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佐恵子はふた月もすると朔郎は思った通りの人だと確信するようになった。
思い込みと云うものは目に見える所を美化して、見えない所は心の中で飾りたてた。
ふたりの仲が更に発展すれば良くないところは見過ごさずに良くしたい、いや自分の手で磨き上げたいと佐恵子は思うようになった。
あの人は今は解らないが、その何かに向かって生きている。それが何なのか探し出して道しるべを示してあげたい。その為には佐恵子自信なにをすべきか迷っていた。
まず第一にこの人は物事に付いて消極的過ぎた。それは人間不信から来ていた。相手を信頼してその相手を受け入れる前に身構えてしまう事が多かった。もっともほとんどの相手とは最初から受け入れようとしなかった。
そんな彼にも正幸と云う高校時代からの唯一の友がいる事を知った。その正幸さえも朔郎は佐恵子から常に遠ざけていた。だから佐恵子も正幸をあまり知らなかった。
それでも佐恵子は朔郎と云う人間に望みを抱いた。それに朔郎も良く応えて彼の理解力と感性は確実に膨らみ続けた。
「どうしてもっと人の中に入って行こうとしないの? 自分の為にも良くないわよ」
彼の信頼を受けて佐恵子も熱がこもった分、お説教じみた言い方になってしまった。それだけに珍しく朔郎の反応も意固地になってしまった。
「人の心は移り気だ。特に本音と建前を使い分ける世間なんて息が詰まる。第一、完全な平和主義者なんて完全な欺瞞者だ」
朔郎は珍しく興奮して云った。
しまったと佐恵子は感じた。思ったより根の深い人だわ。時には世の中の矛盾と妥協して生きる事も知らねばいつか破滅する。要するに不器用にしか生きられない人なのだ。
佐恵子が口出ししなくなると彼との会話が途切れる。あるいはあたしからの一方的な会話になる。
干渉を控えてから彼は遠くの山を見る。と云うより遠い所を見詰めていた。けして佐恵子の話を聞いていないのでなく、問えば応えてくれた。だから気にしなくなった。それより佐恵子も話を止めて同じ様に見た。
「何を考えているの?」
と笑みを浮かべて優しく語り掛ける。そんなとき彼は本音を言ってくれる。決して言葉を選ばない。おそらく正幸と云う人にも言えない事も云ってくれる。彼にとってそんな時が一番嬉しい時に違いなかった。
「自然はいい。自分を裏切らない。いつ行ってもそこで待っていて迎えてくれる。そんな時に心が緩み自然の中に溶け込める、一緒になれる」
彼の熱のこもった持論だが、自然に同調出来ても人の心だけは誰も動いてくれない。
「こころをひとつにする相手が違うわ。そんなの淋しすぎるわ。そんな出来そこないイヤよ」
「君に解りはしない」
「あなたこそ解ってないわ。そんな血の通わぬ物に心を寄せてどうなると云うの。人は社会に生きる以上は情けを借りて持ちつ持たれつなのよ、自然はあなたに何もしてくれないわよ」
朔郎(さくろう)は焦点の定まらない眸で『それでいいんだ』と云う顔をして暫く黙ったが「そうかも知れない」とポツリと云った。
佐恵子は此の時からこの人の心の逃げ場所になってあげると決めた。
この恋人宣言をしてから朔郎は佐恵子から遠ざけていた正幸をまともに紹介した。この時から佐恵子は正幸ともゆっくりと語り合った。
正幸は朔郎と性格は似ていたが考え方は全く違っていた。
此の時には正幸は一流企業の就職内定が決まっていた。彼は企業で出世して幹部になる安定した人生観を持っていた。
朔郎は大学も卒業出来るか危なかった。それどころか。
「決められたレールの上を歩くのはゴメンだ」
そう言ってアルバイトに明け暮れた。まとまった金が出来るとカメラを担いで旅に出た。
「良い作品が出来るといいね」
佐恵子は笑っていつも送り出していた。だがその後には期待と寂しさが複雑に混じり合っていた。
やっとあの人はわたしの仕向けた希望に向かって歩み出した。しかしその裏腹に生活に保障のない哀しさも漂い始めた。
一緒になると云う事が漠然と有った頃は良かった。それが現実味を帯びて来ると色んな障害が立ちはだかった。佐恵子はそれをひとつひとつ取り除かねばならなかった。一番大きな問題は佐恵子の両親を納得させることだった。
