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7.六鹿の森
20.あーあ、残念。
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竜骨研究所の中心にある、あの大型水槽の前で、キュウイン博士はため息をついた。
照明をおとした水槽のなかに〈竜骨の化石〉は見られない。ただ、その不在の主のために引きこんだはずの川の水が、滝から水面に、どぼどぼと、流れ落ちているばかりだ。
ウタマクラを一足先に家へ帰らせたあと、キュウイン博士は、職員全員を集めた。そして、ことが落ちつくまで、自宅待機してもらうと告げた。警察と連合政府の調査の結果、研究所内の職員は、盗難事件に関与していないだろうと、判断されたのだ。
昨日から、キュウイン博士は所内に泊まりこんでいる。だから、今ここにいるのは、キュウイン博士と、あと、もうひとりだけなのだ。
ちらりと、となりに立つ人の顔を盗み見る。キュウイン博士と、同じように白衣を着ている。それから、つるのほそいメガネをかけていて、髪は短い茶髪にしてある。
「ねえ、ユミさん」
「なに、キュウインくん」
名前で呼びあうのは、実は、ふたりが大学の同窓生という、気安い間柄だからだ。ふだんは公私混同しないキュウイン博士だが、今日は状況がちがう。今はふたりきりなのだ。
「きみ、いったい何年ヒルミ村に帰ってないんだい?」
「――……さあねぇ」
うで組みをしながら、メガネをかけた博士――巳我呉ユミ博士は、小首をかしげて、ほほえんだ。さりげない調子の言葉だったが、それは重い質問だった。その言葉は、ユミがどれほど息子のカイトと会わずにいるのか、ということを聞いている。キュウイン博士は、小さくため息をついた。ユミが研究所内に残っているのは、彼女が所内の寄宿舎に暮らしているからだ。彼女は、ほかに行くところがない。いや、ヒルミ村に、彼女の母親と息子がすむ家はある。けれど、彼女は帰れないのだ。気もちの問題で。
「ワタクシが、きみに言える筋あいではないことは、重々、承知しているのですがね」
ユミの呼吸が、一瞬とまる。しかし、すぐに気を取りなおしたのか、キュウイン博士へと、きれいな笑顔をむけた。それから、彼の背中を、ぱしんと軽くたたいた。
「気にしないでって言ってるのに。あれは、あなたのせいでも、判断でもないでしょうに」
「ですが、ウタマクラをここで働かせることは、ワタクシの一存でも止められたことです」
その言葉に、ユミの表情が、うっすらと、くもった。
「そんなことをするのは、親の越権だと思うわ」
そのまっとうな言葉に、キュウイン博士は黙った。そうなのだ。ウタマクラは、自分の実力で試験にパスして、竜骨研究所のアルバイトに採用されたのだ。所長の自分が一存で、そのじゃまをするなど、本来あってはならない。しかし、ユミの気もちがわかるからこそ、キュウイン博士の心は苦しかった。ウタマクラを間近に見てすごす毎日など、ユミからすれば、ひどい仕打ちに、ちがいないのだ。
「じゃ、私は書庫を片づけてくるわ。昨日政府の連中が、めいっぱい荒らしていったから」
そう言って、くるりとユミはきびすを返した。キュウイン博士は、なにげなくその背中を見おくろうとして――信じられないものを目にした。ユミの白衣のえり元から、じわりと、ほんのわずかにだが、黒いもやが、浮きあがって見えるではないか。
「ユミさん!」
どっしりと太った身体の動きとは思えない速さで、キュウイン博士はユミにかけよった。白衣に手をかけ、がばっと引きはがす。とたん、ぶわりと、黒いもやが浮かびあがった。
「ユミさん、きみ、これは……!」
キュウイン博士の顔が、いっそうきびしく強ばった。ユミの白衣の内がわには、何枚もの白い紙がはられていて、そこにはべっとりと、黒い墨《すみ》のようなものが、ついている。
「これは、墨狩りの、紙鉄砲用の白紙じゃないか……きみ、こんな……」
ユミは、うつむいたまま「うふふ」と、笑った。
「あーあ、残念。ついに、見つかってしまいましたか」
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