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二人が入り洋服を物色すると接客中の佐恵子は堀川に一瞬無表情の眼差しを浴びせた。それから直ぐにさも親しい客の様な会釈をした。そして他の客との商談を終えると二人の前へ来た。かおりと云う女の子は接客中もレジの奥に座っていた。
「よくここが分かりましたね、狭山さんにお聞きになったのですか」
と云う事は狭山さんはこの女の店を知っていたのかしら? 狭山さんは言葉は選ぶが隠し事はしないからこの場所は北村からも聴いていないから適当なんだ。じゃあこちらもと綾子は苦労して探したとは言えないから裕子を紹介しながら適当に返事を合わせた。
「ええ、まあ、それよりひとつ話があるんですけど」
そう言って綾子は周りに客がいないのを確かめた。後はあの高校生だけだった。
綾子の慎重な気配を察した佐恵子は「少しの間なら娘に留守番させますか」と近くの喫茶店へ誘った。僅かな間に多くを悟るこの人は、器量と共に身も軽やかにそして動作も美しい。先ほどのお客もそこそこの値段なのに満足そうに買って帰らしたように。
女はかおりに頼むわよと言って店を出て先導した。喫茶店でも彼女は店のマスターとは和気あいあいと言葉を交わして三人はテーブル席に着いた。
「お話って北村さんのことかしら」
さも他人《ひと》事の様に佐恵子は言った。
綾子は向こうの方から単刀直入に切り込まれてしまった。裕子も手強そうに相手を見据えた。
「そう言ってもらえれば話が早くて済みそう」
とは言っても簡単な話ではなかった。
「この前の写真展ですけど北村さんは昔は良く山登りをしてたんですね」
なーんだその話かと佐恵子は頼んだコーヒーに一口付けた。
「ほとんど単独登山ですけれど」
「写真からそんな雰囲気ですけれどたまに篠原さんとか云う人と行かれたそうですね」
やはりそこへ来るかと佐恵子は身構えた。
「ええ篠原は今は夫ですけれど、学生時代は一緒に行く相手は家《うち》の人しかいませんでしたから」
綾子と裕子もコーヒーを飲みながら聴いていた。
「その篠原さんですけれど入社して最初の夏休みにこれで北村さんとは最後になると言って記念登山に二人で山へ行ったそうですね」
佐恵子の眉間が少し寄った。
「それがどうかしましたか?」
佐恵子の柔らかい物言いに綾子がじれて仕舞った。
「どうかしたかじゃないでしょうあんな純情なひとをコケにしておいて」
余計なお節介だと佐恵子の目が鋭くなった。
裕子が不安そうに成り行きを見詰めた。
「言ってる事が良く解らないわ」
居直られてしまった。もう前置は要らなくなった。
「あの登山で北村さんは縦走する山の稜線から突き落とされそうになったのよ」
「嘘よ! 落とされそうになったのは正幸の方なのよ」
彼女の眼差しが屹度して堀川を見据えた。だが堀川も負けじと見返した。
「それを誰から聴きました」
「正幸からだわ」
「北村さんからわ?」
「……」
何を言ってるのと云う顔をしてから佐恵子は一度視線を落として次に上げた時には氷のような視線を浴びせて来た。この鋭い視線が北村には片手落ちだったと、当時を回想するように物語っていると堀川は見た。
「聞けないわよねそれっきり貴方はあの部屋を飛び出して行ったのですから、でも北村さんはあなたを信じて待っていたのよ十何年も……。信じる信じないわあなたの勝手ですけれど(ええ身勝手な人ですよあなたは)。そして最近、本当につい最近ですよ。穂高で危険な目に遭わされたとやっと重い口を開けてくれたのよ、実に呆れるぐらい律儀な人を今まであなたは袖にしてたのよ。狭山さんもこの話を聞いて真実だと確信したそうですよ」
ーー今まで本当の恋をしてない人に何が解るのよ。当時の朔郎《さくろう》とは心の全てをさらけ出して接した人なのよ。でもあの人はさらけ出した心の傷を私に残したまま旅に出た。そこまで追い詰めたのは私かも知れないけれど……。それでもあの人はそう云う女心を全く理解してくれなかった。そんな朔郎になり振り構わず前向きに打ち込む用に仕向けたのはこの私だけど。前を向いていてほしい、でも振り向いてもほしい。丁度花びらを一枚づつちぎってゆく花占いのように揺れる二択の心境が佐恵子の云う朔郎への偽わざる本当の愛だった。
この時に鳴り響いた電話にも佐恵子は表情ひとつ変えずに聴いていた。綾子の後日談ではその顔はまるで終末を演じる能面の様だったと言っていた。
電話を受けた店のマスターはかおりちゃんからの来客の呼び出しを佐恵子に伝えた。
佐恵子は目許だけ緩めて勘定はマスターには済ませていますと慇懃に席を外した。
何なのこの人と二人は思ったが仕事ならとその場で見送った。
「もう一度あの店に寄る?」
ーーあの娘に聞かれたくないからあの女はわざとあの店に誘い出したのよ。でももう十分に言ってやったからと綾子は頭《かぶり》を振った。
京都を発った特急電車は淀川を過ぎた辺りではすっかり二人の話題は変わっていた。
