八月のクローバー

野草のな

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りんごの蜜煮とアメジスト

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どうやら、俺たちの対処は遅すぎたようだった。

オグは、服を着せ替え終わらないうちからぐったりしはじめ、布団に倒れて、こんこんと眠り込んでしまった。

夕方になって目を覚ましたときには、瞳が潤んで、かわいそうなほど真っ赤になっていた。

そんな彼を見ていると、なんだか昔を思い出した。

エルゼとここに来る前、俺は教会で暮らしていた。

教会というのは基本的に、どこかが病んでいる人間が来るところだった。

病人の看護は日常の仕事のひとつだった。子供でも働き手として、容赦なく一人前以上の仕事をさせられる。

それがいつのまにか、俺の体に深くしみこんでいたようだった。

俺の倍はあるオグの体を、起こしたり支えたりするのは大変だった。けれど、奇妙な慣れで、体が動くのだった。

エルゼは、外の川原にいた。

彼女の仕事は、主に炊事だ。

食料の調達から調理まで、一手にまかなう。

ちなみに俺は、関わらせてもらえない。彼女いわく、俺はその手の仕事をするには不器用すぎるのだそうだ。

甘くていい匂いが、土管の奥にいる俺たちのところにまで流れてきた。

これは、彼女お得意の、りんごの蜜煮の匂いだ。

リンゴにはちみつを加え、やわらかく煮詰めてつくる。

急にその匂いが濃くなったと思うと、エルゼがとことこと土管を歩いて、こちらへやってきた。

俺は奥の寝床で、オグのそばについていた。

オグは赤い顔で、静かに眠っていた。

俺たちの寝床は、ひとことでいうと、鳥の巣に似ていた。

底が丸い土管に、拾ってきたクッションやマットレスを盛りあげ、平らにした上に、毛布やブランケットを何枚も重ねている。

かなり分厚い層になっていて、いろんなものが敷き詰めてあった。全部拾ってきて、きれいに洗って天日干ししたものだ。

ちょっとでこぼこしているが、くぼみに体がはまって、寝心地は良かった。

オグはそこに、首までうまって眠っていた。

エルゼが近づくと、彼は目を開けた。

彼女が持っている器から、甘くて濃厚な蜜の匂いがただよっている。

どうやら、彼はその匂いに反応したらしかった。

エルゼが目を輝かせた。

「起きたか。さあ、わたし特製のリンゴの蜜煮を作ってやったぞ。これを食べて、またゆっくり眠れ」

オグは起き上がって、器をのぞきこんだ。

その目を見て、俺はかすかに胸が痛むのを感じた。

赤く腫れた目の奥が、キラキラしていた。とても腹がへっていたのだろう。

俺はエルゼに場所をゆずり、一言だけ声をかけた。

「熱いから、気をつけろよ」

オグはぼんやりした目で俺を見た。

エルゼに器をさしだされ、ほとんど押し付けられる格好で受け取って、ひざの上にのせる。

けれど、彼はそこから動かなくなった。困惑したような顔をしている。

しばらく見ていると、オグはぎこちなく口を開いた。

「あの」

ほのかに湯気をたてるリンゴの蜜煮に目を細め、彼はかすかに首をかしげて、俺たちを見た。

「これ」

食べていいのか、と聞いているようだった。

俺はうなずいた。

「口に入れてやろうか?」

冗談めかして言ったところ、オグはぼんやりしたまま、首を横にふった。そして、自分でスプーンを持ち、すくって一口、食べた。

俺はオグの横に肩を並べて座り、エルゼもそのとなりにすわった。

しゃくしゃく、とオグがリンゴを噛みしめる音が、遠くの水の音と一緒になって、配管のなかに響いた。

一口飲み込むごとに、オグの目は見開き、輝いていくのがわかった。口に運ぶスピードもはやくなった。最後のほうは夢中でかきこんでいた。

俺もエルゼも、微笑んでそれを見守っていた。

リンゴの蜜煮の美味さは、俺たちが一番よく知っている。

