47 / 83
第二十八話-2
しおりを挟む
野村は夕方には先生と面接を終えた中本と木屋町で落ち合った。二人は高瀬川沿いを歩いて居酒屋に入った。新年会も終わった一月の末は空いている。二人は衝立で仕切られた座敷机に対座してビールとつまみを頼んだ。
「あそこは居心地のよさそうな職場だなあ。これでお前が長く続いた訳が分かったよ」
中本はさっき面接を終えた工房の社長の山村さんの物腰の柔らかい人格を褒めている。
「気に入ったようやなあ。お前の所へ来る前に深山さんに植物園での写生大会の話をした。多分それが効いてるんやなあ」
あの話かと前置きして、野村お前の方こそ正確さに欠けると言い出した。
「お前の描く絵は目で捉えた物だ、正確に描くと云う事は頭で捉えた物を描かないといかん。お前のは目から直接に手に移ってる。そうじゃない目で見たものをしっかり頭に刻み込んだ物を直接絵筆に伝えないといかん」
講釈を終える前に中本は配膳されたビールを自分と野村のコップに注いでいる。
「何を言ってるんだ中本、お前の方こそ正確さに欠ける」
彼がそこまで言い掛けると、中本は持ったコップを捧げた。釣られて野村も持ち上げると二人は交わしたグラスで何口か呑んだ。丁度のタイミングで注文の品が揃いだした。咀嚼《そしゃく》するうちにビール瓶一本が空いたところで、絵の講釈から最近の話題に移った。
「その希美子さんか、どうなんだ」
何処から訊いた。と問えば深山さんらしい。どう説明したか知らんが彼女は理想郷を目指して飛び立つ鳥だ。後はどうなるか判らないが。
「あの会社では山村さんと云う人も一目置いていた女性らしいな」
中本は次におでんへ箸を進める。
「先生がそんな事言っていたのか」
ライバル心から野村は揚げ物に手をだした。
何でも熱心に近辺で写生して絵の研究をしていたらしいと。それは睦夫さんから聴いた話と変わりはなかった。
「まあそこまで聴いているんなら話しは早い。彼女は俺に漫画を描く事を勧めている。中学から十年近く経ったお前からいかに険しい道か説明してやってくれ」
「それはやり方にもよるし、第一楽な道なんて何処にも無い、山と違ってなんぼ極めても何処にも頂上なんて有るわけが無い。自分で決めない限りはなあ。だが決めたらそこで物事は終わる、なら最初から平らな道を歩き続けるのが良いんじゃないのか」
「中本、お前らしくないなあ」
二本目のビールが三分の一になっている。肴もまんべんに減っていた。だが二人ともメニューには手が伸びない。
「俺はまだ彼女がいないからなあ、だからいつでも退《しりぞ》ける」
「そんな気持ちだからヒットしないんじゃないのか」
ーー上から言われて仕事をしているお前にはその辺りは気楽で良い。だから俺も今からお前と同じ調子で絵筆を持つことにする。我が家もお前と一緒で働かざる者食うべからずだからなあー。
ーー毎回投稿していたお前の場合は別で、今まで引きこもりで家に居た訳じゃ無いだろう。
「収入が無ければおんなじ事だ」
この頃には瓶ビールの残量が気になるのかちびりちびりと飲み、肴も控えめに箸を出した。
「君の両親は厳しいんだなあ」
「当たり前だ昭和生まれの両親は何処も一緒だろう」
「だが投稿は続けていたんだろう」
「去年の春まではなあ、それが秋の終わりにはまた落選した。それから寝っ転がって思案に暮れることが多くなるとさすがの親も堪忍袋の緒が切ったってことさ。伊達に横になってるわけじゃないんだがそこは居候の辛いところだ」
「なるほどと良いタイミングで仕事に有り付けたか、俺は福の神だ、でお前がやっていた漫画の世界に俺はやれそうだろうか」
店員が無言の催促のように机にある空の皿をかたづけて仕舞った。中本は残ったビールをコップに注ぐと腕を組んで思案し始めた。
「初っ端に云ったように野村、お前の描く線は正確過ぎるんだ漫画は製図とちゃう」
そう云うと中本は近くのチラシの裏側と鉛筆を差し出して、大まかな輪郭でええからと彼に中本の似顔絵を描かせた。今更と云う顔をして野村が描いた紙を受け取った。中本はそれに加筆をして野村に見せた。そこには格調された線が描き足してあった。
「その線が漫画の基本だ、音楽だって譜面どおり演奏すれば味気ないそれとおんなじやー」
と昔の植物園での写生大会の俺の絵を想い出して見比べてみろ。そう云って中本はコップを飲み干すと「じゃあ行くか」と二人は店を出た。
「あそこは居心地のよさそうな職場だなあ。これでお前が長く続いた訳が分かったよ」
中本はさっき面接を終えた工房の社長の山村さんの物腰の柔らかい人格を褒めている。
「気に入ったようやなあ。お前の所へ来る前に深山さんに植物園での写生大会の話をした。多分それが効いてるんやなあ」
あの話かと前置きして、野村お前の方こそ正確さに欠けると言い出した。
「お前の描く絵は目で捉えた物だ、正確に描くと云う事は頭で捉えた物を描かないといかん。お前のは目から直接に手に移ってる。そうじゃない目で見たものをしっかり頭に刻み込んだ物を直接絵筆に伝えないといかん」
講釈を終える前に中本は配膳されたビールを自分と野村のコップに注いでいる。
「何を言ってるんだ中本、お前の方こそ正確さに欠ける」
