雪々と戀々

珠邑ミト

文字の大きさ
上 下
24 / 40
第三章 自由ナ蟻

第23話 杉内昌親

しおりを挟む


「どうしたの?」

 リンドウは怪訝そうに店主の顔をうかがった。
 店に入った時は「おお」と笑みを見せたが、次の瞬間唐突に殺気を発したのである。けだし、めずらしい。善いのか悪いのか他に客がいなかったからよいようなものの、これほど唐突に殺気を放つような男が店主で、客商売が立ち行くものかと、一寸心配になった。

「――たもつ?」

 珍しくリンドウが店主の名を呼ぶと、保は「はあ」と唇の形を一瞬歪めてから「ああ、なんでもない」と表情を少し和らげた。
 ただ、相変わらず外を気にしている。

「何かいた? まだ蛇女へびおんなの現れる刻限じゃないはずでしょう」
「そういうことじゃない」
「じゃあ、なに」
「悪い虫が湧いていた――んだろうさ」

 意味が分からない。
 肩をすくめながら、リンドウはいつもの定位置に腰を下ろした。二人掛け用のソファは変わらず柔らかく、身体の半分以上が沈みこむ。店主がテーブルの上にメニューを置こうとしたが、ふと手を止めた。

「ああ、今日はいらないんだったな」
「そう、ありがとう。後でまた頼むわ」

 店主が手にしていたメニューの裏には、リンドウの墨書きが入っている。これをテーブルにおいた段階で、リンドウの姿は他の客から視えなくなる。これが簡易結界として働くのだ。
 店内は、見慣れたコバルトブルーと卵色、それからサーモンピンクの三色で染められている。

「ごめんなさい、そんなに時間はかけないから」
「いいよ。ゆっくり使えよ」

 ほどなくして、ちゃらん、と扉の鐘が鳴る。しばらく前に店主がこの鐘を着けた。「深い理由はない、気分だよ」と言っていたが、瞬きの回数が増えていたのでリンドウは嘘だと思っている。
 鐘の音と共に扉から入ってきたのは、小柄な老人だった。キャメルのコート、北欧柄のニット帽。手には黒の革製トランク。
 皺の深い顔は水気が少なく、微笑に眼は隠れるほどで、眉は白い。全く好好爺の態である。

「お久しぶりです、先生」

 すっと立ち上がったリンドウは、綺麗に頭を下げた。長い髪を一本かんざしでまとめているから、いつものように髪が肩口からこぼれるようなことはない。代わりに、かんざしの端に飾られた、黒い細かな粒のキラキラとした石飾りがしゃらりとしなだれ落ちた。穴を穿うがち、鎖に通して十粒ほど連ねてあるようだ。

 リンドウはあの緑のコートをすでに脱ぎ、己の傍らに畳んでおいている。
 老人を迎えた今の彼女は、薄桃色のニットに、モスグリーンの不織布で出来たロングの巻きスカートという出で立ちだ。更にスカートの上に巻き付けるようにして、シザーケースのような鞄がその身に着けられている。
 これはリンドウの好みの身形みなり、というのとは少し違うのをたもつは知っている。どちらかといえば、ヒトの波にうまく紛れられるよう、無難な形を選んだに過ぎないのだ。わざわざ気を砕いてそうしなければならない女の横顔を、店主は密かに見つめる。

 これも呼吸をするように無難な形を選べるようになったなと、ふとたもつは思う。

 リンドウの生まれと育ち、加えて関わって来た世界はヒトのそれとは重なりながらも少しズレている。幼い頃などはうまく立ち回れずによく泣いていた。年嵩としかさの近い子どもは違和に容赦がない。自分達と似た姿形をしているのに「何かが自分達とは違う」と感じとってしまえば、途端に仲間の輪から外すのである。弱き者特有の危機察知能力に由来するものなのだろうが、まことに残酷だ。

 夕景の公園。砂場にうずくまって一人泣いているリンドウを何度見たか知れない。その背に向けて、名を呼んだ。振り返る小さな少女は、その大きな目に涙をいっぱい溜めている。頷きながら手を伸ばし「帰ろう」と微笑みかけた。リンドウが泣き声を上げながら保の腕に飛び込んできたのも、もう遠い日の事になる。
 今やすっかり図太くなった。大抵の事は薄く笑って受け流し、飄々ひょうひょう訥々とつとつこなしてゆく。立派に手管は練られたと言えよう。これを進歩と呼ぶなら、そうなのだろうし、妥協と言うのならば、そうとも言える。それだけだ。

「こんにちは、お久しぶりですね、リンドウさん」

 好好爺は、帽子を外しながら、にこにこと頭を下げた。その頭髪も無論、白い。季節柄の寒さから、渇いた老人は一層寒々しく白く見える。
 先生こと、杉内すぎうちまさちかは、うんうんと何かに頷きながら、とことことリンドウの方へ歩を進めた。身動きは軽快である。趣味は五十年来の山登りと言うだけの事はある。

