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伏見から電車で来る妹のために三条大橋の駅前で待ち合わせた。佐恵子は今日の展示会には有美子でなく妹の友美を誘った。彼女は大学受験に来てから卒業後もこの街に住み着いてしまった。
佐恵子は高山彦九郎の台座にもたれ三条大橋から遠く北山に目を移した。
ーーそう云えばあの人はこうして良く遠くの山を眺めたのを想い出した。
秋とは思えぬ強い陽射しがあの日と同じ様に暑く頭上から降り注いだ。心の内側からは熱いものが燃え上がる。頭の中は過去と現在で掻き回されて未来が見えて来ない。見えて来たのは近付く妹の姿だった。
「お姉ちゃん待った?」
昨夜の電話では「頭が痛いから行きたくない」と言っていたのが嘘の様にケロっとしていた。でも来てくれて安堵した。
「具合が悪かったのじゃないの」
「あの後に裕次君から電話が掛かって来たの、で今日は夕方に会う約束をしたの」
頭に来たのを通り越して佐恵子は呆れた。
「本当に悪かったの」
「本当よ、でもお姉ちゃんがあれだけ真剣に頼むからなんとかしょうと思っていたのよ。今日来られたのは裕次君のおかげよ」
ああそうなのと佐恵子は生返事をした。
友美とは一回り以上も離れた末っ子だがあたしが熟考しても、意外と有美子より的確な助言を言ってくれる時がある。と言うよりこの子は物怖じせずズバズバと言うところがある。悪く言うと若さから来る世間知らずなところもあった。
十月に入ると街路樹の剪定作業が一部で始まりだした。木枯らしも吹かぬのに葉を落とした木を見るのは奇妙なものだった。まして今日見たいに暑い日は尚更で視覚は冬でも、肌に感じるのは夏に近く実感が伴わなかった。朔郎の個展もあの頃なら人生の浮沈を賭ける意気込みもあったが、剪定を終えた木々同様に虚しさが漂った。それでも妹をたき付けてまで来るのは正幸に対する不信感だった。
佐恵子はギャラリーの前に来て、表からガラス越しに中を見た。客は疎らだった。懐かしさが心の整理を妨げていた。常人への面影は薄く、会わぬ人への思いは熱く募る。
「ここなのお姉ちゃんが云っていたところは?」
友美には姉があれほどまでに行きたがったギャラリーを前にして立ち止まる理由が判らないから苛立った。
「ねぇ、入るの、入らないの、どっちなのよ!」
立ち尽くす二人の傍を中年の男が好意の目で眺められると友美は更に急かした。
佐恵子は妹の声に背中を押されて入った。
ギャラリーの中は強い陽射しに慣れた眼には暗く映った。十畳ほどの部屋がふたつあった。部屋の中央に仮設のパネルで仕切られそこにも写真が飾られ部屋を一回り出来る様になっていた。
入り口には狭山と別に女性が一人いた。佐恵子は懐かしさの余り立ち止まったがすぐに妹を紹介した。
真っ先に狭山は佐恵子に歩み寄って来て、今日は北村は夕方以降まで来ないので留守番を頼まれていると伝えた。
がっかりするかと思いきや彼女は胸をなで下ろした。それを見て狭山は奇妙な感覚に囚われた。
「北村の送別会の日に会ったそうですね」
やっぱり聴いていたのか。
「ええ会いに行きました」
「何故」
「理由が要りますか。それよりあたしあの人の作品を見に来たのですけれど・・・」
狭山はやっと表情を崩した。
「いや、あっ、そうでしたねえ。じゃあゆっくりとご覧下さい」
と狭山は受付に戻って北村の替わりに来ていた堀川に佐恵子を紹介した。
堀川は冷めた眼で北村にとって過去の女である佐恵子を暫く観察した。
佐恵子も堀川を一瞥(いちべつ)した。
二人はゆっくりと見学を始めた。