彼がそこまで言い掛けると、中本は持ったコップを捧げた。釣られて野村も持ち上げると二人は交わしたグラスで何口か呑んだ。丁度のタイミングで注文の品が揃いだした。咀嚼《そしゃく》するうちにビール瓶一本が空いたところで、絵の講釈から最近の話題に移った。
「その希美子さんか、どうなんだ」
何処から訊いた。と問えば深山さんらしい。どう説明したか知らんが彼女は理想郷を目指して飛び立つ鳥だ。後はどうなるか判らないが。
「あの会社では山村さんと云う人も一目置いていた女性らしいな」
中本は次におでんへ箸を進める。
「先生がそんな事言っていたのか」
ライバル心から野村は揚げ物に手をだした。
何でも熱心に近辺で写生して絵の研究をしていたらしいと。それは睦夫さんから聴いた話と変わりはなかった。
「まあそこまで聴いているんなら話しは早い。彼女は俺に漫画を描く事を勧めている。中学から十年近く経ったお前からいかに険しい道か説明してやってくれ」
「それはやり方にもよるし、第一楽な道なんて何処にも無い、山と違ってなんぼ極めても何処にも頂上なんて有るわけが無い。自分で決めない限りはなあ。だが決めたらそこで物事は終わる、なら最初から平らな道を歩き続けるのが良いんじゃないのか」
「中本、お前らしくないなあ」
二本目のビールが三分の一になっている。肴もまんべんに減っていた。だが二人ともメニューには手が伸びない。
「俺はまだ彼女がいないからなあ、だからいつでも退《しりぞ》ける」
「そんな気持ちだからヒットしないんじゃないのか」
ーー上から言われて仕事をしているお前にはその辺りは気楽で良い。だから俺も今からお前と同じ調子で絵筆を持つことにする。我が家もお前と一緒で働かざる者食うべからずだからなあー。
ーー毎回投稿していたお前の場合は別で、今まで引きこもりで家に居た訳じゃ無いだろう。
「収入が無ければおんなじ事だ」
この頃には瓶ビールの残量が気になるのかちびりちびりと飲み、肴も控えめに箸を出した。
「君の両親は厳しいんだなあ」
「当たり前だ昭和生まれの両親は何処も一緒だろう」
「だが投稿は続けていたんだろう」
「去年の春まではなあ、それが秋の終わりにはまた落選した。それから寝っ転がって思案に暮れることが多くなるとさすがの親も堪忍袋の緒が切ったってことさ。伊達に横になってるわけじゃないんだがそこは居候の辛いところだ」
「なるほどと良いタイミングで仕事に有り付けたか、俺は福の神だ、でお前がやっていた漫画の世界に俺はやれそうだろうか」
店員が無言の催促のように机にある空の皿をかたづけて仕舞った。中本は残ったビールをコップに注ぐと腕を組んで思案し始めた。
「初っ端に云ったように野村、お前の描く線は正確過ぎるんだ漫画は製図とちゃう」
そう云うと中本は近くのチラシの裏側と鉛筆を差し出して、大まかな輪郭でええからと彼に中本の似顔絵を描かせた。今更と云う顔をして野村が描いた紙を受け取った。中本はそれに加筆をして野村に見せた。そこには格調された線が描き足してあった。
「その線が漫画の基本だ、音楽だって譜面どおり演奏すれば味気ないそれとおんなじやー」
と昔の植物園での写生大会の俺の絵を想い出して見比べてみろ。そう云って中本はコップを飲み干すと「じゃあ行くか」と二人は店を出た。
10
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

覚悟はありますか?
翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。
「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」
ご都合主義な創作作品です。
異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。
恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。
私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。
さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。
許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。
幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。
(ああ、もう、)
やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。
(ずるいよ……)
リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。
こんな私なんかのことを。
友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。
彼らが最後に選ぶ答えとは——?

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。


彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる