と呟いた。

「葵くんにそう言われると、嬉しい」

「あっ……うん。よかった」

「葵くんって本当に優しいし、素直?っていうか。そういうとこ、本当に尊敬する!」

「そ、そんな褒めないでよ…」

(誰かさんみたいに変な褒め方じゃないからまだいいけど…)

「それでさ!話の続きになるんだけどーーー私、やっと入りたい事務所にも入ることが出来たの!!」

「そうなんだっ…!」

「ねえねえ、問題!どこだと思う?」

「えっ…ど、どこだろう?」

(俳優とか女優とかは分かるけど、芸能事務所の名前とかはあまり知らないんだよなぁ…)

「難しいかな?んふふー」

小牧は微笑んで、謎に一呼吸置いてから口を開いた。

「ケイステージ大手の芸能事務所だよ」

「ケイステージ?…って…あれ」

(どこかで聞いたことある……けど…なんでだろ。)

葵は首を捻る。すると、小牧が驚いた様子で訊ねてきた。

「え、葵くん、知らないの?」

「えっ、あ、うん…ごめん。でも有名なとこ…?なんだよね?」

葵が答えると、小牧は急に真顔になる。
葵はその顔に少しゾッとしながら、美人な子が真顔になると怖いってこういうことか、なんて思った。

「あー知らないんだ。そうだよ。凄く有名だよ!」

「あ、そうなんだ。ごめん知らなくて…。でも、凄いね」

審査とか厳しかったんじゃないだろうか。
でもこれくらい可愛いならなんなくいけるのだろう。
テレビに出ていてもおかしくないくらい可愛いのだし。

葵が焦って答えると、小牧はまたいつもの笑みに戻る。
よかった、気分を損ねてしまったのかと思ったがどうやら違ったようだ。

「えへへー!ありがとう!!でもこれは内緒だよ?二人だけの」

「う、うん。誰にも言わないよ」

(そもそも、そういうこと話せるほどの友達もいないしな…)


その時だった。

ピリピリピリ…ピリピリピリ…

スマホが鳴った。

「あ、ごめん。ちょっと電話」

「あ、いいよー。出て」

「うん。」

葵がスマホを開くと、そこには優一さんの文字があった。

(えっ…い、今友達いるのになんでだよ!…って、でも声だけで流石にわからないか…)

葵は緑のボタンを押して、スマホを耳に強く当てた。

「も、もしもし!」

【葵くん今帰り?傘もってる?】

「あ、そうです。持ってますよ。…どうしました?」

【実は、今朝寝ぼけていたのか傘を玄関の前で開いたんだ。そしたら硬い玄関ドアだったから折れちゃって…】

「はぁ!?」

早速突拍子もない言葉に葵は、小牧がいるにもかかわらず大きな声を出してしまった。

「あ、葵くん…大丈夫…?」

小牧が少し後ろから心配そうに訪ねる。

「ご、ごめんなんでもない…」

(ほんとこの人って何やってんだろっ)

思わず頭のだるさも忘れてしまう。

葵は小声を強く発したような声でスマホのマイクに向かって話す。

「今どこにいるんです…?」

【匠南の最寄り駅の改札。】

「あー、あと十分くらいで着くと思うので待ってて貰えますか?あの実は…友達もいるんですよ…」

【あ、そうなんだ。】

(そうなんだって…マスクとサングラスしてもスタイルよすぎて芸能人オーラダダ漏れなのに大丈夫なのかよっ)

「だ、大丈夫なんですか?友達にも見られることになりますよ?」

【お友達にはなんて説明してるの?】

「し、シェアハウスしてる知り合いのお兄ちゃん…」

(あれなんか…本人に言うの恥ずかしい)

【あ、そう。じゃあ大丈夫。待ってる。】

「はいっ…」

通話を切ると、葵は思わず深いため息をついた。
本当にタイミング悪いし、寝ぼけて傘折るってどういうことだ、と葵は呆れた。

「小牧さん、ごめんね。大丈夫?」

振り返ると小牧は、満面の笑顔で「うんっ」と返事をした。

「あ、あのさ、回り道して帰ろうって言ってたけどちょっと難しそう…」

「あ、そうなの?相手はーーーシェアハウスのお兄さん?」

「あ、うん。」

「なんて?」

「どうやら傘を壊したみたいで…俺の傘を貸してくれって。今、駅のとこにいるらしいから。」

「そうなんだ!」

「ごめんね!傘渡すだけだからそんな時間はかからないし…」

「大丈夫!!回り道っていうのも、芸能事務所のこと話したかっただけだから」

「あ、良かった。」

葵達は駅に真っ直ぐ向かった。
そして駅の中に着くと、改札の前にはまた何やらざわざわした空気が流れていた。
葵は嫌な予感を感じながら改札の端の方へ向かう。

「お兄さんってどんな人なの?」

「ふ、普通の人だよ」

「へぇー」

「あ、いた。」

葵が人混みから改札の端に目を凝らすと、そこには背の高く、スーツ姿をビシッと決めたにいることがおかしく見えるほどに芸能人オーラを放つマスクとサングラスの人物が腕を組んで壁に寄りかかっていた。
優一の方も葵に気づいたようだった。

