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第三章 自由ナ蟻
第35話 誓約
しおりを挟む玄冥が「伊勢」と自らの周りに垂らしている筈の、黒い帳の向こうに、からころと下駄を鳴らして笑いさざめく人の気配が過《よぎ》る。
それで、ようやく玄冥ははっとした。
自らの動揺が帳の威力を弱めているのにようよう気付いたからだ。
意識を込めると、途端に帳は色濃くなる。それを察し「伊勢」が微笑んだ。
「上手に気を取り直せたね」
「伊勢」の言い草に玄冥は思わず顔を顰める。その反応に満足でもしたのか、「伊勢」は「ふふ」と声に出して笑ってから「じゃあ話をもどそうか」と転換した。
「ここで次に見えてくるのは、三という数字だ」
三本の指を立てて「伊勢」は玄冥の目をじっと見据える。
「この三という数字が不老不死の神聖を象徴していることはまず間違いない。キリスト教ですら三位一体というくらいだ」
(それだけをして? 持論の証左とする気か?)と、返す玄冥に、「まさか」と「伊勢」は笑った。
「当然他にもあるよ。不死性、子孫繁栄を併せ持った存在はね、異性によって分割されるんだ」
(……異性)
「うん。異性。例えば……そう、さっきも話したマヌと双子のヤマとヤミーもそうだね。妹のヤミーはヤマに対して子孫繁栄の必要から結婚を迫った。ヤマとヤミーは子を為し、ヤマは兄妹婚という罪の為地獄に落ちた。人類の始祖としての役割はマヌの方に附帯された一方、死を与えられたヤマには冥界の王としての役割が附帯される事となった。ヤマはその贖罪のため、今も尚地獄で働かされ続けている。つまりこれは閻魔だ。これは北欧に至ってユミルとなる。そう。これらはみんなね、巨人のお話しなんだよ」
(巨人であることが神性だと?)
「まあ、そう言う事にした方が分かりやすいのだろうね。強大性の比喩なんだろうとは思うよ。ヤマとヤミーが双子の男女であり、これが分割されたものというのも実に象徴的だよね。ヤマと同一であるユミルは、一人で男性も女性も生み出しうる両性具有であると見なされている。そして両性具有性といえば、日本の天照と素戔嗚もそうだね。ついでにこちらも三柱として成立している」
すでに三指を掲げて見せていた「伊勢」は、今度はそれを下げた。後ろ手を組み、目元を細めて笑う。
「天照大御神、月夜見、素戔嗚の三柱の場合は、月夜見と素戔嗚がハイヌウェレ神話相当の殺害を行ったにもかかわらず、天照によって排除されたのは月夜見だけだ。月夜見は保食神を切り、素戔嗚は大気都比売を切った。天照が嫌ったのは月夜見だけで、これだけを追放した。一方、素戔嗚とは誓約を行い、子まで為している。その果ての天孫が瓊瓊杵だ。ここでもやはり姉という異性によって選別が行われている」
(つまり、何が言いたい)
ついに玄冥の声に険がある。どろりと空気中の黒に粘性が増す。――怒りだ。玄冥からは怒りが発されている。
しかし「伊勢」は動じない。
ただ、笑っていた。
瞳の奥に冷たい光を宿したまま。
「何って、僕はさっきから、僕の解釈する君という存在について語り聞かせているんだよ。それ以外のなんだと思っていたんだい? あのね、君という存在は「胎内」性と「霊性」を兼ね備えているんだ。「胎内」性とは即ち生殖と繁殖の事であり、「霊性」とは魂の事だな。数多の宗教が、この魂の不滅を訴えている。肉体は滅んでも魂は消えない、とね」
(転生の話をしているのか)
「そういうこと。霊亀は冥界に行って神託を受け帰還する。これこそ卜占の本質だね。君の姿が亀と蛇に分割されているのは、この「胎内」性と「霊性」の分割を意味しているんだろう」
亀とは冥界の言葉を運ぶ霊性。
