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雨の日の薔薇園で③ (sideマイア)

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 凛々しくて可愛らしい大切な主人を正当に評価しない男達を見ているうちに異性のほとんどが嫌悪すべき対象となった。
 真に美しいものがわからない連中とは一生距離を置いたままでいたい。頑なに思っていたマイアにとって、ディアソーを見染めた王族の登場は晴天の霹靂だった。
 
 王族との交際や婚姻は周りも巻き込んで平穏無事には進まない。だから、ディアソーの相手として彼は満点ではなかったけれど、臆することなく主人の素晴らさを詩的に告げてくれるから加点は止まらなかった。

 降り出した雨は細く静かで、お気に入りの傘の上でステップを踏んでいってくれない。
 水滴をまとって芸術性を増す薔薇を眺めながら、昔、作家が愛した庭をひとりで回っていく。
 豪華なドレスを着たレディは、雨で濡れるのを嫌うだろう。          
 自然光で褪せる繊細な色合いの刺繍、湿気が大敵の素材、泥跳ねで汚れるレース。室内や足元の良いところでしか着られない衣装なんて、マイアには不要だった。
 
 肩に虫が止まっただけで倒れそうな深層の令嬢に産まれたいなんて思ったこともない。蕾に集まる小さな虫や飛び回る蝶々や蜂に怯えていては、本当に得難い瞬間を見逃してしまう。
 ほころびかけた蕾や色づく途中の花達。絵画とは違い、時間ごとに変わる薔薇たちの今を鑑賞しながら、マイアは傘を軽く揺らした。
 
 背後から土を踏む音がする。人の呼吸がそれに混じるので、振り向かなくても次に何を見るかわかっていた。

『ディアソー様はとある高貴な方に求愛されていますので、近侍である私は誤解を招くような行動をするわけにはいきません。貴方が私と一緒にいるところを誰かに見られたら、なんと言われるかわかりませんもの』

 自分の立場も弁えず軽率な行動を取る彼を嗜めたつもりだった。

『私とは住む世界が違いすぎます』

 そう告げても引いてくれない彼に、薔薇のようなドレスで変装してきてくれるなら時間を空けておきますよと約束をした。
 使用人の女に会うために、女装までする貴族はいない。来るはずがないと思いながら、時間より早くここへ来ていたマイアは、新緑のようなドレスを着た長身の男を目にして、その迫力に言葉を失う。

「……これならば、問題はないだろう」

 化粧は慣れた人間に任せたのだろうか。思ったよりもドレス姿に違和感はなかった。元々、母親譲りの顔立ちのため、口紅をのせた唇が言葉を発しても、マイアのお喋り相手に見えないこともない。

「入り口までは馬車でしょうけど、ここに来るまでには他の方の目が気になりませんでしたか?」
「誰がどんな格好をしても自由だろう? 取り締まられる理由はない」
「貴方のそういうところ、百年後には評価されるでしょうね」
「俺は今すぐ、君に褒めてもらいたい。君が好きな薔薇に一番映える色だろう?」

 よく通る大きな声は、真っ直ぐに気持ちを伝えてくる。天然なのか、天才なのかわからない独特の感性は、ディアソーに通じるものもあった。

「貴方に似合うかどうかは、デザイナーに確認しなかったんですか?」
「薔薇園で会うのなら、花の色を引き立てる色がいい。君が俺に見惚れてくれるわけではないのだから」

 同意が得られぬままでも踏み込んでくるような男だったら、マイアは彼と会話もしなかった。

「コルセットというのは、なかなか苦しいものだな。ご婦人の苦労が体感出来て良い体験だ」

 前向きで、真っ直ぐで、気持ちの良い笑顔を見せてくれる彼を嫌いではない。けれど、そこから進展することはないだろう。
 ディアソーと共に生きるとマイアは決めている。仕事第一で主人至上主義の女がヒロインとして成り立った恋物語はない。

「そんなに締め付けられているのでしたら、お茶にお誘いするのは申し訳ないですね。散歩に付き合ってくださったら、お帰りください」
「待ってくれ。君がもう少し時間をくれるというなら、俺は海の水だって飲み干せる」

 これも詩的な愛情表現だと解釈するべき?
 マイアの一言で一喜一憂する男は、マクフェイル公爵家の跡取りとして気を張り詰めている時よりも幾分幼く見えた。


 
 
 
 
 
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