「もう!本当に寝ぼけてる時やらかしますね!使う前に傘折るとかどういう神経してるんですか…」

葵は向かい気味に傘を差し出す。

「ごめんね。でも訂正。寝ぼけてるから、やらかしたんだよ」

「そういう言い訳はいいです!!」

「あはは。ーーーそういえは、その子が、友達?」

「あっ!」

葵が振り返ると、後から着いてきた小牧は驚いたような、けれど半面笑みを浮かべた面持ちでぺこりと優一にお辞儀をした。

(あぶない、小牧さんもいるんだ。いつもの感じで名前を呼ぶとこだった…)

「はじめまして。葵くんの友達の古井小牧です。いつも勉強教えてもらったりしてます。」

「小牧ちゃんか、そうなんだ。葵くんと仲良くしてくれてありがとうね。」

(おい!保護者みたいな言い方するな!)

ーーーとは言えないが、葵はふと小牧の優一を見つめる瞳がいつも以上にキラキラしていることに気づいた。声も弾んでる。
まあ確かに、こんな雰囲気芸能人オーラの人が友達が一緒に暮らしているお兄さんとかだったら、そりゃあ…

「いえいえ!!本当に有難いです!葵くんめっちゃいい子ですよねぇ」

「うん。葵はいい子だよ」

「ひっ」

(え、よ、呼び捨て!?ていうかなんでこんな褒めあってんの!?怖いんですけど!)

「ですよねー。…ていうか、お兄さんかっこいい。スタイルいいー!顔もちっちゃそう」

「そう?ありがとう」

優一はいつものように冷静に対応する。

(言われ慣れてる人はいいよなほんと…)

「はいっ…」

「ーーーてことで、葵。僕は仕事に行ってくるから気をつけて帰ってね。」


丁度会話が途切れたところで優一が改札の方に体を向けた。

葵が「行ってらっしゃい!」と答えると、小牧も「頑張ってくださいー!」と見送った。
なんだか小牧は人見知りとかがないんだな、と葵は思った。

優一が見えなくなったあとで、立ち止まっていた小牧が口を開く。

「お兄さんかっこいいね」

「あ、うん。」

「でも傘折ったってほんと?」

「うん、あの人何かしらやらかすんだよ」

「へぇー。でも楽しそうだね」

(楽しいか…?家賃はキスでとか言ってくる変態ホモだぞ!)

「そんなことないよーーー?」

葵が否定しながら小牧の方を見ると、小牧は言葉とは裏腹に険しい、何かを考え込むような表情をしていた。

「え?」

「えっ…?あ、ごめん!私一人っ子だから羨ましいなぁって」

「あ、あー…まあ俺も一人っ子だから…。確かにお兄さんが出来たみたいで嬉しいよ。でも大きい子供みたいな感じで世話してるの基本俺だけど」

「へぇー…」

(ん?俺なんか余計なこと言ったかな…?)

なんだか小牧の様子がおかしい。ーーーけれどそれは言い出せなかった。

ーーー俺の勘違いだったら嫌だし。

「ま、まあ、かえろうか。」

「そうだね。ーーーねぇ葵くん。」

「ん?」

「葵くんの一緒にシェアハウスしてる人ってさ」

「う、うん?」

ドキン…その瞬間葵の胸に嫌な予感が過る。

ーーーもしかして、バレたーーー?



「なんの仕事してるの?」

「えっ!?あ、あー!!えっと」

ば、バレてなかった!でも職業…職業どうしよう!

なんて言おう!?

(あ…!!!)

「しょ、小説家!!!」

葵は突如として浮かんだ、あのドロドロしいBL小説で上手い答え方を思いついた。
そうだ、これがあるじゃないか。

「小説家なの?あんなにかっこよくて小説家って凄いね。」

「う、うん!でしょ!いつも家でパソコンに向かって黙々と書いてるんだよね…」

葵の言葉に小牧は、訝しげな様子を見せた。


「へぇー。あの人って小説も書いてるんだ」

「え?」

(小説…?)

