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第二十話-2
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ひと月つきもすればざっくばらんに話が出来た。しかし二ヶ月してそれ以上は進めず頓挫するが決して仲が悪くなったので無い。有る一定以上の距離を彼女が保ち出して心の中に踏み込めなくなったのだ。その頃から彼女の目の前には自己防衛のような、目に見えない幕が張られているみたいになった。その手前までなら彼女は惜しみなく手を差し伸べてくれた。だから最近わたしは彼女の愛の本質に疑問を持っている。それはまず彼女の奇異な言動や行動だった。
彼女は結婚と言う二文字を待っているようだが、彼女の言動のすべてにその二文字は存在しないように思われる。それは神聖なものとしてわざと自分から遠ざけているのか。しかしそんな古風な世間体に縛られそうな人には見えない。だから彼女に振り回されているのなら、わたしは土壺にはまった一種の蟻地獄を彷徨った事になる。
「それで君は彼女をどう思う」
いつもは鼻から抜ける高い声なのに、低く喋るこの言葉はいつもの深山らしくなく、かなりの重みを野村は感じた。追い詰められているのか、何に誰に。希美子は深山とは絶好調の二人を演じているはずなのに何が災いしているのか。彼女の演技力には野村も振り回されるからこの時点では考えられなかった。だが深山の確信を避けた言動では、真に理解するにはもう少しの酒量を必要とした。
「いいんじゃないですか」
「どういいんだ」
「人それぞれ長所短所が有りますが、彼女の奇異な言動でも、その美しい生き方ですべてが輝いて見えるから、毒食らば皿までと云う境地にさせますね」
「と云うと・・・」
「ふぐを好きな人は食べたい一心から正しい調理方法とか後先考えませんねそれと似て非なるものでしょうか」
深山はウーンと押し込めるように低く唸ると暫く黙った。
着物は縦糸と横糸が交わって出来る。同じように絡めた赤い糸の話を、彼女はそれなりに美しく解釈して深山と重ね合わせた。それで心を揺り起こさせたのだろうか。それは後からの付随でそうじゃない、その言葉以前の問題だろう。問題は次第に深山と云う輪郭が現れて来ると、重なり合わない部分が生じて行く。無理に合わせてゆけばどこかで亀裂が生じて来る。彼女はそれを恐れだした。そのせめぎ合いで心が苛まれて見えない物まで見るようになってくる。そもそも彼女の理念には絶対的な価値観は存在しないと云う事だろうか。
「俺は毒に犯されたのか・・・」
深山が突然に吐いたこの問い掛けは、彼自身に言い聞かせているようでもあった。
「毒には浸ってはいませんから。それは深山さん次第では、彼女は毒にも薬にもなりますから」
彼女は毒ではなく薬だと思いたい。それも良薬に、しかし処方箋を間違うと彼女との恋いは劇薬になるか、まさかシェークスピアじゃ有るまいし。
「毒か薬か、言い換えれば彼女は菩薩か夜叉か。俺には時々オーバーラップするように入れ替わる」
深山のこの言葉は野村には不可解だった。
「そうでしょうかぼくには菩薩にしか観えない」
彼女と掛け値なしの絶好調の野村はアッサリ否定した。
「君はまだ第三者、部外者だからそうかも知れないが当事者にはそうは見えない」
そう言って笑えないのに深山はまともに笑った。野村はこれ以上聴くに堪えないが、引導を渡すのは彼女の役目で越権行為になる。
「彼女の幻聴、幻視は今に始まったものじゃない。付き合って二ヶ月目に俺は彼女の実家のある熊本へ連れて行ってもらった。誤解の無いように彼女が誘ったのだ。普通の女の子ならそれは別な意味を伴うはずだが彼女の場合はそうじゃなかった。と言い換えても良いぐらい特別な決意なんてどこにもないんだ。あえて云うなら通過儀礼だろう」
「何の通過儀礼なんですか」
「一人の男を試す。自分に相応しいかどうかまず両親の反応を観るためだ」
「それで両親は」
「反対はしなかった。親は好きにすれば良いと云うことらしい、しかしそれが彼女には物足りないらしいそれ以上の進展もなく次のバスを待つような関係が彼女とはそのまま続いている」
「次のバスを待つ? それはないでしょう・・・。下車しないで・・・」
いや本当は下車している。それはそこへ野村と云う次のバスが来たからだ 。
「だから普通の子じゃないんだ彼女は」
深山の自問に近いこの言葉は野村の頭をいとも容易(たやす)くすり抜けて行った。
