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朔郎の写真展は今日が最終日だ。午後三時で狭山と綾子が閉店の手伝いに来てくれてその後に居酒屋で打ち上げをやる予定だった。
写真展は活況とは行かずそれでも多くの年配者が訪れ、作品作りを続けるように声援を送ってくれた。思慮深い人は昔の写真に目を留めてくれるが、そうでない人は一瞥するだけでサッサと通り過ぎてしまう。満月に近付く上弦の月と違って新月に近付く下弦の月はやはり物寂しく映るのかも知れない。が不夜城の世界に生きる人々にすれば月の満ち欠けに思慮する人は希だった。
「やはりああ云う作品は今の人には受け入れて貰えないのか。全くスポンサーも付かなかったか」
ため息交じりに下弦に冴える穂高を見ていた。
「中々いい作品だなあ」
振り返ればそこに立っていたのは十数年ぶりに見る正幸だった。あの山登り以来会っていないせいか、大学時代より一皮も二皮も剥けていた。昔の面影は僅かに下がった彼の目尻だけだった。これがあっちこっち飛び回っている商社マンの姿なのか?。
「随分と昔の写真だ」
「それにしては斬新だなあ」
「そう思ってくれるか、有り難いね」
人気(ひとけ)の絶えた店内を見回した。
「もう店じまいか」
「それを見計らって来たんじゃないのか」
図星と云わんばかりに正幸は目尻を緩めて、人差し指で照れるように鼻をすすった。そこが昔のままだった。朔郎も苦笑いをした。
「せっかく来てくれたんだゆっくり見ていってくれ」
「時間はいいのか」
「それは俺が決めるんだ。それに賃貸契約では今日一杯まで大丈夫だ」
「そうか、大学での噂では本当は四回生の時に個展を開くつもりだったんだなあ」
そう云いながら展示してある写真を見回り始めた。朔郎も後ろから付いて行った。彼の求めに応じて作品の日時や場所や撮影に関しての苦労話も付け加えて説明をして行く内に冗談のひと言も挟める様になって来た。そもそも正幸が来た目的は別に有ったのは分かり切っていた。いつ彼女の話にすなわち本題に入れるのかそれを二人は測っているように彼のよそ行きの顔から察しがついた。
遠からず相手もそのつもりで居るのも判った。それでいて作品の話から逸れる事はないまま一回りして二人は受け付けのパイプ椅子に座った。
対面しても言い出す切っ掛けが掴めなかった。それほど二人にはあの最後の登山が重くのしかかっていた。正幸は座るとすぐに煙草を吸い始めた。
「いつから吸ってるんだ」
「この仕事を始めてからかなあ、まあ商談でこじれそうになるとなあ。北村お前は吸わなくなったのか」
「ああ最近辞めた」
「良いことだ俺は段々増えて仕舞った」
「仕事でか」
「なら問題はないが、いや問題かも知れんが俺はいったい何を言ってんだろう」
正幸は苦笑いを浮かべた。それで吹っ切れたのか本題に入った。
「とにかく家の中で急にざわざわしてきて、もう俺がここへ寄った理由を知ってるんだろう」
「何の話だ」
「そうきたか、佐恵子が最近塞ぎ込む様になったんだ」
「彼女が喋らなくなったか」
「そうじゃない相変わらず冗談を言うし愛嬌も有る」
「じゃあ昔のままじゃないのか」
「言葉の端々に丸みがなくなったんだ」
「そう云うことかそれと俺とどう繋がっているんだ」
正幸はまた紫煙を曇らせた。
「お前は北山のブティックへ行ったそうだなあ、そしてあいつはここへ来たんだろう。あいつの妹がここの案内状を持っていたんだ。ひとつ訊きたいお前は俺の家を知らないだろう」
正幸は返事を待たずに続けた。
「佐恵子から訊いたが今もあの大阪のアパートに住んで居るのか」
「ああそうだ」
「お前は連絡先を知らないから、と云う事は最初は佐恵子から連絡したんだなあ」
黙っている北村に正幸は何処まで言わすんだと煙草をもみ消した。
「とにかく最近の佐恵子の様子が変わった原因が解ったよ。だがお前を責める資格は俺には見つからないから同じ様に佐恵子も責められないんだ。お前と行った最後の登山が頭から離れないからなあそう思ってかおりは立派に育てたつもりだ。まあ過ぎた年月だけはどうしょうも繕えないから、とにかく”あれは”しょうがなかったんだ・・・」
それでも朔郎は顔色ひとつ変えず、いや無表情で目だけは虚ろに聴いていた。
「此処へ来ても何も変わらないのは解っていたが・・・」
少しの沈黙の後にいたたまれないのか「やはり来たのは間違いだった。話す相手を間違えた」と正幸は席を立つと入れ違いに狭山と堀川が遅くなった詫びを言いながら入って来た。
正幸は早足に二人を振り払う様に外へ飛び出して行った。
「なんだあいつはお客さんか?」
閉店間際に飛び込んで来たお客が慌てて出て行ったと思ったらしい。
「おまけに煙草まで吸って行ったんか」
灰皿をかたづける堀川を見て狭山が言った。
「知り合いか?」
