下弦に冴える月

和之

文字の大きさ
上 下
34 / 50

(34)

しおりを挟む

 朔郎は病院を出て二時間も歩き回ってやっと有美子に電話した。十七年振りにの声に佐恵子から聞かされたのか彼女は驚かなかった。
 朔郎は彼女の指定した喫茶店「篝火」(かがりび)は初老のマスターが独りでやってるこぢんまりした喫茶店だった。八坪の長めの店内には長いカウター席と小さなテーブル席が三つ並んでいた。
 朔郎はカウンター席の端っこに座った。注文したコーヒーが出来る頃に有美子はやって来た。二人も子供がいる割には学生時代とそう変わらなかった。
 来店した有美子は入るなり、初老のマスターとは親しげに挨拶してから朔郎の隣に座った。
「昔と変わらないのね」
「有美子さんも変わってないようだねぇ」
 隣に座った彼女を間近に観ると、やはり目立たない程度に生活の跡が見えた。やはり長年の歳月が顔に表れていた。
 この店で佐恵子は、一緒に暮らしていた朔郎との話をよくした。中でも一番に印象に残っているのはやはり漁船に乗っていた話だった。それで有美子は朔郎との話題を一応そこから入った。
「佐恵子が見せてくれたあの絵葉書はアンカレッジなの?」
 最初の補給で寄った時に佐恵子に出した絵葉書を思い出した。
「いや、あれはアラスカ半島の先にある島でウナラスカ島のダッチハーバーで、まあその辺りからアリューシャン列島は始まっているんだ」
「アリューシャンって凄いところね家(うち)の人が感心していたわ」
「確かに寒いが、寒流が行き着く千島列島の方が流氷が来て厳しいかも知れないね。それより旦那さんは元気?」
 そうか、亭主を出したから振って来たか。まずいこのまま話が逸れるのは戻さないと、そう思って有美子はコーヒーをひと飲みすると目許を緩めた。
「本当に訊きたいのは佐恵子の事でしょう。ハッキリ言えばいいのに。それで電話で呼び出したのでしょう」
「そうだけど・・・」
 彼は言葉を詰まらせながらもその顔は期待に膨(ふく)らんでいた。
「かおりちゃんの事で佐恵子は福井まで迎えに行ったんでしょう。で、かおりちゃんには会ったの?」
「寝顔だった」
「ホットしたんじゃないの」
 朔郎は暫く黙った。
「良く解らない、それよりなぜ彼女は突然十七年振りに会いに来たの?」
「別に、会うのに理由がいるの」
「そうじゃない、正幸のことだ」
「それは私にも分かる訳がないでしょう」
「佐恵子と良く会ってるんだろう、その辺から判るだろう」
「会ってはいるけれどそれは十七年間会っていないあなたと変わらないのよ」
 コーヒーカップを両手で持ちながら片方の親指でしきりにカップの淵をなぞりながら言う有美子を仲が良いのか悪いのか、何処までが芝居でどこからが真剣なのか解らなかった。十七年前の最初の揉め事で見せたあの真剣な有美子の顔を知る朔郎には今の真意は掴めなかった。それでも朔郎は彼女を注視した。
「変わった事と言えば・・・。そうね流産したことかしら」
「それは再会した日に聞かされた」 
 有美子はホオーと云う顔で見返してきた。
「佐恵子が妊娠したと知ると正幸さんは一戸建ての家を買ったの、張り切ったと思うわあの年代で。あたしたちでも借家住まいから抜け出せなかったのに」
「仕事が順調にいってるンだなあ」
 朔郎は独り言のようにいって虚ろに視線を落とした。
「ううん。生まれてくる子供のためにかなり無理して買ったらしいわよ」
 今も借家暮らしの私達をどう見ているのかちょっと彼の反応を見た。
「それだけ新しく生まれる最初の自分の子供に期待していたのね」
「期待?」
「そう、子供を中心にした家族よ」
「正幸が? ・・・まあ結婚すれば順序とすればそうなるか」
「ひとごとみたいに結論づけるところは昔のままね。そんなところに惹かれたのかしら、佐恵子は・・・」
 朔郎は急に曇らせた視線を彷徨わせた。彼女は余計な事を言ってしまっと思いながらも話を続けた。
「彼女が妊娠した時はそれは正幸さんは喜んだわ。なんて言っても家まで買ったのですからね。でも正幸さんが期待すればするほど佐恵子は考え込むようになったの。そしてある日、私に独り言のように云ったの『本当にこの子は祝福されて生まれて来るのかしら? 生まれても育てる自信がない、この子に愛情を注げかしら』って。案ずるより産むが易しとは佐恵子の為に有る言葉ね。北村さん、あなたと一緒の時もそうだったでしょう。両親に祝福されて結婚したいって、と。それは自分の気持ち次第で済む事だけど。でも子供は、もう、ひとりの人格を持って生まれるのよ。それを佐恵子は、新しく生まれる生命を、自分とは切り離されようとする生命まで自分の指標にしたのは許し難い・・・」   

    
    
    
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

椿散る時

和之
歴史・時代
長州の女と新撰組隊士の恋に沖田の剣が決着をつける。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

イルカノスミカ

よん
青春
2014年、神奈川県立小田原東高二年の瀬戸入果は競泳バタフライの選手。 弱小水泳部ながらインターハイ出場を決めるも関東大会で傷めた水泳肩により現在はリハビリ中。 敬老の日の晩に、両親からダブル不倫の末に離婚という衝撃の宣告を受けた入果は行き場を失ってしまう。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...