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第1章 人攫い
第15話 雪崩
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「ふっ、と……」
アレク達が落ちた後、メイドは手綱を握り崖を進んでいた。辿々しく手綱を持つ手に、メイドが乗馬には慣れていない事が窺えた。
「まさかスブデ様から離れる事になるとは思ってなかったな……」
一人ごちる。
メイドは幼い頃に奴隷として親に売られ、それから十年間スブデのお世話役としてメイドをやっていた。掃除や洗濯、雑務諸々……勿論、自分の身体を使う事だってした。
それも自分がモノだったが為。
人間としてではなく、モノとしての扱いを受ける。それがモノであるメイドの、一号の役割だった。
しかし一号は、貴重な『治癒魔法』の使い手へとなる。偶々スブデの機嫌が良く、尚且つ近くに『治癒魔法』の教本があった事が幸いだった。
扱いは少し緩和されたものの、次は「生意気だ」「調子に乗るな」などの周囲からの嫉妬が一号を襲った。
何年も、しがらみが絡み付く人の世に辟易としていた所……およそ十年ぶりの一人の時間。
思わず大きく息を吐く。
「もし、もし助かったら、私はどうなるんだろうか……いや、今は助かっただけでも儲け物だろう」
『どうする』ではなく『どうなる』。
何もかも人に任せて来た一号にとってはさも自然な一言で、何処か他人事の様に自分を傍観していた。
「あっ!!?」
その一瞬。意識が外れ、どうしようもない不安が馬に伝わったのか、馬が崖を踏み外す。
一号は先程のアレク達同様に滑落した。
◇
この世界に来てから、数度目の重たい目蓋を上げる作業。最早、これの方が多いだろうと自虐しながら目を開ける。
左手から鋭い痛みが襲う。見ると手錠の鎖は無くなっており、何かの拍子に砕け散ったと認識する。
ただ左手はほぼ潰れかけており、原型は留めてはいなかった。
何とか片腕で起き上がると、隣には大事ないツクヨの姿があった。近くにはツクヨが乗っていた馬が瀕死状態で居り、周辺は馬が通れない程に木が密集していた。
「クソッ……」
ズキズキと手が痛むが、身を案じる前に今のこの状況が絶望を突きつけて来ている。
痛めた身体。移動手段も無くなり、手にしていた弓は半ばから折れている。気絶したツクヨに、あるのは一本のナイフのみ。
「どうすれば……」
遠くから微かにアイスウルフの雄叫びが響く。咄嗟に周囲を確認するが、アイスウルフの姿は見えない。
(……今のは『死の雄叫び』か)
馬車で逃げている最中とは言え、攻撃されれば反撃を余儀なくされる。アイスウルフにとっては十分な量の獲物ではない筈なのに。
アイスウルフの仲間意識に感嘆と、同じ種であるからと集まる宗教的な意志に恐怖を感じつつ、アレクはツクヨを背負う。
未だに彼女は意識を取り戻さないが、森の中は木々が密集しているお陰か、それ程雪は積もっておらず歩き易い。しかし、二人分の体重を支える筋肉がまだ備わっておらず、僅かに膝から力が抜ける。
とにかく、安静に出来る所が必要だった。アイスウルフが襲って来ない、風雪が凌げる洞穴の様な場所があれば理想ではあるが、望んで出て来る物でもない。
そんな事を考えていると、無音の山中に多数の軽快な足音が響く。
「チッ……」
遠目に見つけたアイスウルフに自然と舌打ちを溢す。正面から何匹ものアイスウルフ。
急いで距離を取ろうと、来た道を戻る。
しかし、元の道は逃げ場の無い崖だ。
「……一か八か」
アレクはツクヨを背負ったまま、近くの木に手を掛けた。左手からは幸い痛みの感覚すらなく、躊躇なく木皮に手を掛ける。
原型の留めてない手から湿っぽい音が鳴り響くが、気にせずにアレクは器用に木を登り切る。
「ははっ……木登りしたのも久しぶりだな」
アイスウルフはこちらに気付き、木に爪を立てているが登って来はしなかった。多くのアイスウルフが群がるが、アレク達に届きはしない。
そこでやっとアレクは安堵の息を吐いた。アイスウルフは登って来れない高い枝上。幹を折られる心配もない。
しかしーー。
「は?」
突然だった。地鳴りの様な轟音。それは頭上の方からドンドンと大きく鳴り響き、アレクは上方を見上げた。
改めて、理解する。場所は先程崖から転がり落ちて来た場所の近くの枝上。つまり、自分らが雪の崖を転がり落ちて来た場所。
視界一杯を白く染め上げる、雪。
雪崩だった。
凄絶なまでの雪の波が押し寄せる。それは地上に居るアイスウルフ、木に登ったアレク達さえも巻き込んだ。
(此処で意識を失ったら、マズいッ!!)
