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9.【奇跡の子】たち

30.君から見える世界は、君の敵になってしまう

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      ***

 六鹿の森は、奥深くに分け入るほど、濃い緑と、きらきらとかがやく、キララごけまたたきを増していく。カイトたちはそのなかを、気まずさを抱えたまま、もくもくと進んだ。

 先頭をゆくバッソと、彼が手をひくウタマクラの前には、黒いもやの、つまった石鹸サボン玉が、飛んでいる。バッソが、マムロから墨抜きしたえんぼくが、閉じこめてあるのだ。

 カイトは、つかれのせいに見せかけた重いため息をこぼしつつ、石をのぼった。ミズルチは少し離れたところを飛びながら、心配そうにカイトのようすを、うかがっている。

 まるで、さそいこむように、石鹸サボン玉は進む。どこかで、ちょろちょろと水の流れる音がする。森の香りが、水気を増している。石鹸サボン玉が、むかってゆく先にあるのは、川の源流であり、〈音読みの一族〉のご先祖さまである、ふうきんさまの本体――〈風琴オルガン〉だ。

 たしかに、源流に近づいているのを感じる。目の前をゆく、バッソとウタマクラの背中を見つめながら、カイトは、またひとつ、痛みのこもった、ため息をついた。

 むつ鹿たけを進む一行は、大所帯になっていた。カイト、ミズルチ、湯葉ゆば先生。バッソとウタマクラ。時々「ひゃあ」とか「わあ」と、わめくシネラマ。それから、ハムロと〈嗅感きゅうかん〉の少年たちだ。

「マムロを助けてもらった。礼を行動でかえすのは、あたりまえのことだ」

 ハムロの言葉に、バッソは、協力の申し出を、ありがたく受けた。

 石鹸サボン玉が進む。たしかに〈風琴オルガン〉へと、むかっている。

「ねぇ、カイトさん」

 後ろから、続いていた湯葉先生が、いつのまにか、となりに、ならんでいた。

「――ごめんなさい、先生」
「あやまらなくて、いいんだよ。ああ、いや、僕にはねってことで」

 濃い茶色の、ヒゲもじゃの上で、たれ目が、やさしく細められていた。だけれど、それが、ぎゅっと険しくなる。

「ちがうよ。ユミさんじゃない」
「――うん」

 湯葉先生は、目の前にあらわれた、ちょっと大きな水たまりを、ひょいと飛びこした。それから、ふりむいてカイトに手をのばす。カイトは、湯葉先生の手をかりて、自分もその水たまりを飛びこえた。水たまりのなかで、キララごけまたたいた。

「ユミさんは、まちがったことをする人じゃない。あの人は、世界と、むきあうことから逃げない人だ。くれ先生の、じまんの娘なんだから」

 カイトが黙っていると、湯葉先生は、「もちろん、カイトさんもね」と、つけくわえた。でも、今はどうしても、その言葉を、心が受けとれそうになかった。

 カイトは、もともと母方のくれ姓だった。母さんがほこらさまを守るから、父さんが母さんの姓に、あわせたのだ。だけど、〈薄明光線クレパスキュラー・レイズ〉号が遭難したことによって、アンドロトキシアを発見したカイトは、世界中から、いっせいに「お前のせいだ」と、バッシングを受けることになった。それで、ふたりは離婚して、カイトは父方のうみ葡萄ぶどう姓に変えた。

 母さんは、ひとりでくれの名前を背負って、カイトを世界から、かくしてくれたのだ。

 くちびるを、ぎゅっと、かみしめていると、湯葉先生は、カイトの肩に手をのせた。

「そりゃ、世界に対して、否定的な気もちになることは、ユミさんだって、あるだろう。葛藤も、あると思う。一度も苦しんだことがない人なんて、いないからね。でもユミさんは、世界の見方を、まちがったりしたことは、一度だって、なかったよ」
「せかいの、みかた……?」

 「そう」と、湯葉先生は、大きくうなずいた。

「世界を見るにはね、まず、自分の心の窓や、扉を開けなくてはならないんだ。これはね、世界のとらえかたとか、受けいれかたの、間口のことだよ。その、人それぞれちがう窓こそが、その人の、世界の見えかたを決め、世界との、距離の取りかたを決める。ほら、大きな窓からは、外がよく見えるだろう?」
「つまり、大きい窓を、もっている人は、世界が、よく見えているってこと?」
「そう。この窓が小さかったり、汚れていたり、あるいは、まっすぐな姿勢で、むきあえなくて、見方が、ゆがんでしまうと――」

