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第一章

5.葉桜

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見破られなかっただろうか。


レジの女の子から告げられた金額を支払いながら、毎回そう思ってしまう。


少し歩く。お店がまだ見えるくらいの位置に広場があり、改めてお店を見返す。


「germoglio」


読みは、「ジェルモーリオ」。イタリア語で、「つぼみ」とか「新芽」。

「germogli di bambù」で「たけのこ」、「germogli di soia」で、「もやし」らしい。(正確な発音までは調べなかったけど、なるほどと思った)


ちょっとだけシルバニアっぽい、というのが第一印象。

だけど不思議とどこかで落ち着いた感じがして、派手すぎない。

赤い屋根、白い壁。表のおススメ書きは、ホワイトボード。

桜の花びらの絵を添えて、ケーキやキッシュ、ドリンクなんかの説明が並んでいる。


今回の仕事場は、最近できた小さいけれどオシャレなカフェ、ということだった。

なので、出社用のスーツを着てきた。(毎回思うけど、在宅がたたって、いつのまにか入らなくなっていたらと考えると非常に怖い。)


ランチタイムは、どうしても社会人の女性グループで混み合う。

そうなるとひとり身のわたしだけ浮いてしまうかと思って、「仕事でランチが遅くなったOL」としてスーツ姿で入った。けど、魂胆が魂胆のせいか、これはこれでなにか浮いているような気がして、けっきょく落ち着かなかった。


まあ、終わったことだ。


スマホを取り出し、財布からレシートを抜き出す。

3種の焼き菓子おススメセット600円、フレッシュオレンジジュース、400円。


記憶が曖昧にならないうちに、項目を思い出しながら、メモ機能に単語を落とし込んでいく。これはあとから、パズルピースになる。そして、この項目があらかじめ頭に入っているかどうかで、この仕事は出来がぜんぜん違う。


・・・外装、あと、内装・・・いや、入り口からか。


覆面調査員のバイトは、これでたぶん、10回目を少し超えたくらいじゃないかと思う。


覆面調査というと警察の覆面パトカーとか、アメリカの調査機関みたいな名前だ。

実際、「ミステリーショッパー」とも呼ぶ仕事らしいと知った時は、ますますそう思った。


覆面調査員(わたしはこの名前もそんなに好きではないけど)とは、ようするに抜き打ち調査員の一般人バージョンだ。


おおまかにいうと、企業が何かしらのサービス、あるいは品物について、消費者の「実際のところ」、つまりリアルな感想を求め、それに「覆面調査」というかたちで応じるのが、わたしたちの仕事だ。


バイトとして雇っていたら、じつは彼は社長の息子でした的な海外の番組があったけど、ニュアンスはあれに近い。


わたしたちは、あくまで「一般のお客さん」としてサービスを受けたり、品物を購入したりする。けれど、頭の中では提供されたものに対する評価の仕事が始まっている。


評価の対象は、さっきもいった外装、内装、玄関先での対応、接客、料理の質、美容系・・・そういったものに対するものが多いけど、企業によって異なる。とはいえ、どんな場合でも、企業が知りたいと思った項目に沿って評価をし、企業に向けてレポートを提出する。これがわたしたちの仕事だ。


仕事は登録サイトに登録して、めぼしいものを見つけて応募をする。報酬はきっちり決まってはいないものの、だいたい支払った飲食代の5割程度というところが多い(上限はある)。


初めてのときは一瞬意味がわからなかったが、報酬は支払った飲食代の5割、ということは、支払った額の半分が返ってくるのだ。つまり、半額相当でサービスを受けていいですから、受けたサービスに対して、企業に役立つレポートを書いて返してくださいね、というものだ。


一見気楽そうに見えるし、わたしも最初は楽勝すぎると思っていた。

正直にいうと、なんでこんな楽な仕事に気づかなかったんだとすら思っていた。


ただ、その手軽さもあり、そもそも応募が多い。

閉店間際のスーパーの半額弁当にわたしもよく群がったけど、「半額」という言葉は、なんというか、攻撃力がとても高い。打てば響くとはよくいったもので、応募が出たあと、ちょっと目を離した隙に募集が終わっている場合も多い。中心街に新規オープンしたファミレスとか、居酒屋とか。


あと、企業にもよるけど、レポートで指定してくる項目の内容にばらつきが大きい。10分程度で書き終わるようなものから、微に入り細を穿つような項目数と文章を求められ、1時間以上格闘するようなものまで、さまざまだ。ただし、後者のようなややこしい内容だと、そのぶん単価も高い場合が多い。


他にも、レシートの添付、写真の添付などが求められる。

レシートはまあいいとして、慣れないころ、わたしにとっては写真撮影が悩みの種だった。


今はSNSがあるから、まあそう怪しまれずにすんでいるのかもしれないけど、女一人でやってきて、真剣に料理の写真を撮っている人。わたしのことだ。毎回、シャッター音が鳴るたびに、自分で押しておいてドキドキする。


とはいえ、最近はもうこそこそ撮らずに、先手を打って、「これ、素敵ですねー!写真撮ってもいいですか?」と言うようにしている。

すると店員さんも、なるほど、SNSなのだろうと思って「どうぞどうぞ」と許可してくれる。内心申し訳なさを感じながら、だいたいこの手でやりすごしている。


わたしが今回当選したのは、少しややこしいタイプのレポートを提出するもので、飲食代の5割より少し割り増しした金額が支払われる。

依頼主はわたしも名前は知っているそれなりに大きな企業で、今回のような飲食事業の展開は、ちょうど最中といったところではないかと思う。広い意味で、手堅く商売をしたいというところだろう。


わたしが主に狙っているのは、むしろこうした「ちょっとややこしい」タイプのオファーで、文章で意見を書くということが案外好きなのかもしれないと思っている。


ちなみに交通費は出ないので、調査の行き先はたいてい、ある程度近くになる。私の場合は、自転車できつくない範囲、ということになる。


今回行ったのは、バス停の名前は聞いたことがあるけど、行ったことはない場所だった。

バス停といっても行き先が遠いのではなく、バスを利用する際に耳にするが降りたことはない隣町、自転車で少し走れば行ける距離の、中身は知らない町にあるお店だ。

たまたま応募を目にして、気分転換に久しぶりにカフェでも行こうと思っただけ。


さて。


だいたいのレポートの構想が浮かんできた。

ベンチを探していると、足がとまった。


広場の池の先。

よくみると、青文字で「図書館」と書いているように見える建物があった。

学生でもないわたしが使えるかどうかわからないけど、自習スペースのようなものもあるだろう。もちろん公共機関だし、感染症対策で少ししかいられないだろうけど、自転車で走っている間に記憶の鮮度が落ちるのが嫌だった。だから今回のように、お店の近くに座って文章が書けそうな場所がない限り、応募は見送ることが多い。わたしが調査対象をなるべく近場にしていたのは、そういう理由だ。


渡りに船。鉄は熱いうちに打て。もらえるものは逃すな。ネタは忘れる前に書け。


よく見れば、広場の池にもカモが泳いでいたり、当然のようにハトが地面をのたのた歩いてたり、生い茂った葉桜の緑もきれいで、なかなかいい場所である。


こころの中でラッキーを言って、わたしは自転車にまたがった。

最近のハトはふてぶてしくて、自転車が近づいてもめんどくさそうによけていく。


それにしても・・・。


あのお店、もしかして、なんかいいかもしれない。
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