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夕べは木屋町の居酒屋で随分呑んだ。それで飽き足らず鴨川を越えて祇園になだれ込んだ。ドアを開けた店のオーナーは青ざめた青年を直ぐに理解した。オーナーはまだ井津治を覚えていた。
「ひょっとしたらもうオーナーは替わってるかも知れないと思って来ました」
開けるなり井津治はそう言って広くはない店のカンターに座った。母が亡くなって十年以上になるが以後も長沼のおじさんはこの店を贔屓にしていた。マスターは今日の通夜には最初に焼香を挙げて直ぐに帰って店を開けていた。
「じゃ入れ違いでしたね」
そう言って水割りを置いた。五人座れるカンターには彼一人で三つあるテーブル席も一つ空いていた。テーブル席では店の女の子と客が愉しく話していた。
「大きくなられましたね、あの頃はまだ小学生だったのに」
「そうでしたね途方に暮れていた母は保育所まで用意してくれたこの店に感謝してましたよ」
「お母さんのお陰で店は客入りが良くなりましたからこっちも大助かりでしたけどね」
「母は水商売は初めての素人だったのにですか」
「こう云う所へ足を運ばれる人の気心は自分を発散さすためなんですからそれを女の子たちは上手く掴んであげられるかですね。でも女の子の話術のパターンはそう多く無いんですよ客も若い子にそこまで求めるのは諦めて解ってもらえないまま呑みに来る客がたい半ですからね。内はそれで一時の気晴らしが出来る範囲の料金でやってますからでもその料金以上の安らぎ満足感があれば頻繁に足を運んでくれますよあなたのお母さんの千代子さんはそんな人だったんですよ長沼さんでなくても傍らに置いておきたいと思うでしょうね」
「長沼さんに魅入られて母が抜けて大変じゃなかったのですか」
「少しはね、でも長沼さんが会社の接待に使ってくれましたから持ち直しましたよ」
「たまに行ってるのかと思ってましたけどそれじゃしょっちゅうなんですね」
店主は井津治の酒量は知らないが、酒の速いペースに驚いていた。途中で用足しに行って青い顔で帰ってからは自制を促した。
「おじさんが亡くなられたのは分かりますが明日の告別式にも出るンでしたらそろそろお帰りになった方がいいんじゃないですか」
「明日は出るかどうか分からない」
「どうしてまた」
彼の意外性に店主は驚いた。
「礼子さんに上手くあしらわれた」
「一番下のお嬢さんですか、長沼さんも此処でぼやいてましたよ、三人の中で一番手の掛かる孫だと言って」
「ここでも言ってるんですか」
「あの娘(こ)を早く片付けないと言ってましたよ」
長沼のおじさんはやはり礼子の縁談を一番に気にしているようだった。でも井津治の名はここでは挙げていない。あんなにおじさんは俺に彼女の事を挙げているのにそれが不思議だった。井津治はマスターの忠告を受け入れた。帰り着くとそのまま朝を迎えた。
魂(こころ)なんて一体何なのだろう。死んでしまえばそんなもの誰も知れはしない。ただ己以外は本当に誰も解りはしない。それが寂しいのなら生きる資格がない、だから俺は生きる。
誰が云った言葉だっけと考えても仕方がない。別の生き方を探すかと見飽きた天井から不意に飛び起きた頃には昼過ぎだった。告別式は間に合わないとそのまま寝込んだ。それでも夕方に彼が出掛けたのは顧問弁護士からの催促だった。
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