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1巻

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 ファッション誌を研究したりと、それなりに努力をした時期もあったが、ダメだった。
 また、少々口下手なために異性受けも悪く、彼氏いない歴イコール年齢だ。
 仕事ならスラスラと対応できるのに、プライベートとなると挙動不審になってしまい、さっぱり恋愛につながらないのである。

「ということは、あなたが聖女なのか?」

 国王がそう言ってミヤを見るが、先ほどと違ってテンションが低い。
 周囲にも、落胆の溜息ためいきらす者や大げさに顔をおおう者が現れた。

露骨ろこつすぎる!)

 ミヤが聖女だと、そんなに不満なのだろうか。

(確かにアラサーだし、大して可愛くもないけれど。そこまで、嫌がらなくても……)

 少しだけ……いやかなり、心が傷ついたミヤだった。
 だが、ショックを受けている場合ではない。

(誤解を解かなきゃ、私が聖女にされてしまう!)

 浄化能力もないのに聖地に連れて行かれたら大変だ。

「私は聖女ではありません、本当です!」

 ミヤが訴えると、すかさずモモが反論する。

「はい嘘ー! この人、嘘つきですぅー!」
「嘘じゃないわよ、私の職業は聖女じゃなくて守護者だもの! ステータスで確認したわ!」

 そう答えると、国王と第一王子が、そろってミヤをじっと見つめてきた。

「……何か?」
「いや、なんでもない。そのような職業を耳にしたのは初めてだったものでな」

 国王の答えに気を良くしたらしいモモが言いつのる。

「あははっ、守護者なんて、存在しない職業なんじゃない。オバサン、自分で墓穴ぼけつ掘っててウケる! なんなの、守護者って。普通はもっとましな嘘をつくでしょう?」

 ミヤはムッとしてモモを見た。
 二十八歳は、まだオバサンなんて言われる年齢ではないし、職業についても嘘は言っていない。

(んもーっ! どうして誰も、私を信じてくれないのよ……! 守護者って、そんなにマイナーな職業なの!?)

 戸惑うミヤを無視して、モモは笑顔で訴える。

「とにかく、私は普通の女の子なので、危ないことはできません。ごめんなさぁい」
「うむ、双方が自分は聖女ではないと言う。だが、聖女召喚の儀式において聖女が現れなかった事態は、これまで一度もなかった。困ったことだ。他人のステータスを知ることができる能力者がいれば良かったのだが、あいにくここ百年ほど見つかっていないしな……」

 国王の言葉に、ミヤはピンときた。

(……それって、もしかして私のステータス看破かんぱの能力じゃない?)

 これは自分の無実を証明する、またとない機会だ。大きく息を吸い込んだミヤは、勢いよく手を挙げた。

「はい! 私、その能力があります!」

 周囲は怪訝けげんな表情でミヤを見る。さっきの今の発言なので、信用されていないようだ。

「証明だってできます! 国王陛下や王子様方の能力は毒耐性ですし、そこの白服の人たちの能力は転移魔法、こっちの兵士さんは俊足しゅんそくで……」

 言いつのるミヤの言葉は、「静粛せいしゅくに!」という第一王子の声にかき消された。

「勝手な発言は控えてもらいたいものだ。我々王族に毒耐性があるのは周知の事実、この場に集められた魔法使いたちが転移魔法の使い手なのは、状況から見て明らかだ。兵士に関しては、どうせ当てずっぽうだろう。馬鹿な話で我々の時間を取らないでいただこうか?」

 腕組みをした王子はそう言って、あごヒゲをいじりながらミヤをにらみつけた。

(仮にも聖女候補である私に、この王子はなんでこんなに当たりがきついわけ?)

 不満に思いつつ、ミヤは主張を続けた。

「違います、嘘じゃありません!」

 再び声を上げて説明するが、誰も取り合ってくれなかった。自分の能力を言い当てられたはずの者たちさえ、ぴくりとも動かない。

(なんでなの!?)

