雪々と戀々

珠邑ミト

文字の大きさ
上 下
25 / 40
第三章 自由ナ蟻

第24話 地偉智とは

しおりを挟む



 杉内の視線が、ちらとリンドウの背後へ向けられる。否。背後というより頭部か。

「それで、その数珠から抜いた石で、リンドウさんのそのかんざしこしらえられた、と?」

 リンドウは伏し目がちに「――ええ」と首肯する。

「こちらの石粒は仕舞いの終えたものなので、分けた方がよいという事だったそうです。仕舞われる度に数珠からよけておいたらしいのですが、物が物ですので処分もならず。それで溜まったものを今回まとめてかんざしに仕立てていただく事に……」

 リンドウは、口の端に吐息をにじませ、そっと目を伏せた。
 杉内の目は、未だリンドウのかんざしに注がれている。見れば、ブラックダイヤモンドが垂れ下がる根元に、一粒の金緑石があった。雫型のそれは、簪の先端に調金された花の華芯にあしらわれている。
 花は――桔梗である。

 杉内は自身の頬を撫でさすりながら「ふぅむ」と小首を傾げる。

「これはえらい仕事ですよ。仕舞いにも時間がかかったでしょうに。――ああ、仕舞いをしている人と、拵えをした人はまた別ですか。それはそうか」

 勝手に納得したものか、杉内は「ふんふん」と一人頷く。頷いてから、ちらと鋭く白い眼差しをリンドウへ向けた。

「どなたの仕事です?」

 杉内の問いに、リンドウは思わず口籠くちごもる。

「――それは」

 しかし杉内はさすがである。言えぬものと察するのが早い。「ああ、いや結構」と、自らの乾いた頬をでさすりながら、口元をへの字に曲げつつその両目を見開いた。丸きり歌舞伎の見得のような面相だが、芝居観賞もまた彼の息の長い趣味であるが故である。

「大丈夫ですよリンドウさん。またお話しいただける時でかまいません」
「ありがとうございます」

 リンドウは、深く頭を下げた。

「さあて、では早速こちらはあずからせていただいて、桑名に着き次第おきなに渡すとしましょう。どれ程のお預かりになるかは分からんでしょうから、あれにもできそうなら仕舞わせておきます」
「助かります。私には、石や物に宿る御魂みたまの強さなんかは分かりますが、込められた雑気や怨念、悪意などを抜く事はできかねるので……」
「それはそうだ。マダラである貴女に出来るのは肉と魂の移動なのだからね」

 杉内の言葉に、リンドウは、うっすらと苦い諦観ていかんの笑みを浮かべた。
 リンドウは、その額に赤い光を頂いている。生まれながらのものであり、ヒトには視えない。しかし鬼どもには視えている。
 その赤光しゃっこうで魂寄せをする。つまり魂を抜きとれるのだ。思うがまま、自由自在に肉から抜いては別の肉へと運び入れることができる。リンドウがその気になれば、今この場でたもつ杉内すぎうちの肉体と魂を入れ替えることも可能だ。

 これは本邦の史類を紐解いても、マダラにのみ可能な異能である。
 しかし、マダラの異能とは、ただそれだけの物なのだ。

 リンドウは、杉内の手にある数珠をじっと見つめた。
 じわりと滲み出る、薄暗い陰がある。湧き立つようなものがある。
 全く、いつになれば終わるのか……。
 リンドウは静かに歯噛みした。
 この状態では、まだこの石には直接触れられない。この石だからこそ保っていた、とも言える。他の石ではとうに砕けていただろう。
 よくここまで薄めてくれたものだとは思うが……先の長さに目が暗くなるのもまた本音だった。

「恐らくこれで間違いないとは思いますが、桑名の翁に見ていただいて、これが真実コダマノツラネであると判明しましたらその時には……」

 杉内はゆっくり大きく頷く。

「わかっております。仕舞いの支度が整うまでは、桑名の下で預からせていただきましょう」

 杉内は、巾着の紐を引いて、緋色の縮緬の中に数珠を閉じ込めた。

「本当にありがとうございます。助かります」

 リンドウがこうべを垂れることで話の片は付いた。二人はふうと安堵の溜め息を漏らす。
 杉内は、「それにしても」と、再びその乾いた頬に手をやった。するするとさする。

「お預かりするのが私と翁でよろしかったのですか? 藤堂とうどう地偉ぢいには何と言ったのです?」

 藤堂の名が出た途端、リンドウは物凄く厭な顔をした。

「あれには見せたくありません」
「ほう」

 リンドウは遅れ毛を耳にかけながら、眉間に皺を寄せた。

「モノがモノです。情に引き摺られて地脈を乱されては迷惑ですよ」

 実際は、先般の小手毬こでまり姫の件の折に、あの鬼がやらかした事を引き摺っての怒りが治まっていないのと、羞恥による複雑な意地張りでもあるのだが、これは杉内の知らぬ事である。

