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「冬山で滑落すればもろともと、ザイル一本に身を任せてお前と一緒に北アルプスを縦走した仲じゃないか」
実際あの時は張り出した雪氷に足を取られたが、すぐに正幸が踏ん張って滑落せずにすんだ。下の沢まで二百はあったろうか途中に岩が幾つも張り出していた。・・・しかしそれとこれとは別だ。
「正幸、そんな人情話は止めてくれ自然界の動物はこれに生死を賭けてるんだ」
なるほど自然界では恋の季節になると雌雄を決する戦いが起こる。
「話が大袈裟すぎる、それにお前は彼女をほったらかしている方じゃないのか」
朔郎はカメラを片手にいつも人生の浮沈を掛けた勝負をしていた。だからお前の様に一流企業の肩書きに守られて人生を歩むのとは訳が違う。
「ベンチャー精神で一旗揚げられるのはほんの一握りの人間だ。急がば回れ、今、佐恵子さんに必要なのは生活の安定だろう」
会社だっていつ倒産するか解ったもんじゃない。これが負け惜しみに聞こえたら耳でも塞いでいろ。
「お前はその平凡な人生で定年を迎えろ。俺はもうすぐ成功する」
「まだ誰もやってない大自然界のスクープ写真でも撮ったのか人跡未踏の崖っぷちで」
「俺は冒険家じゃないから未踏の地を目指していないし登山家でもない。ただ絶景の写真以外何も求めない。それに崖っぷちに居るのはどっちなんだ」
もうこいつとは話にならない。結局社会人としてスタートラインに立つ者と、そうでない者との話はビールの泡のように二人の胃でなく胸の中に流し込まれた。
佐恵子が正幸と実家を訪ねた。そこでの彼の態度を知って朔郎は痛し痒しだが。これはあくまでのふたりの問題で正幸の介入は論外で本質は佐恵子に有った。だから正幸と話しても彼女が確たる意志を持ち続ければ問題はない。朔郎はその原点に立ち返って佐恵子と向き合う事にした。
まず同居する有美子の部屋へ向かった。佐恵子も説得されたのかそれとも自分で冷静に考え直したのか落ち着いていた。有美子の仲立ちでふたりは向かい合った。
「正幸さんとあなたってどれ位のお友達なの?」
性格が似ているから友達になれるが、どう見ても二人はあまり似ていない。どう違うのか面と向かって最初に佐恵子が聴いて来た。
隔離された校舎での高校生時代では行き場が無かった。みんなと合わせるのがつらかったから彼の欠点を利用して、一番気が合った正幸とだけ付き合った。
大学生は自由だったから無理にみんなと合わす必要が無かった。だが同じ自然派の正幸なら一番気心が知れる様になっていた。だから彼とは夏や冬の休みには良く旅行をした。特に彼との冬山は絶妙の信頼関係で成り立っていて、目的と行動が完全に一致していた
「そんな風には見えないけど・・・」
「そりゃ普段は別もんだ、山の上という何もない自然環境だから成り立つ共存精神なんだ、だから都会では成立しない」
厳しい自然環境だからこそ手をこまねいて見過ごす訳にはいかなかった。自然の驚異の前では見知らぬ者同士でも連帯感が生まれる。
「じゃあ正幸さんが言っていた、あなたが冬山の稜線から雪に取られて落ちかけて所を彼に救われたのは本当なのね」
朔郎はふてくされながらも山男同士の友情を認めた。
「そうなの何だか厄介なお友達なのね」
とてもあたしや有美子とは違う異質の友情と言えるものなのかしらと佐恵子と有美子は顔を見合わした。
異質じゃない、着飾った女どもには解らない山男同志の本質だ。登山者は普段はクールに装っても、自然相手には利害関係を越えて結束出来る。
要領を得ない朔郎の行きつ戻りつしながら長々と説明する間に佐恵子もやっと自分を取り戻してくれた。が正幸の友情も佐恵子には代えがたい実家への援助にもなった。
この事件のあと佐恵子は心機一転して出直した。資金面と成功の見込みから個展は当分見送った。まず頼るわけにはいかない正幸から離れて大阪に引っ越して朔郎にも定職に就いてもらった。近くに居れば頼まなくても正幸は私の為なら一肌脱いでくれるが、それでは朔郎にまたイヤな思いをさせてしまうからだ。
その内に子供が生まれた。次は生活の安定だった。この事件で朔郎も不承ながらも佐恵子の探した正社員の職に付いた。
その新たな会社で朔郎は同期入社の狭山と云う男と知り合う。
狭山は正幸の様に自然派じゃないから交通の不便な所には行かない。まして三、四日も掛けて北アルプスを縦走する山男の真意なんて理解出来なかった。だがとことん面倒見が良かった。しかも正幸の様に見て見ぬ振りするところがなく表裏一体の男である。しかも正幸の様に言うべき事は濁さず、爽やかに忠告してくれた。
佐恵子も好感を持ってすぐに彼女同士も仲良くなってすぐに家族ぐるみで付き合い出した。
だが最近、佐恵子の様子が変わっていると狭山の妻に指摘された。女同士の勘らしいが元々変わっている佐恵子自身はそんな平凡な女じゃない。まして良く動く彼女の微妙な変化など朔郎に読み取れる訳もなかった。
そんな時期に正幸から仲直りの意味も込めて信州への登山に誘われた。信州の登山から帰って一週間後に佐恵子は忽然として消えて十七年振りにまた突然として現れた。
