八月のクローバー

野草のな

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添い寝

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晩秋の寒さが肌にしみる、よく晴れた朝だった。

ふらふらと川原を歩いているオグを見かけた俺は、慌てて彼を寝床に連れ戻した。

案の定、彼ははだしだった。

川原には、小石にまざって、尖った陶器やガラスの破片なんかも落ちている。うっかり踏んだら、怪我をしてしまう。

何度もそう言ったのだけれど、オグは俺の心配をよそに、どこかぼんやりしながら黙りこむのだった。

寝ているのが退屈なのかもしれない。

怪我といえば、オグの右腕の包帯の下には、かなり大きな切り傷があった。

何事があってそうなったのか、ひじの内側から手首にかけて、すっぱりと切れていた。

熱が出ていたのは、どうやらその傷が原因だったようだ。

傷を洗ってやるたびに、オグは痛がって震え、時に泣いた。

縫ったほうがいいように思うが、俺にそんな技術はない。

代わりに、俺手作りの傷薬をぬってやった。

教会にいたときに作り方を覚えたもので、どこにでも生えている、ちょっとあくの強い野草を使う。草の名前は、知らない。結構よく効くのでたまに作り、重宝している。濃くてにごった草色でどろっとしていて、見た目はあまりよろしくない。

オグはその薬を嫌がって、汚い、しみる、痛い、と言って暴れ、やっぱり泣いた。

よほど嫌なのか、怒ってしまって、傷に触らせてくれないこともあった。

はじめのうちは大人しくしていたオグだが、俺たちに慣れてきたのか、少しずつ態度が大きくなってきた。

わがままというよりは、感情が激しやすい性格であるようだ。かっとなると、我を忘れてしまうのだろう。

ただ少し気になるのは、オグは、誰かが自分の感情に巻き込まれて傷ついたりしても、なんとも思わないらしいことだった。

俺は何も言わなかったが、妙に納得してもいた。

こういう人種を、知っている。教会にもいた。

教会本部からたまに訪れる、上層部の視察者たちだ。

彼らは自分たちの立場が上であることを理由に、発言に一切の遠慮をしなかった。

言いたいことを好き勝手に言って、去っていく。

横暴であろうが、理不尽であろうが、問題なかった。すべて許された。彼らのほうが地位が高いからだ。

オグにも、それと似たような雰囲気があった。

もともと着ていた服の質のよさといい、身にしみついた物腰や行儀のよさといい、彼からは明らかに、高い地位の人間が持つ教養の匂いがした。

一方で、彼はどこか幼く、子供のように短気で、こらえがきかない性分でもあった。

嫌なことは、どこまでいっても嫌なのだった。

他人のために折れたり、譲ったりすることが、彼にはなかった。

そうすると、当然俺のほうが折れることになる。

嫌がられたり、怒られたりするたびに、俺は謝りながら、オグの頭をなでてやった。

すると、彼は不思議と大人しくなるのだった。

どんなに泣いていても、怒っていても、触れて、なでて、なぐさめ続けていると、しだいに落ち着いてくる。

ちっぽけな俺の手に、嬉しそうな、恥ずかしそうな顔で身をゆだねる。そして、しまいに眠ってしまう。

それを見るたびに、胸が切なくて、苦しかった。

彼が気持ち良さそうな顔をすればするほど、複雑な気分になる。

まるで彼が、もう長いこと人の温もりに触れていなくて、飢えているみたいに見えるからだ。

俺に対して無防備になる、ほんの一瞬、彼はとても人懐っこい表情をみせる。

本来は、とても甘えん坊なのだ。

それがわかって、切なかった。


「どうして、助けたんだ」

あるとき、彼はそうたずねた。

濡れたような紫の瞳に、どこか甘い、酔ったような光が揺れていた。

俺は、布をオグの右腕に巻いて、とめなおしたところだった。

一瞬、ぽかんとしてしまった。

「どうして、って。そっちこそどうしたの、急に?」

オグは唇を噛んで、黙ってしまった。

そのまま顔を伏せて、近くにあったセピア色のブランケットに潜りこみ、顔を背けてしまう。

恥ずかしがっているみたいに見えた。

俺は、思わず笑ってしまった。

なんだか、こっちも照れくさくなってしまう。

頭をかきながら少し考えて、俺は言った。

「どうしてって言われてもなあ。体が勝手に、そういう風にしちゃうんだよ。理由なんてわかんないよ」

すると、オグはもぞもぞと動いて顔をだし、俺を見上げてきた。彼はかすかに首をかしげた。

「わからない?」

「うん」

俺はうなずく。

すると、彼の目は泣き出しそうにゆがんだ。

顔を伏せて、ブランケットを巻き込み、そのなかに声を押し出す。

「オレなら、助けない」

俺はそっと、彼の頭をなでて、言った。

「別にいいと思うぜ」

大体、助けるなんて、そんなたいそうなことじゃない。俺にできるのは、ただ寄り添うことだけだ。

自分を助けられるのは、いつだって自分だけだ。