「えっ、あ、なんでもない。凄いなぁー。」

「う、うん」

(ていうかなんか、これ以上探られたらやばそう…早く帰らなきゃ…)

「と、とりあえず帰らない?」

「葵くん!」

「うん?」

「私たちって、凄く仲良くなったよね」

(仲良くなった…ってまあ、毎日のように話したり一緒に帰ったり、勉強教えたりしてるし…仲良くなってる、よな?)

「う、うん」

「じゃあ葵くんも、私に秘密事とか教えてよ!」

「え?あ、秘密事?」

「うん!誰にも言えないこととか、ほら、私も女優になる夢教えたし、事務所も教えたでしょ?だから葵くんも。」

「お、俺は特にないかな…」

(なんか小牧さん、様子が…。)

「あるじゃん。今のこと。」

「え?」

「なんで普通の学生の葵くんがーーー



「ケイステージ大手事務所の黒瀬優一さんと暮らしてるの?」



ーーーえ?ーーー


その瞬間顔から大量の冷や汗が流れるのを感じた。
ゾクゾクと、全身の毛がよだつような気がした。

「えっ、く、黒瀬優一さんて、え?」

え、今、なんて?

ていうかなんで?

どうして?

え?

(うそ、バレた?)

ドクンと心臓がはねあがる。

そういえばお台場で見かけた時も黒瀬優一のことをずっと見ていた。でも、どうして?
どうして黒瀬優一だとわかった?
マスクもサングラスもしてるのに、どうして?

でもこれは、これはバレちゃだめだよなーーー?

みんなはあの人が男を好きだってこと知らない。でも、一緒に暮らしてるなんてことが広まったら、そのうち調べ出す人が出てきてーーー

しかも俺、小説家なんて余計なこと…さっきのはますますやばかったんじゃないか。

どうしよう?

どうすればいい?

俺のせいで、優一さんがーーー


葵が焦り言葉に詰まっていると、小牧が冷静に、そっとつぶやくように言った。

「大丈夫。私別に誰にも言わないよ?ふたりの秘密って言ったでしょ?友だちなんだからそれくらい守るの当たり前だよ?」

「えっ…あっ…う」

葵には本当の友達がいなかったから、わからない。
こんなふうに、誰にも言わないと言われたら、信じてもいいのか?
でもこんな俺とそばにいてくれたし、話しかけてくれたし、それならーーー大丈夫なのかな。
信じてもいいかな。
俺と仲良くなりたいって、それに俺の事めっちゃ褒めてくれるしーーー

もし、小牧さんがこれで居なくなったら?

小牧さんは俺から離れる?

もう黒瀬優一だって答えるしかないんだから

仕方ないよな…?

「ていうか黒瀬優一さんで、間違いないよね?」


「そっ……そうだよ」

葵が戸惑いつつ答えると、小牧はふふっと笑った。

「信じてくれてありがとう。それで、なんで一緒に暮らしてるの?」

「え、あ……えっと、俺の事面倒見てくれてた親戚のおばさんの知り合い関係で…」

「へぇーそうなんだあ」

「うん…」

「そっか!ありがとう!葵くんってやっぱいい子っ」

「え?」

「ん?まあ!今日は帰ろ!」

小牧はテンションが上がったような弾んだ声で反対側の改札の方に向かう。

「あ、うん…そうだね。」

葵はもうバレたことだし、仕方ない。それに小牧さんはばらさないって言ってくれたんだ、と納得することにして家に帰ることにした。

でもーーー胸の中には疑問が残っていた。

(なんで…)

なんであのマスクとサングラス姿でぴったりと、黒瀬優一さんだってわかったのかってことだ。
存在を知ってたら声だって黒瀬優一さんにしか聞こえない。でも、まさか普通のクラスメイトのシェアハウスしてる人物が全国的に知られている国民的な俳優だなんて思いもしないだろう。
いやーーーでも、大ファンとかだったらどうだろう?
女優を夢見ていて、しかも同じ事務所に入るほどなんだから先輩になる黒瀬優一さんのことは声も見た目とかもよく見てきたのかもしれない。
それならわかる。
でもまさかバレるなんて。

葵はため息をついた。

(優一さんになんて説明しよう?あの人のことだから、まあバレてもいいよ、とか言いそうだけど。それでいいんだろうか。)

そもそもなんで俺はこんなドキドキしてるんだ。
いつかバレるとはどこかでわかっていたじゃないか。

俺が女だったらそりゃまずいってなるさ。
スキャンダルも何も無い俳優の王子様が学生の女の子と暮らしてるたなんて知られたら、それこそ終わりだ。
でも、俺は男だしーーーまああの人はホモだってことは事務所の人しか知らないんだし。