大阪で裕子と別れた綾子はワンルームマンション近くの塀でいつもの猫ちゃんを見つけると戯《たわむ》れてから部屋に帰り着いた。
「よくここが分かりましたね、狭山さんにお聞きになったのですか」
と云う事は狭山さんはこの女の店を知っていたのかしら? 狭山さんは言葉は選ぶが隠し事はしないからこの場所は北村からも聴いていないから適当なんだ。じゃあこちらもと綾子は苦労して探したとは言えないから裕子を紹介しながら適当に返事を合わせた。
「ええ、まあ、それよりひとつ話があるんですけど」
そう言って綾子は周りに客がいないのを確かめた。後はあの高校生だけだった。
綾子の慎重な気配を察した佐恵子は「少しの間なら娘に留守番させますか」と近くの喫茶店へ誘った。僅かな間に多くを悟るこの人は、器量と共に身も軽やかにそして動作も美しい。先ほどのお客もそこそこの値段なのに満足そうに買って帰らしたように。
女はかおりに頼むわよと言って店を出て先導した。喫茶店でも彼女は店のマスターとは和気あいあいと言葉を交わして三人はテーブル席に着いた。
「お話って北村さんのことかしら」
さも他人《ひと》事の様に佐恵子は言った。
綾子は向こうの方から単刀直入に切り込まれてしまった。裕子も手強そうに相手を見据えた。
「そう言ってもらえれば話が早くて済みそう」
とは言っても簡単な話ではなかった。
「この前の写真展ですけど北村さんは昔は良く山登りをしてたんですね」
なーんだその話かと佐恵子は頼んだコーヒーに一口付けた。
「ほとんど単独登山ですけれど」
「写真からそんな雰囲気ですけれどたまに篠原さんとか云う人と行かれたそうですね」
やはりそこへ来るかと佐恵子は身構えた。
「ええ篠原は今は夫ですけれど、学生時代は一緒に行く相手は家《うち》の人しかいませんでしたから」
綾子と裕子もコーヒーを飲みながら聴いていた。
「その篠原さんですけれど入社して最初の夏休みにこれで北村さんとは最後になると言って記念登山に二人で山へ行ったそうですね」
佐恵子の眉間が少し寄った。
「それがどうかしましたか?」
佐恵子の柔らかい物言いに綾子がじれて仕舞った。
「どうかしたかじゃないでしょうあんな純情なひとをコケにしておいて」
余計なお節介だと佐恵子の目が鋭くなった。
裕子が不安そうに成り行きを見詰めた。
「言ってる事が良く解らないわ」
居直られてしまった。もう前置は要らなくなった。
「あの登山で北村さんは縦走する山の稜線から突き落とされそうになったのよ」
「嘘よ! 落とされそうになったのは正幸の方なのよ」
彼女の眼差しが屹度して堀川を見据えた。だが堀川も負けじと見返した。
「それを誰から聴きました」
「正幸からだわ」
「北村さんからわ?」
「……」
何を言ってるのと云う顔をしてから佐恵子は一度視線を落として次に上げた時には氷のような視線を浴びせて来た。この鋭い視線が北村には片手落ちだったと、当時を回想するように物語っていると堀川は見た。
「聞けないわよねそれっきり貴方はあの部屋を飛び出して行ったのですから、でも北村さんはあなたを信じて待っていたのよ十何年も……。信じる信じないわあなたの勝手ですけれど(ええ身勝手な人ですよあなたは)。そして最近、本当につい最近ですよ。穂高で危険な目に遭わされたとやっと重い口を開けてくれたのよ、実に呆れるぐらい律儀な人を今まであなたは袖にしてたのよ。狭山さんもこの話を聞いて真実だと確信したそうですよ」
ーー今まで本当の恋をしてない人に何が解るのよ。当時の朔郎《さくろう》とは心の全てをさらけ出して接した人なのよ。でもあの人はさらけ出した心の傷を私に残したまま旅に出た。そこまで追い詰めたのは私かも知れないけれど……。それでもあの人はそう云う女心を全く理解してくれなかった。そんな朔郎になり振り構わず前向きに打ち込む用に仕向けたのはこの私だけど。前を向いていてほしい、でも振り向いてもほしい。丁度花びらを一枚づつちぎってゆく花占いのように揺れる二択の心境が佐恵子の云う朔郎への偽わざる本当の愛だった。
この時に鳴り響いた電話にも佐恵子は表情ひとつ変えずに聴いていた。綾子の後日談ではその顔はまるで終末を演じる能面の様だったと言っていた。
電話を受けた店のマスターはかおりちゃんからの来客の呼び出しを佐恵子に伝えた。
佐恵子は目許だけ緩めて勘定はマスターには済ませていますと慇懃に席を外した。
何なのこの人と二人は思ったが仕事ならとその場で見送った。
「もう一度あの店に寄る?」
ーーあの娘に聞かれたくないからあの女はわざとあの店に誘い出したのよ。でももう十分に言ってやったからと綾子は頭《かぶり》を振った。
京都を発った特急電車は淀川を過ぎた辺りではすっかり二人の話題は変わっていた。
大阪で裕子と別れた綾子はワンルームマンション近くの塀でいつもの猫ちゃんを見つけると戯《たわむ》れてから部屋に帰り着いた。
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