俺がなでているうちに、オグはぎゅっとこぶしを握りしめ、体をふるわせはじめた。

やがて、彼は声をあげて泣きだした。

俺はできる限りおだやかに、彼の頭をなで続けた。

いつもは気持ち良さそうにする彼だけれど、そのときはまるで、触れられるとひどく痛むみたいに、もっと泣いてしまった。

ふと、思った。

俺たち、もっとはやく出会っていればよかった。

さみしい思いを分かち合えるくらい、いつもそばにいられたらよかったのに。

しゃくりあげるオグをなでながら、その思いで胸がつまった。

彼は、いつまでたっても泣きやまなかった。

俺は彼の背中を、薄桃色の毛布でくるんでやった。


ぽつんと、俺の頭に考えがふって湧いた。

捨てられた。最初の日、オグはそう言っていた。

俺は口を開いた。

「帰りたい?」

オグは、痛々しく見開いた目で、俺を見上げた。

俺は布団に寝転び、オグと並んだ。

髪をかきあげてやりながら、思ったことをつぶやく。

「俺は、嫌だな。あにい、辛そうだ。もどっても、良いことないよ。ここにいなよ。ずっと」

オグの見開いた両眼が、光を吸い込むように、さらに大きく広がった。彼の口から、ほろりと声がこぼれた。

「なんで」

急に目がくらんだみたいに、激しくまたたきして、さっと彼は顔を伏せ、うなりをあげた。

「なんでそんなこと言うんだよおっ!」

俺は驚いて、はね起きた。

いけないことを言っただろうか。いや。

拳を握りしめ、彼は布団に顔を押しつけて身をよじり、苦しそうに叫んだ。

「オレなんかいらないって思ってるくせに!」

「思ってないよ」

「何で思わないんだよおっ!」

野獣のように叫び、オグは俺につかみかかってきた。

驚いて何もできず、俺はされるがまま、彼に振り回された。また泣き出しながら、彼は俺を放り投げるように、布団に叩きつけた。

分厚く積み重ねられた布団の上だったので、痛くはなかった。

起き上がりながら、俺は冷静に、今までの自分について振りかえって考えた。

俺はオグを、いらないと思っているのだろうか。

そんな風に受け取られる態度を、とっていただろうか。

確かに、人の面倒をみるのは、大変といえば大変だ。

着替えを手伝い、怪我の手当てをし、食べるものを食べさせる。それだけでも、かなり重い。

加えて、こんな風に突然短気を起こすし、近くにいないといないで、さみしがる。しょっちゅう泣く。

それが嫌なのかと、自分に問う。

嫌ではない、と答える自分がいた。

俺は近づいていって、彼の頭をなでた。

そうするしか、他に思いつかない。

びくっとふるえたけれど、彼は抵抗しなかった。

なんだか凍えているみたいに見えたので、俺は近くにあった別の毛布を引き寄せた。ワインレッドの、分厚い毛布だった。

はねのけられていた薄桃色の毛布をかけなおし、さらにワインレッドをかぶせた。オグは首までうずまり、その間じゅうずっと、大人しくしていた。

疲れたのか、諦めたのか、ぽつんと彼はつぶやいた。

「ここって、どこなんだ。何なんだ、ここ。オレは、どうなるんだよ」 

水色の枕をかき抱いた彼は、何かをじっとこらえているようだった。

問われたことに答えようとして、やめた。

簡単に見つかる答えを、求めているわけではなさそうだ。きっと、俺が何を答えても、納得できないだろう。

そういうことは、自分で知っていくほうがいい。

俺はふと、彼がひとりで出歩いていたのは、この場所のことをちゃんと知りたかったからかもしれない、と思った。

彼は彼で、この不馴れな環境や今の自分の境遇に、なじもうとしているのかもしれない。

そう考えると、彼が健気に見えてきた。

俺は励ますような気持ちで、歌うように言った。

「ここは川のはてだよ。涙の終わるところだ。ここに捨てられたものを、拾ってきれいにするのが、俺の仕事なんだ。だから大丈夫。あにいのことも、きれいに洗ってやるからさ。あにいは元から、きれいだけどな」

赤くなった目を大きく見開き、オグは驚いたように俺を見上げた。

ひたむきに俺を見つめるその目の奥に、きらりと何かが光った気がした。

ひとひら、ふたひらと、彼は音をたてずに涙をこぼした。

何か言いたそうな顔をしていたけれど、彼は結局、なにも言わなかった。

俺はまたごろりと横になって、時々彼の髪をなでながら、しばらくぼんやりとくつろいだ。

かすかに、滝の音が聞こえる。ここはいつも、水の流れる音に包まれている。

ポタポタと落ちるしずくの音、どうどうと流れ落ちる滝、泡立ってはきらめく川のせせらぎ。

いつまで聞いていても、飽きることがなかった。

流れ、たゆたい、雲になって、雨になる。

天地を巡り続ける水の音。

ふと、オグがとろりとした、眠たげな目をしているのに気づいた。

うつらうつらする彼の額を、俺はなでた。

しばらくそうしているうちに、ぷつんと糸が切れたように、オグは目を閉じて寝入ってしまった。

そのまま、次の朝になっても、彼は起きなかった。





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