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第三章 自由ナ蟻
第24話 地偉智とは
しおりを挟む杉内の視線が、ちらとリンドウの背後へ向けられる。否。背後というより頭部か。
「それで、その数珠から抜いた石で、リンドウさんのその簪が拵えられた、と?」
リンドウは伏し目がちに「――ええ」と首肯する。
「こちらの石粒は仕舞いの終えたものなので、分けた方がよいという事だったそうです。仕舞われる度に数珠からよけておいたらしいのですが、物が物ですので処分もならず。それで溜まったものを今回まとめて簪に仕立てていただく事に……」
リンドウは、口の端に吐息を滲ませ、そっと目を伏せた。
杉内の目は、未だリンドウの簪に注がれている。見れば、ブラックダイヤモンドが垂れ下がる根元に、一粒の金緑石があった。雫型のそれは、簪の先端に調金された花の華芯にあしらわれている。
花は――桔梗である。
杉内は自身の頬を撫でさすりながら「ふぅむ」と小首を傾げる。
「これはえらい仕事ですよ。仕舞いにも時間がかかったでしょうに。――ああ、仕舞いをしている人と、拵えをした人はまた別ですか。それはそうか」
勝手に納得したものか、杉内は「ふんふん」と一人頷く。頷いてから、ちらと鋭く白い眼差しをリンドウへ向けた。
「どなたの仕事です?」
杉内の問いに、リンドウは思わず口籠る。
「――それは」
しかし杉内はさすがである。言えぬものと察するのが早い。「ああ、いや結構」と、自らの乾いた頬を撫でさすりながら、口元をへの字に曲げつつその両目を見開いた。丸きり歌舞伎の見得のような面相だが、芝居観賞もまた彼の息の長い趣味であるが故である。
「大丈夫ですよリンドウさん。またお話しいただける時でかまいません」
「ありがとうございます」
リンドウは、深く頭を下げた。
「さあて、では早速こちらはあずからせていただいて、桑名に着き次第翁に渡すとしましょう。どれ程のお預かりになるかは分からんでしょうから、あれにもできそうなら仕舞わせておきます」
「助かります。私には、石や物に宿る御魂の強さなんかは分かりますが、込められた雑気や怨念、悪意などを抜く事はできかねるので……」
「それはそうだ。マダラである貴女に出来るのは肉と魂の移動なのだからね」
杉内の言葉に、リンドウは、うっすらと苦い諦観の笑みを浮かべた。
リンドウは、その額に赤い光を頂いている。生まれながらのものであり、ヒトには視えない。しかし鬼どもには視えている。
その赤光で魂寄せをする。つまり魂を抜きとれるのだ。思うがまま、自由自在に肉から抜いては別の肉へと運び入れることができる。リンドウがその気になれば、今この場で保と杉内の肉体と魂を入れ替えることも可能だ。
これは本邦の史類を紐解いても、マダラにのみ可能な異能である。
しかし、マダラの異能とは、ただそれだけの物なのだ。
リンドウは、杉内の手にある数珠をじっと見つめた。
じわりと滲み出る、薄暗い陰がある。湧き立つようなものがある。
全く、いつになれば終わるのか……。
リンドウは静かに歯噛みした。
この状態では、まだこの石には直接触れられない。この石だからこそ保っていた、とも言える。他の石ではとうに砕けていただろう。
よくここまで薄めてくれたものだとは思うが……先の長さに目が暗くなるのもまた本音だった。
「恐らくこれで間違いないとは思いますが、桑名の翁に見ていただいて、これが真実コダマノツラネであると判明しましたらその時には……」
杉内はゆっくり大きく頷く。
「わかっております。仕舞いの支度が整うまでは、桑名の下で預からせていただきましょう」
杉内は、巾着の紐を引いて、緋色の縮緬の中に数珠を閉じ込めた。
「本当にありがとうございます。助かります」
リンドウが頭を垂れることで話の片は付いた。二人はふうと安堵の溜め息を漏らす。
杉内は、「それにしても」と、再びその乾いた頬に手をやった。するするとさする。
「お預かりするのが私と翁でよろしかったのですか? 藤堂の地偉智には何と言ったのです?」
藤堂の名が出た途端、リンドウは物凄く厭な顔をした。
「あれには見せたくありません」
「ほう」
リンドウは遅れ毛を耳にかけながら、眉間に皺を寄せた。
「モノがモノです。情に引き摺られて地脈を乱されては迷惑ですよ」
実際は、先般の小手毬姫の件の折に、あの鬼がやらかした事を引き摺っての怒りが治まっていないのと、羞恥による複雑な意地張りでもあるのだが、これは杉内の知らぬ事である。
「ほほう、迷惑、ですか」
「藤堂は、私なんぞより余程人くさいのです。ヒトではない己は鬼だ、人であったことなんぞ忘れた――というわりに、激しく人であったことに拘泥している。……あれに明確な自覚はありませんが」
忌々しげに呟くリンドウに、杉内はからからと声を立てて笑った。
「仮にも地偉智をあれ呼ばわりできるのは、貴女ぐらいのものでしょうなぁ。――マダラの特権ですか」
「特権、ではないでしょう。それに、地偉智を使役できる先生と私では格が違う。からかわないでください」
ふ、とリンドウの表情に影が過る。
「地偉智の混乱は、土地にとってただ害悪でしかありません。あれには努めて穏便に、……そして末永くその任にあってもらいたいのです、わたしは」
「お話しに割って入ってすいません……」
リンドウのキリマンジャロ、杉内のブレンドを運んできた店主が、ふいに口をはさんだ。
「前々から気になってたんですが、その地偉智というのは、藤堂の名前じゃないんですか?」
リンドウと杉内は顔を見合わせ、今更ながらに、「ああそう言えば」と思い至った。
「そうかそうか、保さんはご存知ではなかったか」
「改めてそれが何かなんて説明したこともなかったしね」
リンドウは悪戯げな目で笑った。
「保さん。地偉智は固有名詞ではないんです。むしろ、尊称に近いものかな」
「尊称、ですか?」
「はい。ここ畿内近辺の鬼ども妖どもの間で地偉智と呼ばれるのは、桑名の翁か、先までは伏見の伯王。――そして、隠の藤堂の三者に限られたんですよ」
「――あいつが、伯王様や翁様と並ぶようなモノなんですか?」
嫌そうな顔でつぶやく店主に、リンドウはくつくつと肩を震わせて笑った。杉内も事情を知ってか笑っている。
「地に根付き、地の智を一手にする、地神地仙の中でも最高位に位置するものを、そう呼ぶのです。ただし、鬼やら何やらの、人ではないものにとって、然程遠い存在ではないんですよ。だから尊称のようなもの――なのです」
「あいつ確か、じいとか、じいちゃんとかも呼ばれてましたよね」
「そうそう。藤堂の地偉智は、馴染みやすい性質ですから」
「――なんか嫌だな。まるで仁徳があるような響きだ」
「保は本当に藤堂が嫌いだものね」
リンドウが揶揄するのに、保は顔を顰めて「ああ嫌いだよ」と肩をすくめて見せた。それに杉内はなおの事笑う。
「商家のご内儀をごりょんさんと呼ぶようなものですよ。あなたが店長さんと呼ばれるのと大差ありません」
事情を知る数少ない人の一人である杉内は、からからと笑って、目の前の若い二人のやり取りを見守った。
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