「お姉ちゃんあの人だれなの?」
「ここで写真展を開いた人のお友達で昔は数ヶ月だけど一緒に家族付き合いをしていた人」
ふーんと友美は関心なさそうに展示作品を見回し出した。
そこにはひと組の白髪交じりの夫婦連れが揃って丹念に作品を見ていた。女は染めているのか黒髪だった。男はカメラ好きなのか作品を指しながら説明していた。女は笑顔を絶やさず耳を傾けて頷いていた。
この初老の夫婦の光景を見て佐恵子は溜まらなく寂しさを覚えた。今の正幸には無い人生の幸福感を魅せられた。あの初老の夫婦の半分以上も生きているのに ・・・。
佐恵子はうつむき加減に夫婦の後ろを足早に過ぎた。
やはり会わない方が良かったかもと思うと早く出たくなり妹を捜した。
友美は関心が有るのか喰いように見て回っていた。
友美が立ち止まって居たのは暮れ掛かる穂高が赤く染まった写真だった。その横には下弦の月明かりに照らされて闇夜に白く浮かぶ穂高の写真が対比されていた。それぞれに陽の穂高と陰の穂高のタイトルが付いていた。
それは風景写真と云うより人間の表裏を対比させているようなタイトルで可怪(おか)しいと友美は言った。
確か昔に朔郎がセレクトした時は月明かりの方は「下弦に冴える穂高」にしていたと思った。それが二転三転してこのタイトルに落ち着いたらしい。友美の言う様に眺めると、ひょっとしてこの写真は正幸と朔郎を対比させているんだろうか。そう思うと更にここを飛び出したくなったが友美はまだ回覧していた。仕方なく佐恵子は手持ち無沙汰に付いて回りようやく受付に戻った。狭山は接客を切り上げ、受け付けを堀川に任せて佐恵子の所へ来た。
「良かったら近くの喫茶店でコーヒーでもどうですか?」
佐恵子は辞退したが急かされた友美が裕次に会うにはまだ時間が早すぎると言い張った。結局佐恵子は狭山の誘いを受けて彼の指定した三条小橋の喫茶店に入った。
佐恵子は高山彦九郎の台座にもたれ三条大橋から遠く北山に目を移した。
ーーそう云えばあの人はこうして良く遠くの山を眺めたのを想い出した。
秋とは思えぬ強い陽射しがあの日と同じ様に暑く頭上から降り注いだ。心の内側からは熱いものが燃え上がる。頭の中は過去と現在で掻き回されて未来が見えて来ない。見えて来たのは近付く妹の姿だった。
「お姉ちゃん待った?」
昨夜の電話では「頭が痛いから行きたくない」と言っていたのが嘘の様にケロっとしていた。でも来てくれて安堵した。
「具合が悪かったのじゃないの」
「あの後に裕次君から電話が掛かって来たの、で今日は夕方に会う約束をしたの」
頭に来たのを通り越して佐恵子は呆れた。
「本当に悪かったの」
「本当よ、でもお姉ちゃんがあれだけ真剣に頼むからなんとかしょうと思っていたのよ。今日来られたのは裕次君のおかげよ」
ああそうなのと佐恵子は生返事をした。
友美とは一回り以上も離れた末っ子だがあたしが熟考しても、意外と有美子より的確な助言を言ってくれる時がある。と言うよりこの子は物怖じせずズバズバと言うところがある。悪く言うと若さから来る世間知らずなところもあった。
十月に入ると街路樹の剪定作業が一部で始まりだした。木枯らしも吹かぬのに葉を落とした木を見るのは奇妙なものだった。まして今日見たいに暑い日は尚更で視覚は冬でも、肌に感じるのは夏に近く実感が伴わなかった。朔郎の個展もあの頃なら人生の浮沈を賭ける意気込みもあったが、剪定を終えた木々同様に虚しさが漂った。それでも妹をたき付けてまで来るのは正幸に対する不信感だった。