 国王は、ミヤを空気のごとく無視して話を進めた。

「二人には、このまま王宮に滞在してもらう。しばらく様子を見れば、どちらが聖女か分かるだろう」

 下された結論に周囲がいた。すると、横からモモが声を上げる。

「はい! 質問があります!」
「……ん? 詳しく聞こうか?」

 ミヤの時とは打って変わって、優しく微笑んだ第一王子が、モモに話をするよううながした。

(なんじゃそりゃー!?)

 上目遣いのモモは、少しはにかみながら質問する。

「あの、元の世界へは、いつ戻れるんですかぁ?」
「あいにく、こちらから聖女を帰すことはできない。歴代聖女も、自分の祖国へ戻った者はいないのだ」
「えっ?」
「聖女候補の二人には、聖地を浄化する旅に参加してもらう。役目を終えた後も、生活はきちんと保障するから、問題ないだろう」
「嘘でしょう……!?」

 唖然あぜんとした表情でつぶやくモモだったが、やがて悲鳴のような声を上げた。

「元の世界に帰れないなんて、それに危険な仕事をさせられるなんて! 私には無理よぉ!」

 床に両膝をつき、モモは大げさに項垂うなだれる。周囲の人間から、彼女に同情する声が上がり始めた。
 その様子を見た第一王子が、ヒゲをいじりながら国王と素早く視線をわす。

(何かしら?)

 ひどく、嫌な予感がした。長く『空気』として生きてきたミヤは、場の空気を読むことにもけている。
 すぐに第一王子が、国王のかたわらに立って彼に話しかけた。

「父上! このようなか弱い女性を、すぐに過酷な旅に送り出すのは無理です!」

 その言葉に呼応こおうするように、周囲の兵士たちから賛同の声が上がった。疲れ顔の白い服を着た集団も、賛同の拍手を送っている。

「しかし、そちらの女性なら、浄化の旅にも耐え得るかと。まずは彼女から試してみるのはいかがですか?」
「えっ……ええっ、私!?」

 王子の言葉に同意した周囲が、またしても嬉しそうに手を叩く。

(どういうこと? か弱くないアラサーなら、危険な旅に放り出してもいいと!? 何を根拠に、私なら耐えられるなんて言っているのよ、適当すぎない!?)

 ミヤは思わず、国王と王子を凝視ぎょうしした。

「と、ともかく。状況的にはそうせざるを得ないだろう」

 気まずそうにミヤから視線をらした国王が、重々しくうなずいた。その言葉に、再度周囲がく。

「陛下、英断ですぞ!」

 一人が声を上げると、周りの人間も次々に賛同の言葉を投げかけた。

「か弱い乙女を、いきなり危険な旅へ向かわせるわけにはいかない!」
「試しに別の者を送るのは、良いお考えだ。どちらが聖女かも判明するし、一石二鳥ですな!」

 重鎮らしき中年男性の一団も、手を叩きながら国王をたたえた。

(なんなの? なんで私だけ、こんなにアウェイなの!?)

 全員が、そろいもそろってモモに味方している。
 それだけならともかく、ミヤが冷遇される理由が分からない。出会ったばかりで、まだ不興を買った覚えもないのに。
 普通は初対面の相手にここまで肩入れしないし、失礼な態度も取らないだろう。少なくとも、日本においてはそうだ。
 だがこの異世界の人々は、まるで何かに洗脳されているかのようにモモの機嫌を取っている。

(……なんだか、気持ち悪いわ)

