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序章

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全身に伝わる軽い落下の衝撃。その衝撃で目が覚めた。
ここは?
ゆっくりと体を起こす。特に怪我などしていないようだ。痛みもないし。
周囲を見回すと何やら広い、直径10mくらいだろうか。石造りの円形の建物の中らしい
。滑らかな石造りの壁際には何も家具らしきものがない。それどころか、出入口らしきものもない。
上を見上げると天井部分が鮮やかだが、形容しがたい色彩の光を放っている。おそらく5mくらいは天井高がある。半球形の部屋?
そして俺がいるのはその建物?部屋?の中央のベッドの上だった。
なぜか、ベッドがポツンとあって、俺がポツンとそこにいる?結構マットレスはバネがよく、心地いい。
っていや、そんな場合じゃない。
俺は?
そもそもだ。なぜ、こんなところのベッドで寝ていた?いや、さっきの落下の衝撃を考えると、どこかから、このベッドに落ちてきたことになる。
あの天井の光から?
いやいや、5mも落下したような衝撃じゃなかった。せいぜい10cm程度だ。
高さによる落下衝撃の違いなんて身に染みてわかっている。
身に染みて。
そうだ、俺は飛んだんだ。10mの高さから、やけに小さく見える地面に置かれたエアクッションに向かって。
空中で体を捻り、背中からエアクッションに落ちる。
そして落下した衝撃である程度空気が抜けることで、対象者を包み込むようなバフッとした感覚が…なかった。
まるで地面に何もない、いや、そのまま深い穴に落ちていくような落下の感覚が延々と続き、俺は気を失ったんだ。
え?
余計混乱する。
俺は死んだのか?何がどうなった?同じアクションチームの仲間たちは?
自分で自分を触って確認する。
あ、俺って全裸?
なぜか、一糸もまとわぬ状態に。
落下の衝撃で脱げ…るわけないよな。

その時、見事なタイミングで石の壁の一部が消え、そこから姿を見せた爺さんにはニヤリと笑われ、若い娘さんには悲鳴を上げられた。

俺はベッドのシーツを無理やり剥ぎ取り、急いで下半身に巻き付けた。
基本的に俺は悪くはないはずだが、いつまでも「ほうら見てごらん」状態なのは、さすがに悪寄りの変態だと思ったので。

