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9.【奇跡の子】たち
30.君から見える世界は、君の敵になってしまう
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六鹿の森は、奥深くに分け入るほど、濃い緑と、きらきらとかがやく、キララ苔の瞬きを増していく。カイトたちはそのなかを、気まずさを抱えたまま、もくもくと進んだ。
先頭をゆくバッソと、彼が手をひくウタマクラの前には、黒いもやの、つまった石鹸玉が、飛んでいる。バッソが、マムロから墨抜きした怨墨が、閉じこめてあるのだ。
カイトは、つかれのせいに見せかけた重いため息をこぼしつつ、石をのぼった。ミズルチは少し離れたところを飛びながら、心配そうにカイトのようすを、うかがっている。
まるで、さそいこむように、石鹸玉は進む。どこかで、ちょろちょろと水の流れる音がする。森の香りが、水気を増している。石鹸玉が、むかってゆく先にあるのは、川の源流であり、〈音読みの一族〉のご先祖さまである、風琴さまの本体――〈風琴の樹〉だ。
たしかに、源流に近づいているのを感じる。目の前をゆく、バッソとウタマクラの背中を見つめながら、カイトは、またひとつ、痛みのこもった、ため息をついた。
六鹿嶽を進む一行は、大所帯になっていた。カイト、ミズルチ、湯葉先生。バッソとウタマクラ。時々「ひゃあ」とか「わあ」と、わめくシネラマ。それから、ハムロと〈嗅感葉〉の少年たちだ。
「マムロを助けてもらった。礼を行動でかえすのは、あたりまえのことだ」
ハムロの言葉に、バッソは、協力の申し出を、ありがたく受けた。
石鹸玉が進む。たしかに〈風琴の樹〉へと、むかっている。
「ねぇ、カイトさん」
後ろから、続いていた湯葉先生が、いつのまにか、となりに、ならんでいた。
「――ごめんなさい、先生」
「あやまらなくて、いいんだよ。ああ、いや、僕にはねってことで」
濃い茶色の、ヒゲもじゃの上で、たれ目が、やさしく細められていた。だけれど、それが、ぎゅっと険しくなる。
「ちがうよ。ユミさんじゃない」
「――うん」
湯葉先生は、目の前にあらわれた、ちょっと大きな水たまりを、ひょいと飛びこした。それから、ふりむいてカイトに手をのばす。カイトは、湯葉先生の手をかりて、自分もその水たまりを飛びこえた。水たまりのなかで、キララ苔が瞬いた。
「ユミさんは、まちがったことをする人じゃない。あの人は、世界と、むきあうことから逃げない人だ。巳我呉先生の、じまんの娘なんだから」
カイトが黙っていると、湯葉先生は、「もちろん、カイトさんもね」と、つけくわえた。でも、今はどうしても、その言葉を、心が受けとれそうになかった。
カイトは、もともと母方の巳我呉姓だった。母さんが祠さまを守るから、父さんが母さんの姓に、あわせたのだ。だけど、〈薄明光線〉号が遭難したことによって、アンドロトキシアを発見したカイトは、世界中から、いっせいに「お前のせいだ」と、バッシングを受けることになった。それで、ふたりは離婚して、カイトは父方の海葡萄姓に変えた。
母さんは、ひとりで巳我呉の名前を背負って、カイトを世界から、かくしてくれたのだ。
くちびるを、ぎゅっと、かみしめていると、湯葉先生は、カイトの肩に手をのせた。
「そりゃ、世界に対して、否定的な気もちになることは、ユミさんだって、あるだろう。葛藤も、あると思う。一度も苦しんだことがない人なんて、いないからね。でもユミさんは、世界の見方を、まちがったりしたことは、一度だって、なかったよ」
「せかいの、みかた……?」
「そう」と、湯葉先生は、大きくうなずいた。
「世界を見るにはね、まず、自分の心の窓や、扉を開けなくてはならないんだ。これはね、世界のとらえかたとか、受けいれかたの、間口のことだよ。その、人それぞれちがう窓こそが、その人の、世界の見えかたを決め、世界との、距離の取りかたを決める。ほら、大きな窓からは、外がよく見えるだろう?」
「つまり、大きい窓を、もっている人は、世界が、よく見えているってこと?」
