振り向けば君がいた

和之

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第二十八話-2

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 野村は夕方には先生と面接を終えた中本と木屋町で落ち合った。二人は高瀬川沿いを歩いて居酒屋に入った。新年会も終わった一月の末は空いている。二人は衝立で仕切られた座敷机に対座してビールとつまみを頼んだ。
「あそこは居心地のよさそうな職場だなあ。これでお前が長く続いた訳が分かったよ」
 中本はさっき面接を終えた工房の社長の山村さんの物腰の柔らかい人格を褒めている。
「気に入ったようやなあ。お前の所へ来る前に深山さんに植物園での写生大会の話をした。多分それが効いてるんやなあ」
 あの話かと前置きして、野村お前の方こそ正確さに欠けると言い出した。
「お前の描く絵は目で捉えた物だ、正確に描くと云う事は頭で捉えた物を描かないといかん。お前のは目から直接に手に移ってる。そうじゃない目で見たものをしっかり頭に刻み込んだ物を直接絵筆に伝えないといかん」
 講釈を終える前に中本は配膳されたビールを自分と野村のコップに注いでいる。
「何を言ってるんだ中本、お前の方こそ正確さに欠ける」
 彼がそこまで言い掛けると、中本は持ったコップを捧げた。釣られて野村も持ち上げると二人は交わしたグラスで何口か呑んだ。丁度のタイミングで注文の品が揃いだした。咀嚼《そしゃく》するうちにビール瓶一本が空いたところで、絵の講釈から最近の話題に移った。
「その希美子さんか、どうなんだ」
 何処から訊いた。と問えば深山さんらしい。どう説明したか知らんが彼女は理想郷を目指して飛び立つ鳥だ。後はどうなるか判らないが。  
「あの会社では山村さんと云う人も一目置いていた女性らしいな」
 中本は次におでんへ箸を進める。
「先生がそんな事言っていたのか」
  ライバル心から野村は揚げ物に手をだした。
 何でも熱心に近辺で写生して絵の研究をしていたらしいと。それは睦夫さんから聴いた話と変わりはなかった。
「まあそこまで聴いているんなら話しは早い。彼女は俺に漫画を描く事を勧めている。中学から十年近く経ったお前からいかに険しい道か説明してやってくれ」
「それはやり方にもよるし、第一楽な道なんて何処にも無い、山と違ってなんぼ極めても何処にも頂上なんて有るわけが無い。自分で決めない限りはなあ。だが決めたらそこで物事は終わる、なら最初から平らな道を歩き続けるのが良いんじゃないのか」
「中本、お前らしくないなあ」
 二本目のビールが三分の一になっている。肴もまんべんに減っていた。だが二人ともメニューには手が伸びない。
「俺はまだ彼女がいないからなあ、だからいつでも退《しりぞ》ける」
「そんな気持ちだからヒットしないんじゃないのか」
 ーー上から言われて仕事をしているお前にはその辺りは気楽で良い。だから俺も今からお前と同じ調子で絵筆を持つことにする。我が家もお前と一緒で働かざる者食うべからずだからなあー。
 ーー毎回投稿していたお前の場合は別で、今まで引きこもりで家に居た訳じゃ無いだろう。
「収入が無ければおんなじ事だ」
 この頃には瓶ビールの残量が気になるのかちびりちびりと飲み、肴も控えめに箸を出した。
「君の両親は厳しいんだなあ」
「当たり前だ昭和生まれの両親は何処も一緒だろう」
「だが投稿は続けていたんだろう」
「去年の春まではなあ、それが秋の終わりにはまた落選した。それから寝っ転がって思案に暮れることが多くなるとさすがの親も堪忍袋の緒が切ったってことさ。伊達に横になってるわけじゃないんだがそこは居候の辛いところだ」
「なるほどと良いタイミングで仕事に有り付けたか、俺は福の神だ、でお前がやっていた漫画の世界に俺はやれそうだろうか」
 店員が無言の催促のように机にある空の皿をかたづけて仕舞った。中本は残ったビールをコップに注ぐと腕を組んで思案し始めた。
「初っ端に云ったように野村、お前の描く線は正確過ぎるんだ漫画は製図とちゃう」
 そう云うと中本は近くのチラシの裏側と鉛筆を差し出して、大まかな輪郭でええからと彼に中本の似顔絵を描かせた。今更と云う顔をして野村が描いた紙を受け取った。中本はそれに加筆をして野村に見せた。そこには格調された線が描き足してあった。
「その線が漫画の基本だ、音楽だって譜面どおり演奏すれば味気ないそれとおんなじやー」
 と昔の植物園での写生大会の俺の絵を想い出して見比べてみろ。そう云って中本はコップを飲み干すと「じゃあ行くか」と二人は店を出た。
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