10 / 20
第一章
10.願い
しおりを挟む
「・・・何やってんだろ、わたし・・・」
というせりふを、この十日、一日十回は言っている。
・・・いや、正直に言うと、一日三十回くらい、言っているかもしれない。
中途半端に身をなくしたほっけの湯気が、だんだん小さくなっている。
脂湧き出るまっ白い彼の目は、食うなら食うで、さっさとしろよと言いたげである。
というか、みそ汁も米も同じことを思っているはずだ。擬人化すれば。
「どうするんだよおう・・・・・・」
そう。わたしはあれから、悩みに悩んでいる。
あの男の子に、何を「お礼する」のかを・・・・・・。
というか、残り時間があと五分とかなら、むだに悩む時間が少ない分、むしろそっちのほうがいい。
あの子と会う(のかはわからないけど)日まで、あと三日ちょっと。
下手すればその三日間のぎりぎりまで、わたしは頭を抱えなくてはいけないのだ。
赤〇をつけた卓上カレンダーには、「12日」と並んで「先負」の文字。
職業柄か培った勘か、ふと気になって辞書をめくってみる。「先んずれば即ち負けるの意」、つまり、あまり急いではかえって失敗する日だという。
じゃあ、どうしろと?
明日は明日の風が吹くなんて言葉とは、まったく縁のないわたしだ。
昨日は雨だったけど、今日はからっと晴れていた。
洗濯物も、あとで取り込まないと。たぶん、乾いているはず。
少し肌寒い風の中で、だんだんと日の光の色が濃くなっている。
温かさはこのまま続き、一か月かそこらすれば、雨の季節だろう。
わたしの心は現在、早くも曇り時々雨模様だ。
プレゼントというものを渡すのは、大学生のとき以来だ。
例によって、少ない機会のどれにしても、あんまりいい思い出がない。
そして、社会人になってからは、そんな時間も、機会もなかった。
だから、この緊張感は、久々だ。
中高生や二十歳過ぎならともかく、疲れている一人暮らしの社会人には、ちょっとしたオーバーワークだ。
とはいえ、仕事はさすがに終わらせている。
突然の入稿の電話でもない限り、よくもわるくも自由時間だ。
でもね・・・・・・。
「どうするんだよおう・・・・・・」
またしても、情けない声がでる。
ふぬけという言葉があるけど、今のわたしはまるで、水を吸い過ぎてずくずくになったお麩が、ぐずぐず、おんおんとわめいているかのようだ。
たぶんわたしは、たくさん見てきた、距離を置いた笑顔を吸い込んだまま、まだ、おろおろしたままなんだろうな。
「初心、忘るべからず、か・・・・・・」
緑茶の紙パックをつぶして、つぶやく。
なんだかんだ、わたしはけっきょくこの言葉に行きついている気がする。
「努力は必ず報われる」なんて、今更信じていない。
その言葉が正しいなら、じゃあ、吐いて倒れて這って、けっきょくどこにも報われなかったわたしは、「努力」していないことになるから。
・・・・・・ああ、ちがうね。わたしは、期待することをやめた。
期待することは、とてもこわいことだと、知ってしまったから。
夜が、わたしがあの時間が好きなのは、ひとりでいるわたしが、ぷかぷか浮かんでいられるから、かもしれない。
でも。
また、思い出す。
ふわりと、図書館の紙の匂い、色とりどりの折り紙の色を思い出す。
そして、あの男の子の、あの横顔も・・・・・・。
べつにあれこれ悩むのは、そうなるよね、って自分で思う。
でも、あの子に対して、こんな悩み方をいつまでも続けているのは、ちがう気がした。
いろいろ登れない、上手くできないわたしでも、それはたぶん本当のことだ。
時刻は、もうすぐ十八時半。ググってみたら、そう遠くない距離に、たぶん大丈夫そうなお店が見つかった。
よしっ、と活を入れて立ち上がる。
大丈夫だ、わたしは死刑執行人(の夢)くらいじゃ、もはやどうじない女だ。