「そう。この窓が小さかったり、汚れていたり、あるいは、まっすぐな姿勢で、むきあえなくて、見方が、ゆがんでしまうと――」
がさり、と湯葉先生は、頭の上の枝を手でよけた。じっとまっすぐな目で、前をゆく怨墨入りの石鹸玉を見つめて「――君から見える世界は、君の敵になってしまう」と言った。
その低い声に、カイトはひとつ、ぶるりとふるえた。
「怖いよ、先生……」
「いいかい、カイトさん。生まれついてのものは変わらない。それは、各自に与えられた業だ。これは、きっと誰より君が知っていることだろう。人より〈音〉を「読める」というのは、すごいことだが、同時に、君にしかわからない苦しみも、君に与えてきただろう?」
「……はい」
「だけどね、これを、受けとめて、祝福にするか、理不尽と憎んで、怨墨を生みだすかは、それこそ、君の心が、世界へとむけて開ける窓、それ次第なんだ」
「オレが? 自分で、窓を開けるの?」
「ああ。世界の見方は、君自身で決めるんだ。決めていいんだよ。それこそが、君自身の生きかたや、命の使いかたを決めるんだ。他人に開けてもらった窓では、いつか、窓のほうに支配されてしまう。もちろん、最初は、みんな小さな窓や扉しか、もっていないんだよ。でもね、まっすぐな心で世界を見ていれば、必ず、もっとよく見える窓に育つ。そして、世界も、そこから、あなたを見てくれるようになる」
「――難しいよ、湯葉先生」
そう、正直につぶやくと、湯葉先生が、まっすぐにカイトを見た。
「じゃあ、こう言おうか。君は、「世界が自分を憎んでいるのは、お母さんとお父さんが離婚したのは、そばにいてくれないのは、兄ちゃんが、いなくなってしまったのは、自分のせいだ」と、そう思っているね?」
図星に、カイトは足を止めた。湯葉先生も足をとめて、ゆっくりと、うなずく。後ろからついてきていたシネラマが、ちらりと、視線をよこしながら、追いこしていった。
「湯葉先生……」
「いいかい。〈薄明光線〉号が消えたのも、君が〈旅立ちの子〉に選ばれなかったのも、決して君のせいじゃない。あれは、不幸な事故なんだ。事実は、それ以上でもそれ以下でもない。誰かが、あれを君のせいだと思っていようが、いまいが、関係ないんだ。カイトさん自身が「自分のせいだ」と思っていたら、君から見える世界は、そういうものになってしまう。これが、窓の開けかただ。全て、君自身が決めていることなんだ」
「オレが、決めている」
「ああ。君は、とてもかしこくて、本当にいい子だから、まわりのことを慮るあまりに、そのやさしさで、背負えるはずのない責任を、背負ってしまった。そういう窓を開けて、そこにしがみついてしまっていた。だけどね」
「ふふ」、と、湯葉先生は笑うと、少しだけ道を開けた。湯葉先生の、すぐ後ろには、ミズルチを抱っこしながら、うっすら涙ぐんでいるウタマクラと、バッソがいた。
「君が思うよりも、まわりは、君に、心と、手を差しのべているものだ」
ミズルチが、ウタマクラのうでから「ぴぴーっ」と飛びあがり、頭上で旋回してから、カイトの背中に飛びついた。ウタマクラがゆっくりと近づいてきて、カイトをやさしく抱きしめる。あたたかくてやわらかな香りに、カイトはまた泣きそうになって、目を閉じた。
「ごめん……ごめんなさい、ウタマクラさん」
「ううん。いいの。あなたは、ちっとも悪くないのよ、カイトくん」
カイトの肩に、ぽんと手がのせられる。湯葉先生の手よりも、少し小さくて、でもごつごつとした、熱い、バッソの手だった。
「カイト。湯葉さんの言うとおりだ。一度、その窓から離れてみろ。そして、ふりむいてみるんだ。そこには、もしかしたら――」
声音から、お面の下で、バッソが、ほほえんでいるのが、感じとれた。
「とてもとても、大きな窓が、開いているかも知れないだろう?」
バッソの後ろでハムロたちや、シネラマが、カイトを見て笑って、うなずいていた。
「ぴにゃぴっ」
肩ごしに、カイトのほおをなめる、ミズルチの温かさと重さが、カイトの、何年もずっと凍りついていた心を、ゆっくりと、じっくりと、やさしく、解かしていった。
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