片翼を君にあげる①

☆リサーナ☆

文字の大きさ
上 下
118 / 172
第6章(4)ツバサside

4-4

しおりを挟む

 ノートヴォルトは返事もせず演奏を始めてしまった。
 背中にチェロの膨らみのある音を受けつつ、努めて冷静に、何事もなかったかのように、静かに扉を開け、外に出るとそっと閉めた。
 数歩だけ冷静を装い続け歩いた後、トイレまで全力疾走した。

 コンサートホールの控室など誰も来ないだろうが、廊下の先にあるトイレの個室に駆け込むと、深呼吸する。

 反則だ。あの顔は反則。どうしよう、だめだ、かっこいい、顔だけはかっこいい。
 落ち着け。6年間気にしたこともなかったじゃない。
 吸って、吐いて、はいゆっくりー
 なんで今になって。
 なんで今更こんなことに!?
 待って、落ち着け、先生のデスクを思い出すんだ。あのだらしなさ。
 ローブだってよれよれだし、いつ洗ってるかわかんないし。
 シャツも不思議なにおいしたし。
 シャツ…先生のシャツを着てしまったんだ。
 ちがうちがうちがう、おちつけーー。

カチャリ。

 個室の鍵を開け、誰もいないとわかっているトイレの様子を隙間から伺う。

 よし、誰もいない。

 無駄に手を洗い、無駄に顔を洗うと、ポケットのハンカチはびしょびしょになってしまった。

「いいのは顔だけ。そう、他はダメ。日常生活が壊滅的すぎる。大丈夫。練習に集中しよう、集中」

 そもそも顔がいいからって急になんなんだ。
 私も頭が緩いな。
 宮廷魔術師にキャーキャー言ってる最前列女子と変わらないじゃない。
 あの女子たち、あの魔術師並に先生が整ってると知ったら……

 廊下を歩いて戻り控室の扉を開けると、教授は演奏の終わり部分を弾いていた。
 邪魔しないようにグラスハープに戻り、びしょびしょのハンカチは鞄の上に広げた。

 練習しよう。

 指先に魔力を巡らし、自分の動揺が流れていないか確認する。
 よし、大丈夫そう。
 乱れた魔力で演奏なんかしたら何言われるか分からない。

 真ん中のグラスの淵に指を置き、すっと撫でると透明な音が鳴った。

 そのまま譜面の初めから弾き始める。
 比較的軽快に始まったのも束の間、メロディは急に不穏になる。
 悲し気な響きが続き、こと切れてしまいそうな高音が続いた後、長い低音が命の灯を消してしまうように余韻を響かせ終わる。

「ラストの高音、全く出来ていない」

「わあぁっいつの間に前に!?」

(目は暗い緑だったんだ)

「…ラストの高音」

「はい、すみません。これ3和音じゃないですか。左手はずっと低音だし、親指がうまく当たらないんです」

「配置を変えるんだ。使う和音ごとに並べておけば出来る」

「そんな簡単に言い切らないで下さいよ」

「出来る。出来ないと思われるからこそやる意味がある」

 そう言うと教授は高音のいくつかのグラスの配置を変えた。
 そしてコールディアの隣に立つと、弾いて見せる。
 グラスが赤く光り、透明な音が重なった。

「これなら指も届く」

「あれ…どうして光り方が違うんですか」

 コールディアがすっとグラスを撫でると、淡く青く光る。
 だが今教授が鳴らした時は赤だった。

「マギアフルイドは保持する魔力量で発色が変わる」

「そうだったんですね。以前見た演奏は私の青に近い色だったんで、皆そういうものかと思ってました」

 それからいつも通りの指導が始まった。
 コールディアもいつしか没頭し、教授の表現を再現しようと夢中になった。

 この無心に譜面にのめり込む時間は好きだった。
 初見で音符を追うだけだった演奏に徐々に色が付き、情景が広がり、物語が膨らむ。
 この楽しいだけではない苦悩する練習の先にある1つの世界を想像すると、興奮にも似たある種のゾーンに入る。その感覚がたまらなかった。

 その世界に到達するために、ノートヴォルトからの厳しい指導が入る。

――違う、丁寧に繋ぐんだ。音を1個ずつブツ切れで並べるんじゃない。

――スタッカートはもっと切って。君のはターアータンタン。欲しいのはターアータッタ。コモンには無理でも魔奏なら出来る。違いを魅せるところだ。

――まだ弱い、もっと強くていい。流す魔力を少しだけ上げて…やりすぎだ、魔律が変わってしまう。

 指摘される度に魔力量、指の動き、グラスへの当て方…それらを調節し応えようとする。
 時間はあっという間に1時間を過ぎ、小休憩を挟んで1度合わせることにした。

 椅子に座って、指を閉じたり開いたりして動かす。
 魔力をずっと纏わせていると熱を持ったような感覚になるので、手をひらひら振って冷ますようにするのが休憩時の癖だった。

 パタパタしながら、チェロを鳴らす教授を眺めそうになり、やっぱり目を逸らした。

「先生、なんで髪を結ったんですか」

「髪? 弦に挟まる」

「…なるほど」

 結局チェロを準備する教授をちらちら眺めつつ、短い休憩を終えるとまたグラスハープの前に立つ。

(いつも猫背なのに、チェロの時は姿勢いいんだ)

