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三つめの瞳
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オレには、前髪がない。
顔にかかる髪は全部、頭の後ろへかきあげて、ひたいを出す。
オレのひたいは人と比べてすこし広い。おかげで、学友たちからはおでこ君、と呼ばれたりもした。
それでも、やっぱり髪は全部、後ろへかきあげてなでつけ、整髪剤で固めていた。そのスタイルを、ずっと貫いた。
今は、チタルのくれた黄色い髪止めをつけている。オレの髪はすこし硬くてクセがつきやすいので、ずっと髪止めをつけていると、そのかたちにあとがつく。それでも、髪止めをはずしてしばらくすると、ひたいにバラバラと髪の房が落ちてくる。なので、髪止めをもらって以来、夜寝るときも、オレはずっとそれをつけっぱなしにしていた。
髪型にこだわっているのではない。ひたいをだしておきたいのだ。
ひたいには三つめの瞳がある。小さい頃、母にそう言い聞かされて育った。実際に目がついているわけではないけれど、そこには目に見えない、隠された瞳が備わっているのだと、母は言った。その瞳をいつも開いておきなさい、それは目に見えないものを見るための、大切な瞳だから。そう言うときの母は、いつもしっとりと微笑んでいて、その瞳は雨上がりのようにぬれていた。
オレは、母の新緑色の瞳が柔らかく光るのを見たくて、よく母の目の前で、前髪をかきあげてみせた。おめめがあいたよ、と大声で言うと、母は笑ってくれた。
髪をかきあげてとめるとき、ふとその声が聴こえることがある。五月の朝の若葉のような、母の瞳を思い出す。
反対に、ひたいに髪がかかると、よくないことをしているみたいで、後ろめたくなる。母は滅多にオレを叱らなかったけれど、オレがよくないことをすると、軽く腕を組んで、寂しそうにちょっとだけ笑うのだった。それを見るともう、オレは不安になってしまって、母の胸にとんでゆき、思い切り泣いて謝った。そのころからオレは、泣き虫だった。
母は、オレを泣き止ませようとはしなかった。泣かないで、とは一度も言われたことがない。ただ、悲しいのね、とか、悔しいのね、とか、オレの気持ちを言葉にするのを手伝ってくれただけだった。それだけで、うんと楽になったのを覚えている。
オレが全寮制の学校に入学する直前、母は突然いなくなってしまった。事故で死んだと、聞かされた。
オレと母はその日、ピクニックに出かける約束をしていた。先に行っていて、すぐに追いつくから。母はそう言った。オレは言われた通りに高台の原っぱに行って、待っていた。昼時をすぎてしばらくたった頃、母の付き人が現れ、オレを無理やり抱きかかえて連れて帰った。そのまま汽車に乗せられ、着いたところは、自分の家ではなく、湖水地方にある、母方の祖母の家だった。
母とは、それっきりだった。
数週間もしないうちに、オレはわけがわからないまま、祖父に手をひかれて、学校の寮に入った。
セント・サングリアルが誇るエリート養成機関、天文学府付属院、通称学術庁舎である。
母は、オレが全寮制の学校に行くのを嫌がっていた。家庭教師を呼んで、家で勉強させるといってきかなかったそうだ。
けれど母の願いは、聞き入れられなかった。
それきり、母と暮らした家には戻らず、休暇になると、オレは祖父の家に帰った。母方ではなく父方の祖父で、オレや父と同じ、灰色の髪と紫の瞳を持っていた。父と違って、祖父は人当たりがよく明るく、気さくな人だった。サングリアルの東の郊外に、城のような邸宅をかまえて住んでいた。その一帯に並ぶ豪邸は、みんな祖父の親族か、一族の縁者だった。顔も覚えきれないほどたくさんのいとこたちがいた。祝祭になると、祖父の自慢の大広間に皆が集められ、大勢の彼らといくつもの長机を囲んで、一族の繁栄にと唱和し、杯を分けあった。
