遥かなる遺言

和之

文字の大きさ
上 下
53 / 54

(53)

しおりを挟む
(53)
 京都には東の横浜と並ぶ進駐軍の地方司令部が四条烏丸辺りのビルに有ったのよ。もちろん伝手が無ければ一般の人が自由に出入り出来る場所じゃなかった。食うや食わずの時代でもここには物資が山積みされ、飢えた庶民には羨望の的だった。あたしの友人が岡崎辺りの洋館に住んでいた。案の定そこは進駐軍に接収された。けれど彼女と家族はそこへ同居した将校と懇意になった。お陰であたしにも伝手が出来たの。である日、司令部の前をうろつく長沼とばったり出くわした。もちろん二人とも初めての顔合わせよ。あたしが此処の米軍将校と仲が良いと知ってからやたらと付きまとって来るのよ。そこで「姉さん、物を買いたいんだ」と声を掛けられて「物なら駅裏の八条の闇市へ行けばって」云ったら「そうじゃねぇコンタックスやライカの様な舶来の高級品だ」と云うから「金持ってるの?」と訊くとドルの札束を見せるからこの男の目的は察しが付いた。要はその当時は手に入らない物を右から左へ流して金儲けを企んでるんだと。
 ばあちゃん、何の面識も無い人といきなりそんな話しするの、いやその当時はお姉さんなのねと礼子が言い直すと、彼女は機嫌良く話しを続けた。その日その日を食いつなぐ敗戦のドサクサのその当時はね、瞬時に人の目利きが出来なけャア。それと今、目の前に有る品物だけが信頼の証しの様なものだからね。
「だって誰の物か分からないのに」
「そんな事言ってたら生きていけないご時世で、持ってる人が所有者。たとえ盗んだ物でも盗まれた者が悪い、あの当時生きるってそう云う事なのよ」
  それに当時の長沼はどことなく頼りがいのある雰囲気を漂わせていて、それでいて生活臭さがない。一言で云うなら此処の米軍将校と変わらない。いっぺんに惚れたけどこのご時世、そんなもの悟られたら何処まで身を落とすか分からないから暫くは突っ張ってた。けどあんなに荒れた世の中なのにこんなに清々しい人、見たことないから直ぐに一緒になったけれど・・・。
 あの人どこで手に入れたか知らないけれど(まあまともじゃないと思ったけど)貴金属とドル紙幣を大量に持っているのよ。なんせあのインフレの中ではこれらは不動の価値だからねえ。円なんて紙切れよ、あっと云う間に十倍も二十倍も目減りするんだから。戦災を免れた蔵には外人が欲しがるお宝が眠っている。それをあの人は二束三文で手に入れて来る。それをあたしが占領軍の高級将校に売る。彼らは珍しがって幾らでも買ってくれる。だからおじいちゃんは福の神ね。それから米軍に取り入って闇ルートで砂糖などの貴重品の商いを始めると、手元の資金はあっと云う間に膨れ上がるから、たちまちおじいちゃんは大金持ち。それもあたしが一役買ってるのよ。だってあたしと会わなければあの人の持ち物なんて宝の持ち腐れだったのだから。経済が安定して物価が落ち着けば値打ちは下がるからね。それまでにあたしのお陰で手持ち資産を何百倍に出来て、それを元手に事業を始めた。折からの経済成長でおじいちゃんの会社は右肩上がりで此処まで来たのだから。あたしの伝手とあの人の元手が合算して、今日のあなた達の生活が成り立っているの。だからあの人の遺産の意味を良く考えなさい。
  そのばあちゃんが突然想い出し笑いをした。そしてあの人、実に純な人なのよ。だって進駐軍の司令部近くの通りには多くの女が立っていた。でもその中の一人の街娼なんかはどっから見ても十五、六まだ子供じゃないかと咎めるからあたし大笑いしたのよ。彼はなんでこんな子供まで米兵の相手しなけゃならないんだって真面目に言うから、あたしも生(き)真面目に言ってやった「あんたら男どもが威勢よう始めても、ちゃんと後始末出来ひんさかいあんな女の子まで苦労するんじゃないの。だから戦争はまだ終わってないのよ、これからが女たちの肉弾戦や」と言うたら、そしたらあの人は若いのに戦争に行ってないんだって言うじゃない、しかも樺太に居たって。よくもまあロスケに捕まらなかったねぇって言えばロシア人は悪く無いって。あの人、火事場泥棒のロシアを擁護するから、もう開いた口が締まらないってこの事ね。でもそこで初めて金の出所を一応、信じるか信じないかは別にして知ったの。
     ********

