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しおりを挟む朔郎は病院を出て二時間も歩き回ってやっと有美子に電話した。十七年振りにの声に佐恵子から聞かされたのか彼女は驚かなかった。
朔郎は彼女の指定した喫茶店「篝火」(かがりび)は初老のマスターが独りでやってるこぢんまりした喫茶店だった。八坪の長めの店内には長いカウター席と小さなテーブル席が三つ並んでいた。
朔郎はカウンター席の端っこに座った。注文したコーヒーが出来る頃に有美子はやって来た。二人も子供がいる割には学生時代とそう変わらなかった。
来店した有美子は入るなり、初老のマスターとは親しげに挨拶してから朔郎の隣に座った。
「昔と変わらないのね」
「有美子さんも変わってないようだねぇ」
隣に座った彼女を間近に観ると、やはり目立たない程度に生活の跡が見えた。やはり長年の歳月が顔に表れていた。
この店で佐恵子は、一緒に暮らしていた朔郎との話をよくした。中でも一番に印象に残っているのはやはり漁船に乗っていた話だった。それで有美子は朔郎との話題を一応そこから入った。
「佐恵子が見せてくれたあの絵葉書はアンカレッジなの?」
最初の補給で寄った時に佐恵子に出した絵葉書を思い出した。
「いや、あれはアラスカ半島の先にある島でウナラスカ島のダッチハーバーで、まあその辺りからアリューシャン列島は始まっているんだ」
「アリューシャンって凄いところね家(うち)の人が感心していたわ」
「確かに寒いが、寒流が行き着く千島列島の方が流氷が来て厳しいかも知れないね。それより旦那さんは元気?」
そうか、亭主を出したから振って来たか。まずいこのまま話が逸れるのは戻さないと、そう思って有美子はコーヒーをひと飲みすると目許を緩めた。
「本当に訊きたいのは佐恵子の事でしょう。ハッキリ言えばいいのに。それで電話で呼び出したのでしょう」
「そうだけど・・・」
彼は言葉を詰まらせながらもその顔は期待に膨(ふく)らんでいた。
「かおりちゃんの事で佐恵子は福井まで迎えに行ったんでしょう。で、かおりちゃんには会ったの?」
「寝顔だった」
「ホットしたんじゃないの」
朔郎は暫く黙った。
「良く解らない、それよりなぜ彼女は突然十七年振りに会いに来たの?」
「別に、会うのに理由がいるの」
「そうじゃない、正幸のことだ」
「それは私にも分かる訳がないでしょう」
「佐恵子と良く会ってるんだろう、その辺から判るだろう」
「会ってはいるけれどそれは十七年間会っていないあなたと変わらないのよ」
コーヒーカップを両手で持ちながら片方の親指でしきりにカップの淵をなぞりながら言う有美子を仲が良いのか悪いのか、何処までが芝居でどこからが真剣なのか解らなかった。十七年前の最初の揉め事で見せたあの真剣な有美子の顔を知る朔郎には今の真意は掴めなかった。それでも朔郎は彼女を注視した。
「変わった事と言えば・・・。そうね流産したことかしら」
「それは再会した日に聞かされた」
有美子はホオーと云う顔で見返してきた。
「佐恵子が妊娠したと知ると正幸さんは一戸建ての家を買ったの、張り切ったと思うわあの年代で。あたしたちでも借家住まいから抜け出せなかったのに」
「仕事が順調にいってるンだなあ」
朔郎は独り言のようにいって虚ろに視線を落とした。
「ううん。生まれてくる子供のためにかなり無理して買ったらしいわよ」
今も借家暮らしの私達をどう見ているのかちょっと彼の反応を見た。
「それだけ新しく生まれる最初の自分の子供に期待していたのね」
「期待?」
「そう、子供を中心にした家族よ」
「正幸が? ・・・まあ結婚すれば順序とすればそうなるか」
「ひとごとみたいに結論づけるところは昔のままね。そんなところに惹かれたのかしら、佐恵子は・・・」
朔郎は急に曇らせた視線を彷徨わせた。彼女は余計な事を言ってしまっと思いながらも話を続けた。
「彼女が妊娠した時はそれは正幸さんは喜んだわ。なんて言っても家まで買ったのですからね。でも正幸さんが期待すればするほど佐恵子は考え込むようになったの。そしてある日、私に独り言のように云ったの『本当にこの子は祝福されて生まれて来るのかしら? 生まれても育てる自信がない、この子に愛情を注げかしら』って。案ずるより産むが易しとは佐恵子の為に有る言葉ね。北村さん、あなたと一緒の時もそうだったでしょう。両親に祝福されて結婚したいって、と。それは自分の気持ち次第で済む事だけど。でも子供は、もう、ひとりの人格を持って生まれるのよ。それを佐恵子は、新しく生まれる生命を、自分とは切り離されようとする生命まで自分の指標にしたのは許し難い・・・」
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