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Ⅰ:士官学校篇
最高の盤
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静かな教室の、恐らく、集中を妨げないための音を遮断するか何かの魔法がかけられた椅子に腰掛ける。ゾーン、身体中の全ての神経をフル動員して、俺の脳が限界を突破するのが思考ではなく本能で、理屈ではなく感覚でわかる。
「駒を置いて下さい」
真隣にいるはずの審判の声が、遥か遠くからしたように感じた。
「はじめ」
キール-レオナルド-クラークは、下級貴族の家に生まれた。生まれつき顔がない種族の彼は、表情から思考を読み取られないというアドバンテージを活かし、幼い頃から戦劇で敵なしであった。そんな強敵。きっと、一度後手に回れば防戦一方になってしまう。先程の会話も、どこまでが信用できるかはわからない。さりげない会話に嘘をまぜて撹乱する。優れた戦術、戦略を張り巡らす者は、敵の前では、決して本心で話さない。おそらく、絶対に信用できるものは皆無。だが、その中の細かな声の抑揚や、動作から、真実を手繰り寄せる。
対局は、開始直後から壮絶な攻め合いになった。的確な攻撃の弾幕を躱し、砦を目指すが阻まれる。味方の砦は、最小数の駒でできる最も効率的な防御をし、来た敵の駒を、攻撃を断念せざるおえない状態にする。晩冬の、少し寒い教室の盤上で行われているものの、お互いの全てを使ったそれは、紛れもなく戦争だ。観察し、先も、心も、読む。絶え間のない、無慈悲な攻撃の嵐の中に、一瞬の隙ができた。そこに火力を集中させる。だが、まるで謀ったように受け流され、返り討ちに合う。
『釣り』……
キールの十八番、高度な陽動作戦。あれは隙ではない。計算された、漁師の網であった。でも、俺はそう簡単にかかる雑魚ではない。
攻めながら守り、守りながら攻める。実力が高いレベルでせめぎ合っているため、あまり効果をなさない攻防が、数時間に渡って繰り広げられる。奇策は見破られ、堅実な攻撃は防がれる。襲い来る漁師の網は、決定打こそ足りないが、確実にダメージを与えてくる。対して俺は、突破口をなかなか見いだせず、若干押され気味だ。このままだといずれ消耗戦に持込まれて、負けてしまう。これまでに類を見ない強敵と、その手腕に、逆に尊敬の念さえある。
「一度、手を止めてください」
波一つない水面に波紋が広がるように、教室に審判の声が響いた。
「これより一時間ほどの休憩を挟みます」
その声でやっと気がついた。朝礼のあとからはじまった対局が、知らぬ間に昼過ぎまで続いていたらしい。正午に鳴る鐘は、防音魔法で防がれていた。
なかなか起きない食欲に過重労働を強いて、パンを胃に詰め込むと、また脳をゾーンに突入させる。次にどう来るか、それにどう対処するか。何手先も、何百手先も。それを更に何パターンも。脳細胞が悲鳴をあげようと、それを止めない。だって、これが今の俺にとって最高の盤だもの。人間が魔界の軍で生き残るには、その持ち前の狡猾さを、存分に活かすしかない。
昼休憩が終了し、対局が再開する。対局は大詰め。持てる力全てを出して、ぶつけ合う。一瞬でも隙を見せたら一気に攻められて敗北する。その緊張感も作用して、盤上の戦争は静かに、そして激しく展開する。
もっとだ。もっと勝利に貪欲に。昔から持っていた、俺の一番の武器、戦劇。盤を前にすると人が変わったみたい。そう俺に言ったのはだれだっただろうか、だが正解はやや異なる。戦劇こそが、立場も、種族も関係ない純粋な知略のぶつかり合いこそが俺が一番自分を出せる場だ。
駒の動き、防御のパターン、細かな攻め方。観察し、考え、読む。耐えて、耐えて、耐えて。相手に合わせて耐え忍ぶ。狡猾な蛇の牙に、獲物が通りかかるまで。
ハイレベルな長期戦にニヤつきが止まらない。
右翼を前進させて攻撃する際に一瞬だけ生じる陣形の乱れ。そこだけが彼を倒せる隙だ。何通りもの攻撃を見て、そう判断する。そこに駒を進め、薄い戦線を喰い破ろうとするが、ふいに敵が後退して受け流される。更に、突出していた駒が反転して退路を塞がれる。来た。
この局面が過ぎれば、この対局も終わる。
大規模な包囲網ほど、薄くなりやすい。戦における数の優位とは、戦闘になっている一点に限っての数だ。魔界、人間界問わず、古来より包囲殲滅は強力な戦術であった。ゆえに、戦劇も最後は敵の砦を囲んで終わる。だが、瞬間的な火力で勝ったとき、網は破れる。
人間界にいた頃から続けている戦劇は、魔界での新たな出会いにつながった。この大会がなければ、アイラやキールに会うこともなかった。昔を思い出すきっかけにもなった。何年も当たり前のように目の前に広がっていた光景が、たった一夜で奪われた記憶は、五年たった今も思い出したくない気持ちもある。けど……
瞬間的な火力。ぶつかるその時に、全てを注ぐ。
けど、こうやって最高の盤に巡り会えるから、俺は戦劇が好きだ。