やがて食べ終わり、名残惜しそうに器を見つめたあと、ふいに思い出したみたいに、オグは俺たちに目を向けた。

俺が微笑んでやると、オグはびくりと肩をふるわせ、とまどったように目をそらした。

俺はその手から、空の器とスプーンをとりあげた。

「はい、ごちそうさま」

俺はてきぱきと、ぽかんとしているオグに白湯をのませ、再び毛布のなかに押し込んだ。

オグは終始、驚いたような顔をしていた。

そのまま、布団のなかからじっと俺を見つめてくる。

俺は思わず笑ってしまい、たずねた。

「何だよ?」

オグは、ちょっと気後れしたみたいに首をすくめ、言おうかどうしようか迷うようなそぶりをしたあと、ぽつんと言った。

「もっと欲しい」

「もっと欲しい?」

思わずそのまま聞き返すと、彼は肩を縮めながら、かすかにうなずいた。

おかわりしたいってことか。

それはそうだ。足りないよな。確かに量が少ない。

俺は納得しつつ、首をひねった。

そんなに縮こまらなくていいのに。

まるで、今にも叱られるんじゃないかとおびえているような顔をしている。

俺は安心させるために、彼の頭をなでてやった。

エルゼに目配せすると、もうすでに彼女は立ち上がっていて、堂々とうなずき返し、まかせろ、と小声で言って出ていった。

「つくってくれるって」

俺がそっと言うと、オグはびっくりしたように顔をあげた。

喜んでいいのかどうか、とまどっているみたいだ。

「ちょっとだけ待ってくれな」

俺はそう言って、なだめる意味で、また頭をなでた。

オグの髪は、さらさらですべすべだった。

きちんと手入れし続けているのがわかる、綺麗な髪だった。

ここには、まともな風呂はない。このさらさらした髪も、今だけだ。そのことを思うと、ちくりと胸が痛んだ。

ふいに、オグが何かを問いかけた。聞き取れなかった。

俺が問い直す前に、オグは早口でもう一度言った。

「俺、わがままだと思う?嫌い?嫌いになる?」

あまりに突飛だったので、一瞬頭がくらっとした。

どういうことだ?なんでそんな話に?

わからなかったので、そのままたずねた。

「どうしてそんなこと聞くんだ?嫌いになんかならないよ」

オグはおどおどしながらも、探るように俺を見ていた。気にしているのだろうか。誰かになにか、言われたのか。嫌なことでもあったのだろうか。

気の利いた答えを他に思い付かなくて、俺はまた、彼の頭をなでた。指が髪をとおる感触が気持ちいい。

オグはじっとしていたが、まだ不安そうな顔をしていた。

俺は言ってやった。

「リンゴおかわりしたくらいでわがままなもんかよ。欲しいものは、欲しいって言っていいの」

俺としては、子守り歌を歌ってやるような気持ちで、思ったことを素のまま言っただけだった。

それをオグがどう受け取ったかは、わからない。

けれど気づいたときには、オグは肩をひきつらせて涙をぼろぼろこぼしていて、俺は慌てて彼の頭を抱いたが、もう遅かった。

エルゼが戻ってきたときには、オグはわんわん泣き、俺が必死でなぐさめているという、まるで俺が泣かしたみたいな図になっていた。

実際俺が原因なのだろうけれど、何がひきがねになったのかはわからない。

エルゼは器を布団の上に注意深く置いてから、腰に手を当てた。そして、あきれた声を出した。

「何を泣かしているんだ」

違うと言いたかったが、どう見てもその通りだった。

俺はオグの頭をなでながら、

「ごめん」

と謝った。

オグの泣き声が一段と高くなった。

エルゼが脇によってきて、そっとのぞきこんだ。

オグは伏せたまま激しくしゃくりあげていた。

優しい声で、エルゼが呟く。

「そうか。嬉しかったのか」

何かが通じあったみたいに、エルゼのその言葉で、オグの泣き声は少し小さくなって、やがてとまった。

余韻でしゃくりあげているオグの背中をさすって、エルゼは俺に目を向け、ウインクしてみせた。

何がなんだかわからなかった。

一体、何をどう解釈したのか。

嬉しかった?

