聖譚曲『革命』

片山康亮

文字の大きさ
上 下
6 / 7
第二回楽章『エトル・エストルト』

革命家

しおりを挟む
新聖帝暦二五六年、辺境にて。

「先生、子どもが熱です」
「作業中に怪我してしまって……」
「今日もありがとうございます」
「ええ、お大事に」
痩せた土地に粗末な建物がいくつか並ぶ集落の中央に、場違いなほど清潔な白いテントが立っている。中からは集落の住人の感謝の声と、それに応える穏やかな声が聞こえてきた。
「良いお方だな、エストルト先生は」
そう言って声高く笑う住人を眺める医者、ライト・エストルトの表情は、誇らしさに溢れていた。
「エトル、もう駐屯地に行く時間だ」
「はーい」
患者を見送ったライトは、娘に言ったあとカルテを粗末なテーブルに置いた。十代半ばの少女は砂色の髪を揺らしてテントの出口に歩み寄る。風が吹いて小さな砂埃が舞った。

ソルカ帝国軍第十三支部は辺境の治安維持を目的とした設備で、十機ほどのアイビスが配備されている。規則正しく並び、メカニックが作業するアイビス・エクェスの間をエストルト父娘は歩いていく。
「支部長のクロード・ドラッガー少佐だ」
「ライト・エストルトです。こちらは娘のエトル。この度は支援感謝します」
「エストルト軍医には何度も救けられた。退役した今も辺境で民間人を救けていると知ってな」
「はい、頂いた物資があればさらに治療の幅が広がります」
髭面の少佐は豪快に笑った。優しい父親と、病で苦しむ人を救う旅をする。そんな幸せな日々がずっと続く事を、エトルは疑いもしなかった。

乾燥した暑さを感じるような日、エトルは父と離れて患者のもとに向かっていた。
「すまんエトル、隣町で病人が出た。俺は手を離せないからお前が行ってくれ」
とのことだ。荒野のあちこちには建物の残骸が転がっており、かつては大都市であった事を物語っている。日差しが強く、風を遮るものもない。飛びそうになる帽子をエトルは強く押さえた。診療所のテントにはすでに患者が列をなしている。立っているだけで汗が出そうななか、傷口を消毒し、解熱剤を飲ませ、処置を続けた。途中どこかに行軍しているアイビス数機が町に寄ったときの他には作業は中断されなかったが、最後の患者を診た頃には日が傾きかけていた。今夜はここに泊まるかと考えたところで、町にエトル宛の急報が届いた。
『ライト・エストルトが火事で死亡した』
と。

急報を耳にしたとき、鮮やかなオレンジ色の夕日が一瞬で彩度を失ったようにエトルは感じた。周りの景色がぼやけて見える。数メートルしか離れていない町の人の声もずっと遠くからのように聞こえた。
「なんで……」
感情が終わりのない迷路に入り込み、それだけの事を言うので精一杯だった。それ以上言葉を発すると、悲愴感が理性を突き破ってしまいそうな気がした。
「エトルさん……エトルさん!!」
灰色の世界にピリオドを打ったのは、少し年上の住人だった。
「ライトさんの所に行きましょう。誤報かもしれない」
その手にはトラックの鍵がある。車なら一時間もかからずにたどり着けるはずだ。

父親と別れた場所の近くで降ろしてもらい、火傷に効く軟膏と包帯を持って駆け出した。そして、そこにいるはずのない人物を見つけた。
「どうしてあなたが?ドラッガー少佐」
「エストルトの娘の方か。生きていたのだな」
薄暗い荒野を炎の揺れる光が彼女らのいる周辺を不安定に照らしている。少佐の隣には布を被せられた遺体があり、『エストルト』と書いてある。待機しているアイビスの火炎放射器が炎を反射して鈍い光沢を帯びた。
「貴様!!」
状況を理性したエトルは、反射的に少佐に掴みかかった。絞め殺されかけた少佐はエトルが見たこともないほど凶悪な表情を浮かべている。
「これか?そうだ、お前の父親だよ」
「殺したのか?貴様が父さんを」
「ああ。私はこんな辺境ではなくて、首都に行きたいのだよ。そのために努力もしてきたさ。けれどね、この馬鹿は私の人生計画を台無しにしようとしたのだよ」
憎しみの感情でエトルの理性と涙腺の二つの壁が、跡形もなく崩れ去った。熱い涙を両目に浮かべ、ドラッガー少佐の首を絞める手を強くする。
「アーノルド」
「はっ」
かすれた声で少佐が指示すると、アイビスに乗っていた士官学校を卒業したばかりの若いパイロットがエトルの腕を抑えて少佐から引き剥がした。
「営倉に入れておけ」

これほど感情が動いたのは、心から涙を流したのはいつぶりだろうか。まだ幼いときに母親を亡くしたときが、エトルの最も悲しみに暮れた記憶だった。第十三支部の営倉は本来、規則違反をした兵士を一度的に閉じ込めるものだ。その簡易ベッドにうずくまり、エトルはただひたすら泣いていた。父親は、殺されたのだ。クロード・ドラッガーの私欲で、殺された。連行されるときに兵士に聞いた。クロード・ドラッガーは首都の軍上層部に金銭を送っていた。父はそれを知ったから殺されたと。先日の父を支援するというのは、『カッコつけ』に過ぎないと。それが、金を手にした辺境の指揮官にとっての『普通』で、何らおかしくないと。それが、この国だと。

しばらくして、クロード・ドラッガーは首都に移動となった。エトルが助命されたのは、その父親ほど影響力がないと判断されたためだろう。
「エストルトさん、すいません。俺、なにもできませんでした」
支部の入口で待っていたのは、あの夜にトラックを運転した青年だ。
「私は、もう泣きつかれたよ」
表情を見られないようにしつつ、乱れて目にかかった砂色の髪をエトルのはかき上げた。
「この国が変われば、もう……泣かなくてもいいのかな……」
静かに、覚悟を持って独語したそれは、『医者の娘』が『革命家』になった瞬間であった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

もうダメだ。俺の人生詰んでいる。

静馬⭐︎GTR
SF
 『私小説』と、『機動兵士』的小説がゴッチャになっている小説です。百話完結だけは、約束できます。     (アメブロ「なつかしゲームブック館」にて投稿されております)

えっちのあとで

奈落
SF
TSFの短い話です

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

処理中です...