包囲は破れた。素早く駒を左右に展開、砦を囲む。次の瞬間、ガラスが割れるような音と共に、防音魔法が打ち消された。歓声が溢れる隣の観戦室から、フェザンたちが駆けつけてくるのが見える。
「駒を置いて下さい」
真隣にいるはずの審判の声が、遥か遠くからしたように感じた。
「はじめ」
キール-レオナルド-クラークは、下級貴族の家に生まれた。生まれつき顔がない種族の彼は、表情から思考を読み取られないというアドバンテージを活かし、幼い頃から戦劇で敵なしであった。そんな強敵。きっと、一度後手に回れば防戦一方になってしまう。先程の会話も、どこまでが信用できるかはわからない。さりげない会話に嘘をまぜて撹乱する。優れた戦術、戦略を張り巡らす者は、敵の前では、決して本心で話さない。おそらく、絶対に信用できるものは皆無。だが、その中の細かな声の抑揚や、動作から、真実を手繰り寄せる。
対局は、開始直後から壮絶な攻め合いになった。的確な攻撃の弾幕を躱し、砦を目指すが阻まれる。味方の砦は、最小数の駒でできる最も効率的な防御をし、来た敵の駒を、攻撃を断念せざるおえない状態にする。晩冬の、少し寒い教室の盤上で行われているものの、お互いの全てを使ったそれは、紛れもなく戦争だ。観察し、先も、心も、読む。絶え間のない、無慈悲な攻撃の嵐の中に、一瞬の隙ができた。そこに火力を集中させる。だが、まるで謀ったように受け流され、返り討ちに合う。
『釣り』……
キールの十八番、高度な陽動作戦。あれは隙ではない。計算された、漁師の網であった。でも、俺はそう簡単にかかる雑魚ではない。
攻めながら守り、守りながら攻める。実力が高いレベルでせめぎ合っているため、あまり効果をなさない攻防が、数時間に渡って繰り広げられる。奇策は見破られ、堅実な攻撃は防がれる。襲い来る漁師の網は、決定打こそ足りないが、確実にダメージを与えてくる。対して俺は、突破口をなかなか見いだせず、若干押され気味だ。このままだといずれ消耗戦に持込まれて、負けてしまう。これまでに類を見ない強敵と、その手腕に、逆に尊敬の念さえある。
「一度、手を止めてください」
波一つない水面に波紋が広がるように、教室に審判の声が響いた。
「これより一時間ほどの休憩を挟みます」
その声でやっと気がついた。朝礼のあとからはじまった対局が、知らぬ間に昼過ぎまで続いていたらしい。正午に鳴る鐘は、防音魔法で防がれていた。
なかなか起きない食欲に過重労働を強いて、パンを胃に詰め込むと、また脳をゾーンに突入させる。次にどう来るか、それにどう対処するか。何手先も、何百手先も。それを更に何パターンも。脳細胞が悲鳴をあげようと、それを止めない。だって、これが今の俺にとって最高の盤だもの。人間が魔界の軍で生き残るには、その持ち前の狡猾さを、存分に活かすしかない。
昼休憩が終了し、対局が再開する。対局は大詰め。持てる力全てを出して、ぶつけ合う。一瞬でも隙を見せたら一気に攻められて敗北する。その緊張感も作用して、盤上の戦争は静かに、そして激しく展開する。
もっとだ。もっと勝利に貪欲に。昔から持っていた、俺の一番の武器、戦劇。盤を前にすると人が変わったみたい。そう俺に言ったのはだれだっただろうか、だが正解はやや異なる。戦劇こそが、立場も、種族も関係ない純粋な知略のぶつかり合いこそが俺が一番自分を出せる場だ。
駒の動き、防御のパターン、細かな攻め方。観察し、考え、読む。耐えて、耐えて、耐えて。相手に合わせて耐え忍ぶ。狡猾な蛇の牙に、獲物が通りかかるまで。
ハイレベルな長期戦にニヤつきが止まらない。
右翼を前進させて攻撃する際に一瞬だけ生じる陣形の乱れ。そこだけが彼を倒せる隙だ。何通りもの攻撃を見て、そう判断する。そこに駒を進め、薄い戦線を喰い破ろうとするが、ふいに敵が後退して受け流される。更に、突出していた駒が反転して退路を塞がれる。来た。
この局面が過ぎれば、この対局も終わる。
大規模な包囲網ほど、薄くなりやすい。戦における数の優位とは、戦闘になっている一点に限っての数だ。魔界、人間界問わず、古来より包囲殲滅は強力な戦術であった。ゆえに、戦劇も最後は敵の砦を囲んで終わる。だが、瞬間的な火力で勝ったとき、網は破れる。
人間界にいた頃から続けている戦劇は、魔界での新たな出会いにつながった。この大会がなければ、アイラやキールに会うこともなかった。昔を思い出すきっかけにもなった。何年も当たり前のように目の前に広がっていた光景が、たった一夜で奪われた記憶は、五年たった今も思い出したくない気持ちもある。けど……
瞬間的な火力。ぶつかるその時に、全てを注ぐ。
けど、こうやって最高の盤に巡り会えるから、俺は戦劇が好きだ。
包囲は破れた。素早く駒を左右に展開、砦を囲む。次の瞬間、ガラスが割れるような音と共に、防音魔法が打ち消された。歓声が溢れる隣の観戦室から、フェザンたちが駆けつけてくるのが見える。
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