わからないが、つまり、害はないってことなのか。

俺は理解するのをあきらめ、首をすくめた。とりあえずうなずいておく。

エルゼはときどき、人の心を読んだり、見透かしているようなことを言う。もしかしたら、今のオグの心の声も、エルゼには聞こえたのかもしれない。

俺には、あいにくそういう霊感のようなものはなかった。まあ、仕方ない。人それぞれだ。向き不向きがある。

俺は、やっと落ち着いてきたオグの髪をなでてやって、声をかけた。

「リンゴ、食べないの?できたってよ」

エルゼが思い出したように身をはねおこし、器をあにいにさしだした。

「スプーン」

俺が言うと、

「ここにあるぞ!」

と得意気に、着ているぶかぶかのコートのポケットからひっぱりだした。

「どこに入れてるんだよ」

「ポケットとは、ものを入れるためにあるのだぞ」

「いや、そうだけど、そうじゃなくて」

俺たちのやりとりをよそに、オグがもぞもぞと布団からはいでてきて、ぺたんと座った。

彼がじっと俺たちを見つめたので、俺たちはどちらからともなく、言い争うのをやめた。

エルゼはすぐに、得意満面の笑みをうかべた。オグに改めて、リンゴの蜜煮をさしだす。

受け取ったオグは、すぐに食べ始めなかった。どこか、遠慮しているみたいだった。

しばらくして、もじもじしながら彼は一言、つぶやいた。

「ごめんなさい」

一瞬、俺とエルゼは顔を見合わせて、ぽかんとした。

何故、謝るのか。

俺より先にエルゼが笑い、豪快に言い放った。

「何をあやまることがある。気にするな。いっぱい食え。食ってよく寝るがいい」

どこまでもえらそうな物言いだったが、気遣いにあふれた優しい口調だった。

俺も同じ意見だったので、黙ってうなずいた。言葉を付け足す必要はなかった。

オグはまだ不安そうな顔で、おずおずとスプーンを握った。

けれど、食べ始めると、さっきと同じで、すぐに夢中になった。俺たちも、さっきと同じように見守った。

最後のひときれになったとき、それを見つめて、オグはすこし切なそうな顔をした。

エルゼがぽんと言った。

「また明日もつくってやる」

その言葉を聞いて、オグは最後のひときれを口にいれ、かみしめて、味わって、のみこんだ。

そして、聞こえないくらいかすかな声で、言った。

「ごちそうさま、でした」

まるで、その言葉を使ったことがないみたいな、とまどいぶりだった。

「うむ!」

エルゼが尊大にうなずいたので、その余韻もかききえた。ふと、オグは穏やかな顔になって、エルゼを見つめた。それに気づいたのか気づいていないのか、エルゼはぽんと言い放った。

「では、またしばらく眠るがいい。わたしたちはずっとそばにいる。何かあっても大丈夫だ。安心して眠れ」

俺は何も言わず、おびえさせないように気をつけて、オグの乱れた髪をすいてなでつけてやった。

オグはほんの一瞬、気持ち良さそうに目を細めた。けれど、すぐにばつの悪そうな顔に逆戻りした。

俺はそのすきをついて、オグをもう一度、布団におしこんだ。そのとなりに、自分も寝転んだ。

オグと目があった。

限界まで見開かれた紫の瞳は、しっとりと露にぬれたブドウを思わせた。

銀色の髪には、よく見るとところどころに、本物の白髪が光っていた。

俺が黙ってなでてやると、気のせいかオグの目は、きらきらと輝いた。

こんな宝石を見たことがある、と思い出す。

教会で見た司教のロザリオに、こういう濃い紫色の水晶がはめこまれていた。

水晶、いや、違う。石の名前はたしか、アメジストとかいった。

俺は、思わずつぶやいていた。

「きれいな目だな。そういう色の宝石、知ってるよ」

オグはめんくらったらしく、目だけでなく口もぽかんと開いた。瞳に光が入って、紫色が少し淡くなった。

俺は微笑みがうかぶのを感じながら、少し照れくさくなって顔をそむけ、寝返りをうった。

天井を見上げると、俺たちの影が大きく曲がりながら、長く伸びていた。

細く亀裂が入った配管の壁から水がもれだし、割れ目から広がったしみが、複雑な模様を描き出している。

そこに何かの形を見つけるのが、俺の寝る前の日課だった。

あにいにもいくつか教えてやろうと思い、俺はもう一度寝返りをうった。

けれど見てみると、オグは目をとじ、眠ってしまっていた。

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