雪々と戀々

珠邑ミト

文字の大きさ
上 下
17 / 40
第二章 蕾ト穢レ

第16話 稚気

しおりを挟む


 リンドウらが四人そろい向かうは伏見ふしみ千本せんぼん鳥居とりいである。うずらすずめが食いたい、山椒さんしょういたものをと五月蠅うるさ藤堂とうどうを黙らせ、濡れた枯葉に足を取られぬよう慎重に進む。

 およそ中腹にまで至ったろうか。前腿まえももふくらはぎに痛みと疲れを覚え始めた頃。とある一本の鳥居の下で先導の畔柳くろやなぎが立ち止まった。他も共に歩みを止める。なんの変哲もないその鳥居の手前で首肯しながら道を譲る畔柳くろやなぎに対し、リンドウもうなずき返して見せてから、一人先んじて立った。

 ゆっくりとまぶたを閉じ、リンドウはこうべを垂れる。口中こうちゅうで短い祝詞のりととなえる。背後の三人も同様に瞼を閉じ、こうべを垂れているのが気配で分かる。次の刹那、リンドウは左右に両手を広げた。

 ――ぱん!

 音高らかに一つ、打たれた柏手かしわでがその場の空間をまたたく間に塗り替える。
 途端、四人の視界に映るものは現世うつしよではなくなった。

 眼前の朱鳥居の向こうに見えるのは、延々と続く千本鳥居の風景ではない。
 深く淡い霧に包まれた、神仙のさとである。
 その時間と空間は、霧に包まれ閉ざされており、遠くに見える山の稜線は、薄墨色と白にぼかされていた。
 四人は、ゆっくりとその境界を踏み越える。各々、越境時には当然こうべを深く垂れる。
 肌の上に触れたるは、なまあたたかいまく。それを潜り抜けてみればどうだろうか、視界が捉える景色は、実際の距離以上に遠く隔てがあるように感じられる。

(相変わらず、作り物めいているな)

 独り言めいた口調でそう言いながら、藤堂はリンドウの隣に立ち並ぶ。頭をきつつ悪びれないその様に、リンドウは再びその脇腹をひじで小突いた。
 しかして、リンドウ自身の感想も藤堂のそれと代わりはしない。
 じっと、目をすがめて全体を見やる。

 ――牢獄だろうか。

 リンドウにとっては二度目のおとないとなる。
 ここは全く、はくおうの執着の庭だ。あの一人の女性を閉じ込めて、自分の事を思い出すまで無言でただ待つだけの庭なのだ。

 思い出してほしい。
 自分達の結びつきがどれ程までに強いものだったのかを自らで。
 背信して悪びれない、死に別れた人の世での仮初の伴侶の事になどもう気を奪われず、意識の外に捨て置いてほしい。忘れてほしい。どうでもよいものなのだと悟って欲しい。
 本当の貴女を、私達の日々を思い出してほしい。

 ――そう。それは願っていても口には出せない種のものだ。たといどれ程深く懇願こんがんしていても、自らでいてこいねがうのは辛く苦しいから。「愛していたことを思い出してくれ」などと。

 小手毬こでまり姫自らの発露でなければ意味がないから。
 発願ほつがんとは、そういうものだから。

 一途で、真摯で、諦めを知らぬ男。それが伏見ふしみ地偉じいはくおうなのだ。


(まるで牢獄だな)


 隣でぽつりと呟く藤堂に、リンドウは思わずせた。心を読まれたかと思った。しかし続けて紡がれた言葉はその対象者を異にしていた。

伏見ふしみのも阿呆あほうよの。意中の女諸共もろとも引きこもっていれば二度と盗まれず奪われず守れるというようなものでもあるまいに。そうは思わんか? マダラの)

 ああ、とリンドウはわずかばかりに胸をなでおろした。藤堂から見れば、とらわれているのはまごうかたもなくはくおうの方なのだろう。本質を見れば、確かにそうなるとリンドウも思う。

「――人の事を言えた義理ではないでしょう」

 その言葉に含まれるのは、無論リンドウ藤堂諸共である。リンドウの言葉には答えずに、藤堂はにんまりとその大きな口を笑ませた。
 相も変わらぬ白磁のような肌。すらりとした190近い高長身。短く刈り上げられた黒髪。鋭いまなこは瞳の奥に炎の揺らぎをたたえ、白目はまるで悟りを開いた仏のように澄んでいる。まことのような顔をして嘘を吐き、人の判断を迷わせる。
 誰もが認める美貌ではないが、一度目にすれば容易には忘れられない顔立ち。印象深く残る、色鮮やかな一挙手一投足。