此処で意識を失った場合、寒さでそのまま永眠しても可笑しくない。
意識は、保つ。
アレクはツクヨを強く抱き寄せる。
雪崩の中は真っ暗で流石の『武王』と呼ばれていたアレクであろうと、どうする事も出来ずに雪の波へと身を任せた。
~~~
何十分経っただろうか。暗闇の中、身体中を覆う雪を掻き分けて進む。冷たさはもはや感じない。しかし身体中に鉛が付いたかの様な疲労、節々の痛みがアレクを襲う。
腕の中に居る気を失ったツクヨに気遣い、どうしても掻き分ける速さは遅くなる中、希望を持ちながら掻き分ける。
「ぶはぁッ!!」
何とか光明を発見し地上へ出たアレクは、その勢いのまま横たわった。
ものの数分だった出来事だったにも関わらず、数時間もの間雪の中に居た気がする。
アレクは数秒深呼吸を繰り返すと、また直ぐに起き上がる。
(此処に居てもまたアイスウルフに襲われる可能性がある……ゆっくりはしてられない)
改めて周囲を確認する。
周りは一帯木の先っぽが微かに見える程に雪で埋もれていた。何匹かアイスウルフが居たが、どれも瀕死状態。自分達は運が良かったようだ。
「ん?」
そんな中、一つ大きな塊を発見する。
アレクは様子を伺いながら、ゆっくりと近づいた。
「馬と……メイド」
そこには既に生き絶えた馬と気絶したメイドが居た。
「おい、大丈夫か?」
「うーん……はッ! お、お前は!!」
メイドは気が付くとアレクを見て目を丸くした。
「お前も雪崩に巻き込まれたみたいだな。大丈夫か?」
「だ、大丈夫………というか、私が少しヘマをしたから雪崩が起きたと言うか……」
メイドはポツポツと話し始める。
何故雪崩が起きたのか、それは恐らく自分が崖から落ちたからだろうという事を。
「あー……つまりお前が雪崩を起こした原因だったと……まぁ、でも助かった。あのままじゃ木の上から降りられなかったからな」
「そんな……でも、私は……」
「あー、これを治して欲しいんだが」
別に、こうして今生きている。あの状況を打破出来て、アイスウルフを殲滅したとなれば寧ろ、プラスの要素の方が多いだろうとアレクは話を変える為に左手を差し出す。
「ッ! 酷い怪我じゃないか!!?」
するとメイドはそれを見て悲痛そうに顔を顰めた。
メイドに見せた手は既に血は止まっているが原型は留めておらず、青紫色に変色している。見るに耐えないあり様だ。
メイドは恐る恐るアレクの手を取り、マジマジと観察する。
「落ちた時にちょっとな……治せるか?」
「……痛いか?」
「最初は痛かったが、今は痛くない」
「それは……脳が痛覚を遮断する様にしたんだ。相当酷い筈……」
痛みが無くなったから動き易いとは思ってたがダメなのかとアレクは自分の手を訝しげに見つめる。すると、それに気付いた一号は動きを止めた。
「……その悪かった」
申し訳なさそうに呟くメイド。それにアレクは首を傾げた。
「何がだ?」
「私はお前達を……いや………ただ謝りたかっただけだ」
何故謝ったのか分からず、アレクはただ困った様に頰を掻いた。
ジンワリと手を包み込んでいく温かさを感じながら、沈痛な空気を纏って時間は過ぎて行く。
いつの時代も女の考えている事は意味不明なのかと疑問を覚えながら周囲の警戒をしていると、ある場所を見つけ視線を止める。
「アレは……?」
岸壁に不自然に空いた穴。
雪崩で積もった雪などが無ければ、到底入る事が出来ない場所に出来た穴に、アレクは目が離せなかった。
「どうした?」
「アレ、見えるか?」
穴がある方へ指を差す。するとメイドは目を細めて前のめりになる。
「ん……アレは! 坑道か!? 坑道だとしたら一気に下山出来るかもしれないぞ!!」
無邪気に喜ぶメイド。その横で、アレクは真剣な表情で一点を見つめる。
穴の奥からは、ツクヨが纏うオーラの様な蒼白な煙が漂っていた。
アレク達が落ちた後、メイドは手綱を握り崖を進んでいた。辿々しく手綱を持つ手に、メイドが乗馬には慣れていない事が窺えた。
「まさかスブデ様から離れる事になるとは思ってなかったな……」
一人ごちる。
