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94:残虐夫人の悩み事

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 ミハルトン伯爵家に帰ってきたクレアは、クレオとエイミーナに、第一王子に依頼された話を説明した。

「というわけで、もう少し王都に滞在することになったぞ」

 第一王子には「特に秘密する必要はない」と言われていたので、ミハルトン伯爵家の二人には話しておくことにしたのだ。
 エイミーナは喜び、クレオはあからさまに嫌そうな顔になる。
 しかし、そんなクレオも、サイファスが一緒に滞在するのは嬉しいようで、先ほどから「お義兄様、お義兄様」と、彼にまとわりついていた。
 
「クレオ、サイファスに迷惑かけるなよ」
「うるさいな、馬鹿クレア。お前と一緒にするな」
「なんだと、阿呆クレオ」

 二人が険悪になりかけたところで、サイファスが「クレア、部屋で殿下にもらったお酒を呑もう」などと言いだす。
 空気を読まない残虐鬼を前にして、クレアとクレオはすっかり闘争心をそがれてしまった。

「……そうだな、サイファス。部屋へ戻るか」
「うん、戻ろう」

 エイミーナに向けて勝ち誇ったように、にんまりした笑みを浮かべたサイファスは、クレアの手を引いてそそくさと用意された部屋へ向かった。
 扉の中に入り、持ってきてもらった高級な酒を前に、クレアは喜びを隠しきれない。

「サイファス、早く呑もうぜ」

 部屋にある椅子へ腰かけたクレアは、第一王子の酒を前に上機嫌だった。
 サイファスの盃になみなみと酒を注ぐと、彼もクレアの盃に注ぎ返す。

「乾杯~!」

 グイグイと酒を飲み干す二人は、どちらも酔いにくい体質なので、どんどん瓶の中身が減っていく。
 ふとクレアは寝台の方へ目をやった。
 夫婦ということで、当然ながら二人部屋。そして大きな寝台が一つだけ用意されている。
 最近は、サイファスと同衾する機会はあまりなかった。
 単純にサイファスが忙しかったのと、クレアが彼に対し、妙な戸惑いを覚えるようになってしまったからだ。

 サイファスは、クレアに手を出そうとしない。
 単に興味がないのか、クレアに遠慮しているのか。いずれにせよ、猶予があるのはありがたい話だった。
 ルナレイヴへ来た当初は、初夜を覚悟していたというのに、サイファスを身近に感じた今、なぜか無駄に彼を意識してしまう。
 込み上げる羞恥心を、クレアは抑えることができなかった。自然と酒が進む。

「今日の酒も最高だな!」

 第一王子が手土産にくれた、外国の高級酒のラベルには『デーモンキラー』と書かれている。
 大きくて太い瓶に相応しい、厳つい名前だった。
 
「そうだね。いつもより度数がきついかも……私でも多少は酔えそうだよ」
「サイファスは酒に強いからな」
「クレアだって」
「俺は訓練しているからだ。生まれつきじゃない」

 訓練しているとはいえ、いつでも完全に酔わないわけではない。
 体調によって、または酒の種類によって、酔いが回りやすい場合がある。
 毒と同じだ。
 サイファスが注いでくれた酒を口にしていると、不意に彼がクレアの顔を見つめた。

「ねえ、クレア。いつもより顔が赤くない?」
「そうか? 言われてみれば、いつもより気分がいいかもな。サイファスも、微妙に目が潤んでいるぞ」

 グビグビ酒を呑みながら、ご機嫌なクレアは順調に瓶の中身を減らしていく。

 ふと顔を上げると、サイファスが何かを言いたげに自分を見ているのが目に入った。

「どうした、サイファス」
「…………クレア、そっちに行っていい?」
「いいけど? 本当にどうしたんだ?」
 
 返事をせずにサイファスはクレアの傍らへと移動した。
 そして、ひょいとクレアを持ち上げて自分の膝の間に座らせる。クレアは混乱した。

「ふふ、クレア、可愛い……愛しているよ」
「俺も、サイファスは好きだけどさ」

 おそらく、異性として。
 自覚したのは、ミハルトン家の事件のあとだ。
 けれど、サイファスには何も伝えないまま今日まで来てしまった。
 
「君に好かれているのは嬉しいな」
 
 振り返ると、サイファスは心から満足そうに微笑んだ。彼の視線がやけに熱い。
 残虐鬼と恐れられる辺境伯は、クレアにとって異質な存在だった。彼はクレアの価値観をことごとく破壊していく。
 
 それまでのクレアの世界は「気に入るか」、「気に入らないか」、「面白いか」、「面白くないか」で構成されていた。
 どうせ、碌でもない人生なのだから、面白ければそれでいいという考えだった。
 自身の身を案じたりはしないし、する必要もない。
 人の命なんて、自分も含めて吹けば飛ぶような軽いもの。
 
 だが、その価値観を根底から覆したのが、よりにもよって残虐鬼と恐れられているサイファスだった。彼は、クレア以上にクレアを大切に扱う。
 こんな欠陥品の妻に対して本気で惚れているようなのだ。困った……
 
「クレアに嫌われていないのはわかっているよ。私を異性として……夫として愛してくれているのかなというところは、とても気になるけれど」
「……!」

 今まさに考えていたことを質問され、クレアは戸惑った。酔いが急速に覚めていく。
 サイファスは、異性としての自分を好いている。彼は何度もクレアにそう告げた。

「お、俺、俺は……」

 サイファスは黙ってクレアの答えを待っている。
 しかし、しばらくすると、彼の手が伸びてクレアの顎を持ち上げた。

「教えて、クレア?」
「サイファス、酔っていないか?」
「私は普通だけれど」

 そうは言っても、いつもの彼とはどこかが違う気がする。
 サイファスは、ここまで大胆な行動を取らない……はずだ。

(やはり、酔っているのか?)
 
 クレアは悩んだ。
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