 ミヤにはこの部屋全体が、異様な空間に思えた。

「ではそういうことで、聖女をお部屋へご案内させていただく。あとの者は解散だ」

 王がそう告げると、モモの周囲に案内役の者がわっとむらがった。

「さあさ聖女様、こちらへどうぞ。突然のことで、戸惑われたでしょう?」

 動く彼女に合わせて、長い黒髪がゆらゆらと揺れる。そのままモモは、どこかへ案内されて行った。
 対するミヤは、さっさと広間を出るよう冷たく告げられただけである。
 部屋を出たところで、どこへ向かえばいいかも分からない。質問しても、周囲の人間はうすら笑いを浮かべて去って行った。
 あまりに理不尽な対応に、ふつふつと怒りがき上がってくる。

「ふざけんなー! 人を勝手に呼び出しておいて、その態度はなんだー!」

 腹を立てたミヤはプッチーを抱き上げ、誰もいない広間の真ん中で叫んだ。
 これを国王や王子に面と向かってぶつけられないところが、空気の空気たる所以ゆえんである。
 邪険にしても直接反発してこない。だから、誰も空気に気を使わなくなるのだ。
 けれど、そんなミヤにも感情はある。

(泣きそう……)

 とにかく、無事に生き抜くためにも、自分の滞在場所くらいは教えてもらわなければならない。

(なんといっても、ここは異世界なわけだし)

 街へ降りるにしても、知識がないままでは、余計にひどい目にう恐れがある。
 常識が違うだろうし、治安も悪いかもしれない。
 暴漢に襲われたり、奴隷どれい商人に捕まって売り飛ばされたりするのはごめんだ。

(それはさすがに、ファンタジー小説の読みすぎかもしれないけど。でも、今の私の服装はスーツ姿だから、ここでは浮くこと間違いなしだよね)

 悩みつつ広間を出ようとしたところで、後ろから遠慮がちに話しかけられた。

「あのぅ……」

 甘く蠱惑こわく的な響きの声だ。この世界で目覚めた瞬間に耳にした男性の声と似ている気がする。
 誰もいないと思っていたが、まだ人が残っていたらしい。
 大声で叫んでしまったこともあり、ミヤは気まずい思いで振り返る。

「なん……ですか?」
「いや、これ、君の落とし物じゃないかと思って」

 そこに立っていたのは、甘い声に相応ふさわしく、美しい容姿の青年だった。繊細せんさいな芸術品のような顔立ちに良く似合う長くまっすぐな金髪を、後ろで一つに結んでいる。
 抱き上げていたプッチーが『遊びたい』と暴れたので一度床に置くと、プッチーは青年に近づいて彼を見上げた。そのままかがんでくれた彼に、ちゃっかりヨシヨシされている。

「すみません……ええと、あなたは?」
「聖女召喚の見届け人で、神官長のナレース・アルテーラだよ。以後お見知りおきを、聖女様」
「神官長?」

 よく見れば、彼のまとっている服は青や白を基調とした、一目で高価と分かる作りだった。

(きっと、そこそこ権力がある人なのね。でも……)

 ナレースはせっかくの神官服をだらしなく着崩しており、大きく開いた襟元えりもとからは、素肌が見えてしまっている。
 金色のピアスやネックレス、派手な髪飾りも相まって、どことなくチャラい印象を受けた。

(神職だとすれば、ちょっと見た目に問題があるんじゃ……)

 ミヤが黙っていると、彼は紙の束を差し出してきた。

「はい、これ。どうぞ」
「あ、どうも……て、ええっ!?」

 それを見たミヤは、ギョッとして思わず動きを止めた。その声に驚いたのか、プッチーがびくりと体を浮かす。

(こ、これは私の小説!? 一緒にこの世界へ来てしまったの?)