 猫背は伸ばしても猫背だろうと思っていたが、思いのほか伸ばした背筋はまっすぐで、チェロを構えた様子は優美と言えた。
 そしてそのまま視線は自然と弦を押さえる左手にいってしまう。

 ピアノの時にもつい見てしまうこの手元が、実は彼女は昔から好きだった。
 男性の手なのにすらっと伸びていて指先が美しい。
 それこそ魔法のように動くあの指先で生み出される音が好きで、その音を生む手も好きなのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

「異端者だ」と追放された三十路男、実は転生最強【魔術師】!〜魔術の廃れた千年後を、美少女教え子とともにやり直す〜

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
ファンタジー
アデル・オルラド、30歳。 彼は、22歳の頃に、前世の記憶を取り戻した。 約1000年前、アデルは『魔術学』の権威ある教授だったのだ。 現代において『魔術』は完全に廃れていた。 『魔術』とは、魔術式や魔術サークルなどを駆使して発動する魔法の一種だ。 血筋が大きく影響する『属性魔法』とは違い、その構造式や紋様を正確に理解していれば、所持魔力がなくとも使うことができる。 そのため1000年前においては、日常生活から戦闘、ものづくりまで広く使われていたのだが…… どういうわけか現代では、学問として指導されることもなくなり、『劣化魔法』『雑用魔法』扱い。 『属性魔法』のみが隆盛を迎えていた。 そんななか、記憶を取り戻したアデルは1000年前の『喪失魔術』を活かして、一度は王立第一魔法学校の教授にまで上り詰める。 しかし、『魔術学』の隆盛を恐れた他の教授の陰謀により、地位を追われ、王都をも追放されてしまったのだ。 「今後、魔術を使えば、お前の知人にも危害が及ぶ」 と脅されて、魔術の使用も禁じられたアデル。 所持魔力は0。 属性魔法をいっさい使えない彼に、なかなか働き口は見つからず、田舎の学校でブラック労働に従事していたが…… 低級ダンジョンに突如として現れた高ランクの魔物・ヒュドラを倒すため、久方ぶりに魔術を使ったところ、人生の歯車が再び動き出した。 かつて研究室生として指導をしていた生徒、リーナ・リナルディが、彼のもとを訪れたのだ。 「ずっと探しておりました、先生」 追放から五年。 成長した彼女は、王立魔法学校の理事にまでなっていた。 そして、彼女は言う。 「先生を連れ戻しに来ました。あなたには再度、王立第一魔法学校の講師になっていただきたいのです」 、と。 こうしてアデルは今度こそ『魔術学』を再興するために、再び魔法学校へと舞い戻る。 次々と成果を上げて成りあがるアデル。 前回彼を追放した『属性魔法』の教授陣は、再びアデルを貶めんと画策するが…… むしろ『魔術学』の有用性と、アデルの実力を世に知らしめることとなるのであった。

称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~

しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」 病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?! 女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。 そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!? そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?! しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。 異世界転生の王道を行く最強無双劇!!! ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!! 小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!

冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました

taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件 『穢らわしい娼婦の子供』 『ロクに魔法も使えない出来損ない』 『皇帝になれない無能皇子』 皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。 だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。 毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき…… 『なんだあの威力の魔法は…?』 『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』 『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』 『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』 そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。

元邪神って本当ですか!? 万能ギルド職員の業務日誌

紫南
ファンタジー
十二才の少年コウヤは、前世では病弱な少年だった。 それは、その更に前の生で邪神として倒されたからだ。 今世、その世界に再転生した彼は、元家族である神々に可愛がられ高い能力を持って人として生活している。 コウヤの現職は冒険者ギルドの職員。 日々仕事を押し付けられ、それらをこなしていくが……? ◆◆◆ 「だって武器がペーパーナイフってなに!? あれは普通切れないよ!? 何切るものかわかってるよね!?」 「紙でしょ? ペーパーって言うし」 「そうだね。正解!」 ◆◆◆ 神としての力は健在。 ちょっと天然でお人好し。 自重知らずの少年が今日も元気にお仕事中! ◆気まぐれ投稿になります。 お暇潰しにどうぞ♪

一般人な僕は、冒険者な親友について行く

ひまり
ファンタジー
気が付くと、そこは異世界だった。 しかも幼馴染にして親友を巻き込んで。 「ごめん春樹、なんか巻き込ん―― 「っっしゃあ――っ!! 異世界テンプレチートきたコレぇぇぇ!!」  ――だのは問題ないんだね。よくわかったとりあえず落ち着いてくれ話し合おう」 「ヒャッホ――っっ!!」 これは、観光したりダンジョンに入ったり何かに暴走したりしながら地味に周りを振り回しつつ、たまに元の世界に帰る方法を探すかもしれない物語である。

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

異世界に来ちゃったよ!?

いがむり
ファンタジー
235番……それが彼女の名前。記憶喪失の17歳で沢山の子どもたちと共にファクトリーと呼ばれるところで楽しく暮らしていた。 しかし、現在森の中。 「とにきゃく、こころこぉ?」 から始まる異世界ストーリー 。 主人公は可愛いです! もふもふだってあります!! 語彙力は………………無いかもしれない…。 とにかく、異世界ファンタジー開幕です! ※不定期投稿です…本当に。 ※誤字・脱字があればお知らせ下さい (※印は鬱表現ありです)

処理中です...