メイドは幼い頃に奴隷として親に売られ、それから十年間スブデのお世話役としてメイドをやっていた。掃除や洗濯、雑務諸々……勿論、自分の身体を使う事だってした。
それも自分がモノだったが為。
人間としてではなく、モノとしての扱いを受ける。それがモノであるメイドの、一号の役割だった。
しかし一号は、貴重な『治癒魔法』の使い手へとなる。偶々スブデの機嫌が良く、尚且つ近くに『治癒魔法』の教本があった事が幸いだった。
扱いは少し緩和されたものの、次は「生意気だ」「調子に乗るな」などの周囲からの嫉妬が一号を襲った。
何年も、しがらみが絡み付く人の世に辟易としていた所……およそ十年ぶりの一人の時間。
思わず大きく息を吐く。
「もし、もし助かったら、私はどうなるんだろうか……いや、今は助かっただけでも儲け物だろう」
『どうする』ではなく『どうなる』。
何もかも人に任せて来た一号にとってはさも自然な一言で、何処か他人事の様に自分を傍観していた。
「あっ!!?」
その一瞬。意識が外れ、どうしようもない不安が馬に伝わったのか、馬が崖を踏み外す。
一号は先程のアレク達同様に滑落した。
◇
この世界に来てから、数度目の重たい目蓋を上げる作業。最早、これの方が多いだろうと自虐しながら目を開ける。
左手から鋭い痛みが襲う。見ると手錠の鎖は無くなっており、何かの拍子に砕け散ったと認識する。
ただ左手はほぼ潰れかけており、原型は留めてはいなかった。
何とか片腕で起き上がると、隣には大事ないツクヨの姿があった。近くにはツクヨが乗っていた馬が瀕死状態で居り、周辺は馬が通れない程に木が密集していた。
「クソッ……」
ズキズキと手が痛むが、身を案じる前に今のこの状況が絶望を突きつけて来ている。
痛めた身体。移動手段も無くなり、手にしていた弓は半ばから折れている。気絶したツクヨに、あるのは一本のナイフのみ。
「どうすれば……」
遠くから微かにアイスウルフの雄叫びが響く。咄嗟に周囲を確認するが、アイスウルフの姿は見えない。
(……今のは『死の雄叫び』か)
馬車で逃げている最中とは言え、攻撃されれば反撃を余儀なくされる。アイスウルフにとっては十分な量の獲物ではない筈なのに。
アイスウルフの仲間意識に感嘆と、同じ種であるからと集まる宗教的な意志に恐怖を感じつつ、アレクはツクヨを背負う。
未だに彼女は意識を取り戻さないが、森の中は木々が密集しているお陰か、それ程雪は積もっておらず歩き易い。しかし、二人分の体重を支える筋肉がまだ備わっておらず、僅かに膝から力が抜ける。
とにかく、安静に出来る所が必要だった。アイスウルフが襲って来ない、風雪が凌げる洞穴の様な場所があれば理想ではあるが、望んで出て来る物でもない。
そんな事を考えていると、無音の山中に多数の軽快な足音が響く。
「チッ……」
遠目に見つけたアイスウルフに自然と舌打ちを溢す。正面から何匹ものアイスウルフ。
急いで距離を取ろうと、来た道を戻る。
しかし、元の道は逃げ場の無い崖だ。
「……一か八か」
アレクはツクヨを背負ったまま、近くの木に手を掛けた。左手からは幸い痛みの感覚すらなく、躊躇なく木皮に手を掛ける。
原型の留めてない手から湿っぽい音が鳴り響くが、気にせずにアレクは器用に木を登り切る。
「ははっ……木登りしたのも久しぶりだな」
アイスウルフはこちらに気付き、木に爪を立てているが登って来はしなかった。多くのアイスウルフが群がるが、アレク達に届きはしない。
そこでやっとアレクは安堵の息を吐いた。アイスウルフは登って来れない高い枝上。幹を折られる心配もない。
しかしーー。
「は?」
突然だった。地鳴りの様な轟音。それは頭上の方からドンドンと大きく鳴り響き、アレクは上方を見上げた。
改めて、理解する。場所は先程崖から転がり落ちて来た場所の近くの枝上。つまり、自分らが雪の崖を転がり落ちて来た場所。
視界一杯を白く染め上げる、雪。
雪崩だった。
凄絶なまでの雪の波が押し寄せる。それは地上に居るアイスウルフ、木に登ったアレク達さえも巻き込んだ。
(此処で意識を失ったら、マズいッ!!)