佐恵子はギャラリーの前に来て、表からガラス越しに中を見た。客は疎らだった。懐かしさが心の整理を妨げていた。常人への面影は薄く、会わぬ人への思いは熱く募る。
「ここなのお姉ちゃんが云っていたところは?」
友美には姉があれほどまでに行きたがったギャラリーを前にして立ち止まる理由が判らないから苛立った。
「ねぇ、入るの、入らないの、どっちなのよ!」
立ち尽くす二人の傍を中年の男が好意の目で眺められると友美は更に急かした。
佐恵子は妹の声に背中を押されて入った。
ギャラリーの中は強い陽射しに慣れた眼には暗く映った。十畳ほどの部屋がふたつあった。部屋の中央に仮設のパネルで仕切られそこにも写真が飾られ部屋を一回り出来る様になっていた。
入り口には狭山と別に女性が一人いた。佐恵子は懐かしさの余り立ち止まったがすぐに妹を紹介した。
真っ先に狭山は佐恵子に歩み寄って来て、今日は北村は夕方以降まで来ないので留守番を頼まれていると伝えた。
がっかりするかと思いきや彼女は胸をなで下ろした。それを見て狭山は奇妙な感覚に囚われた。
「北村の送別会の日に会ったそうですね」
やっぱり聴いていたのか。
「ええ会いに行きました」
「何故」
「理由が要りますか。それよりあたしあの人の作品を見に来たのですけれど・・・」
狭山はやっと表情を崩した。
「いや、あっ、そうでしたねえ。じゃあゆっくりとご覧下さい」
と狭山は受付に戻って北村の替わりに来ていた堀川に佐恵子を紹介した。
堀川は冷めた眼で北村にとって過去の女である佐恵子を暫く観察した。
佐恵子も堀川を一瞥(いちべつ)した。
二人はゆっくりと見学を始めた。
「お姉ちゃんあの人だれなの?」
「ここで写真展を開いた人のお友達で昔は数ヶ月だけど一緒に家族付き合いをしていた人」
ふーんと友美は関心なさそうに展示作品を見回し出した。
そこにはひと組の白髪交じりの夫婦連れが揃って丹念に作品を見ていた。女は染めているのか黒髪だった。男はカメラ好きなのか作品を指しながら説明していた。女は笑顔を絶やさず耳を傾けて頷いていた。
この初老の夫婦の光景を見て佐恵子は溜まらなく寂しさを覚えた。今の正幸には無い人生の幸福感を魅せられた。あの初老の夫婦の半分以上も生きているのに ・・・。
佐恵子はうつむき加減に夫婦の後ろを足早に過ぎた。
やはり会わない方が良かったかもと思うと早く出たくなり妹を捜した。
友美は関心が有るのか喰いように見て回っていた。
友美が立ち止まって居たのは暮れ掛かる穂高が赤く染まった写真だった。その横には下弦の月明かりに照らされて闇夜に白く浮かぶ穂高の写真が対比されていた。それぞれに陽の穂高と陰の穂高のタイトルが付いていた。
それは風景写真と云うより人間の表裏を対比させているようなタイトルで可怪(おか)しいと友美は言った。
確か昔に朔郎がセレクトした時は月明かりの方は「下弦に冴える穂高」にしていたと思った。それが二転三転してこのタイトルに落ち着いたらしい。友美の言う様に眺めると、ひょっとしてこの写真は正幸と朔郎を対比させているんだろうか。そう思うと更にここを飛び出したくなったが友美はまだ回覧していた。仕方なく佐恵子は手持ち無沙汰に付いて回りようやく受付に戻った。狭山は接客を切り上げ、受け付けを堀川に任せて佐恵子の所へ来た。
「良かったら近くの喫茶店でコーヒーでもどうですか?」
佐恵子は辞退したが急かされた友美が裕次に会うにはまだ時間が早すぎると言い張った。結局佐恵子は狭山の誘いを受けて彼の指定した三条小橋の喫茶店に入った。
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