 このおばあちゃんの話から、じいちゃんの遺言の真意を理解すれば、あなたは何も結婚を急ぐ事は無いのよと言われたの。ただ喪が明けるまでに成仏させてやってほしい。長年あの人がこころを痛め続けたものをすっきりさせてあげたい。とそれをあたしと井津治に言付けたのよ。あなたもやっとそれを悟ったのね。
 それで永倉喜一さんは本当はどうだったの? と礼子は訊いた。
「間違いなく親父は帰した」
 金の切れ目が縁の切れ目を、絵に描いた様な親父だった。そんな親父だから眼前に広がる美しい風景より、濁った雑踏の町でしか生きられない。親父には何も無い此の能登に留まる理由は何ひとつ無かった。此の能登の水那月はおじさんが夢をはせた北前船の寄港地だった。井津治には好きな秘密のスポットがひとつだけあった。これからそこへ案内すると言いだしそこへ三人は向かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

坊主頭の絆:学校を変えた一歩【シリーズ】

S.H.L
青春
高校生のあかりとユイは、学校を襲う謎の病に立ち向かうため、伝説に基づく古い儀式に従い、坊主頭になる決断をします。この一見小さな行動は、学校全体に大きな影響を与え、生徒や教職員の間で新しい絆と理解を生み出します。 物語は、あかりとユイが学校の秘密を解き明かし、新しい伝統を築く過程を追いながら、彼女たちの内面の成長と変革の旅を描きます。彼女たちの行動は、生徒たちにインスピレーションを与え、更には教師にも影響を及ぼし、伝統的な教育コミュニティに新たな風を吹き込みます。

刈り上げの春

S.H.L
青春
カットモデルに誘われた高校入学直前の15歳の雪絵の物語

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夏の決意

S.H.L
青春
主人公の遥(はるか)は高校3年生の女子バスケットボール部のキャプテン。部員たちとともに全国大会出場を目指して練習に励んでいたが、ある日、突然のアクシデントによりチームは崩壊の危機に瀕する。そんな中、遥は自らの決意を示すため、坊主頭になることを決意する。この決意はチームを再び一つにまとめるきっかけとなり、仲間たちとの絆を深め、成長していく青春ストーリー。

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

バッサリ〜由紀子の決意

S.H.L
青春
バレー部に入部した由紀子が自慢のロングヘアをバッサリ刈り上げる物語

真夏の温泉物語

矢木羽研
青春
山奥の温泉にのんびり浸かっていた俺の前に現れた謎の少女は何者……?ちょっとエッチ(R15)で切ない、真夏の白昼夢。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
「かっこいい……あのボディ。かわいい……そのお尻」ため息を漏らすその視線の先に何がある? たまたま居合わせたイベント会場で空を仰ぐと、白い煙がお花を描いた。見上げた全員が歓声をあげる。それが自衛隊のイベントとは知らず、気づくとサイン会に巻き込まれて並んでいた。  ひょんな事がきっかけで、カメラにはまる女の子がファインダー越しに見つけた世界。なぜかいつもそこに貴方がいた。恋愛に鈍感でも被写体には敏感です。恋愛よりもカメラが大事! そんか彼女を気長に粘り強く自分のテリトリーに引き込みたい陸上自衛隊員との恋のお話? ※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。 ※もちろん、フィクションです。

処理中です...