此処で意識を失った場合、寒さでそのまま永眠しても可笑しくない。
意識は、保つ。
アレクはツクヨを強く抱き寄せる。
雪崩の中は真っ暗で流石の『武王』と呼ばれていたアレクであろうと、どうする事も出来ずに雪の波へと身を任せた。
~~~
何十分経っただろうか。暗闇の中、身体中を覆う雪を掻き分けて進む。冷たさはもはや感じない。しかし身体中に鉛が付いたかの様な疲労、節々の痛みがアレクを襲う。
腕の中に居る気を失ったツクヨに気遣い、どうしても掻き分ける速さは遅くなる中、希望を持ちながら掻き分ける。
「ぶはぁッ!!」
何とか光明を発見し地上へ出たアレクは、その勢いのまま横たわった。
ものの数分だった出来事だったにも関わらず、数時間もの間雪の中に居た気がする。
アレクは数秒深呼吸を繰り返すと、また直ぐに起き上がる。
(此処に居てもまたアイスウルフに襲われる可能性がある……ゆっくりはしてられない)
改めて周囲を確認する。
周りは一帯木の先っぽが微かに見える程に雪で埋もれていた。何匹かアイスウルフが居たが、どれも瀕死状態。自分達は運が良かったようだ。
「ん?」
そんな中、一つ大きな塊を発見する。
アレクは様子を伺いながら、ゆっくりと近づいた。
「馬と……メイド」
そこには既に生き絶えた馬と気絶したメイドが居た。
「おい、大丈夫か?」
「うーん……はッ! お、お前は!!」
メイドは気が付くとアレクを見て目を丸くした。
「お前も雪崩に巻き込まれたみたいだな。大丈夫か?」
「だ、大丈夫………というか、私が少しヘマをしたから雪崩が起きたと言うか……」
メイドはポツポツと話し始める。
何故雪崩が起きたのか、それは恐らく自分が崖から落ちたからだろうという事を。
「あー……つまりお前が雪崩を起こした原因だったと……まぁ、でも助かった。あのままじゃ木の上から降りられなかったからな」
「そんな……でも、私は……」
「あー、これを治して欲しいんだが」
別に、こうして今生きている。あの状況を打破出来て、アイスウルフを殲滅したとなれば寧ろ、プラスの要素の方が多いだろうとアレクは話を変える為に左手を差し出す。
「ッ! 酷い怪我じゃないか!!?」
するとメイドはそれを見て悲痛そうに顔を顰めた。
メイドに見せた手は既に血は止まっているが原型は留めておらず、青紫色に変色している。見るに耐えないあり様だ。
メイドは恐る恐るアレクの手を取り、マジマジと観察する。
「落ちた時にちょっとな……治せるか?」
「……痛いか?」
「最初は痛かったが、今は痛くない」
「それは……脳が痛覚を遮断する様にしたんだ。相当酷い筈……」
痛みが無くなったから動き易いとは思ってたがダメなのかとアレクは自分の手を訝しげに見つめる。すると、それに気付いた一号は動きを止めた。
「……その悪かった」
申し訳なさそうに呟くメイド。それにアレクは首を傾げた。
「何がだ?」
「私はお前達を……いや………ただ謝りたかっただけだ」
何故謝ったのか分からず、アレクはただ困った様に頰を掻いた。
ジンワリと手を包み込んでいく温かさを感じながら、沈痛な空気を纏って時間は過ぎて行く。
いつの時代も女の考えている事は意味不明なのかと疑問を覚えながら周囲の警戒をしていると、ある場所を見つけ視線を止める。
「アレは……?」
岸壁に不自然に空いた穴。
雪崩で積もった雪などが無ければ、到底入る事が出来ない場所に出来た穴に、アレクは目が離せなかった。
「どうした?」
「アレ、見えるか?」
穴がある方へ指を差す。するとメイドは目を細めて前のめりになる。
「ん……アレは! 坑道か!? 坑道だとしたら一気に下山出来るかもしれないぞ!!」
無邪気に喜ぶメイド。その横で、アレクは真剣な表情で一点を見つめる。
穴の奥からは、ツクヨが纏うオーラの様な蒼白な煙が漂っていた。
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