 がさり、と湯葉先生は、頭の上の枝を手でよけた。じっとまっすぐな目で、前をゆくえんぼく入りの石鹸サボン玉を見つめて「――君から見える世界は、君の敵になってしまう」と言った。

 その低い声に、カイトはひとつ、ぶるりとふるえた。

「怖いよ、先生……」
「いいかい、カイトさん。生まれついてのものは変わらない。それは、各自に与えられた業だ。これは、きっと誰より君が知っていることだろう。人より〈音〉を「読める」というのは、すごいことだが、同時に、君にしかわからない苦しみも、君に与えてきただろう?」
「……はい」
「だけどね、これを、受けとめて、祝福にするか、理不尽と憎んで、えんぼくを生みだすかは、それこそ、君の心が、世界へとむけて開ける窓、それ次第なんだ」
「オレが? 自分で、窓を開けるの?」
「ああ。世界の見方は、君自身で決めるんだ。決めていいんだよ。それこそが、君自身の生きかたや、命の使いかたを決めるんだ。他人に開けてもらった窓では、いつか、窓のほうに支配されてしまう。もちろん、最初は、みんな小さな窓や扉しか、もっていないんだよ。でもね、まっすぐな心で世界を見ていれば、必ず、もっとよく見える窓に育つ。そして、世界も、そこから、あなたを見てくれるようになる」
「――難しいよ、湯葉先生」

 そう、正直につぶやくと、湯葉先生が、まっすぐにカイトを見た。

「じゃあ、こう言おうか。君は、「世界が自分を憎んでいるのは、お母さんとお父さんが離婚したのは、そばにいてくれないのは、兄ちゃんが、いなくなってしまったのは、自分のせいだ」と、そう思っているね?」

 図星に、カイトは足を止めた。湯葉先生も足をとめて、ゆっくりと、うなずく。後ろからついてきていたシネラマが、ちらりと、視線をよこしながら、追いこしていった。

「湯葉先生……」
「いいかい。〈薄明光線クレパスキュラー・レイズ〉号が消えたのも、君が〈旅立たびだちの子〉に選ばれなかったのも、決して君のせいじゃない。あれは、不幸な事故なんだ。事実は、それ以上でもそれ以下でもない。誰かが、あれを君のせいだと思っていようが、いまいが、関係ないんだ。カイトさん自身が「自分のせいだ」と思っていたら、君から見える世界は、そういうものになってしまう。これが、窓の開けかただ。全て、君自身が決めていることなんだ」
「オレが、決めている」
「ああ。君は、とてもかしこくて、本当にいい子だから、まわりのことをおもんばかるあまりに、そのやさしさで、背負えるはずのない責任を、背負ってしまった。そういう窓を開けて、そこにしがみついてしまっていた。だけどね」

 「ふふ」、と、湯葉先生は笑うと、少しだけ道を開けた。湯葉先生の、すぐ後ろには、ミズルチを抱っこしながら、うっすら涙ぐんでいるウタマクラと、バッソがいた。

「君が思うよりも、まわりは、君に、心と、手を差しのべているものだ」

 ミズルチが、ウタマクラのうでから「ぴぴーっ」と飛びあがり、頭上で旋回してから、カイトの背中に飛びついた。ウタマクラがゆっくりと近づいてきて、カイトをやさしく抱きしめる。あたたかくてやわらかな香りに、カイトはまた泣きそうになって、目を閉じた。

「ごめん……ごめんなさい、ウタマクラさん」
「ううん。いいの。あなたは、ちっとも悪くないのよ、カイトくん」

 カイトの肩に、ぽんと手がのせられる。湯葉先生の手よりも、少し小さくて、でもごつごつとした、熱い、バッソの手だった。

「カイト。湯葉さんの言うとおりだ。一度、その窓から離れてみろ。そして、ふりむいてみるんだ。そこには、もしかしたら――」

 声音から、お面の下で、バッソが、ほほえんでいるのが、感じとれた。

「とてもとても、大きな窓が、開いているかも知れないだろう?」

 バッソの後ろでハムロたちや、シネラマが、カイトを見て笑って、うなずいていた。

「ぴにゃぴっ」

 肩ごしに、カイトのほおをなめる、ミズルチの温かさと重さが、カイトの、何年もずっと凍りついていた心を、ゆっくりと、じっくりと、やさしく、解かしていった。


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