 声と同じく甘さを含んだ顔をほころばせた青年は、萌黄色もえぎいろの瞳をしばたたかせ、小首をかしげた。

「君の持ち物ではないのかな? だとしたら、もう一人の……」
「わ、私の物です! もう一人には渡さないでーっ!!」

 ミヤはひったくるようにして、彼から紙の束を奪った。趣味全開の自作小説を、あの女子大生に読まれたくはない。

「ひ、拾っていただき、ありがとうございます!」

 ミヤの行動を見たナレースは、面白そうに笑みを浮かべつつ口を開く。

「なかなか素晴らしい品を持っているんだね。少し読ませてもらったけれど……」

 内容を見られたと知って、ミヤは今すぐこの場から逃げ出したい衝動にられた。
 だがナレースは、さらに追い討ちをかけてくる。

「良ければ、僕にこの紙を貸してもらえないかな? 珍しいから、調べてみたいんだ」

 動揺していたミヤは、そこでとある可能性に気がついた。

「いや、こんなものをお貸しするわけには……ってもしかして、印刷技術に興味がおありですか?」

 彼は読んだと言っていたが、実際は文字を見ていただけで、中身が小説だとは認識していないのかもしれない。なんせ異世界の人間だ、日本語が読めない可能性は大いにある。
 しかし、そんな楽観的な期待は、彼の次の言葉で打ち砕かれた。

「違うよ。その話を最後まで読んでみたいんだ。国王がしゃべっている間、こっそり眺めていたんだけど、まだ途中でね」

 ナレースは悪びれる様子もなく、紙束を指差した。

「あなた、この文字が読めるんですか!?」

 そう答えると、美青年はさらに笑みを深める。

「一応、神官長だからね。最低限の教育は受けているから、文字ぐらいは読めるよ」
「じゃなくて、これは日本語――私の世界の文字なんですけど!」
「うーん? 僕には大陸共通文字にしか見えないなあ。――君は異世界人だし、なんらかの力が働いているのかもね。過去に召喚された聖女も、普通に読み書きできたらしいと伝承にあるよ」

 こうして話も通じている以上、確かに言語に関しての障害はなさそうだ。彼の言う通り、文字や会話を成立させる魔法などがかけられているのかもしれない。

「『こんなもの』なんて言い方からすると……もしかして、これは君の作品だったのかな? 聖女様の世界は、印刷技術が進んでいるんだね。ここまで綺麗な印刷は珍しいよ」

 そう言うと、ナレースは愛想よくウィンクしてみせた。

「いや、作品というかなんというか……」

 焦るあまり、これが自分の小説であると、こんなイケメンの前で匂わせてしまった。

(穴があったら入りたい……!)

 戸惑うミヤにお構いなしに、ナレースは話しかけてくる。

「話が脱線したけれど、その物語は貸してもらえるのかな?」
「……い、いいえ!」

 ナレースは、この小説の内容を本当に理解した上で、続きを読みたがっているのだろうか。
 これはタイムリーにも、聖女をモチーフにしたファンタジーものだ。ところどころにドロドロした昼ドラのような描写が含まれていて、とても聖職者が興味を持つ話には思えない。

「いやあ、修羅場しゅらばの描写が秀逸しゅういつだよね。続きが気になって仕方がない」

 ミヤの考えを裏切って、昼ドラ展開がお気に召したようだ。

「やっぱり、娯楽用の読み物はいいよね。神官向けの経典きょうてんばかりじゃ、礼拝中もつい眠くなっちゃって」
「まさかの居眠り発言!」
「ふふふ、だってねえ? 経典きょうてんの内容って、ひたすら聖女をたたえて、神殿を正当化する話ばかりなんだよ? それを日々読まされ続ける身にもなってほしいね」
「……あなた、なんで神官長なんてやっているんですか?」

 服装も行動もだらしない彼は、まったくもって神職にく人間らしくなかった。

(神官長って、もっと真面目で清らかなイメージだったのに……)