今のままではとても両親に紹介出来ない。早く何処に出しても恥ずかしくない人になってもらいたい焦りがあった。
無理をさせない、追い詰めない、その思いが高まれば朔郎の前では順調に行っているように装った。
朔郎の前では笑っても、ひとりの時には塞ぎ込む。心が二つに分かれてゆく。この気持ちは自分ひとりの胸に納まり切れず、学生時代の友達の有美子と喫茶店で話し込んだ。
有美子は派手ではないが洞察力は鋭く佐恵子とは相性も良かった。
「話を聞いてると佐恵子がターゲットにするだけあって本当に掴み所のない人なのね」
ターゲットなんて人聞きの悪いと言いながらも有美子も朔郎を原石(素質を)だと認めている。
「でも人並みの家庭を持つのは難しいわよ、余程腹をくくらないと」
「もう腹をくくったの」
佐恵子が言うにはどうも妊娠したらしい。それには有美子も驚いた。
「それって知ってるのあたしだけなの」
佐恵子が電話ながらもいつもと違って珍しく神妙な口ぶりだった原因がこれで解った。
「腹をくくったって事はお腹の子でなくて朔郎さん自身、あの見窄(みすぼ)らしい原石をどうすれば輝かせられるかって云う話なのね」
見窄らしいは余計だと佐恵子は憤慨した。
「有美子ひとこと多いのよ。それよりあの人、意地っ張りなのよ。だからおだてて伸ばすのがあの人の性に合ってるから」
「それで奮い立って自分を磨いてくれればね。・・・カメラ持って良く出掛けているって聴いたけどどんな作品を撮っているの?」
「時間とお金がないから近辺の風景ばかりだけどカメラアングルは確かに変わっている。着眼点は凄いと思う」
佐恵子は気に入っているサービス版の写真を見せた。ありふれた場所だが角度と時間帯がありふれていなかった。
「これで誰も近づけない所の風景なら一躍目立つ作品になるわね」
今までの写真でも十分惹き付けられる。それで実績を作ればいいスポンサーが付いてくれるかもしれない。
「まず個展を開くことね」
「あたしもそれを言うんだけどまだ作品が少ないって言うの」
二人は個展の作品作りに彼を邁進させる事で意見が合った。この有美子の後押しで佐恵子は迷いが覚めて踏ん切りが付いた。
朔郎は佐恵子に言われていつも日帰りか一泊の旅なのに急に一週間の旅に出た。
思い込みと云うものは目に見える所を美化して、見えない所は心の中で飾りたてた。
ふたりの仲が更に発展すれば良くないところは見過ごさずに良くしたい、いや自分の手で磨き上げたいと佐恵子は思うようになった。
あの人は今は解らないが、その何かに向かって生きている。それが何なのか探し出して道しるべを示してあげたい。その為には佐恵子自信なにをすべきか迷っていた。
まず第一にこの人は物事に付いて消極的過ぎた。それは人間不信から来ていた。相手を信頼してその相手を受け入れる前に身構えてしまう事が多かった。もっともほとんどの相手とは最初から受け入れようとしなかった。
そんな彼にも正幸と云う高校時代からの唯一の友がいる事を知った。その正幸さえも朔郎は佐恵子から常に遠ざけていた。だから佐恵子も正幸をあまり知らなかった。
それでも佐恵子は朔郎と云う人間に望みを抱いた。それに朔郎も良く応えて彼の理解力と感性は確実に膨らみ続けた。
「どうしてもっと人の中に入って行こうとしないの? 自分の為にも良くないわよ」
彼の信頼を受けて佐恵子も熱がこもった分、お説教じみた言い方になってしまった。それだけに珍しく朔郎の反応も意固地になってしまった。
「人の心は移り気だ。特に本音と建前を使い分ける世間なんて息が詰まる。第一、完全な平和主義者なんて完全な欺瞞者だ」
朔郎は珍しく興奮して云った。
しまったと佐恵子は感じた。思ったより根の深い人だわ。時には世の中の矛盾と妥協して生きる事も知らねばいつか破滅する。要するに不器用にしか生きられない人なのだ。
佐恵子が口出ししなくなると彼との会話が途切れる。あるいはあたしからの一方的な会話になる。
干渉を控えてから彼は遠くの山を見る。と云うより遠い所を見詰めていた。けして佐恵子の話を聞いていないのでなく、問えば応えてくれた。だから気にしなくなった。それより佐恵子も話を止めて同じ様に見た。
「何を考えているの?」
と笑みを浮かべて優しく語り掛ける。そんなとき彼は本音を言ってくれる。決して言葉を選ばない。おそらく正幸と云う人にも言えない事も云ってくれる。彼にとってそんな時が一番嬉しい時に違いなかった。