社会に出て間もない野村には普通の女の意味が解らない。彼から見れば母も含めて女はみんなひと癖、ふた癖も有って、普通の女性は見当たらない。だから人は永遠に未知な部分に憧れる。問い詰めればそもそも人のこころと云うものはそんなもんじゃないのだろうか。そして死んでしまえばみんなあの世へ持って行くから誰も知らない。後に轍だけが残る。彼女はその先駆者たちの遺訓とやらをどう捉えているかだが・・・。
彼女は結婚と言う二文字を待っているようだが、彼女の言動のすべてにその二文字は存在しないように思われる。それは神聖なものとしてわざと自分から遠ざけているのか。しかしそんな古風な世間体に縛られそうな人には見えない。だから彼女に振り回されているのなら、わたしは土壺にはまった一種の蟻地獄を彷徨った事になる。
「それで君は彼女をどう思う」
いつもは鼻から抜ける高い声なのに、低く喋るこの言葉はいつもの深山らしくなく、かなりの重みを野村は感じた。追い詰められているのか、何に誰に。希美子は深山とは絶好調の二人を演じているはずなのに何が災いしているのか。彼女の演技力には野村も振り回されるからこの時点では考えられなかった。だが深山の確信を避けた言動では、真に理解するにはもう少しの酒量を必要とした。
「いいんじゃないですか」
「どういいんだ」
「人それぞれ長所短所が有りますが、彼女の奇異な言動でも、その美しい生き方ですべてが輝いて見えるから、毒食らば皿までと云う境地にさせますね」
「と云うと・・・」
「ふぐを好きな人は食べたい一心から正しい調理方法とか後先考えませんねそれと似て非なるものでしょうか」
深山はウーンと押し込めるように低く唸ると暫く黙った。
着物は縦糸と横糸が交わって出来る。同じように絡めた赤い糸の話を、彼女はそれなりに美しく解釈して深山と重ね合わせた。それで心を揺り起こさせたのだろうか。それは後からの付随でそうじゃない、その言葉以前の問題だろう。問題は次第に深山と云う輪郭が現れて来ると、重なり合わない部分が生じて行く。無理に合わせてゆけばどこかで亀裂が生じて来る。彼女はそれを恐れだした。そのせめぎ合いで心が苛まれて見えない物まで見るようになってくる。そもそも彼女の理念には絶対的な価値観は存在しないと云う事だろうか。
「俺は毒に犯されたのか・・・」
深山が突然に吐いたこの問い掛けは、彼自身に言い聞かせているようでもあった。
「毒には浸ってはいませんから。それは深山さん次第では、彼女は毒にも薬にもなりますから」
彼女は毒ではなく薬だと思いたい。それも良薬に、しかし処方箋を間違うと彼女との恋いは劇薬になるか、まさかシェークスピアじゃ有るまいし。
「毒か薬か、言い換えれば彼女は菩薩か夜叉か。俺には時々オーバーラップするように入れ替わる」
深山のこの言葉は野村には不可解だった。
「そうでしょうかぼくには菩薩にしか観えない」
彼女と掛け値なしの絶好調の野村はアッサリ否定した。
「君はまだ第三者、部外者だからそうかも知れないが当事者にはそうは見えない」
そう言って笑えないのに深山はまともに笑った。野村はこれ以上聴くに堪えないが、引導を渡すのは彼女の役目で越権行為になる。
「彼女の幻聴、幻視は今に始まったものじゃない。付き合って二ヶ月目に俺は彼女の実家のある熊本へ連れて行ってもらった。誤解の無いように彼女が誘ったのだ。普通の女の子ならそれは別な意味を伴うはずだが彼女の場合はそうじゃなかった。と言い換えても良いぐらい特別な決意なんてどこにもないんだ。あえて云うなら通過儀礼だろう」
「何の通過儀礼なんですか」
「一人の男を試す。自分に相応しいかどうかまず両親の反応を観るためだ」
「それで両親は」
「反対はしなかった。親は好きにすれば良いと云うことらしい、しかしそれが彼女には物足りないらしいそれ以上の進展もなく次のバスを待つような関係が彼女とはそのまま続いている」
「次のバスを待つ? それはないでしょう・・・。下車しないで・・・」
いや本当は下車している。それはそこへ野村と云う次のバスが来たからだ 。
「だから普通の子じゃないんだ彼女は」
深山の自問に近いこの言葉は野村の頭をいとも容易(たやす)くすり抜けて行った。
社会に出て間もない野村には普通の女の意味が解らない。彼から見れば母も含めて女はみんなひと癖、ふた癖も有って、普通の女性は見当たらない。だから人は永遠に未知な部分に憧れる。問い詰めればそもそも人のこころと云うものはそんなもんじゃないのだろうか。そして死んでしまえばみんなあの世へ持って行くから誰も知らない。後に轍だけが残る。彼女はその先駆者たちの遺訓とやらをどう捉えているかだが・・・。
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