「ほほう、迷惑、ですか」
「藤堂は、私なんぞより余程人くさいのです。ヒトではない己は鬼だ、人であったことなんぞ忘れた――というわりに、激しく人であったことに拘泥している。……あれに明確な自覚はありませんが」

 忌々しげに呟くリンドウに、杉内はからからと声を立てて笑った。

「仮にも地偉智をあれ呼ばわりできるのは、貴女ぐらいのものでしょうなぁ。――マダラの特権ですか」
「特権、ではないでしょう。それに、地偉智を使役できる先生と私では格が違う。からかわないでください」

 ふ、とリンドウの表情に影が過る。

「地偉智の混乱は、土地にとってただ害悪でしかありません。あれには努めて穏便に、……そして末永くその任にあってもらいたいのです、わたしは」
「お話しに割って入ってすいません……」

 リンドウのキリマンジャロ、杉内のブレンドを運んできた店主が、ふいに口をはさんだ。

「前々から気になってたんですが、その地偉智というのは、藤堂の名前じゃないんですか?」

 リンドウと杉内は顔を見合わせ、今更ながらに、「ああそう言えば」と思い至った。

「そうかそうか、たもつさんはご存知ではなかったか」
「改めてそれが何かなんて説明したこともなかったしね」

 リンドウは悪戯げな目で笑った。

「保さん。地偉智は固有名詞ではないんです。むしろ、尊称に近いものかな」
「尊称、ですか?」
「はい。ここ畿内近辺の鬼どもあやかしどもの間で地偉智と呼ばれるのは、桑名の翁か、先までは伏見のはくおう。――そして、なばりの藤堂の三者に限られたんですよ」
「――あいつが、伯王様や翁様と並ぶようなモノなんですか?」

 嫌そうな顔でつぶやく店主に、リンドウはくつくつと肩を震わせて笑った。杉内も事情を知ってか笑っている。

「地に根付き、地の智を一手にする、地神地仙の中でも最高位に位置するものを、そう呼ぶのです。ただし、鬼やら何やらの、人ではないものにとって、然程遠い存在ではないんですよ。だから尊称のようなもの――なのです」
「あいつ確か、じいとか、じいちゃんとかも呼ばれてましたよね」
「そうそう。藤堂の地偉智は、馴染みやすい性質ですから」
「――なんか嫌だな。まるで仁徳があるような響きだ」
「保は本当に藤堂が嫌いだものね」

 リンドウが揶揄やゆするのに、保は顔をしかめて「ああ嫌いだよ」と肩をすくめて見せた。それに杉内はなおの事笑う。

「商家のご内儀をごりょんさんと呼ぶようなものですよ。あなたが店長さんと呼ばれるのと大差ありません」

 事情を知る数少ない人の一人である杉内は、からからと笑って、目の前の若い二人のやり取りを見守った。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

帝都の守護鬼は離縁前提の花嫁を求める

緋村燐
キャラ文芸
家の取り決めにより、五つのころから帝都を守護する鬼の花嫁となっていた櫻井琴子。 十六の年、しきたり通り一度も会ったことのない鬼との離縁の儀に臨む。 鬼の妖力を受けた櫻井の娘は強い異能持ちを産むと重宝されていたため、琴子も異能持ちの華族の家に嫁ぐ予定だったのだが……。 「幾星霜の年月……ずっと待っていた」 離縁するために初めて会った鬼・朱縁は琴子を望み、離縁しないと告げた。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

大神様のお気に入り

茶柱まちこ
キャラ文芸
【現在休載中……】  雪深い農村で育った少女・すずは、赤子のころにかけられた呪いによって盲目となり、姉や村人たちに虐いたげられる日々を送っていた。  ある日、すずは村人たちに騙されて生贄にされ、雪山の神社に閉じ込められてしまう。失意の中、絶命寸前の彼女を救ったのは、狼と人間を掛け合わせたような姿の男──村人たちが崇める守護神・大神だった。  呪いを解く代わりに大神のもとで働くことになったすずは、大神やあやかしたちの優しさに触れ、幸せを知っていく──。  神様と盲目少女が紡ぐ、和風恋愛幻想譚

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...