「つまりさ」と「伊勢」は目元を細めた。
「玄冥、君は、此岸と彼岸とを結ぶんだ。そして彼岸の言葉を齎す存在だ。これは、為政者に対して齎される吉凶だ。龍伯国の巨人は、これを横から奪い取ったという事になる」
ひたり、またどこかで音がした。
「霊亀の運ぶものが冥界からの言葉であるならば、その上に乗っていた五座の仙山とは、正しく為政者への託宣そのものなんだ。本来この卜占を、正統に受け取るべきだった天帝から龍伯の巨人が横取りしたというのであれば、これは簒奪を目論んだと解釈されても致し方ないだろう。龍伯の簒奪計画は、岱輿と員嶠の流出によって明らかとなり、これに対して天帝は制裁を下し、龍伯は神の威力を喪った。これもまた不老不死という「霊性」の喪失と、繁殖によってしか存在を維持され得なくなった「胎内」性との分断を意味したんだろう。失われた二座に対するペナルティだよ」
ひたり、また音がした。
「伊勢」の目が玄冥の間近に迫っている。
ここでようやく玄冥は気付いた。
ひたり、ひたり、ひたり。
それは、「伊勢」が己に近付いてきていた足音だったのだ。
(「伊勢」の、貴様――)
とん、と「伊勢」の人差し指が玄冥の胸を突いた。
にこり、と、笑む瞳の奥には白い光がぎらりと。
玄冥の身の内にざわりとしたものが駆けた。
「神話としては、残った三座が天帝に残された卜占であるわけだから、これに対応する瀛洲日本、蓬莱台湾、残り一つの方丈の国が天帝に対して何を語ったのか――知りたいところではあると、そういうことなんだよね。そして、まあ、これを実際に体現してしまっているのが僕、ということだ」
ひたり、「伊勢」の掌が玄冥の胸に触れる。
「僕はね、この時残ってしまった瀛洲の出身だ。――さてさて、僕が異地にきて天帝に伝えるべき卜占とは一体何だろうか。ねえ、君はどう思う? 玄冥」
ついと、掌が上がる。指先が玄冥の首に掛かる。
白い瞳の光に宿るのは――執念か。
「瀛洲こと日本の事は東瀛ともいう。東と言えば龍だ。そして僕はその瀛洲出身であり、子孫繁栄と繁殖の力を司る《散華の力》を持っている。ねぇ玄冥。――君は本当に、僕を抑え込めているのかい?」
ざば、と音が響いた。
何処から流れて来たか、「伊勢」の足元を湯が流れている。
ふと顔を上げた先には、すでに玄冥の姿はなく、「伊勢」は苦笑を漏らした。
「ああ、残念だ。逃げられてしまった」
しかし、言葉とは裏腹に、「伊勢」の声に残念という響きはない。代わりに黒い帳が消え去り、温泉街特有の穏やかな賑わいと人の行きかう空気がよみがえる。
「長」
影の男女が「伊勢」の傍らに駆け付ける。「ああ、大丈夫だよ」と片手をあげて見せてから、伊勢はぱんぱんと自らの左袖口をはらった。どこかから跳ねたか、湯の滴がかかっていた。
「こういうことも、異地に来ないと知り得なかったからね。さて、良かったのか悪かったのか」
理解だけは進んだよ――と、「伊勢」の長は片頬を笑みに歪めた。
虚空を睨みながら「伊勢」は姿を晦ませた神へ向けて言葉を紡ぐ。自身の身に及んでいる霊圧によって、玄冥からの抑えが外された訳ではなく、また彼が「伊勢」に意識を払い続けている事は察知していた。だから、玄冥に聴こえていると知った上で「伊勢」は言葉をかける。
「異地の邪魔をする気はない。僕達はね、帝との誓約通り、ちゃんと働きは為してきたんだよ。だからそちらも誓約通り、黄泉に「かぐや姫」様を帰していただかないと。その為にもまず、斑には神を産んでもらう」
薄墨の夜空を――一羽の烏が過ってゆく。
「もうこれ以上誓約に反するべきではないのは……異地側のほうだ」
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