 油断をすれば、対峙しているだけで酔いが回る――囚われる。

「お二人とも、参りましょうか」

 涼やかに発せられた声に、リンドウ藤堂は二人同時に顔を上げる。言葉を発したのは赤髪の畔柳くろやなぎだ。にこりと双眸そうぼうを和らげて移動をうながす。ややバツが悪い。畔柳くろやなぎの先を見れば、すでに青髪の松岡まつおかが先陣を切っている。ちらと見かえる青い髪の下の眼差しは、やはり笹の葉のように細い。一々言葉にされずとも「何をのんべんだらりとしているのか」とその視線は能弁に語っている。

 と、ぎゅ、と。

「はぁ⁉」

 思わずリンドウは頓狂とんきょうな声を上げて圧力を感じた自らの右手を見た。予想に違わず、藤堂がリンドウの右手を掴んでいるのである。いや、誤魔化さず繋いでいる、ととるべきか。

「ちょっと藤堂!」
(蛇がいる)

 「ひっ」とリンドウの喉が鳴った。思わず手を繋ぐどころか藤堂の太い腕に全力でしがみついてしまった。

「どどど、どこっ、どこにへびっ……」
(そのまま伏見のの屋敷へ向かえば視界に入るだろうなぁ)
「やだやだ待って止めていやっ」

 声にならない悲鳴交じりの哀願でリンドウは必死に藤堂を見上げる。何があろうと蛇など絶対に見たくはないのだ。故に視線を下げるなどもっての外。藤堂の顔から視線も外せない。そんなリンドウの様子を受けて、藤堂はにんまりと笑みながらゆっくりとうなずいた。

(間違っても踏まぬよう抱えて行ってやろうか? それとも手を引くだけに留めるか?)
「抱っこして!」

 間髪入れず藤堂の首に両手でかじりついたリンドウに、今度は藤堂のほうが面食らった。間違いなく怒ったりすねたりおびえたりしながら手を引く方を選ぶと思っていたのに。カタカタと小刻みに震える女の身体からふわりと花の香りがして、藤堂は(これはまずいことをした)と薄い後悔をした。
 ふと見れば、笹の葉の眼をさらに細めた青髪の松岡が、声には発さず唇だけでこうのたまった。

 ――このすけべいが。

 そういうつもりではなかった稚気ちきだが、結果的に役得となったのは間違いない。あとで悪戯がばれたらどうやって機嫌を取れば良いものかと思案しながら、それはそれと得た幸運を余さず受け取るべく、リンドウの身体を両のかいなで抱え上げた。
 久方ぶりの恋しい女の重みと髪の香りを、藤堂は余すことなく満喫しつつ、はくおうの屋敷へ向けて松岡まつおか畔柳くろやなぎのあとに続いた。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi
キャラ文芸
西域の女商人白蘭は、董王朝の皇太后の護符の行方を追う。皇帝に自分の有能さを認めさせ、後宮出入りの女商人として生きていくために――。 そして奮闘する白蘭は、無骨な禁軍将軍と心を通わせるようになり……。

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

帝都の守護鬼は離縁前提の花嫁を求める

緋村燐
キャラ文芸
家の取り決めにより、五つのころから帝都を守護する鬼の花嫁となっていた櫻井琴子。 十六の年、しきたり通り一度も会ったことのない鬼との離縁の儀に臨む。 鬼の妖力を受けた櫻井の娘は強い異能持ちを産むと重宝されていたため、琴子も異能持ちの華族の家に嫁ぐ予定だったのだが……。 「幾星霜の年月……ずっと待っていた」 離縁するために初めて会った鬼・朱縁は琴子を望み、離縁しないと告げた。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

大神様のお気に入り

茶柱まちこ
キャラ文芸
【現在休載中……】  雪深い農村で育った少女・すずは、赤子のころにかけられた呪いによって盲目となり、姉や村人たちに虐いたげられる日々を送っていた。  ある日、すずは村人たちに騙されて生贄にされ、雪山の神社に閉じ込められてしまう。失意の中、絶命寸前の彼女を救ったのは、狼と人間を掛け合わせたような姿の男──村人たちが崇める守護神・大神だった。  呪いを解く代わりに大神のもとで働くことになったすずは、大神やあやかしたちの優しさに触れ、幸せを知っていく──。  神様と盲目少女が紡ぐ、和風恋愛幻想譚

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...