父にはその間、一度も会わなかった。
顔にかかる髪は全部、頭の後ろへかきあげて、ひたいを出す。
オレのひたいは人と比べてすこし広い。おかげで、学友たちからはおでこ君、と呼ばれたりもした。
それでも、やっぱり髪は全部、後ろへかきあげてなでつけ、整髪剤で固めていた。そのスタイルを、ずっと貫いた。
今は、チタルのくれた黄色い髪止めをつけている。オレの髪はすこし硬くてクセがつきやすいので、ずっと髪止めをつけていると、そのかたちにあとがつく。それでも、髪止めをはずしてしばらくすると、ひたいにバラバラと髪の房が落ちてくる。なので、髪止めをもらって以来、夜寝るときも、オレはずっとそれをつけっぱなしにしていた。
髪型にこだわっているのではない。ひたいをだしておきたいのだ。
ひたいには三つめの瞳がある。小さい頃、母にそう言い聞かされて育った。実際に目がついているわけではないけれど、そこには目に見えない、隠された瞳が備わっているのだと、母は言った。その瞳をいつも開いておきなさい、それは目に見えないものを見るための、大切な瞳だから。そう言うときの母は、いつもしっとりと微笑んでいて、その瞳は雨上がりのようにぬれていた。
オレは、母の新緑色の瞳が柔らかく光るのを見たくて、よく母の目の前で、前髪をかきあげてみせた。おめめがあいたよ、と大声で言うと、母は笑ってくれた。
髪をかきあげてとめるとき、ふとその声が聴こえることがある。五月の朝の若葉のような、母の瞳を思い出す。
反対に、ひたいに髪がかかると、よくないことをしているみたいで、後ろめたくなる。母は滅多にオレを叱らなかったけれど、オレがよくないことをすると、軽く腕を組んで、寂しそうにちょっとだけ笑うのだった。それを見るともう、オレは不安になってしまって、母の胸にとんでゆき、思い切り泣いて謝った。そのころからオレは、泣き虫だった。
母は、オレを泣き止ませようとはしなかった。泣かないで、とは一度も言われたことがない。ただ、悲しいのね、とか、悔しいのね、とか、オレの気持ちを言葉にするのを手伝ってくれただけだった。それだけで、うんと楽になったのを覚えている。
オレが全寮制の学校に入学する直前、母は突然いなくなってしまった。事故で死んだと、聞かされた。
オレと母はその日、ピクニックに出かける約束をしていた。先に行っていて、すぐに追いつくから。母はそう言った。オレは言われた通りに高台の原っぱに行って、待っていた。昼時をすぎてしばらくたった頃、母の付き人が現れ、オレを無理やり抱きかかえて連れて帰った。そのまま汽車に乗せられ、着いたところは、自分の家ではなく、湖水地方にある、母方の祖母の家だった。
母とは、それっきりだった。
数週間もしないうちに、オレはわけがわからないまま、祖父に手をひかれて、学校の寮に入った。
セント・サングリアルが誇るエリート養成機関、天文学府付属院、通称学術庁舎である。
母は、オレが全寮制の学校に行くのを嫌がっていた。家庭教師を呼んで、家で勉強させるといってきかなかったそうだ。
けれど母の願いは、聞き入れられなかった。
それきり、母と暮らした家には戻らず、休暇になると、オレは祖父の家に帰った。母方ではなく父方の祖父で、オレや父と同じ、灰色の髪と紫の瞳を持っていた。父と違って、祖父は人当たりがよく明るく、気さくな人だった。サングリアルの東の郊外に、城のような邸宅をかまえて住んでいた。その一帯に並ぶ豪邸は、みんな祖父の親族か、一族の縁者だった。顔も覚えきれないほどたくさんのいとこたちがいた。祝祭になると、祖父の自慢の大広間に皆が集められ、大勢の彼らといくつもの長机を囲んで、一族の繁栄にと唱和し、杯を分けあった。
父にはその間、一度も会わなかった。
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