まあな、と受け流すとあいつが正幸だと言った。
写真展は活況とは行かずそれでも多くの年配者が訪れ、作品作りを続けるように声援を送ってくれた。思慮深い人は昔の写真に目を留めてくれるが、そうでない人は一瞥するだけでサッサと通り過ぎてしまう。満月に近付く上弦の月と違って新月に近付く下弦の月はやはり物寂しく映るのかも知れない。が不夜城の世界に生きる人々にすれば月の満ち欠けに思慮する人は希だった。
「やはりああ云う作品は今の人には受け入れて貰えないのか。全くスポンサーも付かなかったか」
ため息交じりに下弦に冴える穂高を見ていた。
「中々いい作品だなあ」
振り返ればそこに立っていたのは十数年ぶりに見る正幸だった。あの山登り以来会っていないせいか、大学時代より一皮も二皮も剥けていた。昔の面影は僅かに下がった彼の目尻だけだった。これがあっちこっち飛び回っている商社マンの姿なのか?。
「随分と昔の写真だ」
「それにしては斬新だなあ」
「そう思ってくれるか、有り難いね」
人気(ひとけ)の絶えた店内を見回した。
「もう店じまいか」
「それを見計らって来たんじゃないのか」
図星と云わんばかりに正幸は目尻を緩めて、人差し指で照れるように鼻をすすった。そこが昔のままだった。朔郎も苦笑いをした。
「せっかく来てくれたんだゆっくり見ていってくれ」
「時間はいいのか」
「それは俺が決めるんだ。それに賃貸契約では今日一杯まで大丈夫だ」
「そうか、大学での噂では本当は四回生の時に個展を開くつもりだったんだなあ」
そう云いながら展示してある写真を見回り始めた。朔郎も後ろから付いて行った。彼の求めに応じて作品の日時や場所や撮影に関しての苦労話も付け加えて説明をして行く内に冗談のひと言も挟める様になって来た。そもそも正幸が来た目的は別に有ったのは分かり切っていた。いつ彼女の話にすなわち本題に入れるのかそれを二人は測っているように彼のよそ行きの顔から察しがついた。
遠からず相手もそのつもりで居るのも判った。それでいて作品の話から逸れる事はないまま一回りして二人は受け付けのパイプ椅子に座った。
対面しても言い出す切っ掛けが掴めなかった。それほど二人にはあの最後の登山が重くのしかかっていた。正幸は座るとすぐに煙草を吸い始めた。
「いつから吸ってるんだ」
「この仕事を始めてからかなあ、まあ商談でこじれそうになるとなあ。北村お前は吸わなくなったのか」
「ああ最近辞めた」
「良いことだ俺は段々増えて仕舞った」
「仕事でか」
「なら問題はないが、いや問題かも知れんが俺はいったい何を言ってんだろう」
正幸は苦笑いを浮かべた。それで吹っ切れたのか本題に入った。
「とにかく家の中で急にざわざわしてきて、もう俺がここへ寄った理由を知ってるんだろう」
「何の話だ」
「そうきたか、佐恵子が最近塞ぎ込む様になったんだ」
「彼女が喋らなくなったか」
「そうじゃない相変わらず冗談を言うし愛嬌も有る」
「じゃあ昔のままじゃないのか」
「言葉の端々に丸みがなくなったんだ」
「そう云うことかそれと俺とどう繋がっているんだ」
正幸はまた紫煙を曇らせた。
「お前は北山のブティックへ行ったそうだなあ、そしてあいつはここへ来たんだろう。あいつの妹がここの案内状を持っていたんだ。ひとつ訊きたいお前は俺の家を知らないだろう」
正幸は返事を待たずに続けた。
「佐恵子から訊いたが今もあの大阪のアパートに住んで居るのか」
「ああそうだ」
「お前は連絡先を知らないから、と云う事は最初は佐恵子から連絡したんだなあ」
黙っている北村に正幸は何処まで言わすんだと煙草をもみ消した。
「とにかく最近の佐恵子の様子が変わった原因が解ったよ。だがお前を責める資格は俺には見つからないから同じ様に佐恵子も責められないんだ。お前と行った最後の登山が頭から離れないからなあそう思ってかおりは立派に育てたつもりだ。まあ過ぎた年月だけはどうしょうも繕えないから、とにかく”あれは”しょうがなかったんだ・・・」
それでも朔郎は顔色ひとつ変えず、いや無表情で目だけは虚ろに聴いていた。
「此処へ来ても何も変わらないのは解っていたが・・・」
少しの沈黙の後にいたたまれないのか「やはり来たのは間違いだった。話す相手を間違えた」と正幸は席を立つと入れ違いに狭山と堀川が遅くなった詫びを言いながら入って来た。
正幸は早足に二人を振り払う様に外へ飛び出して行った。
「なんだあいつはお客さんか?」
閉店間際に飛び込んで来たお客が慌てて出て行ったと思ったらしい。
「おまけに煙草まで吸って行ったんか」
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「知り合いか?」
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