「さ、早速見せていただきましょうか。――桑名くわなおきなも気が長くはないからね」
「ええ、本当に、ご無理を申しまして」

 リンドウと杉内は対面して腰を下ろした。

「こちらです」

 と、リンドウは、シザーケースの中から、縮緬の巾着を取り出した。緋色の無地の縮緬である。

「どれどれ」

 杉内は懐から取り出した眼鏡をかけて、縮緬を受け取ると、テーブルの上において紐を緩めた。その中に、ごつごつとした手を差し入れる。
 取り出したのは、黒いものだった。
 いや、ただ黒いのではない。さらさらと輝いている。

「おお、これは凄いね。とても強い。――くろい」
「はい。並みの物とは比べられません」

 小さな小さな粒を連ねた、数珠のようなものだった。色は漆黒だが、研磨とカットが入っているのか、店内の些細な照明でもぎらりと光る。それが、たくさん。
 長さはある。首から掛けられる程だ。輪になっている。その両端に、黒絹のタッセルが、あしらわれている。タッセルの元には透かし細工の銀が飾られている。
 杉内はにこりと笑った。しかしその細められた目に宿る光は鋭い。

い造作だね。そして、よくこれだけのブラックダイヤモンドをそろえられたものだ。それからこれは――おやだま四天してんだまを意識して配置してあるんだね」

 言いながら、黒い石――ブラックダイヤモンド、の合間に点々と配置されている、赤い石を指した。
 おや、と杉内が少し目を見張った。

「これは、ルビーかと思ったが、えらいものだな、金緑石か」
「はい、私も驚きました」

 金緑石――アレキサンドライトである。
 リンドウと杉内の濃密なやり取りに、刹那の決着がついたか。店主は注文を取るために、カウンターの外に出た。
 リンドウの肩口で、また、かんざしの飾りがしゃらりと揺れた。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi
キャラ文芸
西域の女商人白蘭は、董王朝の皇太后の護符の行方を追う。皇帝に自分の有能さを認めさせ、後宮出入りの女商人として生きていくために――。 そして奮闘する白蘭は、無骨な禁軍将軍と心を通わせるようになり……。

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

帝都の守護鬼は離縁前提の花嫁を求める

緋村燐
キャラ文芸
家の取り決めにより、五つのころから帝都を守護する鬼の花嫁となっていた櫻井琴子。 十六の年、しきたり通り一度も会ったことのない鬼との離縁の儀に臨む。 鬼の妖力を受けた櫻井の娘は強い異能持ちを産むと重宝されていたため、琴子も異能持ちの華族の家に嫁ぐ予定だったのだが……。 「幾星霜の年月……ずっと待っていた」 離縁するために初めて会った鬼・朱縁は琴子を望み、離縁しないと告げた。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

大神様のお気に入り

茶柱まちこ
キャラ文芸
【現在休載中……】  雪深い農村で育った少女・すずは、赤子のころにかけられた呪いによって盲目となり、姉や村人たちに虐いたげられる日々を送っていた。  ある日、すずは村人たちに騙されて生贄にされ、雪山の神社に閉じ込められてしまう。失意の中、絶命寸前の彼女を救ったのは、狼と人間を掛け合わせたような姿の男──村人たちが崇める守護神・大神だった。  呪いを解く代わりに大神のもとで働くことになったすずは、大神やあやかしたちの優しさに触れ、幸せを知っていく──。  神様と盲目少女が紡ぐ、和風恋愛幻想譚

後宮の偽物~冷遇妃は皇宮の秘密を暴く~

山咲黒
キャラ文芸
偽物妃×偽物皇帝 大切な人のため、最強の二人が後宮で華麗に暗躍する! 「娘娘(でんか)! どうかお許しください!」 今日もまた、苑祺宮(えんきぐう)で女官の懇願の声が響いた。 苑祺宮の主人の名は、貴妃・高良嫣。皇帝の寵愛を失いながらも皇宮から畏れられる彼女には、何に代えても守りたい存在と一つの秘密があった。 守りたい存在は、息子である第二皇子啓轅だ。 そして秘密とは、本物の貴妃は既に亡くなっている、ということ。 ある時彼女は、忘れ去られた宮で一人の男に遭遇する。目を見張るほど美しい顔立ちを持ったその男は、傲慢なまでの強引さで、後宮に渦巻く陰謀の中に貴妃を引き摺り込もうとする——。 「この二年間、私は啓轅を守る盾でした」 「お前という剣を、俺が、折れて砕けて鉄屑になるまで使い倒してやろう」 3月4日まで随時に3章まで更新、それ以降は毎日8時と18時に更新します。

処理中です...