 顔から受けたプラスの第一印象も、服装や言動で台無しだ。
 こんなのを神官のトップにえているグレナード王国が心配である。

「ところで、滞在先の部屋の場所は分かるかな?」
「いいえ。見ての通り、誰も案内してくれないので困っていたところです」

 広間に残っているのは、今やミヤと彼の二人だけだった。

「この国は、ちょっと特殊な文化を持っていてね。国民も皆、あのような対応を取るよ」

 広間にいた人たちだけでなく、国ぐるみで感じが悪いとは。迂闊うかつに外に出なくて正解だった。

「もしかすると、君にはちゃんとした部屋は用意されないかもしれないな」
「どういうこと?」

 首をかしげるミヤに、ナレースは広間を出るよううながした。

「ついて来れば分かる。このグレナード王国の国民性についても、追い追い説明しよう」

 そう言いながら廊下を歩き出したナレースに、再びプッチーを抱き上げたミヤも続いた。

「……あなたは、私に親切ですよね? 他の人はとっくに広間を出て行ってしまったのに」
「僕はこの国の国民ではなく、もっと東の出身なんだ。それに、他国――シーセリアという国にある神殿本部によって派遣されているだけだから、グレナードの文化にも染まっていない。この国の神官長というわけでも、王の臣下でもないし」
「そうなんですね。それにしても、グレナードの文化って……」

 一括ひとくくりに文化と説明してしまうには、色々と問題があるように思えたが、他になんと言うべきか分からない。
 その後ナレースは、城で働く女性使用人にミヤの部屋の場所を尋ねてくれた。

「あ、その、お部屋なのですが……」

 質問されて、使用人たちは気まずそうに目をらす。
 詳しく聞くと、部屋は用意されていないらしい。ナレースの言った通りだ。

「聖女様が二人召喚されること自体が想定外だったもので。もう一人の方のお部屋までは用意していなかったのです」

 そう言う割に、彼女にミヤの部屋を用意しようという気配はない。
 普通なら、今から用意してくれたっていいはずだ。

(私だって、一応は聖女候補なのに。このままじゃ、どこに泊まればいいのかも分からない)
「一部屋だけ、空けてもらうことはできないのかな?」

 やんわり尋ねるナレースの美貌に頬を染めながら、使用人はゆっくりと首を横に振った。

「残念ながら。急遽きゅうきょ用意できる部屋は、北側の一階のみとなっております」
「ああ、下級使用人が使う部屋だね。聖女という立場は何かと狙われやすいし、そこだと少し危ないかもしれないな」

 ギョッと顔を上げたミヤに向かって、ナレースは苦笑いを浮かべながら説明する。

他所よその国の刺客しかくや、聖女を良く思わない人間が襲ってくるかもしれないから」
「……そんなこともあるの!?」

 ミヤの職業は守護者だが、聖女かもしれないと思われている今、狙われる可能性は充分にある。

(なのに、私は保護してもらえないのね)

 勝手に聖女疑惑をかけられた、身を危険にさらされているというのに、この扱いはひどすぎる。
 これならブラック企業の方がまだマシだ。生命の保証がないのは同じだが、いざとなれば退職できる。
 ナレースは、困った表情を浮かべたまま髪をき上げた。

「うーん、参ったなあ。ここで君を放り出すわけにはいかないし。他に安全な場所といえば……」

 萌黄色もえぎいろの瞳が、うかがうようにミヤを見つめる。

「なんですか?」
「君さえ良ければ、僕と一緒に来る? あいにく、この城内で僕の権限が及ぶのは、神殿付近だけなんだけど」
「神殿?」
「この城の中に、僕の職場――神殿があるんだよ。普段はそこで祈りをささげるふりをして、居眠りしている」
「ええと、神官って、他に仕事はないんですか?」
「神官の仕事は、神と歴代聖女に祈りをささげ、宗教儀式をり行って、聖女の巡礼じゅんれいの行程を管理すること。聖女召喚の見届けも仕事の一つだね」
「召喚後、あなたはずっと読書をしていたみたいですけどね」

 ミヤは、あきれ顔でナレースを見た。

(やる気なさすぎじゃない?)