「ようこそ、漂流者」
古びたローブをまとった、白髪のロングヘアー&ロング髭の爺さんが重々しく言い放った。
見るからに魔法使いな爺さんだ。
「先生、漂流者が全裸で流れ着くなら、そう説明しといてください」
「これから重々しく説明を始めるのに、いらん茶々を入れるんじゃない」
重々しくとか言っちゃってるよ爺さん。
同時に、俺がいつもの調子を取り戻しつつある感じ。
「さて、漂流者よ」
「なぁ、爺さん」
「お前はこの地に流れ着いた」
「なぁ、爺さん」
「異世界の住人」
「爺ぃ、聞けよ!」
「お前こそ、こっちの話を聞け、この!」
「やんのか、こら!」
「お前なんぞ、儂の火炎魔法でシーツを焼き払い、再びに全裸にしてくれるわ」
「なんだと、つまんねぇ魔法の使い方すんな!そっちのお嬢さんが喜ぶだけなんだぞ!」
「喜ばないわよ!」
「いらん茶々を入れるなと言うに」
「いれるわよっ!」
あ、爺さんをグーで殴ったよ、あの女。怖ぇ。
爺さん、ノックアウトされたのか、倒れたまま動かないし。
死んだ?
「あんたもヘンなこと言わないでよ、漂流者!」
よく見れば、怖い女は細身ながら銀髪の凄い美人さん。細身だけど、耳が尖ってる。
いわゆるエルフとかいうやつか、だから細身なのか。ファンタジー知識通りなのが良いのか悪いのか。
「あんた、ものすごい失礼な思考をめぐらしてる顔してるわね」
「あははは、そんなわけない」
「嘘くさっ」
うん、今のやり取りで頭がはっきりした。
「とりあえず、さ。美人のエルフ(細身)のお姉さん、その爺さんが説明しかけてた漂流者ってやつのこと、教えてくれないか?」
「まだ会話に雑念が感じられるけどいいわ。それが仕事だから」
「OK、ビジネスライクに行こうじゃないか。俺の名前は…確か佐藤裕…うん、佐藤裕だ」
「びじ、ねすら、いく…こっちに無い言葉なんで翻訳されないわね。まぁいいわ。サトウ・ユウね」
どうも相対していて違和感があると思ったら、俺の耳には日本語で聞こえているが、細身のエルフの話しているのはこっちの世界の言葉だから、声と口の動きが合わないんだ。妙な吹替映画を見てるような感覚。きっと魔法かなんかなんだろうな。
でもそこはお互い様だし、読唇術が出来ないことに不便というか元々出来ないから関係ないし。
「えーと、ユウが個人名で、サトウが家族名でいいのかしら?」
「はいはい、合ってる。そんじゃ、(細身の)君の名前を教えてもらってもいいか?」
「なんか、翻訳魔法にノイズが入るのよね…わたしはメル・クロウ。メル様って呼んでいいわ」
「こっちの世界では、様っていうのは対等な友人に付けるものなのか?」
「え?目上の相手に対してに決まってるじゃない」
「じゃあ、メル。話を続けろ」
ふざけんな細身。
「なんで上からになるのよ!」
「なんで下から行かなきゃいけないんだよ!」
「…」
「…」
「いきなり異世界に来て、混乱している漂流者に救いの手を差し伸べる、のがわたしたちの仕事なんだけど」
「わたし、たち…あぁ、そこの屍も含むのか」
「まだ殺してない!」
つまり、いずれ殺すんだな。異世界怖いな。
と感心していると、メルが数歩走ったかと思うとジャンプして俺を飛び越え背中に回り、一気に首を締めあげてきた。裸の背中にわずかに当たる薄い柔らかいものを堪能する間もなく、本気で落としにかかってきやがった。
しかし、似たような流れの立ち回りを先週ワイドマンのショーでやった俺。
肘で相手の脇腹を打ち、一瞬締めが緩んだところで180度方向転換。
あっという間にしがみついてキスをねだるメルの完成。
「え?な?」
顔を真っ赤にしつつ頭突きをしてくるが、胸で受け止め、そのまま抱きしめてやる。
「わかったよ。俺たち、付き合おう」
あ、固まった。
「あ、あ、あんた何なの?」
「じゃあ、こちらに合わせて名乗りなおそう。俺の名前はユウ・サトウ。スタントマン、スーツアクター、アクション俳優、好きに呼べ。言うなれば“中の人”!未来のスーパースターだ」
「まるで翻訳されないわ」
「じゃあ、戦う芝居をする人」
「あぁ、旅芸人の一種ね、わかった」
確かに地方のショッピングセンターとかでショーをやる仕事は多いけど。
「そして健康な成人男性だ!」
「まぁ、見りゃわかるけど」
「本当に?美人の女性を抱きしめていると一部に強烈な反応が出ることまで?」
シーツ巻いてるだけだし。
「死ね!」
思いっきり頬を叩かれた。グーではなく平手だったのは、俺の思いが通じた証だろうか?
ただ、その瞬間意識は飛んだ。

