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7.六鹿の森

20.あーあ、残念。

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      ***

 竜骨りゅうこつ研究所の中心にある、あの大型水槽の前で、キュウイン博士はため息をついた。

 照明をおとした水槽のなかに〈竜骨りゅうこつの化石〉は見られない。ただ、その不在の主のために引きこんだはずの川の水が、滝から水面に、どぼどぼと、流れ落ちているばかりだ。

 ウタマクラを一足先に家へ帰らせたあと、キュウイン博士は、職員全員を集めた。そして、ことが落ちつくまで、自宅待機してもらうと告げた。警察と連合政府の調査の結果、研究所内の職員は、盗難事件に関与していないだろうと、判断されたのだ。

 昨日から、キュウイン博士は所内に泊まりこんでいる。だから、今ここにいるのは、キュウイン博士と、あと、もうひとりだけなのだ。

 ちらりと、となりに立つ人の顔を盗み見る。キュウイン博士と、同じように白衣を着ている。それから、つるのほそいメガネをかけていて、髪は短い茶髪にしてある。

「ねえ、ユミさん」
「なに、キュウインくん」

 名前で呼びあうのは、実は、ふたりが大学の同窓生という、気安い間柄だからだ。ふだんは公私混同しないキュウイン博士だが、今日は状況がちがう。今はふたりきりなのだ。

「きみ、いったい何年ヒルミ村に帰ってないんだい?」
「――……さあねぇ」

 うで組みをしながら、メガネをかけた博士――くれユミ博士は、小首をかしげて、ほほえんだ。さりげない調子の言葉だったが、それは重い質問だった。その言葉は、ユミがどれほど息子のカイトと会わずにいるのか、ということを聞いている。キュウイン博士は、小さくため息をついた。ユミが研究所内に残っているのは、彼女が所内の寄宿舎に暮らしているからだ。彼女は、ほかに行くところがない。いや、ヒルミ村に、彼女の母親と息子がすむ家はある。けれど、彼女は帰れないのだ。気もちの問題で。

「ワタクシが、きみに言える筋あいではないことは、重々、承知しているのですがね」

 ユミの呼吸が、一瞬とまる。しかし、すぐに気を取りなおしたのか、キュウイン博士へと、きれいな笑顔をむけた。それから、彼の背中を、ぱしんと軽くたたいた。

「気にしないでって言ってるのに。あれは、あなたのせいでも、判断でもないでしょうに」
「ですが、ウタマクラをここで働かせることは、ワタクシの一存でも止められたことです」

 その言葉に、ユミの表情が、うっすらと、くもった。

「そんなことをするのは、親の越権だと思うわ」

 そのまっとうな言葉に、キュウイン博士は黙った。そうなのだ。ウタマクラは、自分の実力で試験にパスして、竜骨研究所のアルバイトに採用されたのだ。所長の自分が一存で、そのじゃまをするなど、本来あってはならない。しかし、ユミの気もちがわかるからこそ、キュウイン博士の心は苦しかった。ウタマクラを間近に見てすごす毎日など、ユミからすれば、ひどい仕打ちに、ちがいないのだ。

「じゃ、私は書庫を片づけてくるわ。昨日政府の連中が、めいっぱい荒らしていったから」

 そう言って、くるりとユミはきびすを返した。キュウイン博士は、なにげなくその背中を見おくろうとして――信じられないものを目にした。ユミの白衣のえり元から、じわりと、ほんのわずかにだが、黒いもやが、浮きあがって見えるではないか。

「ユミさん!」

 どっしりと太った身体の動きとは思えない速さで、キュウイン博士はユミにかけよった。白衣に手をかけ、がばっと引きはがす。とたん、ぶわりと、黒いもやが浮かびあがった。

「ユミさん、きみ、これは……!」

 キュウイン博士の顔が、いっそうきびしく強ばった。ユミの白衣の内がわには、何枚もの白い紙がはられていて、そこにはべっとりと、黒い墨《すみ》のようなものが、ついている。

「これは、すみりの、かみ鉄砲でっぽう用の白紙じゃないか……きみ、こんな……」

 ユミは、うつむいたまま「うふふ」と、笑った。

「あーあ、残念。ついに、見つかってしまいましたか」


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