実際あの時は張り出した雪氷に足を取られたが、すぐに正幸が踏ん張って滑落せずにすんだ。下の沢まで二百はあったろうか途中に岩が幾つも張り出していた。・・・しかしそれとこれとは別だ。
「正幸、そんな人情話は止めてくれ自然界の動物はこれに生死を賭けてるんだ」
なるほど自然界では恋の季節になると雌雄を決する戦いが起こる。
「話が大袈裟すぎる、それにお前は彼女をほったらかしている方じゃないのか」
朔郎はカメラを片手にいつも人生の浮沈を掛けた勝負をしていた。だからお前の様に一流企業の肩書きに守られて人生を歩むのとは訳が違う。
「ベンチャー精神で一旗揚げられるのはほんの一握りの人間だ。急がば回れ、今、佐恵子さんに必要なのは生活の安定だろう」
会社だっていつ倒産するか解ったもんじゃない。これが負け惜しみに聞こえたら耳でも塞いでいろ。
「お前はその平凡な人生で定年を迎えろ。俺はもうすぐ成功する」
「まだ誰もやってない大自然界のスクープ写真でも撮ったのか人跡未踏の崖っぷちで」
「俺は冒険家じゃないから未踏の地を目指していないし登山家でもない。ただ絶景の写真以外何も求めない。それに崖っぷちに居るのはどっちなんだ」
もうこいつとは話にならない。結局社会人としてスタートラインに立つ者と、そうでない者との話はビールの泡のように二人の胃でなく胸の中に流し込まれた。
佐恵子が正幸と実家を訪ねた。そこでの彼の態度を知って朔郎は痛し痒しだが。これはあくまでのふたりの問題で正幸の介入は論外で本質は佐恵子に有った。だから正幸と話しても彼女が確たる意志を持ち続ければ問題はない。朔郎はその原点に立ち返って佐恵子と向き合う事にした。
まず同居する有美子の部屋へ向かった。佐恵子も説得されたのかそれとも自分で冷静に考え直したのか落ち着いていた。有美子の仲立ちでふたりは向かい合った。
「正幸さんとあなたってどれ位のお友達なの?」
性格が似ているから友達になれるが、どう見ても二人はあまり似ていない。どう違うのか面と向かって最初に佐恵子が聴いて来た。
隔離された校舎での高校生時代では行き場が無かった。みんなと合わせるのがつらかったから彼の欠点を利用して、一番気が合った正幸とだけ付き合った。
大学生は自由だったから無理にみんなと合わす必要が無かった。だが同じ自然派の正幸なら一番気心が知れる様になっていた。だから彼とは夏や冬の休みには良く旅行をした。特に彼との冬山は絶妙の信頼関係で成り立っていて、目的と行動が完全に一致していた
「そんな風には見えないけど・・・」
「そりゃ普段は別もんだ、山の上という何もない自然環境だから成り立つ共存精神なんだ、だから都会では成立しない」
厳しい自然環境だからこそ手をこまねいて見過ごす訳にはいかなかった。自然の驚異の前では見知らぬ者同士でも連帯感が生まれる。
「じゃあ正幸さんが言っていた、あなたが冬山の稜線から雪に取られて落ちかけて所を彼に救われたのは本当なのね」
朔郎はふてくされながらも山男同士の友情を認めた。
「そうなの何だか厄介なお友達なのね」
とてもあたしや有美子とは違う異質の友情と言えるものなのかしらと佐恵子と有美子は顔を見合わした。
異質じゃない、着飾った女どもには解らない山男同志の本質だ。登山者は普段はクールに装っても、自然相手には利害関係を越えて結束出来る。
要領を得ない朔郎の行きつ戻りつしながら長々と説明する間に佐恵子もやっと自分を取り戻してくれた。が正幸の友情も佐恵子には代えがたい実家への援助にもなった。
この事件のあと佐恵子は心機一転して出直した。資金面と成功の見込みから個展は当分見送った。まず頼るわけにはいかない正幸から離れて大阪に引っ越して朔郎にも定職に就いてもらった。近くに居れば頼まなくても正幸は私の為なら一肌脱いでくれるが、それでは朔郎にまたイヤな思いをさせてしまうからだ。
その内に子供が生まれた。次は生活の安定だった。この事件で朔郎も不承ながらも佐恵子の探した正社員の職に付いた。
その新たな会社で朔郎は同期入社の狭山と云う男と知り合う。
狭山は正幸の様に自然派じゃないから交通の不便な所には行かない。まして三、四日も掛けて北アルプスを縦走する山男の真意なんて理解出来なかった。だがとことん面倒見が良かった。しかも正幸の様に見て見ぬ振りするところがなく表裏一体の男である。しかも正幸の様に言うべき事は濁さず、爽やかに忠告してくれた。
佐恵子も好感を持ってすぐに彼女同士も仲良くなってすぐに家族ぐるみで付き合い出した。
だが最近、佐恵子の様子が変わっていると狭山の妻に指摘された。女同士の勘らしいが元々変わっている佐恵子自身はそんな平凡な女じゃない。まして良く動く彼女の微妙な変化など朔郎に読み取れる訳もなかった。
そんな時期に正幸から仲直りの意味も込めて信州への登山に誘われた。信州の登山から帰って一週間後に佐恵子は忽然として消えて十七年振りにまた突然として現れた。
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