事務所の人しかーーー


(まあ、事務所の人って、社長とかだよな?まさか、事務所に入った子達に知らせるとかないもんな。)


それにしても面倒なことになったな、と葵は頭を抱えた。


………………………


その夜、葵は優一が帰ってきたらすぐにでもそのことを言おうと思った。
けれど、優一の仕事は夜中まで長引くようだった。
きっと撮影だろう。

(まだかな…)

葵は58階の霧がかった雨空の景色を見ながら、優一の帰りを待つ。
すると玄関ドアが開いた。
そして中から、本日も仕事で疲れた様子の優一が入ってきた。

「優一さんっ…!」

「ただいま。……ん?」

葵は急いで駆け寄る。

「あ、あの!!とにかく座ってください。」

「え、まだ帰ってきたばかりなんだけど」

「いいから!お願いします」

「はいはい」

優一はドサッとソファに腰を下ろす。
仕事着のままで申し訳ないけれど、葵は向かいのソファに座り、その事を話すことにした。

「今日ーーー友達も一緒にいたじゃないですか。」

「あー小牧ちゃんだっけ。」

「う、うん。そ、その子に…俺がシェアハウスしてるのが優一さんだってことがバレたんです」

「あ、そうなの?」

「はい…」

「そっか。」

「…え?」

(なんだその反応!まさかホモ故に俺たち付き合ってるから良くない?とか言い出すんじゃ…)

「めんどくさいな。」

「あっ…」

(ーってそんなことないのに。そうだよな、まずいよな。なのに俺余計なこと…)

「ごめんなさい。」

葵は優一に深く頭を下げた。
芸能界の世界なんて正直わからないけど、優一さんにとってはいい話じゃなかっただろう。

「なんで謝るの?葵くんのせいじゃないでしょ。相手が勝手に気づいただけでしょ。」

「優一さんだよね?って聞かれて、まだわかってなかったもしれないのに、俺、そうだよって答えちゃったんです。ごめんなさい。それに俺、小説のことも…優一さんのことバレたくなくて、あの小説のこと浮かんで、思わず小説家だ、って…言っちゃって。」

まあそれはさすがに怒るよな…。

優一の顔が見れない。見たら、怒ってたら。
どうしようかと思う。

「ごめんなさい。ごめんなさい。…余計なこと言っちゃってごめんなさい。まさかバレると思わなくて。」

声が震えた。

俺のせいで、まさか優一さんに迷惑かけることになるなんて。
キスとかされて変なこと言われて、ホモのせいでこちらが迷惑かけられてるなんて思ってた矢先にーーー
相手は有名人なんだ。

葵が目をぎゅっと瞑って俯く。

すると暫くして、大きな手が頭の上にぽんっと乗った。

「っ……え」

葵は驚いて目を開けた。


「葵くん、ごめんね。ただ上京して居候させてもらって、東京の学校に勉強しに行きたいだけだったのに、その相手が僕だったから色々責任感じて余計なこと悩ませちゃったよね。」

優一は優しい力加減で葵の頭を撫でる。
ああ、そういえば頭を撫でられたのは、小さい頃テストで百点を取って、それをおばさんに見せた時以来だ。

(なんで頭なんか撫でてくれるの…?)

「お、怒らないんですか?」

予期せぬことに、葵は恐る恐る訊ねる。
すると優一はきょとんとした顔を向けた。

「怒るも何も、こんなことで怒るならそもそも人を居候させることなんて受けいれる?それなら浅はかな考えがすぎると思うよ。」

(た、確かに………。)

「それに言っちゃえば僕の方が悪いことしてる。学生の葵くんにキスをしてる時点でね。」

(た、たしかに!!!)


「だから、そんな僕に迷惑かけちゃいけないなんて、思わなくていいよ。葵くんのこと考えられてなくてごめん。」

「は、はい……」


優一は、優しい笑みを浮かべ、まだ暗い顔をしていた葵の頭を撫でる。
それがなんの意味なのかわからなかったが、なんだか優しくて何故かわからないけど涙が出そうになった。

「優一さんて、やさしいのか悪魔なのか…」

「王子様です」

「そんなこと…」

それはテレビの中だけだろ、と言おうとしても今はそういう気にはなれなかった。

(俺、最近どうしちゃったんだろう?またあの夢を見るようになったからかな。ーーー今日一日だるくて頭が重かったし、色々精神的にぐちゃぐちゃだ。)

そう思いながら今日は、優一に少し浅めのキスをされた。

けれど葵が抵抗することは無かった。
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