遥かなる遺言

和之

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 中央の椅子は順次整理され残った椅子は周囲に移動した。喪主から通夜膳の合図が有るまで手持ち無沙汰にみんなは待機した。礼子は隅に移動された椅子に座り野々宮にも同席を勧め、棺から戻ってきた井津冶も座った。
「どう最後のお姿は?」
「あのおじさんがこんなに早く逝ってしまうなんて思わなかった。・・・あれほど干渉しながら今は罪のない顔をしている」
「真っ白ないい着物(経帷子)を着ていたでしょう。祖父の着替えは野々宮さんにしていただいたのよ。この人は司会だけでなく身の回りのお世話までやっていただいてるんですから、感謝しなさい」
 井津冶は一寸薄笑いを浮かべただけで返事はしなかった。そこで桐山に呼ばれ野々宮は席を外した。
「まあいいわ。それで何か言いたいことがあるんでしょう此処暫く会ってないから」
「おじさんが入院してから二週間ぐらいになるかなあ。なんせ面会謝絶だから見舞いにも行けなかった」
「来る気は有ったの?」
「あれほど身勝手なおじさんはないよ。親を無視して孫の名前と行く末を決めるなんて。君はもう自由だけどこれだけはおじさんの決めたとおりに心変わりなんか無しにしてほしい」
 穏やかに切り出した。
「また持ち出すのね、この話には祖父の意向なんて最初からあたしの頭にはなく、ただ意地だけだったけどそれも無くなって、もう自由なんだから冷静に振り出しに戻れてホットしている」
「振り出しってことはまた一からやり直せるのかい」
「なんだかバタバタしたけれど判らないわ。・・・それよりお父さんもう通夜膳の支度を頼んだのかしら?」
 広い会場に敷き詰められた椅子は片付けられた。控え室に近い会場の一隅に幾つかのテーブルを合わせてクロス掛けが済み、三十人が着席できるテーブルが組み立てられた。せわしなくホールの人達が動き回り、桐山も野々宮も人手が足りずに支度を手伝っていた。式が終われば応援の高野ホールのサブロクは帰り、バイトの女子三人が酒と料理の配膳しなければならない。         
「今回は大当たりやなあ。こりゃあ山岡が云うように会員の入れ喰いになるかも知れん、そうなると今月は首位打者の坂下さんとトップを争うなあ」と店長は宴会設営に熱をいれながらも野々宮に語っていた。野々宮は時々礼子のほうに目をやりながら設定を終えてみんなに着席を勧めた。だがあの男は宴席には加わらず退席した。
「帰られたんですか」
 場違いなのよ、あの人は、とそれだけ言い残して礼子は席に着いた。何が場違いなのか考える野々宮を尻目に礼子は隣の席を勧めた。かまへん仕事やと店長は席に座らせながら頑張れよと云う催促の言葉も忘れなかった。だが最後の言葉を礼子は勘違いしたに違いなかった。物分かりのいい人ねと云う礼子の囁きで確信できた。
 会社関係の人々が代わる代わる喪主にお悔やみの言葉を述べて、次々と退席すると半分になっていた。尚も店長はビールを持って三十分ほど遺族にあいさつ回りを続けたが、祖母が席を外すと残った遺族も順次退席した。残っているのは早朝からの親族と次男の妻と優子の夫で佐伯の八人に減っていた。
 一人で飲み始めた喪主に営業のチャンスとばかりに、店長は斜め向かいに居る喪主にビールを注ぎにいった。
「あんたとこの若いもんはようやってくれますわ」
「野々宮はもう三十に手が届く男ですからね」
「独身かね」                        
「一寸堅物なところがありましてね」
「いや信念があってよろしい。此処で言うのもなんですが死んだ親父も自分の意志を貫き徹しました」
 と喪主はほろ酔い気分で今日の主役について店長に語りだした。
  この日の喪主は快活によく語ったが後で周囲の親族のひんしゅくを浴び、特に祖母からは激しい叱責を受けて
暫くは口を利くのもはばかられた。
「父は偉大でした。二十一歳で樺太を脱出して物の無い時代にこの街へ戻ってきて、人と物が集まりやすいところは駅裏だと目を付けたんです。そう八条口と呼ばれたところの闇市から始まり、暮らしが少しばかり落ち着いてくると、境内の露天商で小金を稼いでそれを元手に商売を広げて今日の財を父は一代で築いた。そのたゆまぬ努力の源は樺太で作られたと言ってました。
 父は喰いっぱぐれて樺太へ一旗挙げに行った。それは厳しい厳寒の地でして、今まで作った自分の限界がこの地では通じないと思い知らされたと言ってました。これまでは一体何だったのかと、それからは限界は自分で決めないでトコトンやり抜いた。この地での苦労を掻きむしるように刻み付け、戒めにしたお陰で今日の成功があったがお前にはそれがない。そう父から引導を渡されて後を継いだのはわしでなく弟でした。だからわしも商売に向かんから弟に譲った。
 会社は弟にやるが父の財産はわしが引き継ぐと決めてあるから弟には一銭もいかない。まあ経営のことでわしが口を挟むより、あいつならその何倍も稼ぐからその方がいいだろうと、父は会社以外の資産を長男一家に譲ると口頭で伝えている。その代わりに長男のわしは会社への一切の権利を放棄したが、少しばかりの株は持っているが筆頭株主は弟になっている。

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