意識が戻った時、俺は床に仰向けに倒れ、爺さんとメルに見下ろされている状況だった。
ひっ叩いて、そのまま放置したってことだな。外道な女(細身)だな、メル。
「それでは、お主は旅芸人として生きるがよい」
爺さん、いきなり結果通達。俺は、がばっと跳ね起き、
「待て、爺さん。生きるがよいじゃねぇ!こういう異世界に来た人間ってのは、何かしら
使命を持って召喚されて、魔王を倒すとかそういうんじゃないのか!」
「え~?そんなこと言われてもぉ、魔王は10年前に倒されて、今平和だしぃ」
メルめ、ギャルのごとく腹立つ口調で煽ってきやがる。これ翻訳なんだよな?カタカナ用語は翻訳されないのに、なんでギャルっぽいしゃべりは対応してんだよ。
「じゃあ、俺はなんで召喚されたんだよ!」
「だから召喚もしてないの。勝手に来ただけ。だから漂流者」
「この状況は事故、だと?」
「そんなとこ」
「で、そんな漂流者に救いの手を差し伸べるってのは」
「職業斡旋だの」
しれっと言う爺さん。雑な職安もあったものだ。
「で、旅芸人として生きるがよいはイイが、具体的にどうしろっていうんだ?」
「では、そろそろ真面目にやろうかい」
俺がメルより先に殺すべきらしい。
「魔王討伐から10年。一見平和が戻ったかに見えるが、この東ガンド大陸では、ようやく復興が進んできたところなのだ。魔王軍との戦いで瘴気に侵されたままの土地もある。一部地域では生き残った魔物が住み着いているらしい」
あぁ、戦争やら災害やら、俺の世界と、その後は変わらんってところか。
「でも俺にやることはない、と?」
「なんも出来んじゃろ?土地勘とかこちらの知識ないし」
「知らない土地でいきなり、それなりの仕事を斡旋してもらえるのよ。ありがたく思いなさい」
恩着せがましいな、おい。
「戦争当時は、戦場に送り込んでたし、戦後すぐは奴隷として売り払ってたんじゃが、色々問題があってな。最低限の職業は斡旋しようということになったわけじゃ」
あぶねぇ。戦後10年バンザイ。爺ぃ最低。
「で、結局おまえら何なの?」
「主神バードゥを信仰するバードゥ教会の司祭じゃが?」
「なに?そのバードゥってのが魔王なのか?」
「違うわ!この罰当たりめ!」
「信じらんないぐらい不敬なこと言うのね」
事情も把握できない人間を戦場に送ったり、奴隷として売り飛ばしてたのに魔王じゃないなんて、逆にすごいわ。実は魔王が正義だった展開が裏にあるんじゃいないのかと、疑いたくなる。
「俺は今、東ガンド大陸のどこかで邪教集団に旅芸人に売り払われそうになっている、
というところまではわかった」
「邪教言うな」
「なら、売るのも否定しろや」
あ、黙りやがった。

結局俺は、多分丸一日、そこに監禁され、そのまま薄汚い服を与えられ、旅芸人のケルシュマン一座へと引き(売り)渡されることになった。こういう手配の速さ。人身売買慣れ、外道なコネ在りなんだと確信。
「てめえら、まともな宗教だって言うなら、こういう時は、何か望むものを与えるべきだと思わないのか?」
「金や力以外なら…」
と、爺さんが一番与えるべきことを除外したので、
「じゃあ、メルくれ」
「ちょ、あんた、なにを」
「メルなら、持っていけ」
「おぅ」
「はあ?」
「いや、お前ってイイ動きするし、俺のやりたいことの役に立つと思ったんでな」
「ふーん、や、役に立つんだ」
あ、もしかしてチョロい人か?
「メルよ。丁度良い機会だと思わんか?バードゥの司祭として、布教の旅に出る、的な」
あ、爺さんが殴り倒された。さらにメルが馬乗りになって、往復ビンタ。
今度こそ、生命活動停止か?
「ちょっと待ってなさい。荷造りしてくる」
どうやら、本当に着いて来てくれるらしい。
こっちの世界の情報源っていうか、検索ページという存在が必要不可欠。実に都合がいい展開だ。

そしてケルシュマン一座に売られた俺は、新たな世界で役者人生を紡ぐことになった。
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