それに何より、最近は集団の中で、前のような思いをしていない。
少しだけ「活」の方向性が、明後日の方向になっている気がするけれど。
でも、考え過ぎて、一昨日みたいにタバコで指を焦がしてしまうよりはマシだ。
さすがに夜のあの時間くらい、ゆっくりしていたい。
「まあ、ダメだったら売るか・・・・・・」
なにせ、「先負」だからね・・・・・・。
知らなければよかったことほど、だれも教えてくれない。不可抗力で自分でみつけて、ぎょっとするんだよ。
それに、むかしもそうだし、ましてや最近の男の子の考えることなんて、ぜんぜんわからないし。
それでも、わたしにしては早めの決着をつけて、夕飯は済ませて、スニーカーを履く。
自転車は、じつはめずらしく気が向いて、きしんでいた部分を修理してもらった。
空気もぱんぱんに入れてもらったので、ペダルは軽い。
今日は、こっちにしようかな。
ふと見上げた夕方の空気は、いつもより澄んでいる気がした。
そしてわたしは、はじめていくお店に向かった。
あの子に出会わなければ、行かなかった場所。
ふとそんなことを思って、ちょっとだけ微笑った。
変な話だよね。
でも、いいや。もうすぐ、わたしの相棒、「夜」だしね。
というせりふを、この十日、一日十回は言っている。
・・・いや、正直に言うと、一日三十回くらい、言っているかもしれない。
中途半端に身をなくしたほっけの湯気が、だんだん小さくなっている。
脂湧き出るまっ白い彼の目は、食うなら食うで、さっさとしろよと言いたげである。
というか、みそ汁も米も同じことを思っているはずだ。擬人化すれば。
「どうするんだよおう・・・・・・」
そう。わたしはあれから、悩みに悩んでいる。
あの男の子に、何を「お礼する」のかを・・・・・・。
というか、残り時間があと五分とかなら、むだに悩む時間が少ない分、むしろそっちのほうがいい。
あの子と会う(のかはわからないけど)日まで、あと三日ちょっと。
下手すればその三日間のぎりぎりまで、わたしは頭を抱えなくてはいけないのだ。
赤〇をつけた卓上カレンダーには、「12日」と並んで「先負」の文字。
職業柄か培った勘か、ふと気になって辞書をめくってみる。「先んずれば即ち負けるの意」、つまり、あまり急いではかえって失敗する日だという。
じゃあ、どうしろと?
明日は明日の風が吹くなんて言葉とは、まったく縁のないわたしだ。
昨日は雨だったけど、今日はからっと晴れていた。
洗濯物も、あとで取り込まないと。たぶん、乾いているはず。
少し肌寒い風の中で、だんだんと日の光の色が濃くなっている。
温かさはこのまま続き、一か月かそこらすれば、雨の季節だろう。
わたしの心は現在、早くも曇り時々雨模様だ。
プレゼントというものを渡すのは、大学生のとき以来だ。
例によって、少ない機会のどれにしても、あんまりいい思い出がない。
そして、社会人になってからは、そんな時間も、機会もなかった。
だから、この緊張感は、久々だ。
中高生や二十歳過ぎならともかく、疲れている一人暮らしの社会人には、ちょっとしたオーバーワークだ。
とはいえ、仕事はさすがに終わらせている。
突然の入稿の電話でもない限り、よくもわるくも自由時間だ。
でもね・・・・・・。
「どうするんだよおう・・・・・・」
またしても、情けない声がでる。
ふぬけという言葉があるけど、今のわたしはまるで、水を吸い過ぎてずくずくになったお麩が、ぐずぐず、おんおんとわめいているかのようだ。
たぶんわたしは、たくさん見てきた、距離を置いた笑顔を吸い込んだまま、まだ、おろおろしたままなんだろうな。
「初心、忘るべからず、か・・・・・・」
緑茶の紙パックをつぶして、つぶやく。
なんだかんだ、わたしはけっきょくこの言葉に行きついている気がする。
「努力は必ず報われる」なんて、今更信じていない。