 この国の宗教概念がいねんはそんなにゆるいのだろうか。下手をすると、時に無宗教とも揶揄やゆされる日本よりいい加減かもしれない。

「ええと、グレナード王国の宗教はなんですか? あなたを見るに、かなり自由な教えっぽいですけど……」

 無造作な髪形にだらしない服装をしていても神官長になれるなんて。日本にいた時でさえ、そんな宗教は聞いたことがない。

「ラウラ教という、神と聖女を信仰する宗教だよ。この大陸にある国はほとんどがそう。信仰の深さは、国によってまちまちかな」
「……聖女を信仰しているのね? 微妙だわ」
「この大陸において、聖女は聖地を浄化して、わざわいから人々を守る救世主。うやまわれるべき存在なんだよ」
「なるほど、大陸規模で有名なの」
「また話がれてしまったね。――今は君の部屋を用意しなきゃ」

 困ったように微笑むナレースは、萌黄色もえぎいろの瞳を揺らめかせながら遠慮がちに提案してきた。
 いつの間にか、使用人はいなくなっている。

「神殿の一角が僕の住まいなんだ。少し狭いけど空き部屋があるよ。君さえ良ければどうかな?」

 そう話すナレースに、害意はなさそうだ。
 狭くても安全な部屋を用意してもらえるというなら、ミヤにはありがたい話である。

「あなたさえ良ければ、お世話になります。ありがとう」
「こちらこそ、本来なら歓迎すべき聖女の君を不当に扱ってしまってごめんね。ラウラ教の神官を代表して謝らせてほしい」
「私は、あなたには怒っていません。勝手に呼び出されたことに腹は立つけど、日本へ戻ることも、まだ諦めていないし」
「助かるよ……」

 ナレースに連れられ、ミヤは城内にあるという神殿へと移動する。
 そこは城の中央部にある、だだっぴろい場所だった。
 さっきまでいた広間に匹敵する広さがある上、縦にも高い空間が広がっている。奥には、ご神体しんたいらしき黄金の聖女像が置かれていた。

「こっちだよ、どうぞ」

 像の脇にある金色の扉の向こうには短い廊下が続き、さらにその先にナレースの私室はあった。
 扉を開けると、豪奢ごうしゃなオリエンタル風の絨毯じゅうたんやクロスが目に飛び込んで来る。

(結構広いわね。さすが神官長)

 王の臣下でないとはいえ、彼がグレナードにおいて高い地位にいるというのがよく分かる部屋だ。

(仕事をサボっていることばかりアピールしているけれど、机の上にはちゃんと神官長ての書類があるじゃない)

 書きかけのように見えるので、最低限の作業はきちんとやっていそうだ。

「君の部屋は、こっちでいいかな? 残りの部屋は散らかっていて、すぐに使える状態じゃないんだ」

 ナレースは、部屋の脇にある小さな扉に手をかける。
 すると豪奢ごうしゃな部屋の続きに、綺麗に整えられた小部屋が現れた。ミヤのマンションの部屋と同じ、六畳ろくじょうほどの広さだ。
 ミヤの腕から降りたプッチーが、興味津々きょうみしんしんといった様子で周囲の匂いをぎ始める。

「もともと物置用に設置されていたんだ。今は使っていないし、物置は他にもいくつかある。僕の部屋とつながっているけれど、大丈夫かな? もちろん、勝手に入ったりはしないよ」

 地味で美人でもないミヤ相手に、女性に不自由しなそうなナレースが何かするとも思えない。純粋に親切心から部屋を貸してくれるのだろう。

「分かっていますよ。しばらくの間お世話になります」
「ベッドや家具は、予備があるからすぐに用意するね」

 そう言うと、彼はみずからミヤの部屋を調ととのえ始める。てっきり使用人か部下の神官に命じるものと思っていたので、意外だった。

「わ、私も手伝います!」

 慌ててミヤが動き出すと、ナレースはさわやかに礼を述べた。


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