「自然はいい。自分を裏切らない。いつ行ってもそこで待っていて迎えてくれる。そんな時に心が緩み自然の中に溶け込める、一緒になれる」
彼の熱のこもった持論だが、自然に同調出来ても人の心だけは誰も動いてくれない。
「こころをひとつにする相手が違うわ。そんなの淋しすぎるわ。そんな出来そこないイヤよ」
「君に解りはしない」
「あなたこそ解ってないわ。そんな血の通わぬ物に心を寄せてどうなると云うの。人は社会に生きる以上は情けを借りて持ちつ持たれつなのよ、自然はあなたに何もしてくれないわよ」
朔郎(さくろう)は焦点の定まらない眸で『それでいいんだ』と云う顔をして暫く黙ったが「そうかも知れない」とポツリと云った。
佐恵子は此の時からこの人の心の逃げ場所になってあげると決めた。
この恋人宣言をしてから朔郎は佐恵子から遠ざけていた正幸をまともに紹介した。この時から佐恵子は正幸ともゆっくりと語り合った。
正幸は朔郎と性格は似ていたが考え方は全く違っていた。
此の時には正幸は一流企業の就職内定が決まっていた。彼は企業で出世して幹部になる安定した人生観を持っていた。
朔郎は大学も卒業出来るか危なかった。それどころか。
「決められたレールの上を歩くのはゴメンだ」
そう言ってアルバイトに明け暮れた。まとまった金が出来るとカメラを担いで旅に出た。
「良い作品が出来るといいね」
佐恵子は笑っていつも送り出していた。だがその後には期待と寂しさが複雑に混じり合っていた。
やっとあの人はわたしの仕向けた希望に向かって歩み出した。しかしその裏腹に生活に保障のない哀しさも漂い始めた。
一緒になると云う事が漠然と有った頃は良かった。それが現実味を帯びて来ると色んな障害が立ちはだかった。佐恵子はそれをひとつひとつ取り除かねばならなかった。一番大きな問題は佐恵子の両親を納得させることだった。
今のままではとても両親に紹介出来ない。早く何処に出しても恥ずかしくない人になってもらいたい焦りがあった。
無理をさせない、追い詰めない、その思いが高まれば朔郎の前では順調に行っているように装った。
朔郎の前では笑っても、ひとりの時には塞ぎ込む。心が二つに分かれてゆく。この気持ちは自分ひとりの胸に納まり切れず、学生時代の友達の有美子と喫茶店で話し込んだ。
有美子は派手ではないが洞察力は鋭く佐恵子とは相性も良かった。
「話を聞いてると佐恵子がターゲットにするだけあって本当に掴み所のない人なのね」
ターゲットなんて人聞きの悪いと言いながらも有美子も朔郎を原石(素質を)だと認めている。
「でも人並みの家庭を持つのは難しいわよ、余程腹をくくらないと」
「もう腹をくくったの」
佐恵子が言うにはどうも妊娠したらしい。それには有美子も驚いた。
「それって知ってるのあたしだけなの」
佐恵子が電話ながらもいつもと違って珍しく神妙な口ぶりだった原因がこれで解った。
「腹をくくったって事はお腹の子でなくて朔郎さん自身、あの見窄(みすぼ)らしい原石をどうすれば輝かせられるかって云う話なのね」
見窄らしいは余計だと佐恵子は憤慨した。
「有美子ひとこと多いのよ。それよりあの人、意地っ張りなのよ。だからおだてて伸ばすのがあの人の性に合ってるから」
「それで奮い立って自分を磨いてくれればね。・・・カメラ持って良く出掛けているって聴いたけどどんな作品を撮っているの?」
「時間とお金がないから近辺の風景ばかりだけどカメラアングルは確かに変わっている。着眼点は凄いと思う」
佐恵子は気に入っているサービス版の写真を見せた。ありふれた場所だが角度と時間帯がありふれていなかった。
「これで誰も近づけない所の風景なら一躍目立つ作品になるわね」
今までの写真でも十分惹き付けられる。それで実績を作ればいいスポンサーが付いてくれるかもしれない。
「まず個展を開くことね」
「あたしもそれを言うんだけどまだ作品が少ないって言うの」
二人は個展の作品作りに彼を邁進させる事で意見が合った。この有美子の後押しで佐恵子は迷いが覚めて踏ん切りが付いた。
朔郎は佐恵子に言われていつも日帰りか一泊の旅なのに急に一週間の旅に出た。
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