その言葉が正しいなら、じゃあ、吐いて倒れて這って、けっきょくどこにも報われなかったわたしは、「努力」していないことになるから。
・・・・・・ああ、ちがうね。わたしは、期待することをやめた。
期待することは、とてもこわいことだと、知ってしまったから。
夜が、わたしがあの時間が好きなのは、ひとりでいるわたしが、ぷかぷか浮かんでいられるから、かもしれない。
でも。
また、思い出す。
ふわりと、図書館の紙の匂い、色とりどりの折り紙の色を思い出す。
そして、あの男の子の、あの横顔も・・・・・・。
べつにあれこれ悩むのは、そうなるよね、って自分で思う。
でも、あの子に対して、こんな悩み方をいつまでも続けているのは、ちがう気がした。
いろいろ登れない、上手くできないわたしでも、それはたぶん本当のことだ。
時刻は、もうすぐ十八時半。ググってみたら、そう遠くない距離に、たぶん大丈夫そうなお店が見つかった。
よしっ、と活を入れて立ち上がる。
大丈夫だ、わたしは死刑執行人(の夢)くらいじゃ、もはやどうじない女だ。
それに何より、最近は集団の中で、前のような思いをしていない。
少しだけ「活」の方向性が、明後日の方向になっている気がするけれど。
でも、考え過ぎて、一昨日みたいにタバコで指を焦がしてしまうよりはマシだ。
さすがに夜のあの時間くらい、ゆっくりしていたい。
「まあ、ダメだったら売るか・・・・・・」
なにせ、「先負」だからね・・・・・・。
知らなければよかったことほど、だれも教えてくれない。不可抗力で自分でみつけて、ぎょっとするんだよ。
それに、むかしもそうだし、ましてや最近の男の子の考えることなんて、ぜんぜんわからないし。
それでも、わたしにしては早めの決着をつけて、夕飯は済ませて、スニーカーを履く。
自転車は、じつはめずらしく気が向いて、きしんでいた部分を修理してもらった。
空気もぱんぱんに入れてもらったので、ペダルは軽い。
今日は、こっちにしようかな。
ふと見上げた夕方の空気は、いつもより澄んでいる気がした。
そしてわたしは、はじめていくお店に向かった。
あの子に出会わなければ、行かなかった場所。
ふとそんなことを思って、ちょっとだけ微笑った。
変な話だよね。
でも、いいや。もうすぐ、わたしの相棒、「夜」だしね。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
龍皇伝説 壱の章 龍の目覚め
KASSATSU
現代文学
多くの空手家から尊敬を込めて「龍皇」と呼ばれる久米颯玄。幼いころから祖父の下で空手修行に入り、成人するまでの修行の様子を描く。
その中で過日の沖縄で行なわれていた「掛け試し」と呼ばれる実戦試合にも参加。若くしてそこで頭角を表し、生涯の相手、サキと出会う。強豪との戦い、出稽古で技の幅を広げ、やがて本土に武者修行を決意する。本章はそこで終わる。第2章では本土での修行の様子、第3章は進駐軍への空手指導をきっかけに世界普及する様子を独特の筆致で紹介する。(※第2章以降の公開は読者の方の興味の動向によって決めたいと思います)
この話は実在するある拳聖がモデルで、日本本土への空手普及に貢献した稀有なエピソードを参考にしており、戦いのシーンの描写も丁寧に描いている。
抱きたい・・・急に意欲的になる旦那をベッドの上で指導していたのは親友だった!?裏切りには裏切りを
白崎アイド
大衆娯楽
旦那の抱き方がいまいち下手で困っていると、親友に打ち明けた。
「そのうちうまくなるよ」と、親友が親身に悩みを聞いてくれたことで、私の気持ちは軽くなった。
しかし、その後の裏切り行為に怒りがこみ上げてきた私は、裏切りで仕返しをすることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる