上 下
5 / 9

私はあなたの声に弱いのかもしれない

しおりを挟む

 ディアソーの絵の才能は独特である。
 両親の似顔絵は飾ってもらえたし、題材さえわからない工作も保管してもらえた。けれど、一般的に認められる芸術センスがないことは以前から自覚していた。

 着色しても夢の中のイメージとかけ離れたままだった完成予想図に、一般的な審美眼を持つミハイルがため息をつく。
 丸い焼き菓子を積み上げたタワーも描きたかったのだが、余計に混乱させるかもと省いたのは正解だった。
 元々愛想のない声のトーンを下げて、正直者が感想を述べる。

「河原の小石に見えなくもないですね」

 淡いカラーで塗った楕円形の集まりを小石に見間違うミハイルには、自由な絵を感覚で読み解く才がない。
 せめて散った花びらのようだとか言ってくれないかなとディアソーは思う。

「だとしたら、なんとも優美な小石だ。俺にはミュルクの新作アクセサリーに見える」
「アーシェル様、自分だけポイントを稼ごうとするのはやめてください! ここにミュルクのデザイナーが来ていたら泣き出しますよ!」

 ディアソーの両親や従者たちは、一人娘のやることなすことに満点を付けてくれた。
 だからと言って、怠惰に過ごすのは勿体無い。これまで努力を積み重ねてきた彼女は、善意のみで接してくれる人間の方が少ないのを知っている。

 人の美点を見つけようとせず、欠点をあげつらって叩く行為には、快感が伴うのだろう。
 暴漢にも負けない闘竜令嬢なら、よってたかって非難しても傷つくはずがない。そんな利己的な考えを誰からも是正されない彼らは周りの人に恵まれてない。
 ディアソーが言葉の暴力に報復しなかったのは、彼らがある意味可哀想な人達だからだ。

 大通りに店を構える宝飾店ミュルクを例えに引っ張り出すなんて、恋は盲目の定型だ。
 行き過ぎた賞賛は、批判と同じ意味合いを持つ。そうでなく、本気でディアソーの創作物を宝物のように感じてくれているなら、恋に浮かれた人間は怖いとしか言いようがない。
 
『君と、はじめての共同作業だ。俺はあり得ないくらい緊張しているから、失敗しても笑わないでくれ』

 アカツキ虫が結んだ縁だから、運命の相手だと思い込むなんて、この王族の思考はどうかしている。
 せっかくだから、お披露目してはどうかとマイアが用意してくれた薄紫の少女趣味なドレスに本気で見惚れてくれた彼のように奇特な男はもう現れないかもしれなかった。

 王家特有の傲慢な物言いや堂々とした態度が彼を形作っている。わかっていても厄介なしがらみがなかったらと考える自分をディアソーは嫌悪した。

「この絵と同じサイズに仕上がればいいのか?」

 建設的に物事を進めようとするミハイルの手には今日もペンと紙がある。
 作業内容や材料を書き留め、後からレシピをまとめてくれる彼は優秀な記録者だった。
 厨房を長い間借りるわけにも行かず、火を必要とする段階までは、客室で作業を進めている。王宮の第二厨房の使用許可を取ろうと言い出したアーシェルを制して、融通が効くからと伯爵家に招いたのは人の目を避けるためにも正解だった。
 二人きりの共同作業のはずだったのに、お互いの従者が納得せずメンバーは四人で確定し、今回が二度目の挑戦である。

「お嬢様、不足していた材料を厨房から分けてもらってきました。焼き菓子が綺麗に膨らんでいるということは、卵白をベースにしてるのではないでしょうか?」

 難題を解決するのはアーシェルの役目だが、夢の中のお菓子をうまく描けない事実と味覚を伝える語彙の不足から、誰に協力を求めても良いと条件をゆるくした。

『向こうに協力するフリをして、こっそり邪魔することだって出来ますよ』

 マイアはそう言ってくれたけれど、現実には存在しないものを再現するのは難しい。
 アーシェルとミハイルは料理をしたことがなかったし、母の菓子作りを手伝ったことしかないディアソーも即戦力には程遠いので、難題クリアへの道のりは遠そうだった。

「焼き菓子にしてはしっとりした感じなのに、ふわっと溶けるの」
「似たような菓子のレシピをかけ合わせて試作を重ねれば、前回のアレよりも食べ物らしいものになるはずですだ」

 抽象的な表現を連続して使ったディアソーの説明のせいで、謎の生物みたいに仕上がったケーキは完全なる失敗作だった。
 四人の中で一番、味覚が鋭敏なマイアは試食の後、トイレにこもって帰ってこなくなり、四人が揃わないまま解散するしかなくなった。

 ぐるぐる丸焼きの蜂ケーキ。
 
 ディアソーが名付けた生焼けと焼き焦げの集大成は、串を刺して直火で炙るという大胆な手法を取った。年輪のような焼き色はそうやって作ったのだろうというアーシェルの見解は悪くなかったのに、仕上がったものはケーキと呼べない代物だった。
 口に入れてから無言にはなったけれど最初に切り分けた量をアーシェルだけが残さず食べ切った。難航する作業過程も楽しんでいる彼との共同作業は思ったよりも快適だった。

『二人きりでないのは残念だが、これはこれでディアソーの色々な顔を見つけることが出来て悪くない』

 嬉しそうにそう言われて、アーシェルの幸福がじわじわと伝染する。

『ここのところ、忙しくて食事も面倒だったんだが、君と一緒にいられたら疲れの方から逃げていってくれるようだ』

 至近距離で囁かれるたびに、心臓が跳ねる。彼が王族でなかったら、もっと素直に惹かれていることを認めただろう。

 ディアソーが目で追ってしまう可愛い小物や小さな花を、彼は似合わないと切り捨てない。
 趣味や意思を尊重し、互いに認め合う。穏やかに愛し合う両親のような関係がディアソーの理想だった。

「お待ちください、アーシェル様!」

 ガラスのボウルに投入されていく粉は止まってはくれない。

「どうした? はじめに確認した手順通りだろう?」
「卵白のみを使うのです。不要となる材料を分けておかなかった自分のミスでした。それと、泡立てていない卵にいきなり小麦粉を混ぜてしまうとふくらみが保たれません」
「なるほど」

 いまさら、元には戻せないボウルの中身を見て、ミハイルはため息をつく。

「こちらは、厨房の者に相談して無駄がないよう使ってもらいます。新たに材料を調達してまいりますので、しばらくお待ちください」
「夕餉の支度の時間に彼らの仕事を増やしてやるな。ディアソーが望む焼き菓子にはならないが、ここから作れる菓子にしてしまえばいい。四人で案を出し合おう」

 他人を責めずに、解決策を見つけようとする彼の方向転換は素晴らしい。
 穏和な気質だとは今でも思わないが、気分次第で臣下をなじる権力者の悪癖を彼は受け継いでいなかった。

「泡立てなかったのなら、クッキーにしてみませんか? お嬢様はクッキーの抜き型をたくさん集めていらっしゃるのです」
「それははじめて聞いたな」
「めずらしい抜き型ばかりですよ。物語に合わせて作られた形もあるんです。思い入れを語り始めたら長くなりますので、それはまたの機会にされてください」
「楽しみは取っておこう」

 ディアソーにアーシェルが微笑みかける。

『そんなに集めてどうされるんですか? 使わず眺めて楽しむだけなんて、抜き型たちも残念に思ってますよ』
『使わないとは言ってないわ。いつかお菓子を焼いて差し上げたい方が出来るまで、大切に保管しているだけよ』  

 あの会話をマイアが忘れてるとは思えない。着る予定のなかった薄紫のドレスにアーシェルが期待以上の反応を示してからというもの、男性不信気味だった近侍は二人が進展するように後押しをしてくる。

『お嬢様の可愛らしさを存分にお見せしても、あの方は困惑したりしませんよ』

 頬から目元に向かって熱が上がっていく。アーシェルの声を聞くと優しい眼差しに気づくと最近はいつもこうだ。
 もしかしたら、自分は良い声に弱いのかもしれない。
 正解のようで空回っている主人を応援するマイアの表情は姉のようでもあり、友のようでもあった。
しおりを挟む

処理中です...